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第4話:10年前の聖域
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深い眠りの中、湊の意識はゆっくりと過去の深淵へと沈んでいく。 それは、彼が今も大切に胸の奥底にしまい込んでいる、人生で唯一の「光」の記憶。 同時に、彼を怪物へと変えた、呪いのような執愛の原点でもあった。
――十年前。 九条湊は、名前だけの「御曹司」だった。 九条家という巨大な一族の権力争いに巻き込まれ、妾の子として冷遇されていた彼は、父親の死をきっかけに本妻とその息子たちによって家を追われた。 持たされたのは、僅かばかりの現金と、着の身着のままの衣服だけ。
(死ねばいいと思われている。僕なんて、いてもいなくても同じなんだ)
降りしきる雨の中、当時十五歳だった湊は、都心の裏路地でうずくまっていた。 数日間、何も口にしていない。冷たい雨が体温を奪い、指先は感覚を失い、視界は白く霞んでいる。泥にまみれた高級ブランドのコートは、もはや無残なボロ布にしか見えなかった。 誇りも、希望も、生きる気力さえも、降り続く雨に流されて消えていく。
そんな時だった。 頭上を叩く雨の音が、ふっと止んだ。 見上げると、紺色のビニール傘が湊を覆っていた。
「……あ、やっぱり。人だと思った。大丈夫?」
鈴を転がすような、澄んだ声。 霞む視線の先にいたのは、紺色のセーラー服を着た一人の少女だった。 彼女は湊の泥だらけの姿を厭うこともなく、心配そうに覗き込んでいた。その瞳は、湊が今まで見てきた九条家の人々のような冷たさではなく、春の陽だまりのような温かさを湛えていた。
「……あっちに行け。汚れるぞ」
湊は声を絞り出したが、少女は動かなかった。それどころか、彼女は湊の隣に膝をつき、自分のリュックからアルミホイルに包まれた何かを取り出した。
「これ、お昼の残りなんだけど……。まだ温かいから。食べられるかな?」
差し出されたのは、不格好だが愛情を込めて握られたのがわかる二つのおにぎりだった。 湊は拒もうとしたが、鼻をくすぐる海苔と米の香りに、胃が悲鳴を上げた。震える手でおにぎりを掴み、貪るように口に運ぶ。 塩気の効いた温かさが、凍りついた体と心を内側から溶かしていく。
「美味しい……」
「よかった。ゆっくり食べてね」
少女は湊が食べ終わるのを、優しく微笑みながら待っていた。 湊は最後の一口を飲み込むと、消え入りそうな声で問いかけた。
「……どうして。僕みたいな、行き倒れを助けるんだ。九条の名前も、お金も、今の僕には何もないのに」
少女――陽葵は、少し小首を傾げて、湊の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「名前なんて関係ないよ。あなたの目が、すごく綺麗だったから。……今は悲しい色をしているけど、強くて、透き通っていて。あなたはいつか、誰よりも強くなる。私はそう思うな」
誰よりも強くなる。 生まれて初めてかけられた、肯定の言葉。 家を追われ、誰からも必要とされていないと思っていた少年にとって、それは福音だった。
「これ、あげる。私のお守り」
陽葵は制服のポケットから、古びた、けれど丁寧に手入れされた布製のお守りを取り出し、湊の手のひらに握らせた。
「またいつか、あなたが本当に強くなったときに会えたら嬉しいな。頑張ってね」
陽葵は立ち上がり、傘を湊に預けると、「私は家が近いから大丈夫!」と笑って、雨の中を走っていった。 湊の手のなかには、彼女の体温が残るお守りと、ビニール傘の柄。 雨に濡れながら遠ざかる彼女の背中を見つめながら、湊は誓った。
(強くなる。……君が言ったとおり、世界中の誰よりも。そしていつか、僕を見つけてくれた君を、今度は僕が見つけ出して……)
それが、執愛という名の怪物の産声だった。
それからの湊の歩みは、惨憺を極めた。 死に物狂いで勉強し、アルバイトで資金を貯め、情報を武器に投資の世界で頭角を現した。九条家の人間たちが贅沢に溺れている間に、彼は陰で彼らの弱みを握り、会社を、資産を、一つずつ確実に奪い取っていった。 彼を突き動かしていたのは、復讐心ではない。 ただ、あの雨の日の少女にふさわしい「最強の男」になること。そして、彼女を二度と雨の中に放り出さないための、「檻」を築くこと。
湊の意識が、現在へと浮上する。
静寂に包まれたタワーマンションの主寝室。 隣では、陽葵が泣き疲れて眠っている。その右肩にある星の痣は、あの雨の日、シャツの隙間から見えたものと同じ場所にある。
