闘技者と演技者

崎田毅駿

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34.意表の突き合い

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 水橋は怪訝そうな、不思議そうな顔つきをなした。いつものプロレスならここで、客席の方を見回して観客に対して判断を仰ぐような仕種を挟むのが常道だが、さすがにそこまでの余裕はない。
 しばし考えたあと、水橋はすたすたと田所の方へ歩き出した。いかにも合わせに行く風に、左右の手の平を相手に向けて。
 両選手の手が触れそうになる間合いに入った刹那、田所の右手が握られ、パンチを振るってきた。水橋もこの程度は想定内とばかり、即対応。ダッキングで避けるや、戻す動作とともに跳び膝蹴りを放った。間一髪でかわした田所が、その膝を左腕で抱えると、一気にグラウンドに引きずり込んだ。そのままかかとを捻ってヒールホールドを狙う。水橋は自ら身体を回転させて、力を逃し、技から脱した。しかし田所もしつこく足を狙う。相手が素手だから下になっても打撃は怖くないと言わんばかりだ。今度は膝固めを試そうとする。
 水橋は上体を起こして張り手を出したが届かない。ピンチにファンから一層の声援が雪崩を打ってリングに届く。
 これに手を挙げて応えると、水橋は絡んできている相手の足に両手を持っていった。こちらも足関節狙いかと思われたが、彼の取った作戦は違った。
 田所の右足の指の内、親指以外の四本をまとめて握った。それだけ。ただし、渾身の力を込めて。
「う?」
 恐らく今までに経験したことのないであろう妙な痛みに、田所の手の力が緩み、逃げの態勢に移る。が、水橋は相手の左足の指も掴んだ。
 先ほど、水橋は関節技狙いではないと記したが、誤った表現だった。彼は反則にならないよう、足の四本指を全力で握りしめた結果、指と指とが折り重なって“たまたま”指関節を極める形になってしまったのだ。
 ギブアップするほど強烈ではないが、嫌な痛みが間断なく襲ってくる。悲鳴を上げた田所に、水橋はそのベビーフェイスに似合わぬ毒舌を密かに吐いていた。
「裸足で出て来るなんてこの阿呆ぅ」
 田所は改めて足を取って同じ攻めを返そうとしたようだが、水橋のつま先はリングシューズで守られている。ならばと定番のかかと固めに再トライするも、一度緩んだあとではフックはならず。やむを得ず、拳を水橋の足や太ももに振るった。だが、水橋も堪える。堪えながら今度は割と大きめの声で言った。
「おーい、チャンピオン。いいことを教えてあげようか」
「?」
「プロレスにはお釈迦様の垂らす蜘蛛の糸があるのを知らないか? ロープブレイクっていう名前のな」
 はっとする田所。ふと頭の方向を見れば、簡単にロープに手が届く距離だと今さらながら認識した。
「総合の選手として、ブレイクは選べないっていうのならそれでもかまわないよ。このままこのへんちくりんな技で終わらせるから。あとでせいぜい笑われなよ」
 水橋は挑発の台詞を浴びせながら、巧みに足を持ち替え、クロスヒールホールドと足指握り潰しを同時に掛けた。もちろん、クロスヒールホールドの方はほぼ形だけで実際の威力は怪しいものだが、田所に迷いを吹っ切らせる方の効果は合ったようだ。
「ブレイク!」
 レフェリーの声に一拍遅れて、わざとゆっくり技を解いた水原。
 少し距離を取って立ち上がり、田所が立つのを待つ。総合格闘技や柔道、ボクシング等と違ってプロレスにおける試合再開はかなり曖昧だ。両者を競技場中央に戻すことはないし、ニュートラルコーナーで待機するように命じることもあまりない。そして、万全の姿勢を取れるようになるまで待つかどうかも、レフェリーの恣意的な判断に委ねられる。
 田所は立ち上がると身体を半分に折るような格好で足の指に触れ、具合を確かめつつ、ロープを放れた。その瞬間に、「ファイト!」のかけ声が。
 なに?と慌てて面を起こす田所に、水橋は前蹴り一閃。が、これは相手をのけぞらせるためのいわば一の矢。掴まれることだけは避けねばならないので、距離が遠い。足の指へのダメージも相まって出足の止まった田所に、水橋はさらに接近し、それぞれの手で両手首を掴んだ。
 田所は一瞬で、膝蹴りが来ると予測が出来たであろう。井関の敗戦を分析していないはずがない。まずは膝蹴りを回避、さらに三角締めにも注意を払う。これを念頭に身構えた。
 ところが水橋は膝蹴りに行かなかった。では他に何が出来るのか。プロレスを見慣れた者になら一つの展開が思い浮かぶかもしれない。
 そう、対面したこの状態から、逆さ押さえ込みに移行できる。
 社交ダンスを踊るかのような動きで背中合わせになると、水橋は両膝をマットについて身をかがめ、相手の身体を後ろ向きに頭から引き込んだ。その勢いのまま肩をマットに接するように押さえる。
 沸き返る館内。これで決まるかとすら思えた、絶妙のタイミングであったが、田所はぎりぎりで跳ねのけた。カウント2.9999……というやつだ。
 水橋は返されることも想定済み。ごろんと半回転して片膝をついた姿勢の相手の顔面目掛け、低空ドロップキックを発射。吹っ飛ばすことはかなわなかったが尻餅をつかせ、さらには鼻血を出させた。
 やられっ放しになった田所だったが、この跳び蹴りで火がついた。水橋にとってあの有利な場面で、離れ業を繰り出すのは論理的でない。勝負に徹していないと映った。
 こけにしやがって。
 鼻血を腕でぐいとこすり取ると、まだ半身の水橋目掛けて高速タックル。足の指の痛みはもう忘れていた。
 まともに食らった水橋はもんどり打って倒れたものの、どうにか上体は残せた。ガードポジションからマウントポジションを窺う田所に対し、急いで上半身を起こすとその頭部にヘッドバッドをかました。
 近代MMAではほとんどの場合、頭突きを禁じている。なので、田所にとってはこれまた想定の埒外の攻撃を食らったことになる。暫時、くらっとした田所だったが、今はまだ先ほど点火された怒りと気力が充分に残っている。ただし、少々怒りの方が上回っていたためか、総合格闘家らしからぬ返しをした。すなわち、彼もまた頭突きを放ったのだ。冷静にパンチを当てていくシーンだったろうに、頭に血が上っていた。
 たちまち頭突き合戦の様相を呈した。それも一発打てば一発返すというプロレスでの頭突き合戦とは違う、何発か連続でごんごんごんと放ったあと、相手が強引にやり返すという凄惨なものである。じきに顔面そのものにもたたき込むようになり、当然、眉間や眉の辺りから出血が見られた。遠慮会釈のないヘッドバッドの攻防による出血は、見る間に激しさを増し、レフェリーからブレイクが掛かった。そして呼ばれるドクター。
 顔面を赤く濡らした水橋と田所の前で、ドクターは順に首を左右に振った。
「出血多量による両者ドクターストップ、ドロー!」
 判定が下った瞬間に起きた不満の声は、さほど大きくなかった。レフェリーストップが納得できるだけの流血試合だった。

 続く
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