ただ、隣にいたいだけ~隣人はどうやら微妙にネジが外れているようです~

Ayari(橋本彩里)

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1ネジ

プロローグ②

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 身体をやっとずらしてもらい視界が広がると、彼の仕事仲間であり友人のとどろき邦彦くにひこが立っていた。
 朝からスーツをバシッと決め、しわ一つない真っ白なシャツが眩しい。
 黒縁メガネの奥の一重の瞳は涼しげで、朝から友人のこのような場面を見せられても顔色一つ変えない。

 ――いつの間に?

 さらに新たな視線を感じ、千幸は轟の後方へと視線を向けた。
 同じ階の住人で、ちょうど家を出てくるところだったらしい迫力美人──桜田さくらだ弥生やよいは、千幸と視線が合うとひらひらと手を振った。
 それに対しぺこりと頭を下げると、赤いルージュで塗られた口元が綺麗に左右に引かれる。

 彼女も小野寺と以前から知り合いらしく、千幸がここに連れられた時から二人の気心の知れたやり取りを何度も見ている。
 そして今、千幸だけに注がれる眼差しは面白そうに細められ落ち着かない。
 それらに不自然な笑みを返しながら嘆息すると、目の前の小野寺を見上げた。

「行ってきますね」
「うん。行ってらっしゃい」

 すぐに嬉しそうに返され、満面の笑みが浮かぶ。
 美形の満面の笑みの破壊力はなかなか慣れることはない。

「…………」

 すっごく嬉しそうにというか、びっくりするほど緩んだ顔から視線が外せず千幸は無言で彼を見た。

「ん? どうしたの?」

 すると首を傾げ、顔を寄せてささやかれる。
 自然と行われるその動作に、爽やかさと経験からくる余裕がを感じられる。

 ────やっぱりこの人は遊んでた。決定!

 千幸はそう結論づけると、いまだに謎の多い隣人を分析するのをやめた。

「いえ。何でもありません。行ってきます。小野寺さんも行ってらっしゃい」
「だから、翔だって。行ってくるね。今日は千幸ちゃんと食事だと思うと頑張れるよ」
「……そうですか」

 それはそれはよかった? です。もう、好きにしてください。
 そして、朝から眩しすぎるし、するすると口説くかのようなセリフは嘘くさい。
 この人、職業ホストじゃないだろうか?

 さっき分析をやめたと思ったそばからまた疑問が浮かび上がる。
 きらきらと陽光まで味方につけてはいるが、次から次へと無意味な甘い言葉が出てくる相手に、どうしてもすべてスルーすることができない。
 こちらは大した反応もしていないし、むしろ雑かなと思うような態度なのにどうしてこんなに嬉しそうなのだろう。

 ────ああ、考えても無駄かな。とりあえず、仕事に行かないと。

 ふっと心の内で一息つくと、軽く頭を下げて千幸はマンションを出た。
 何となく、というかもはや習慣で振り返ると、まだ見送るべく廊下の手すりのところで小野寺が肘をつきながらこちらに向けて手を振っている。

 ────やっぱり……

 想像通りというか、いつも通りというか。
 誰もいないのをいいことに、大きく溜め息をつく。

 軽く手を振り返し、小野寺と彼のそばでただただ無表情で立っている轟とひらひらと手を振る桜田に、千幸はぺこりと頭を下げた。
 朝から疲れる。無駄に気疲れする。

 自分の対応も雑だと自覚しているしそこまで気を遣っているつもりもないが、いるだろうなと思ってのお出迎えの毎日。
 やっぱりとなるのと、そうならないのでは圧倒的に疲れは違う。

 社会人二年目にして不相応の高級マンションを後にし、いつものように駅へと向かい電車に乗り込んだ。
 学生や会社勤めの人で埋め尽くされ、この時間は座れた試しがない。
 そんな人ごみに揉まれながら、そういえば初めて会った時はスーツだったなと隣人を思い出す。

 ────仕事、何しているのだろうか? 重役出勤?

 芸能人並みの容姿をしているし、夜の街なら大稼ぎしてそうだが、一応昼に働きに出ているらしい。
 謎だ。そして重い。
 隣の男が謎すぎて、無視したいのにできない現状は千幸の中でずっとすっきりしない状態が続いている。

 別に小野寺が嫌いなわけではないし、もともと深く考えるタイプでもないし思ったことをさくっと言ってしまうほうでもあるので、そこまで負担に思っているわけでもストレスが溜まっているわけでもない。
 ないが、それでもずっと主張し続ける相手は、千幸の中に侵食してくるようで落ち着かない。
 そんな後悔にも似た厄介な人物との出会いを思い出し、また千幸は溜め息をついた。

 車窓から見える流れ行く景色は朝の澄んだ光が地上に降り注ぎ、ビルや道を明るく照らしている。
 きらきら、さらさら、春の柔らかな気配を引きずりながらも鋭さも含む日差しに気が引き締まる。

 五月の新緑薫る爽やかなはずの一日の始まりはここ最近は定番となりつつあるもので、一か月前は考えもしないものだった。


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