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19.仮説の積み木
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頭を掻いてみせた鍋谷は、相手の文句を封殺すべく、素早く言葉を継ぎ足す。
「しかしですな、土橋先生。おおよその目処は立ったんです。それをお話しする前に叱られてしまっては、当方としても立場がない」
「あ、いや、これは失礼を。鍋谷さんが感想を求めてこられるから、もう話すことがなくなったんだと判断してしまった。すみません」
土橋は煙草を吸い始めた。鍋谷はタイミングを計り、そして話を切り出した。
「草島が犯人です。間違いない」
「断言しましたね」
煙を吐き出し、にやりと笑う土橋。鍋谷もつられて笑った。
「奴は反町真弥さんとの仲がこじれて、寮で彼女を殺した。居直り強盗の仕業に偽装するため、アクセサリーを数点奪い、うまい具合に乾いていなかった浴室のタイルの隙間に埋め込む。また、逃げる手段を確保しようと、被害者の持っていた名簿を元に、近くに住む大学関係者を物色、土橋さんに白羽の矢が立てられたんですな」
「ふむ。迷惑な話だった、あれは」
「その後、草島はときを見計らって脱出するんだが、ここでミスのオンパレードだ。興信所の野崎雄三に目撃されたとも知らずに部屋を抜け出し、さらには寮生達にも見られた。それでも寮の塀の外に逃げ出すことに成功した草島は、あなたを襲い、金と車を奪おうとしたが、車の方は失敗に終わる。当然、徒歩で逃走を続けるが、追って来た寮生の一人、矢田口に追い詰められ、彼も殺す」
「ちょっと、よろしいですか」
土橋が片手を挙げて話を遮った。いつの間にやら、灰皿には新たな吸い殻が一本増えていた。
「何です?」
「刑事さんのお話は、証拠があってのことなんでしょうかね」
「物的証拠ってやつは、確かに乏しいです。しかし、情況証拠は草島が犯人だと示している。まず、他の容疑者二名はそれぞれ状況が不自然なんですな。猪狩はあの夜、相当アルコールが入っていたらしいから、殺しを行うのは厳しい。連城は寮を現場に選ぶことがおかしい。そんなことをすれば、自分が真っ先に疑われることぐらい、すぐに分かるはず。それに何たって、草島の奴は嘘の証言をしとるんだから」
「なるほど」
了解した風にうなずく土橋だったが、その目は呆れを含んでいた。そんなことだけで犯人にするのかという非難と嘲りか。
「草島を逮捕するための確かな証拠は、野崎が掴んでいたと思っとるんですよ。この男、犯人を脅迫していた節が見受けられましてね。定期的に入金がされていた。青陽寮の事件以来、ずっと」
「ほお……」
「明日にでも野崎の別宅を徹底的に調べるつもりです」
鍋谷は最後に素っ気ない調子で付け足し、腰を上げた。
「ちょっと」
呼び止める土橋。
「今、別宅と言いましたかな?」
「言いましたが、何か気になることでもありましたか」
「いや……興信所の方が別宅を持てるというのは、意外な感じがしたもので」
「ははあ、興信所でも儲けてる奴はおりますからね。その上、野崎は強請でも副収入があったようだし」
真顔で答えたあと、鍋谷は急に相好を崩した。
「先生が心配なのは、稼ぎのことですかね? 探偵風情が大学教授より稼ぐとはけしからん、と」
「そんなことは思ってないよ」
「心配無用ですぞ。別宅と言っても、安普請の古いアパート。住所も場末の」
言いながら、スーツのポケットから紙片を取り出す鍋谷。それを土橋の目の前に置いた。**町**区**アパートの三号などと住所らしきメモ書きと、簡単な地図があった。
「ほら、こんな場所でしてね。鍵も満足なのが付いているとは思えんくらいの、ぼろアパートだ。恐らく、脅迫のネタを保管する場所として借りたんでしょうなあ。脅迫される側から見りゃ、証拠のネタを無理矢理取り返そうにもできない。いやあ、巧妙だ」
「刑事さんが犯罪を誉めるような言葉を吐くのは、問題ある気がしますが」
雑誌を引き寄せ、ぱらぱらとめくる土橋。鍋谷は大きな動作で頭を下げた。
