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2話【完璧な支配者 ── その優しさは、猛毒の味がした】
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ホテルを出て自宅に戻っても、心の騒めきは収まらない。 落ち着かぬ指先はまた、無意識に髪の毛の先に触れていた。
心は、期待、疑惑、恐怖、そして抗い難い甘さという複雑な感情で、激しく波立っている。
私は居ても立っても居られず、MacBookを開いた。指が勝手に、検索窓に冷たい言葉を打ち込んでいく。
「結婚詐欺 手口 完璧な男」 「結婚詐欺 ターゲットの心」
画面には、被害者の痛切な体験談や、詐欺師が用いる心理的なテクニックがずらりと並んだ。
「ターゲットの好みを徹底的に事前調査する」 「過去の恋愛の傷を癒すような言葉を使う」――。
涼太が私に送った言葉、すべての瞬間が、この画面に書いてある。
「もしかして……これ、全部、私という獲物のために仕組まれたものだろうか?」
声は震えていた。
それでも、どこかでその疑いを「勘違いだ」と否定したい自分もいる。
だって、涼太は私の好みを正確に把握していた。
私が疲労から「甘いものが好き」だと呟けば、
「僕もスイーツ巡りが趣味でして。 特に、あなたが好きそうな隠れ家を知っています」
と微笑む。 まるで、私の心の深層を最初からすべて知っていたかのように。
そして、茜色の空に波の音が重なる、あの夕暮れの湘南の時間。 あの瞬間は、確かに二人にしか共有できない特別な世界だったはずだ。
――いや、彼は私を知りすぎている。
出身大学、部署、過去の恋人たちが残した傷。
どうしてそこまで知っているのか。 彼の完璧さは、もはや人間的な隙を許さない。 疑念は、雪崩のように膨らむばかりだった。
私は日記帳を開き、そっとペンを走らせる。
「高杉涼太。 もしかしたら結婚詐欺師だろうか。 でも、彼の瞳の奥に見えた孤独は、嘘には見えなかった。 私は、あの影に惹かれている。 こんなにも抗いがたい気持ち、初めて……」
彼との出会いは、恋愛小説の一頁のように甘く、夢のよう。
しかし、その「小説」の結末は、もっと残酷な現実かもしれない。
それでも、私の胸は、彼が真実の人であってほしいという希望と、裏切られるかもしれない恐怖の、その激しいせめぎ合いの中で、静かに、しかし確実に彼を求めて揺れている。
「あなたと出会うための人生だった」
彼の言葉は、私の人生の空白を埋め尽くすようで、甘くも、精神的な支配の予感を伴う、恐ろしい呪文だった。
誠実な恋を望みながら、嘘と裏切りに傷つき、日常の疲弊に押しつぶされてきた私。
今度こそはと願った矢先に現れた、完璧すぎる男。
甘いバニラの香りは、幸せな過去の記憶を呼び起こす。 それが未来への予兆なのか、それとも、ただの破滅への幻想なのか――まだ分からない。
私は、運命を変えるかもしれない男の誘いに乗り、自らの意思でポストに返信を投函した。
涼太が私の人生を変容させるのか。
それとも、破壊するのか。
どちらに転んでも、日常の安寧はすでに崩壊していた。 運命の歯車は、抗いようもなく、静かに、そして確実に、回転し始めていたのだ。
週末、涼太から「江ノ島でデートしませんか」と連絡が来たとき、胸の奥で小さな波が静かに立ちあがった。
彼の名前を見るだけで、心のどこかに柔らかな光がともる。しかし同時に、それを包み込むように、説明のつかない不安の影が薄く伸びていた。私の胸の中では、いつも希望の光と疑惑の影が、静かに共存している。
待ち合わせ場所は、江ノ島ヨットハーバー。
電車を降りると、潮の匂いが胸にまとわりつく高揚感と混ざり、胸が高鳴る。海風はさらりと肌を撫で、指先で整えた髪の毛先をくすぐる。
今日の私は、淡いブルーのノースリーブブラウスに、清潔感のある白いリネンスカート。鏡の前で何度も迷い、「彼に選ばれる」ための、最大限の自然体を装ったつもりだった。足元のウェッジソールのサンダルは、歩くたびに軽く音を立て、夏の気配を小さく刻む。
港では釣り人の穏やかな表情や、寄り添うカップルの笑い声が、私の胸を少しだけ軽くした。そんな日常の風景の中に、突然、ひときわ清潔感のある、非日常の影が現れる。
