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9.私立探偵、推理を捻り出す

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「ほう」
 俺はわずかだが感心した。が、それはすぐに打ち砕かれる。
「被害届を出さないと、保険が出ないんです。スターの顔は保険の対象になるんです。顎と言えども傷は傷……」
 俺は彼の保険の話が終わるのを、受話器を遠ざけて待った。
「凶器が未発見なら問題があるな。現場に行きます。どこです?」
 俺はメモを取った。都心から割に近い街なので助かった。

 近くの病院へ出向き、俺は長辺と会った。杠葉達也は傷は浅いものの、殺されそうになったショックのため、休んでいるということだ。俺は杠葉のいる部屋へと案内してもらった。
「現場を見てきましたよ」
 二人を前に、話し始める。証拠はない。
「カッターナイフは落ちていなかった。だが、こんな物が床板の隙間に押し込んであった」
 俺は現場でかき集めた物を取り出した。細かい物なのでビニールの袋に入れてある。
「これは……?」
 訝しげな目つきの長辺。杠葉は無表情だ。
「カッターナイフの刃。バラバラになってるが、元の状態につながっていたら、充分、凶器となる」
「そいつで達也は襲われたんですか……? おい、達也、こんな凶器だったのか? おまえは確か、凶器は青い柄のカッターナイフだと言ってたが」
「さあ……忘れたな。記憶、曖昧で」
 首を振る杠葉達也。俺は再び喋り始めた。
「今日、島原さんに会ってきたよ。島原明奈さんに」
「……それが? 前から聞いてたけど」
 杠葉に変化は見られない。内にあるものを隠そうとしている風に取れなくもない。
「彼女から聞いたんだが、君、この世界の仕事を辞めたがっているんだってね」
「……」
「ええ? 本当か、達也?」
 無反応な杠葉と騒ぎ立てる長辺。彼の視線が杠葉から俺へと向いた。
「本当の話なんですか、相原さん!」
「俺はそう聞いたとだけ言っておきますか。もう一つ、長辺さんには静かに聞いてもらいたいことがある。杠葉達也は過去に自殺未遂を起こしている」
 素早く言い切ると、聞き手二人の言葉が重なった。
「何ですって? 自殺未遂って」
「あいつ、そんなことも言ったのか……」
 俺は長辺を黙らせるべく、簡単に島原の話を伝えた。
「杠葉君。君はここから逃げ出したがっている。今も昔も。一度は死を考えるほどまで。さすがにそれは、彼女が絶対に許さなかった。君は悩んだ。周囲のしがらみで自分の自由にならない。そこで思い付いたのが、今度の狂言だったんじゃないのか」
「……よく、分かりましたね……」
 実にあっさりと、杠葉達也は認めた。隣で長辺がパニックを起こしている。
「何? 何だって? 狂言とはどういうことなんです!」
「脅迫の一件は全て、彼が仕組んだことだった。それだけだ。彼は今の仕事を辞めるために、自分で自分に脅迫状を書いたんだ」
「そんな……だったら、私に一言、相談をしてくれても」
 長辺の言葉を、杠葉のきつい言葉が打ち消す。
「よく言えるな! あんたは契約書だの、売り出しにこれだけの金がかかってるからその金を回収するまでは働けだの、色々と言って俺を手の中に置きたがってたじゃないか!」
「それは……この業界の常識だ」
「言い訳だよ、それは。俺は自由にやりたかったんだよ。せめてしばらくの間、休みたかった」
「……」
 長辺が静かになったところで、俺は説明を試みる。
「君は最初、脅迫状だけでこと足りると考えていたんだろうな。が、マネージャーもプロダクションの他の連中も本気にしない。警察に知らせず、気休めに俺みたいな探偵を雇っただけだ。そこで君は次の段階に移る。そう、本当に自分が狙われているように見せかけるのさ。どこで手に入れたのか知らないが、農薬を自分の弁当にこっそりと振りかけ、それを口にするなんて大した度胸だ。まあ、助けてくれるという算段があってこそなんだろうがね」
 俺は杠葉を見た。表情からあどけなさが消えている。
「続けてください」
「……まだ脅迫状の要求を受け入れないばかりか、警察へさえも届けないマネージャー。君は次に何をすべきか考えていた。そうして、あのライト落下事故だ」
 言葉を一端切り、相手の表情の変化を探る。真顔になったアイドルに、それ以上の変化は見られない。
 俺は推論を再開した。
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