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第四話

「神様が私に信仰を授けた日(5)」

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私の中から湧いてくるこの万能感の正体はなんだろう。洗濯カゴに溜まっている洗い物も、ゴミ箱からはみ出ている菓子パンやインスタントラーメンの袋も、私に語りかけてくる。

「まどちゃん、頑張ったね」

「そ、そうかな?」

ジャムパンを包んでいたモノ君が、私を励ましてくれる。

「俺達の犠牲も無駄じゃ無かったってことだな」

「ご、ごめんね……」

かつてはフィンガースピンだったものの欠片君も私を労ってくれる。そう、視点を変えれば世界はこんなにも優しさで溢れていたんじゃないか。私は、最後の締めとしてこの部屋で一番の古参であるぬいぐるみのペローチェへ話しかけた。

「私、本当は……」

「まどかなら大丈夫だ!!当たって砕けろだよ!!」

「でも、もしダメだったら……どうしよう」

「そんな時のために、僕達がいるんじゃないか!!」

……最高の言葉をありがとう。いつの間にかペローチェが二つに分身していたけど、今は関係無い。

「それじゃあ、行ってくるね」

手に持つのは履歴書と求人情報誌だけ。それで十分なのだから。私はとても晴れ晴れとした気持ちで部屋の外へと足を踏み出した。


今は何時だろうかと、少し気になったけどお日様の昇り具合としてまだ朝の七時にもなっていないだろう。通行人もあまり見かけないし、時々スーツ姿のおじさんや、尻尾を生やした女の人がいるくらいだ……頭が少しだけ痛む。どうしてだろう。

「まあ、いいか」

寝不足とストレスから来る、一時的な疲労かなにかだろうし……何が原因だったんだっけ?あ、頭がまた痛み出した。とりあえず、人目を避けたほうがいいかもしれない。ちょうどすぐ近くに空き地があるから、少し休んでいこう。私は頭を抑えながら、鉄条網で囲われた入り口へとむかった。中はそれなりに整地されていて、座り込むにはちょうどいい空き箱も転がっている。これで、少しは楽になれそうだと思ったけど……

「かんぜんにしょうきをうしなってるみたいだぜ」
「おもしろそうだからこのままみていよう」

錆び付いたドラム缶にしがみ付いている冒涜的な形をしたものが、私に話しかけてきた。これと似たようなものを最近どこかで見かけたような気がするんだが、頭痛のせいで思い出せない。痛い……頭が割れる……

「うぅ……」

立っていられなくなった私は、その場に腰を降ろした。胃の中から込み上げてきそうなものを抑えるべく、ゆっくりと息を吸って吐き出す。数回ほど繰り返したら、頭痛が少しだけ治まっていた。

「ニヒヒ」
「ミテイテアキナイナコイツ」

ドラム缶の方を見ていると猫と烏が意地の悪い笑みを浮かべていた。ずいぶん久しぶりだな……久しぶり?あれ、どうしてだっけ。

「……私は何してるんだろう」

どうして手に裸の履歴書と求人情報誌を持っているのか。いや、携帯で漢字を調べながら書いていたことは覚えているんだけど……

「それに、財布も携帯も持ってないし」

記憶が逆再生で徐々に戻ってきた。スキップで部屋を出て、その前に部屋のゴミとかに話しかけて……

「で、明け方までテトとファミレスで過ごして……」

退魔やあやかしについての断片的な情報が頭に浮かんできた。そういえば、秘匿がどうとか言ってたけどテトは結構ベラベラ喋ってたな。それで、私もマスカレイダーの話をして……そもそも、なんでこんなに盛り上がったとかいうと私がテトを呼び出して、で、その前は確かずっとテレビを見ていて菓子パンを齧ってたんだよな。そもそもの原因は……

「朝の散歩ですか、迷子の白山羊さん」

今、私の目の前で優しい笑顔を浮かべているシスター……

「うわあ!!」

私は咄嗟に履歴書と求人情報誌を投げつけたが、シスターはそれを器用に片手でキャッチした。

「嘆かわしい……こんなもの貴女には必要ないというのに」

僅かに目元を細めたシスターは、そのまま丁寧に両方を折りたたんで脇に挟んだ。そして、表情を元に戻しこちらに微笑みかけてくる。私は目を逸らして、一刻も早くこの場から離れようとした……けど、それでどうするの?普段着だから必要最低限の自警手段も無いし、携帯も持ってないからどこにも連絡が出来ない。それに、周りには……誰もいないじゃないか。とてもじゃないけど寝不足で疲労困憊の私が、逃げ切れるとは思えない……あ、ほら、来たよ。私のいつもの悪い癖が。どうも良くなって、投げ出したくなってくる。

