殺意転貸

崎田毅駿

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9.メモの想像

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「島山弁護士にはもう話を聞いたんですか」
「無論。寺田についてあれやこれやと質問をぶつけてみたが、普段の生活までは関知していないと言われ、ほとんど空振りだった」
「……つかぬことを窺いますが、刑事さん。寺田は島山弁護士を何と呼んでいたのでしょう?」
「あー、そこまでは把握してないな。聞いたかもしれないが。川尻さんは、どうしてそんなことを気にするんです?」
「あ、いや、特段の理由はないが……私に接触して来た際、やたらと『先生』を連発した上、背後に大物がいることをちらつかせる響きがあったので、『先生』イコール島山弁護士なのかと思ったまでですよ」
 実際にあったことと嘘とを織り交ぜ、欲しい情報を聞き出そうと試みる。
「そういうことでしたら、今度、確かめておきましょう。まさかとは思うが、島山弁護士が噛んでる可能性もある訳だ」
「島山弁護士が『先生』だとしたら、そうなりますかね……」
 仮定を口にした川尻だったが、心中では最早判断はできていた。恐らく、寺田は島山という弁護士の意志で動いていたに違いない。てっきり、先生とは小渕満彦だと思っていたが、まったくの早とちりだった。
(医者に弁護士、政治家、作家、もちろん教師も。世の中には『先生』が多いな)
 吉田刑事が帰ったあと、川尻は依頼者応対の合間に、交換殺人のことを考えた。
(寺田が島山の命令で俺に接触してきたとして……俺が交換殺人の約束をした相手は、島山だったのか? でも、メモには小渕の名前があっただけで、島山のはなかった。しかし、麗子が殺されたのは、小渕が死んだあと。誰かもう一人、交換殺人に関与している可能性が濃厚だ。そいつが島山だとしよう。要するに、俺は船旅の最中、島山と小渕の二人と知り合った。三人は酒の勢いもあって、交換殺人を決行することに合意した。こういうことか)
 そういえば……と、川尻は交換殺人のメモをした紙の状態を思い出した。
(あのメモ、上下に破いた痕があった。上か下かは知らないが、島山の名前と彼が殺す役を受け持ったターゲットの名前が、書いてあったんだろう。それを俺は何かの拍子に破いた上、切れ端の方を散逸してしまった)
 想像を端緒に記憶を呼び起こそうとする。意外にあっさりと思い出せたことがある。
(手品だ。若い女相手にいい気になって手品を披露したが、そのときに紙を燃やした覚えがあるぞ。その場に適当な紙がなかったのか、俺はポケットから寄りによって、交換殺人のメモ書きを取り出し、一部を破いて、燃やしてみせたんだ)
 今さらながら冷や汗を覚える。思わず、額を手の甲で拭った。そのまま片手で頭を抱え、沸いてきた笑いを我慢する。落ち着いてから、さらに考えを進めた。
(だいぶすっきりしたが、まだ辻褄が合わない。麗子殺害は小渕の担当だったはずだ。島山はすでに受け持ったターゲット――多分、小渕夏穂――を殺していた。島山が殺したがっていたのきっと平井和美であり、俺が始末した。交換殺人が完結するには、小渕が麗子を殺さねばならないが、奴は妻の葬儀などで自由が利かなくなり、挙げ句、殺された。犯人は捕まっているから、小渕の死亡は俺達の交換殺人とは無関係だろう。あくまでアクシデント。それじゃあ、麗子を殺したのはやはり島山しかいない。ただ、何で島山が小渕の分までやったんだ?)
 弁護士だから変なところで律儀なのか、などと妙な想像をしてしまった。川尻はインスタントコーヒーを入れた。香りを嗅ぎながら、思考を働かせる。
(たとえば――小渕が死んだおかげで交換殺人が完結しないとなったら、ターゲットを殺してもらっていない俺が不満から脅迫してきたり、警察に密告したりする――と考えたのか? それを恐れた島山は、麗子を殺して交換殺人を完結させた。辻褄は一応合うが、弁護士にしてはやけに短絡かつ暴力的な解決手段だな。島山だって、拇印ありの交換殺人メモを持っているはず。寺田を俺のところによこすぐらいなら、一度は話し合いの場を持とうとするもんじゃないか?)
 疑問は尽きない。一つの解釈が成立して納得できたと思うと、新たな疑問が浮かぶ。
 正解を見つけようと、根を詰めて考えていた川尻だったが、ふと我に返った。
(何をやってるんだ、俺は。疑問には違いないが、解かねばならない謎ではない。目的は達した。それで万事オーケーじゃないか。そもそも、交換殺人を行う者同士、互いの素性を知りすぎてもろくなことにはならん。過去は葬るべきだ)
 川尻は結論づけた。全てを記憶の棚の奥底に閉まった。そのつもりだった。
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