湊は静かにベッドを抜け出し、部屋の隅にある重厚な金庫を開けた。 最新のバイオメトリクス認証で開くその中には、時価数億円の宝石や重要書類に混じって、場違いなものが一つだけ収められている。
色あせた、布製のお守り。 十年前、陽葵からもらった、彼の唯一の聖域。
湊は慈しむようにお守りを指でなぞった。 彼はこの十年間、一日たりとも彼女を忘れたことはなかった。 彼女が大学を卒業し、就職し、妹の不祥事に頭を悩ませていることも、すべてを裏から見守ってきた。 借金を肩代わりしたのも、彼女をここへ連れてきたのも、すべては計算通りだ。
「……やっと、手に入れたんだ」
金庫を閉じ、湊は再び陽葵の眠るベッドへと戻った。 彼は眠っている陽葵の髪を、熱に浮かされたような手つきで撫でる。
「君は、僕が強くなると言った。……だから僕は、君を一生支配できるほどの力を手に入れたよ」
その言葉は、深い愛情であると同時に、決して解けない呪いのようでもあった。 湊は陽葵を後ろから抱き寄せ、彼女の首筋に深く顔を埋めた。 彼女の体温、彼女の匂い。そのすべてが、自分の支配下にあるという喜悦。
「もう、あんな雨の中に君を一人で行かせたりしない。僕の腕の中で、僕だけを見て、死ぬまで僕に飼われていればいいんだ。陽葵……」
湊は目を閉じ、彼女の鼓動を全身で感じながら、至福の眠りに落ちていく。 十年前、おにぎりを分け与えてくれた無垢な少女は、まさか自分のその善意が、これほどまでに巨大で重苦しい執着を育てるとは夢にも思わなかっただろう。
外では、雨音が止んでいた。 けれど、この部屋の中にだけは、あの日から降り続く「執着」という名の雨が、今も二人を激しく濡らし続けている。
(つづく)
【第4話 あとがき】
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。第4話、お楽しみいただけましたでしょうか。
今回は、九条湊という怪物が誕生した「10年前の雨の日」の記憶を紐解きました。泥を啜るような絶望の中にいた少年を救ったのは、陽葵が差し出した温かいおにぎりと、何気ない肯定の言葉。「あなたは誰よりも強くなる」その言葉を胸に、彼は文字通り死に物狂いで世界の頂点へと駆け上がりました。
すべては、自分を見つけてくれた彼女を、今度は自分が「見つけて飼い殺す」ためだけに。
▼『執愛の譜(スコア)』全曲公開中(第4話推奨曲:『蜜』) 10年前から続く湊の狂気と、救いでもあった「あの日」の記憶。私108が描く、美しくも歪んだ愛の旋律に浸ってください。
①『擬態 ―The Masked Emperor―』 ――完璧な「皇帝」を演じながら、その裏で陽葵を追い詰める湊のテーマ。 冷徹なエリートという仮面を被り、10年かけて復讐にも似た執着を実らせた湊。重厚なギターサウンドが、彼の内に秘めた圧倒的な支配欲を象徴します。
②『蜜 (MITSU) ―Karmic Addiction―』 ――第4話、金庫に眠る「あの日」の記憶を紐解くテーマ。 おむすびの味、温かな肯定……少年・湊にとって唯一の「蜜」だった記憶。しかし、10年という歳月がそれを毒にも勝る執着へと変えてしまいました。美しく切ないピアノの旋律は、湊が抱える深い孤独と、陽葵なしでは呼吸さえままならない彼の「業(カルマ)」を浮き彫りにします。
③『アイソレーション (Isolation) ―不純物なき隔離―』 ――陽葵を世界から切り離し、自分だけの「聖域」に閉じ込める狂気。 「世界から君を隠して、守りたい」。湊が彼女を社会から隔離し、独占しようとする歪んだ愛。疾走感溢れるリズムが、加速する彼の独占欲を鮮明に描き出します。
金庫に大切に保管された古びたお守りと、隣で眠る陽葵を見つめる湊の眼差し。それは純粋な初恋の成れの果てなのか、それとも狂気に染まった支配欲なのか。「僕の腕の中で、死ぬまで僕に飼われていればいい」そんな湊の独白に、背筋が凍ると同時に、彼のあまりに深い孤独と愛の重さに胸を締め付けられた方も多いのではないでしょうか。
次回、第5話。ついに湊の「管理」がさらにエスカレートします。陽葵の肌に刻まれる、湊だけの「所有の証」。そして、タワーマンションに訪れる新たな影――。
【物語とシンクロする公式リンク】
Music (Suno): https://suno.com/song/@108sund
TikTok: @108sund
X (Official): @108Sund
この執愛の物語を「もっと読みたい!」「湊の独占欲がたまらない!」と思ってくださる皆様、ぜひ【お気に入り登録】や【いいね・スタンプ】で応援していただけると嬉しいです。皆様の反応が、私の執筆の何よりのガソリンです!
