栄尾口工はAV探偵

崎田毅駿

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ベタな始まり

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 栄尾口工ひでおぐちたくみは探偵である。
 探偵がぼろビルの狭い部屋に事務所を構え、一人、大あくびをしている構図は創作物語だけでなく、現実にもよくあるだろう。そのあくびの原因は多くの場合、依頼がなくて暇で暇で仕方がないのが理由というのもありがちだ。
 だが、栄尾口のあくびはちょっと違う。
 彼は昨晩、アダルトビデオを見続けたが故に、今、大あくびを連発しているのだった。

 目尻に浮かんだ涙を指先でぬぐっていると、事務所のドアが控えめにノックされた。
 時刻は午前十時ちょうど。基本的に探偵業は二十四時間オープンでなければならないというのが栄尾口の信条である。が、一応の目安として、朝十時から営業しますよと謳っている。その時間ぴったりにノックの音がしたということは、依頼人と見ていいだろう。家賃の催促、新聞や宗教の勧誘なら遠慮するはずがない。
 栄尾口は返事しようとしたのだが、あくびの勢いの方が勝った。こらえようとしてもこらえきれず、まともな言葉を発せられずにいると、ドアの向こうから声が届いた。
「こちらは栄尾口探偵事務所で間違いないでしょうか。ご依頼したいことがあり、伺わせてもらいました」
「どうぞ。開いています」
 改めて目尻をぬぐい、回転椅子で百八十度回って、そこにある鏡で髪の乱れを確認、調整。もう百八十度周り、頬を両手で軽く叩いて気合いを入れ、どっしり構える。依頼人を迎える態勢は整った。
「お邪魔いたします」
 ドアを細く開けて室内の様子を一瞬だけ伺い、次に大きく開けるとその場で立ち止まったまま、深々と礼をした。
 依頼人はぱっと見、人品卑しからぬ紳士である。身長は一七〇センチに届くかどうか。紺色のスーツを着込んだ身体は細身だが、肩のいかり具合や首筋が筋肉の名残を感じさせた。昔は武道でもやっていたんじゃないかと思わせる。短めの顎髭、オールバック気味の髪は豊かで、黒い。年齢は、声の調子に加えて肌の色艶や皺から五十代半ばと推測された。
「ようこそ栄尾口探偵事務所へ。どうぞ、そこの椅子にお掛けください。助手はまだ来ておりませんので、何もお出しできませんがご勘弁を」
 立ち上がり、事務机越しに腕を伸ばして指示した栄尾口は、再び回転椅子に腰を収めようとした。が、途中で動作を止めて、ドアの方を指差しながら依頼人に聞く。
「ドアの鍵は施錠しますか、それともこのままで?」
「え、何でしょう?」
 唐突な質問に戸惑ったのか、単に聞き逃したのか、ともかく依頼人はやや高い声を上げた。が、栄尾口が繰り返し言わなくても、じきに意味を理解した。
「念のため、掛けておいてもらいたいですね」
 言われた通りにドアと机を往復すると、栄尾口は依頼人の真向かいに座った。事務机の上には依頼書のための用紙と筆記具、そしてガラス製の灰皿がある。
「ご用件を伺う前に、どちらでここのことをお知りになったのか、聞いてもよいですか」
「居酒屋で一人でいるときに、隣の隣ぐらいにいたグループ客、と言っても男ばかり三人がいて、彼らの会話が耳に入って、ここだ!と思った次第です。……ここは紹介状が必要なので?」
「いえ、必要ありません。積極的な宣伝広告を打っていないウチのような店に、いかにして辿り着かれたのかのリサーチです」
「そうでしたか」
 五十代の紳士は分かり易い安堵をした。
「ではご依頼を伺います。先ほど仰ったような事情でうちを選んだからには、その後下調べをなさったと思います。だからご存知と思いますが一般部門か、それともAV部門でしょうか」
「その、後者の方です」
 目を伏せがちにいた男性は早口で言った。それから髭をなで、もう一度勇気を振り絞るようにして付け加えた。
「どうしてもちゃんと観てみたい、アダルトビデオがあるのです。VHSの」
「分かりました。まずは詳しい話を聞かせてください」
 栄尾口は用紙を手元に引き寄せ、鉛筆を構えた。
 眼前にいるような紳士がAV部門に依頼を持ち込むことも、全く意外には感じなくなっていた。

 つづく
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