ただ、隣にいたいだけ~隣人はどうやら微妙にネジが外れているようです~

Ayari(橋本彩里)

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1ネジ

隣、空いてるよ①

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 ふらりと立ち寄った店のカウンターの隅で、藤宮ふじみや千幸ちさはわずかに眉間を寄せチカチカ光る携帯を眺めると小さく吐息を吐き出す。
 浮気男の名前にげんなりして、これからどうしようかとまた大きく息をついた。

 八時から来店し、いつもと変わらぬオーダーを頼みすでに一時間以上は経っている。
 落ち着いた雰囲気が気に入り、社会人になってから頻繁に利用していた。
 そのため店主とも顔見知りで、千幸の顔を見るなり人目を気にせぬよう案内された。その厚意に甘え、ダラダラともやもやと時間を潰していた。

 次第に混んでくる店内。
 いつまでもここを占領することも、物事を先延ばしにするわけにもいかないと、あと一杯で最後にしようと店主のほうへと視線を投げようとした時だ。

 ほかにも数席空いているのに、千幸の隣の椅子が引かれた。
 視線を上げると思ったより上へと向かい、日本人にしては珍しい榛色の瞳にまず目がいく。

「ここ、いいですか?」

 今まで無縁だった、いわゆるハイスペックな男が穏やかに口元を引いて立っていた。
 彼の体格に見合ったスーツはあまりに似合いすぎて、一点もののオーダーメイドだと思われた。袖から見えた腕時計も重厚な作りで、有名なロゴが入っていたのでかなり値段の張る物だとわかる。
 目についたので推察してしまったが、社会人らしく千幸も相手に習いにっこりと笑顔を返した。

「どうぞ」

 それから視線を戻し、最後のオーダーと決めたモスコミュールを頼むと口をつける。
 その間もスマホが何度も振動する。
 音は消しているが下手に触ったら応答してしまいそうで、本当にしつこいと千幸は苛立ちとともに眺めた。

「ずっと鳴っているようだけど、出なくていいの?」

 突然話しかけられ、えっ? と千幸は驚いて横に顔を向けた。

 ────そういえば、いたんだった。

 己の思考に没頭しすっかり忘れていた隣の存在に声をかけられ、はっとする。迷惑だっただろうかと慌てて頭を下げた。

「すみません。すぐにしまいます」
「いや。いいよ。気にしているようなのに出ないなと気になっただけだから。話しかけて驚かせてしまってごめんね」

 声のかけ方も、謝り方もスマートだ。これが大人のできる男というものなのか。
 それなのにと考えそうになって、千幸はスマホを見つめ嘆息した。
 そして、改めて横の相手へとわずかに身体を向け、しっかりと視線を合わせて謝罪する。

「気を遣っていただきありがとうございます。あと、すみません」
「大丈夫だよ」

 二重できりっとした怜悧れいりな目元が、千幸と視線が合うとわずかに緩み、穏やかでしっとりした声が降りてくる。
 改めて向かい合い相手を見ると、骨格すべての配置がこれ以上なく完璧で整った顔立ちをしており、さっきの美声もやばいくらいぞくっとくるものだった。

 いるところにはいるもんだなと今日は本気で腹が立ち落ち込んでいたが、最後にご褒美的な癒やしと思えば悪くない。
 そんなことを考えていると相手が慈しむような表情で、また鳴る携帯を浮かない顔で眺めた千幸を覗き込んでくる。

「あ、また。すみません」

 謝ったすぐにまた鳴るスマホに、申し訳なくて眉尻を下げた。
 情けない気分になってくる。

「だからいいよ。でも、何が原因で目の前の素敵な女性が憂いているのかは気になるけど。話したらすっきりするかもしれないし、よければ話くらいなら聞くよ?」
「……そう、ですね」

 初対面の男性に向けられた表情もそうだが、ぞくっとするようなセリフがさらりとささやかれ、この人モテるだろうなと感想を抱きながら、千幸はちらりとスマホに視線を落とした。
 懲りもせず連絡してくる相手と対峙する前に、誰かに話してすっきりするのはいいかもしれない。

 どこの誰とも知らないこれっきりの人だからこそ、気軽に話せるものもある。
 もともとこのお酒がなくなったら動こうと思っていたところだったので、その着火剤として話を聞いてくれるというのなら、言ってしまおうと千幸は口を開いた。
 そして、聞き上手な相手につらつらと愚痴っていたのだが、最後の相手の言葉にんんっ? と思考と動作を停止した。

「えっ!? 今なんて?」
「隣、空いてるよ」
「空いてるよって、隣に座っていますよね?」
「違う違う。本当の意味の隣」
「……??」

 理解できない。
 カランッと氷が溶けグラスにぶつかる音がなったので、それに誘われるままそちらに視線をやった。
 先ほどと形と角度が変わった氷をなんとなく眺めながらぼんやりと告げられた言葉を考えるが、やはり意味がわからなかった。

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