明日の20:00、第5話でお会いしましょう。
――十年前。 九条湊は、名前だけの「御曹司」だった。 九条家という巨大な一族の権力争いに巻き込まれ、妾の子として冷遇されていた彼は、父親の死をきっかけに本妻とその息子たちによって家を追われた。 持たされたのは、僅かばかりの現金と、着の身着のままの衣服だけ。
(死ねばいいと思われている。僕なんて、いてもいなくても同じなんだ)
降りしきる雨の中、当時十五歳だった湊は、都心の裏路地でうずくまっていた。 数日間、何も口にしていない。冷たい雨が体温を奪い、指先は感覚を失い、視界は白く霞んでいる。泥にまみれた高級ブランドのコートは、もはや無残なボロ布にしか見えなかった。 誇りも、希望も、生きる気力さえも、降り続く雨に流されて消えていく。
そんな時だった。 頭上を叩く雨の音が、ふっと止んだ。 見上げると、紺色のビニール傘が湊を覆っていた。
「……あ、やっぱり。人だと思った。大丈夫?」
鈴を転がすような、澄んだ声。 霞む視線の先にいたのは、紺色のセーラー服を着た一人の少女だった。 彼女は湊の泥だらけの姿を厭うこともなく、心配そうに覗き込んでいた。その瞳は、湊が今まで見てきた九条家の人々のような冷たさではなく、春の陽だまりのような温かさを湛えていた。
「……あっちに行け。汚れるぞ」
湊は声を絞り出したが、少女は動かなかった。それどころか、彼女は湊の隣に膝をつき、自分のリュックからアルミホイルに包まれた何かを取り出した。
「これ、お昼の残りなんだけど……。まだ温かいから。食べられるかな?」
差し出されたのは、不格好だが愛情を込めて握られたのがわかる二つのおにぎりだった。 湊は拒もうとしたが、鼻をくすぐる海苔と米の香りに、胃が悲鳴を上げた。震える手でおにぎりを掴み、貪るように口に運ぶ。 塩気の効いた温かさが、凍りついた体と心を内側から溶かしていく。
「美味しい……」
「よかった。ゆっくり食べてね」
少女は湊が食べ終わるのを、優しく微笑みながら待っていた。 湊は最後の一口を飲み込むと、消え入りそうな声で問いかけた。
「……どうして。僕みたいな、行き倒れを助けるんだ。九条の名前も、お金も、今の僕には何もないのに」
少女――陽葵は、少し小首を傾げて、湊の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「名前なんて関係ないよ。あなたの目が、すごく綺麗だったから。……今は悲しい色をしているけど、強くて、透き通っていて。あなたはいつか、誰よりも強くなる。私はそう思うな」
誰よりも強くなる。 生まれて初めてかけられた、肯定の言葉。 家を追われ、誰からも必要とされていないと思っていた少年にとって、それは福音だった。
「これ、あげる。私のお守り」
陽葵は制服のポケットから、古びた、けれど丁寧に手入れされた布製のお守りを取り出し、湊の手のひらに握らせた。
「またいつか、あなたが本当に強くなったときに会えたら嬉しいな。頑張ってね」
陽葵は立ち上がり、傘を湊に預けると、「私は家が近いから大丈夫!」と笑って、雨の中を走っていった。 湊の手のなかには、彼女の体温が残るお守りと、ビニール傘の柄。 雨に濡れながら遠ざかる彼女の背中を見つめながら、湊は誓った。
(強くなる。……君が言ったとおり、世界中の誰よりも。そしていつか、僕を見つけてくれた君を、今度は僕が見つけ出して……)
それが、執愛という名の怪物の産声だった。
それからの湊の歩みは、惨憺を極めた。 死に物狂いで勉強し、アルバイトで資金を貯め、情報を武器に投資の世界で頭角を現した。九条家の人間たちが贅沢に溺れている間に、彼は陰で彼らの弱みを握り、会社を、資産を、一つずつ確実に奪い取っていった。 彼を突き動かしていたのは、復讐心ではない。 ただ、あの雨の日の少女にふさわしい「最強の男」になること。そして、彼女を二度と雨の中に放り出さないための、「檻」を築くこと。
湊の意識が、現在へと浮上する。
静寂に包まれたタワーマンションの主寝室。 隣では、陽葵が泣き疲れて眠っている。その右肩にある星の痣は、あの雨の日、シャツの隙間から見えたものと同じ場所にある。