すぐにわかった。涼太さんだ。
白いリネンシャツに、肌触りの良さそうなベージュのチノパン。
まるで、ハイエンドなファッション雑誌の1ページから、そのまま切り抜かれてきたかのような、無駄のないシンプルさ。その端正な雰囲気は周囲を圧倒し、目が合った瞬間、彼は穏やかな笑みを浮かべ、手にした花束を差し出した。
「彩花さん、お待たせしました。これ……あなたのために選びました」
息を飲む。 ピンクの薔薇、白いユリ、そして紫のアスター。それぞれの花が完璧に調和し、複雑で甘い香りが胸元に広がる。花束の重さは軽いのに、心がふわりと崩れ落ちそうなほど美しい。
「本当に素敵……どうして、私の心の深層までわかるんですか?」
抱きしめた花束越しに、彼の完璧な優しさがじんわりと染み込む。
「彩花さんの繊細な雰囲気から、インスピレーションをもらいました。気に入ってくれて嬉しいですよ」
そう言って微笑む彼の顔を間近で見つめた瞬間、私の心臓が、変な音を立てて跳ねた。 彼は、笑っている。穏やかに、優しく。……なのに、その瞳は一度も「瞬き」をしていない。 強い海風が吹き抜け、私の髪が乱れ、花びらが激しく揺れているというのに、彼の睫毛ひとつ、視線ひとつ、微動だにしないのだ。
まるで、精巧に作られた彫像が、あらかじめ決められた表情のまま固定されているような――そんな、生物としての理(ことわり)から外れた静止。
一瞬だけ背筋を駆け抜けた絶対零度の戦慄を、私は必死に「緊張のせいだ」と言い聞かせ、喉の奥に押し込んだ。
「涼太さんは、本当に優しいですね」
口に出した瞬間、過去の失望を思い出さないよう、自分にそっと言い聞かせる。 ――信じていい。 この人は大丈夫だと。
「彩花さん、何か気になることでもありますか?」
少しだけ眉を上げた問いかけに、思わず息が止まる。彼は、私の小さな心の揺れさえも逃さない。
「い、いえ……ちょっと、綺麗な景色に考え事をしていただけです」
本音ではない。だが、嘘でもない。私の「本当の疑い」は、いつも喉の奥で絡まり、形にならずに消えてしまうのだ。
「何かあれば、いつでも話してくださいね。 彩花さんの心を守りたいんです」
その言葉は、私の心の最も脆い部分を正確に突き刺した。過去の恋で常に二番目にされ、守られることなく傷ついてきた私にとって、それは優しさが少し重く感じられるほど、あまりに甘美な呪文だった。
歩きながら、彼の手がそっと触れる。軽い感触なのに、心の奥まで温度が届く。夕日が海を朱色に染め、波面が宝石の粒のようにきらめく。
その光景に心が洗われる感覚と同時に、消えない不安が小さくうごめく。
――この人は本当に誠実なの? ――それとも、私の弱さを全て知った上で、完璧な配役を演じている?
疑いと憧れが、同じ速度で胸を巡る。
「涼太さん……」
名前を呼んだが、言葉は喉の奥でほどけて消えた。
「何でしょう?」
振り向いた瞳は、どこまでも穏やかで、その底知れない視線に再び胸が揺れる。
これは、罠だ。そう知っていた。
それでも、この完璧な罠の底で溺れても構わない――私はそう、抗いようのない破滅的な渇望に身を委ねてしまった。
【第2話:あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
江の島での甘いデート。差し出された完璧な花束。 しかし、その美しすぎる光景の中に、彩花は見てはいけないものを見てしまいました。
「……睫毛ひとつ、視線ひとつ、微動だにしない」
海風に髪が乱れることもなく、一度も「まばたき」をしない男。 この戦慄するような違和感は、彩花の過労による錯覚なのか、それとも涼太が「人間ではない何か」である予兆なのか――。
「この完璧な罠の底で溺れても構わない」
理性の警告を振り切り、抗いようのない渇望に身を委ねてしまった彩花。彼女の指先が冷え切っていくたびに、物語の歯車は静かに、しかし確実に狂気へと加速していきます。
次回、第3話『キスは甘い毒 ── 彼はデジタルタトゥーを持たない』。 ついに涼太の「完璧すぎる存在」の裏側に、決定的な「不在」という不気味な空白が暴かれます。
涼太の正体に背筋が凍った!彩花を今すぐ連れ戻したい!と思った方は、 ぜひ【お気に入り登録】と【応援ポイント】をお願いいたします! 皆様の一票が、この深い霧を晴らす唯一の光になります!
