マスクなしでも会いましょう

崎田毅駿

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期待通りの味と噂と異なる店主

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 きっと、店からの注文があまりに煩雑でひどくて、新規のお客は逃げてしまい、常連客ばかりになったんだわ。
 私がそう結論づけて納得を得た矢先、お店の人が呼びに来た。前に並んでいた一人は、いつの間にか中に案内されていたらしい。
「ご注文はお決まりですか?」
 先にそう聞いてきた女性店員は、声はやや低めで髪を白髪交じりだが顔のしわはとても少ない。年齢を想像しづらいなあ。
「いえ、まだ」
 “です”を言い終わらぬ内に、「では中へどうぞ。案内いたします」と店内に通された。お客の波がちょうど退き始めるタイミングだったのか、四人席がすっぽり空いており、そちらに案内された。噂の店主を近くで体験するには、カウンター席の方が望ましいように思えるけれども、異趣欄から特に指定はされていない。まあ、このあとも続けて通うのだから、初っぱなからカウンター席に座って顔を覚えられるよりは、まずは四人席で体験して、次にカウンター席へと段階を踏んだような方がいい気がする。
「ご注文が決まりましたら、そこのボタンを押すか、手を挙げて呼んでください」
 お冷やと紙製おしぼりを置いて、女性店員は足早に立ち去った。
 先にも記したように、お客が途切れ始める頃合いのようだから、ここは多少時間を掛けてもいいだろう。足を一歩踏み入れた瞬間から、ずっとおいしそうなカレーの臭いに食欲を刺激されている。とにもかくにも、注文を決めよう。
 メニューは一枚板になっていて、透明なビニールシートに文字のみの印刷物を挟んだ代物である。中の紙は縁が結構ぼろぼろになっていることから、元は印刷物をそのまま置いていたに違いない。
 メニューには、「和風出汁カレーライス」が一番大きく書かれていて、次に「カレーうどん」「カレー南蛮」と続き、それぞれにライスを付けた物が「定食」として添え書きされている。その次にようやく単なる「カレーライス」。以下、トッピングに応じた品名が続く。
 裏も見てみたが、そちらは各種飲み物とアイスクリームが記してあるだけだった。
 再び表に戻って、考える。値段は気にしなくていいのだけれども、初日なんだし、店の看板メニューであろう和風出汁カレーライスか、シンプルなカレーライスかのどちらかにすべきかな。明日以降もカレーが続くと思うと、ちょっとでも変化を付けられるようにしておきたい。
 で、結局、和風出汁カレーライスをチョイスした。テーブルの端にあるボタンを押して店員さんを呼び、注文を済ませる。どうやらお昼時でもフロアを駆けずり回る店員は、例の女性一人だけのようだった。
「それにしても……」
 つい、つぶやきながら店内を見渡す。満席ではなくなったが、お客は大勢いる。だけど、店長から怒号が飛んだり、舌打ちが聞こえたりなんてことはまだ一度もない。やはり、常連さんばかりなんだろうか。そういえば、まだ店長の姿をしかと見ていない。カウンターの向こう側にうごめいている人影を感じ取ってはいたけれども、コマネズミみたいにちょこまかと動いていて、想像していたいかにも頑固そうな“ザ・店長”とは懸け離れていた。だからその人影は厨房に立つ店員の一人だと思っていたのだが。
 首を伸ばしてカウンターの中の様子を窺ってみると、どうやらその小柄な男性が店主のようだった。年齢は五十代半ば辺りか。漁師でもやっていたのではと思わせる灼け方の肌をしていて、どちらかというと寡黙そうなイメージ。実際、声はほとんど出さず、女性店員から注文を受けたときに「おうっ」と応じるのと、料理ができあがったあとに「**上がり」と完成を教えるぐらいしか、喋っていない。
 うーん、違う店に来てしまったのでは、と不安に駆られる。メニューに記された店名を思わず確認したが、間違っていない。
 程なくして和風出汁カレーライスが届いた。鼻で息をすると、カレーの香り以上に出汁の風味を感じる。あっと、メニューの調査はいらないんだった。でも、おいしそう。色は普通のカレーよりもやや明るいかな。赤と黄色のアクセント、福神漬けと二つに割ったゆで卵が添えられている。
 このゆで卵、白身の部分も茶色がかっていて、カレーが付いているのかと思ったけど、違う。これは煮卵らしい。一口かじってみて、出汁入りカレーで煮込んで物と分かった。よく染みていて、この卵だけでも出汁カレーを堪能できそう。刻んでちょっとだけマヨネーズで和えてパンに挟んでも、きっとおいしいはず。
 などと味わっている間も、店主から何か注文を付けられないかと、内心ひやひやどきどきしていた。注意を誘発すべく、「いただきます」をしなかったことから始まり、手を拭くのもおざなり、スプーンは一度お冷やに付けてから食べ始めたのだけれども……何も怒られない。
 離れているから見えないのかな? でも厨房から見通せる正面に位置してるし。首をかしげる思いだわ。
 そんな私の疑問を決定づける会話が、会計を済ませて帰ろうとするお客から聞こえて来た。

 つづく
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