「これは失敬を。まあ、そういう細工を講じた野崎があっさり殺されたのは、天誅かもしれません。おっと、これまた犯罪者賛歌になっちまうか。重ね重ね、すみませんな。とにかく、二日後には草島を野崎殺しの罪で逮捕できとるでしょう。ご期待ください」
鍋谷は自信たっぷりに断言すると、スーツの裾を翻して去っていった。
土橋は扉が閉まりきるのを視認してから、残されたメモ用紙を摘み上げ、くしゃくしゃと音を立てて丸めた。
張り込みを始めてまだ間もない。
「本当に来るのかね」
黒の乗用車内に潜んでいた鍋谷はハンドルに置いていた手を離し、辛抱たまらず、同行させた氷上に聞いた。
「恐らく」
アパートに向けた視線を動かすことなく、かすかな仕種で肯定した氷上。外は夜。辺りに満足な灯りはない。人通りの少ない、商店らしき物もない、うら寂しい区域だった。
「村中――私の知り合いです――が報告してくれました。土橋教授が午後からの講義全部を急遽、休講にして大学を離れたそうです」
「大学側には何と言ったのだろう?」
「そこまでは分かりませんが、土橋教授が予定を慌てて変更せざるを得ない状況に陥ったのは、事実です。鍋谷刑事、あなたが訪問した直後に」
「昼から夕方にかけて準備を整え、行動を起こすのは夜、という訳か。そもそも、何で君は土橋先生が怪しいと目を着けたんだ?」
「そうですね……四つの殺人は同じ意志による犯行だと考えるのは、さほど乱暴な前提ではないと思います」
「警察も同じだ。当然の見方だ」
「ならば、発端である青陽寮での事件に着目するのが、解決への近道。さて、最初の殺人で最も不可解な動きをしたのは誰か?」
「何だ? ……うむ、草島だな。あいつは事情聴取に嘘をついていやがった。草島の奴が犯人で決まりだと思ったんだが、確実な証拠がなかった」
「私の見解は異なります。最も不可解な動きをしたのは土橋孝治です。犯人による電話で踊らされたことになっているが、自宅へ電話があったことや、犯人から襲われたことを示す証拠は何もない。本人が言っているだけです。アリバイもない。可能性のみを云々すれば、土橋孝治に犯行は可能」
「だが、動機がないだろうが」
「被害者は多情な女性だったんでしょう?」
「しかしですな、土橋先生。おおよその目処は立ったんです。それをお話しする前に叱られてしまっては、当方としても立場がない」
「あ、いや、これは失礼を。鍋谷さんが感想を求めてこられるから、もう話すことがなくなったんだと判断してしまった。すみません」
土橋は煙草を吸い始めた。鍋谷はタイミングを計り、そして話を切り出した。
「草島が犯人です。間違いない」
「断言しましたね」
煙を吐き出し、にやりと笑う土橋。鍋谷もつられて笑った。
「奴は反町真弥さんとの仲がこじれて、寮で彼女を殺した。居直り強盗の仕業に偽装するため、アクセサリーを数点奪い、うまい具合に乾いていなかった浴室のタイルの隙間に埋め込む。また、逃げる手段を確保しようと、被害者の持っていた名簿を元に、近くに住む大学関係者を物色、土橋さんに白羽の矢が立てられたんですな」
「ふむ。迷惑な話だった、あれは」
「その後、草島はときを見計らって脱出するんだが、ここでミスのオンパレードだ。興信所の野崎雄三に目撃されたとも知らずに部屋を抜け出し、さらには寮生達にも見られた。それでも寮の塀の外に逃げ出すことに成功した草島は、あなたを襲い、金と車を奪おうとしたが、車の方は失敗に終わる。当然、徒歩で逃走を続けるが、追って来た寮生の一人、矢田口に追い詰められ、彼も殺す」
「ちょっと、よろしいですか」
土橋が片手を挙げて話を遮った。いつの間にやら、灰皿には新たな吸い殻が一本増えていた。
「何です?」
「刑事さんのお話は、証拠があってのことなんでしょうかね」
「物的証拠ってやつは、確かに乏しいです。しかし、情況証拠は草島が犯人だと示している。まず、他の容疑者二名はそれぞれ状況が不自然なんですな。猪狩はあの夜、相当アルコールが入っていたらしいから、殺しを行うのは厳しい。連城は寮を現場に選ぶことがおかしい。そんなことをすれば、自分が真っ先に疑われることぐらい、すぐに分かるはず。それに何たって、草島の奴は嘘の証言をしとるんだから」