心は、期待、疑惑、恐怖、そして抗い難い甘さという複雑な感情で、激しく波立っている。
私は居ても立っても居られず、MacBookを開いた。指が勝手に、検索窓に冷たい言葉を打ち込んでいく。
「結婚詐欺 手口 完璧な男」 「結婚詐欺 ターゲットの心」
画面には、被害者の痛切な体験談や、詐欺師が用いる心理的なテクニックがずらりと並んだ。
「ターゲットの好みを徹底的に事前調査する」 「過去の恋愛の傷を癒すような言葉を使う」――。
涼太が私に送った言葉、すべての瞬間が、この画面に書いてある。
「もしかして……これ、全部、私という獲物のために仕組まれたものだろうか?」
声は震えていた。
それでも、どこかでその疑いを「勘違いだ」と否定したい自分もいる。
だって、涼太は私の好みを正確に把握していた。
私が疲労から「甘いものが好き」だと呟けば、
「僕もスイーツ巡りが趣味でして。 特に、あなたが好きそうな隠れ家を知っています」
と微笑む。 まるで、私の心の深層を最初からすべて知っていたかのように。
そして、茜色の空に波の音が重なる、あの夕暮れの湘南の時間。 あの瞬間は、確かに二人にしか共有できない特別な世界だったはずだ。
――いや、彼は私を知りすぎている。
出身大学、部署、過去の恋人たちが残した傷。
どうしてそこまで知っているのか。 彼の完璧さは、もはや人間的な隙を許さない。 疑念は、雪崩のように膨らむばかりだった。
私は日記帳を開き、そっとペンを走らせる。
「高杉涼太。 もしかしたら結婚詐欺師だろうか。 でも、彼の瞳の奥に見えた孤独は、嘘には見えなかった。 私は、あの影に惹かれている。 こんなにも抗いがたい気持ち、初めて……」
彼との出会いは、恋愛小説の一頁のように甘く、夢のよう。
しかし、その「小説」の結末は、もっと残酷な現実かもしれない。
それでも、私の胸は、彼が真実の人であってほしいという希望と、裏切られるかもしれない恐怖の、その激しいせめぎ合いの中で、静かに、しかし確実に彼を求めて揺れている。
「あなたと出会うための人生だった」
彼の言葉は、私の人生の空白を埋め尽くすようで、甘くも、精神的な支配の予感を伴う、恐ろしい呪文だった。
誠実な恋を望みながら、嘘と裏切りに傷つき、日常の疲弊に押しつぶされてきた私。
今度こそはと願った矢先に現れた、完璧すぎる男。
甘いバニラの香りは、幸せな過去の記憶を呼び起こす。 それが未来への予兆なのか、それとも、ただの破滅への幻想なのか――まだ分からない。
私は、運命を変えるかもしれない男の誘いに乗り、自らの意思でポストに返信を投函した。
涼太が私の人生を変容させるのか。
それとも、破壊するのか。
どちらに転んでも、日常の安寧はすでに崩壊していた。 運命の歯車は、抗いようもなく、静かに、そして確実に、回転し始めていたのだ。
週末、涼太から「江ノ島でデートしませんか」と連絡が来たとき、胸の奥で小さな波が静かに立ちあがった。
彼の名前を見るだけで、心のどこかに柔らかな光がともる。しかし同時に、それを包み込むように、説明のつかない不安の影が薄く伸びていた。私の胸の中では、いつも希望の光と疑惑の影が、静かに共存している。
待ち合わせ場所は、江ノ島ヨットハーバー。
電車を降りると、潮の匂いが胸にまとわりつく高揚感と混ざり、胸が高鳴る。海風はさらりと肌を撫で、指先で整えた髪の毛先をくすぐる。
今日の私は、淡いブルーのノースリーブブラウスに、清潔感のある白いリネンスカート。鏡の前で何度も迷い、「彼に選ばれる」ための、最大限の自然体を装ったつもりだった。足元のウェッジソールのサンダルは、歩くたびに軽く音を立て、夏の気配を小さく刻む。
港では釣り人の穏やかな表情や、寄り添うカップルの笑い声が、私の胸を少しだけ軽くした。そんな日常の風景の中に、突然、ひときわ清潔感のある、非日常の影が現れる。
すぐにわかった。涼太さんだ。
白いリネンシャツに、肌触りの良さそうなベージュのチノパン。
