尾九頭市 怪■間地区 日雇い清掃日誌

飴盛ガイ

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第四話

「神様が私に信仰を授けた日(2)」

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「そんなに不安そうな顔をしないでください」

目の前の不審者……ではなくシスターがにこりと微笑んだ。もし、これが街中ではなく教会で私が信者だったら迷わず懺悔をしていただろう。それほど裏表の無い笑顔だった。

「……はあ」

けど、今の私には信仰心なぞ欠片も持ち合わせていない。これまで少なからず人ではないものに接してきたし、なにより本当に神がいるのなら私の人生はもう少しだけ幸せなはずだ。

「神は全ての人に試練を与えます」

「へえ」

私は適当に聞き流しながらシスターへピントを合わせた。とりあえずは普通の人間だ。まあ、初見で分かってはいたが念のために……これから初めて誰かに会うたびにこうやって疑わないといけないのかと思うと、ますます今の仕事から離れたくなる。

「ですが、神は耐えられるものしか試練を与えません。今私達が直面している苦痛、戸惑い、困難こそがまさしく神の愛なのです」

「すいません、うち仏教なので」

とりあえずシスターは、この地域ではよくいるちょっと気が触れたという人なんだろう。周りの人達も時々こちらに目を向けてくるが、すぐに興味を失い何処かへと歩いていく。私は早々に会話を切り上げて、駅へと向かった。

「貴女に神のご加護がありますように」

去り際にシスターが私に向けた言葉を、とりあえず心の中に仕舞っておく。この街に越してきた当初なら、暇つぶし程度には話を聞いたのかもしれないな……

部屋に帰り寝巻きに着替えた私は、隅に転がっていた求人雑誌を手に取った。近所のコンビニに置いてあった無料のもので、菓子パンを買うついでになんとなく持って帰ったものだ。

「この求人が時給九百十円だから一日五時間働いて、週に三日入るとする」

とりあえず目に付いた求人の給与を頭の中で計算してみたが……家賃と光熱費を払ったら諭吉さんどころかお医者さんすら残らない。他の求人にも目を通したが結果は大体同じようなもの。自分でもよくわからない呻き声が漏れそうになる。

「楽して儲かる仕事って、中々ないもんだな……」

私はそんなに高望みをしているわけでは無いんだけどな。食事だってそんなに豪勢なものを食べたいとは思っていないし、ゲームにだって課金はしていない。後はほんのちょっとの暇つぶしがあればいいのに……例えばこのフィンガースピンみたいな。

「十色揃って定価の三割引ならお買い得でしょ」

こうやって手持ち無沙汰な時には指で挟んで楽しめるし、使わない色はインテリアとしても使える。いつの間にか二色ほど見当たらないけど、まだ八つも残っているから特に気にすることも無い。

「仕事も人間関係も将来も、こうやってずっと簡単なままでいればいいのに……」

私はその日、テレビもパソコンも付けず、寝るまでフィンガースピンを回し続けた。



「今日は私一人ってことですか?」

翌日、事務所に顔を出した途端に森筆さんから九縁さんの休みを伝えられた。どうやらこれは突発ではなく事務所公認らしいので、森筆さんの表情に焦った様子は無かった。

「一応作業予定は数件入っていますが、急ぎのものは二件しかありませんし……どうしますか」

森筆さんに渡された地図を確認すると、二つの現場はそこそこ距離が離れているが一人でもやれない事は無い。けど、それだけ?

「あの……もし、今日このまま帰るって言ったら……?」

私は愛想笑いを浮かべてみた。

「もちろん今日の日当は発生しませんが」

……興味は無いのかな。一応、昨日の事とか聞かれると思ったんだけど……まあ、いいか。そろそろ家賃の支払いも近づいているし。

「行ってきます……」

私は力無い足取りで、事務所を後にした。



作業自体は今のところ大きな問題はなかった。一件目は前に来たことがある公園で勝手は知っているし、汚れの範囲もそう広くない。鼻歌交じりにこなしたって三十分もかからなかった……筈なんだけど。

「あいつおれたちのことさいきんむししてない?」
「なんか、かんじわるいよな」

私が清掃中、ひっきりなしにいつもの奴等がネチネチと嫌味を呟いてきた。以前の私なら睨み付けて一つや二つは言い返してだろう。でも、今はそれが出来ない。だって、もうあいつらの正体を見てしまったから。

「ちょっとちからがついたからってさ」
「だれがめをかけてやったとおもってるんだ」
声もはっきりと聞こえる。もし、私が振り返ったらどんな姿をしているんだろう。いつもの可愛らしい……くはないけど、動物の形をしているのか。それとも……

「つまんねえ」
「もういこうぜ」

私はその言葉を聞いてどこかホッとした。見えなくていいものが見える……よかったじゃん、見なくて。

「っちぇ……」

誰もいない公園で私の舌打ちを耳にするものはいなかった。




二件目の現場は、そこそこ離れていた。後から交通費を申請できるので、電車やバスを使っても良かったけど私は敢えて自転車で移動した。もちろん交通費を浮かせるためでもあるが、今は少しだけ現場に着く時間を遅らせたかったからだ。携帯で時刻を確認したがまだ十一時前。今からゆっくり移動しても十二時までには辿り着く……そういえば、今日はテトから一件もメッセージが届いていない。いつもなら、些細な事まで送ってくるのに。

「……別にどうでもいいんだけどさ!!」

そう、私はなんとも思っていない。気分が落ち込んでいるのは仕事が面倒くさいから。いつもなら九縁さんとご飯を食べているとか、テトに必要最低限だけ返事をするとか、あの二匹の相手をするとかしているけど……それに森筆さんだっていつも通りだったし。昨日何があったかなんて一切触れてこなかったし……丁度いいじゃないか、私から距離を取ろうと思ってたんだし!!

「なんなのさ!!」

のんびり行く予定だったのに、ペダルを漕ぐ脚はいつも以上に力が入った。


頭に血が上ったせいか、それとも酸素が脳に足りていないのか鼻がツンとする。だから、現場へ着いた時に抱いた違和感も、単に呼吸が乱れているとか、イライラしているからだと思っていた。それが、勘違いでは無いと知ったのはとある建物が目に入ったからだった。

「げぇ、これって……」

前にテトと散策していたときに出くわした、あの朽ち果てた教会。その、バルコニーに怪異が広がっていた。首筋にあのとき感じた強烈な寒気が甦ってくる。どうしよう……ここから離れたほうがいいのか、それとも……誰に頼ればいい?

「やはり、貴女は神に選ばれし者だったのですね」

不意に聞こえた声のせいで、心臓が止まりそうになった。急いでピントを合わせて周囲を確かめたが、何も見えない。私はすぐに緊急通報が出来るようにツナギの胸ポケットに手を伸ばした。

「歓迎します、神の忠実な従者よ」

だが、教会の柱から姿を現したのは先日私に声をかけてきたシスターだった。呆然と立ち尽くしている私へ足音を立てて歩み寄ってくる。

「な、なんで……」

身体に走る悪寒を無理矢理抑えて必死で搾り出した私の言葉は、悲鳴は無く疑問だった。そう、なんでこの『人』は私の姿が見えているのか。現場に入る前にちゃんと認識出来なくなるようにしているのに。

「まずは理解をすることから始めませんか?」

言われるまでもなかった。でも、だからこそ、私は怖い。さっきから自分の限界までピントの範囲を広めているのに、見えない。妖怪やあやかしの類でもない、かと言ってぺるちゃんのような雰囲気もテトのようなアッチ特有の匂いも無い。この人、正真正銘ただの『人間』だ。
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