「なるほど」
了解した風にうなずく土橋だったが、その目は呆れを含んでいた。そんなことだけで犯人にするのかという非難と嘲りか。
「草島を逮捕するための確かな証拠は、野崎が掴んでいたと思っとるんですよ。この男、犯人を脅迫していた節が見受けられましてね。定期的に入金がされていた。青陽寮の事件以来、ずっと」
「ほお……」
「明日にでも野崎の別宅を徹底的に調べるつもりです」
鍋谷は最後に素っ気ない調子で付け足し、腰を上げた。
「ちょっと」
呼び止める土橋。
「今、別宅と言いましたかな?」
「言いましたが、何か気になることでもありましたか」
「いや……興信所の方が別宅を持てるというのは、意外な感じがしたもので」
「ははあ、興信所でも儲けてる奴はおりますからね。その上、野崎は強請でも副収入があったようだし」
真顔で答えたあと、鍋谷は急に相好を崩した。
「先生が心配なのは、稼ぎのことですかね? 探偵風情が大学教授より稼ぐとはけしからん、と」
「そんなことは思ってないよ」
「心配無用ですぞ。別宅と言っても、安普請の古いアパート。住所も場末の」
言いながら、スーツのポケットから紙片を取り出す鍋谷。それを土橋の目の前に置いた。**町**区**アパートの三号などと住所らしきメモ書きと、簡単な地図があった。
「ほら、こんな場所でしてね。鍵も満足なのが付いているとは思えんくらいの、ぼろアパートだ。恐らく、脅迫のネタを保管する場所として借りたんでしょうなあ。脅迫される側から見りゃ、証拠のネタを無理矢理取り返そうにもできない。いやあ、巧妙だ」
「刑事さんが犯罪を誉めるような言葉を吐くのは、問題ある気がしますが」
雑誌を引き寄せ、ぱらぱらとめくる土橋。鍋谷は大きな動作で頭を下げた。
「これは失敬を。まあ、そういう細工を講じた野崎があっさり殺されたのは、天誅かもしれません。おっと、これまた犯罪者賛歌になっちまうか。重ね重ね、すみませんな。とにかく、二日後には草島を野崎殺しの罪で逮捕できとるでしょう。ご期待ください」
鍋谷は自信たっぷりに断言すると、スーツの裾を翻して去っていった。
土橋は扉が閉まりきるのを視認してから、残されたメモ用紙を摘み上げ、くしゃくしゃと音を立てて丸めた。
張り込みを始めてまだ間もない。
「本当に来るのかね」
黒の乗用車内に潜んでいた鍋谷はハンドルに置いていた手を離し、辛抱たまらず、同行させた氷上に聞いた。
「恐らく」
アパートに向けた視線を動かすことなく、かすかな仕種で肯定した氷上。外は夜。辺りに満足な灯りはない。人通りの少ない、商店らしき物もない、うら寂しい区域だった。
「村中――私の知り合いです――が報告してくれました。土橋教授が午後からの講義全部を急遽、休講にして大学を離れたそうです」
「大学側には何と言ったのだろう?」
「そこまでは分かりませんが、土橋教授が予定を慌てて変更せざるを得ない状況に陥ったのは、事実です。鍋谷刑事、あなたが訪問した直後に」
「昼から夕方にかけて準備を整え、行動を起こすのは夜、という訳か。そもそも、何で君は土橋先生が怪しいと目を着けたんだ?」
「そうですね……四つの殺人は同じ意志による犯行だと考えるのは、さほど乱暴な前提ではないと思います」
「警察も同じだ。当然の見方だ」
「ならば、発端である青陽寮での事件に着目するのが、解決への近道。さて、最初の殺人で最も不可解な動きをしたのは誰か?」
「何だ? ……うむ、草島だな。あいつは事情聴取に嘘をついていやがった。草島の奴が犯人で決まりだと思ったんだが、確実な証拠がなかった」
「私の見解は異なります。最も不可解な動きをしたのは土橋孝治です。犯人による電話で踊らされたことになっているが、自宅へ電話があったことや、犯人から襲われたことを示す証拠は何もない。本人が言っているだけです。アリバイもない。可能性のみを云々すれば、土橋孝治に犯行は可能」
「だが、動機がないだろうが」
「被害者は多情な女性だったんでしょう?」
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