まるで、ハイエンドなファッション雑誌の1ページから、そのまま切り抜かれてきたかのような、無駄のないシンプルさ。その端正な雰囲気は周囲を圧倒し、目が合った瞬間、彼は穏やかな笑みを浮かべ、手にした花束を差し出した。
「彩花さん、お待たせしました。これ……あなたのために選びました」
息を飲む。 ピンクの薔薇、白いユリ、そして紫のアスター。それぞれの花が完璧に調和し、複雑で甘い香りが胸元に広がる。花束の重さは軽いのに、心がふわりと崩れ落ちそうなほど美しい。
「本当に素敵……どうして、私の心の深層までわかるんですか?」
抱きしめた花束越しに、彼の完璧な優しさがじんわりと染み込む。
「彩花さんの繊細な雰囲気から、インスピレーションをもらいました。気に入ってくれて嬉しいですよ」
そう言って微笑む彼の顔を間近で見つめた瞬間、私の心臓が、変な音を立てて跳ねた。 彼は、笑っている。穏やかに、優しく。……なのに、その瞳は一度も「瞬き」をしていない。 強い海風が吹き抜け、私の髪が乱れ、花びらが激しく揺れているというのに、彼の睫毛ひとつ、視線ひとつ、微動だにしないのだ。
まるで、精巧に作られた彫像が、あらかじめ決められた表情のまま固定されているような――そんな、生物としての理(ことわり)から外れた静止。
一瞬だけ背筋を駆け抜けた絶対零度の戦慄を、私は必死に「緊張のせいだ」と言い聞かせ、喉の奥に押し込んだ。
「涼太さんは、本当に優しいですね」
口に出した瞬間、過去の失望を思い出さないよう、自分にそっと言い聞かせる。 ――信じていい。 この人は大丈夫だと。
「彩花さん、何か気になることでもありますか?」
少しだけ眉を上げた問いかけに、思わず息が止まる。彼は、私の小さな心の揺れさえも逃さない。
「い、いえ……ちょっと、綺麗な景色に考え事をしていただけです」
本音ではない。だが、嘘でもない。私の「本当の疑い」は、いつも喉の奥で絡まり、形にならずに消えてしまうのだ。
「何かあれば、いつでも話してくださいね。 彩花さんの心を守りたいんです」
その言葉は、私の心の最も脆い部分を正確に突き刺した。過去の恋で常に二番目にされ、守られることなく傷ついてきた私にとって、それは優しさが少し重く感じられるほど、あまりに甘美な呪文だった。
歩きながら、彼の手がそっと触れる。軽い感触なのに、心の奥まで温度が届く。夕日が海を朱色に染め、波面が宝石の粒のようにきらめく。
その光景に心が洗われる感覚と同時に、消えない不安が小さくうごめく。
――この人は本当に誠実なの? ――それとも、私の弱さを全て知った上で、完璧な配役を演じている?
疑いと憧れが、同じ速度で胸を巡る。
「涼太さん……」
名前を呼んだが、言葉は喉の奥でほどけて消えた。
「何でしょう?」
振り向いた瞳は、どこまでも穏やかで、その底知れない視線に再び胸が揺れる。
これは、罠だ。そう知っていた。
それでも、この完璧な罠の底で溺れても構わない――私はそう、抗いようのない破滅的な渇望に身を委ねてしまった。
【第2話:あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
江の島での甘いデート。差し出された完璧な花束。 しかし、その美しすぎる光景の中に、彩花は見てはいけないものを見てしまいました。
「……睫毛ひとつ、視線ひとつ、微動だにしない」
海風に髪が乱れることもなく、一度も「まばたき」をしない男。 この戦慄するような違和感は、彩花の過労による錯覚なのか、それとも涼太が「人間ではない何か」である予兆なのか――。
「この完璧な罠の底で溺れても構わない」
理性の警告を振り切り、抗いようのない渇望に身を委ねてしまった彩花。彼女の指先が冷え切っていくたびに、物語の歯車は静かに、しかし確実に狂気へと加速していきます。
次回、第3話『キスは甘い毒 ── 彼はデジタルタトゥーを持たない』。 ついに涼太の「完璧すぎる存在」の裏側に、決定的な「不在」という不気味な空白が暴かれます。
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