湊は静かにベッドを抜け出し、部屋の隅にある重厚な金庫を開けた。 最新のバイオメトリクス認証で開くその中には、時価数億円の宝石や重要書類に混じって、場違いなものが一つだけ収められている。
色あせた、布製のお守り。 十年前、陽葵からもらった、彼の唯一の聖域。
湊は慈しむようにお守りを指でなぞった。 彼はこの十年間、一日たりとも彼女を忘れたことはなかった。 彼女が大学を卒業し、就職し、妹の不祥事に頭を悩ませていることも、すべてを裏から見守ってきた。 借金を肩代わりしたのも、彼女をここへ連れてきたのも、すべては計算通りだ。
「……やっと、手に入れたんだ」
金庫を閉じ、湊は再び陽葵の眠るベッドへと戻った。 彼は眠っている陽葵の髪を、熱に浮かされたような手つきで撫でる。
「君は、僕が強くなると言った。……だから僕は、君を一生支配できるほどの力を手に入れたよ」
その言葉は、深い愛情であると同時に、決して解けない呪いのようでもあった。 湊は陽葵を後ろから抱き寄せ、彼女の首筋に深く顔を埋めた。 彼女の体温、彼女の匂い。そのすべてが、自分の支配下にあるという喜悦。
「もう、あんな雨の中に君を一人で行かせたりしない。僕の腕の中で、僕だけを見て、死ぬまで僕に飼われていればいいんだ。陽葵……」
湊は目を閉じ、彼女の鼓動を全身で感じながら、至福の眠りに落ちていく。 十年前、おにぎりを分け与えてくれた無垢な少女は、まさか自分のその善意が、これほどまでに巨大で重苦しい執着を育てるとは夢にも思わなかっただろう。
外では、雨音が止んでいた。 けれど、この部屋の中にだけは、あの日から降り続く「執着」という名の雨が、今も二人を激しく濡らし続けている。
(つづく)
【第4話 あとがき】
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今回は、九条湊という怪物が誕生した「10年前の雨の日」の記憶を紐解きました。泥を啜るような絶望の中にいた少年を救ったのは、陽葵が差し出した温かいおにぎりと、何気ない肯定の言葉。「あなたは誰よりも強くなる」その言葉を胸に、彼は文字通り死に物狂いで世界の頂点へと駆け上がりました。
すべては、自分を見つけてくれた彼女を、今度は自分が「見つけて飼い殺す」ためだけに。
▼『執愛の譜(スコア)』全曲公開中(第4話推奨曲:『蜜』) 10年前から続く湊の狂気と、救いでもあった「あの日」の記憶。私108が描く、美しくも歪んだ愛の旋律に浸ってください。
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②『蜜 (MITSU) ―Karmic Addiction―』 ――第4話、金庫に眠る「あの日」の記憶を紐解くテーマ。 おむすびの味、温かな肯定……少年・湊にとって唯一の「蜜」だった記憶。しかし、10年という歳月がそれを毒にも勝る執着へと変えてしまいました。美しく切ないピアノの旋律は、湊が抱える深い孤独と、陽葵なしでは呼吸さえままならない彼の「業(カルマ)」を浮き彫りにします。
③『アイソレーション (Isolation) ―不純物なき隔離―』 ――陽葵を世界から切り離し、自分だけの「聖域」に閉じ込める狂気。 「世界から君を隠して、守りたい」。湊が彼女を社会から隔離し、独占しようとする歪んだ愛。疾走感溢れるリズムが、加速する彼の独占欲を鮮明に描き出します。
金庫に大切に保管された古びたお守りと、隣で眠る陽葵を見つめる湊の眼差し。それは純粋な初恋の成れの果てなのか、それとも狂気に染まった支配欲なのか。「僕の腕の中で、死ぬまで僕に飼われていればいい」そんな湊の独白に、背筋が凍ると同時に、彼のあまりに深い孤独と愛の重さに胸を締め付けられた方も多いのではないでしょうか。
次回、第5話。ついに湊の「管理」がさらにエスカレートします。陽葵の肌に刻まれる、湊だけの「所有の証」。そして、タワーマンションに訪れる新たな影――。
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