「どうして、私に付きまとうの?」

そうして出てきた言葉は、覚悟を決めたとか勇気を振り絞ってとかそんな大層なものに後押しされたご立派なものじゃない。ただの自暴自棄、つまりいつもの現実逃避が形を変えただけだ。

「ようやく、向き合う気になられたのですね」

相変わらす意味のわからない答えが返ってきたが、この様子だと少なくとも時間を稼ぐ事が出来そうだ。今が何時かは分からないが、こうなったら可能な限り先送りにして引き伸ばしてやる。

「あなたは……その、退魔師とか妖政庁には関わりがないの?」

私自身、単語の意味なんてわからない。とりあえずテトが言っていた言葉を使ってみただけ。少なくとも今日の天気や流行の観光スポットの話題を振るよりはマシなはずだ。

「ええ、これは神の導きによる私個人の活動ですから」

「個人……そういう団体があるわけじゃないってこと?」

「うふふ、変なことをおっしゃるのですね。神の慈愛を受けるものはみんな私達の仲間ですよ。ですからこうして一人でも多くの方に神の愛を受け取って欲しいのです」

ひとまず情報を整理しよう。目の前の神様大好きお姉さんはこれといった後ろ盾が無く、個人的な思い込みで動いているってことか……これだけじゃあ何もわからない。他に何かないか?考えろ、私。

「えっと、それじゃあ手当たり次第に声をかけてるの?」

「いいえ……」

神様大好きお姉さんが突っぱねるような口調で答えた。その顔は曇り出している……不味い、しくじったか?

「これも私が至らないせいなのです」

かと思ったら、突然涙を流して手を組んで祈りのポーズを取り始めた……え、どういうこと?

「全ての人を救うには、時間が少なすぎるのです。私は所詮万物の力を持ち合わせていないただの人間に過ぎません」

……いや、あなたぺるちゃん相手に物凄く健闘していましたよね?どう考えてもただの人間では無い気がするんですが。けど、ピントを合わせても本当にただの人間にしか見えないし。そんな私の思考を一切合財無視して、神様大好きお姉さまは更に話を続けた。

「それならばと、私は多くの選択肢を持ってる人間をまずは救おうと考えました。その内の一人が……貴女なのですよ」

「はあ?」

「貴女はこの滅びの日が近づいている地で多くの選択肢を持っている恵まれた人間です……それなのにいつもいつも間違った道ばかり選ぼうとして……」

「ちょ、ちょっと待って。いつから私のことを監視して……」

「あろうことか、よりにもよって愚鈍な未来を選ぼうとしたのですよ!!」

私の困惑をさえぎり神姉さんは目を見開いて、脇に挟んでいた私の履歴書をビリビリに破いた。季節はずれの雪のように、ヒラヒラと舞い散っていく。私は……改めて唖然とした。つまり、極めて個人的な思い込みで私に付きまとい、これまた個人的な思い込みで気に食わないと思ったらちょっかいを出して邪魔をしてくるということじゃないか。私が感じた寒気の正体は、これだったのか……

「さあ、貴女には多くの選択肢があるのです。私が一緒に選んでもいいのですよ。そのための神の言葉なのですから……」

冗談じゃないぞ。こんなのに付きまとわれたら、今以上に私の人生が泥沼一直線だ。もし私が他のコンビニに応募しようとしても、絶対に介入してくる、間違いない。

「どうされました、私の手を取っていただくだけでいいのですよ」

だが、今は目の前の危機をどうにかしなくては。現実逃避にも流石に限度というものがある。このままでは私も布教する側の仲間入りだ。どうする、もう適当な会話でこの場を凌げそうにも無いし。あぁ……どうしてこんな時にテトとの会話を……その中でも一番最悪な解決方法を思いつくんだろう。これも自暴自棄なのか、それとも本当に覚悟を決めたってことなのか……もう、いい!!後は野となれ山となれだ!!

「ぺるちゃーーーーーん!!」

私の絶叫が人気の無い商店街に響き渡った。
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