アベルとフランク ~ 魔玉を巡る奇譚 ~

崎田毅駿

文字の大きさ
15 / 20

エピソード4:処女懐胎 1

しおりを挟む
 石造りの家屋の中、うなだれる女性が一人。
 彼女の横には同じ年頃の男性、正面には顔にしわの多い老いた男性が座っていた。
「早く孫の顔が見たいもんだ」
 歳の行った男が口を開いた。案外、張りのある声。
「早くしてくれんと、俺も若くないからなあ。はっ、わはは!」
 彼は豪快に笑った。
 他の二人も、つられたように笑みを浮かべる。仕方なしに笑っているような印象だ。
「跡取りは、こうしてギルがやってくれとるから心配ないんだが、やっぱりなあ。頼むから、ベラさん。息子と協力して、頑張ってくれよ」
 多少、下品な色が混じったが、それでも彼は真剣だ。息子のギルの背を叩きながら、その嫁、ベラに浅く頭を下げた。
「……はい」
 ベラはやっと聞こえる程度の声で言って、小さくうなずいた。その動作もかすかだったため、うつむいたままなのと一緒だ。
「そうかしこまらなくたって、かまわんよ。まあ、俺がおっても邪魔なだけだな。さっさと退散するとしよう」
「酔いは抜けたかい?」
 すぐに立ち上がったのはギル。まだ膝も立てていなかった父――モルダー=カスティオン――の手を取り、引っ張る。
「あ、ああ。あの程度、何ともない。じゃあ、なっ」
「送ろうか」
「平気だと言っとるだろうが。年寄り扱いしくさって」
 やや乱暴に息子の手を払うと、どすどすと足音をさせ、モルダーは息子の家を出た。
 二人のため息が、彼らが残された空間の大部分を占めた。

 つい一時間ほど前まで晴れていた空は、いつ降り出してもおかしくない、どんよりとした模様を急速に濃くしつつあった。
 アニタは気味悪かったが、隣のキーナはそうでもないようだった。むしろ、状況を面白がっているような表情を見せている。
「よしなさいよ」
 目の前の女に聞こえぬよう、キーナに囁いてみても、従う気配はない。いいからいいからと言わんばかり、片手をひらひらさせている。
「お祈りを始めてよろしいかしら」
 女が言った。大学帰りのアニタとキーナに声をかけてきた彼女は、何の脈絡もなしに、「お祈りさせてください」と申し出てきた。
 見れば、やせぎすの身体に、くたびれた黒い服をまとっている。やせているせいか、背が高い印象がある。髪は長く、手入れをすれば美しくなりそうだが、今はその逆である。小さな目、魔法使いの老女を想起させかねない鷲鼻と、目鼻立ちもぱっとしない。唇だけは薄く、血色がよいのだが、かえってそれが異様だ。
 天気の悪さもあって、アニタは関わり合いになるのを避けようと、歩みを速めようとした。が、キーナの方が立ち止まってしまったのである。
「将来、いい奥さんになれるよう、祈ってくれるんだって。アニタもやればいいのに」
「遠慮する」
「どうしてよ。ただなのに」
 キーナはどうやら、お金がかからないことに最も引かれたよう。
「いいわ。私だけ、お願いします」
 女の方へ向き直ると、キーナは軽く頭を下げた。金色のお下げが二つ、上下に揺れる。
「分かりました」
 女の話し声は抑揚に乏しい。アニタはますます気味悪く感じながら、相手を見守った。
 女は両手を胸の高さに組んでから、キーナの左横に立つと、その場にゆっくりとしゃがんだ。かざした手が、ちょうど腰の辺りに来る。
「力を抜いてください」
「は、はい」
 少しは緊張しているのか、慌てて返事するキーナ。そのため、逆に力が入ってしまった様子だ。
「深呼吸をしてみましょう」
 促され、素直に従うキーナ。
「落ち着きましたでしょうか」
「と、思いますけど」
「では」
 女は組んでいた手を解くと、その間にキーナの身体が来るように、前へと伸ばした。左手がキーナの腹部、右手が腰部のすぐ上で止まる。
 それから女は何やら呪文らしき言葉を唱え始めたが、声量が小さい上、外国語らしく、さっぱり聞き取れない。アニタの友人は、さすがに居心地悪そうだ。人通りは少ないとは言え、昼間、往来でこんなことをされれば、当然だろう。
「……終わりました」
 女が言った。
「いいんですか?」
「はい。あなたのお名前は」
「キーナ=ローズです」
「キーナ=ローズさん、あなたがお幸せになりますよう、心から願います。それから」
 口調が変わったように、アニタには感じられた。
「子供をお生みになったら、どんな名前を付けます? その子にもお祈りさせてもらおうと思うのです」
「あ――いきなり言われても……ねえ、アニタ?」
「そ、そうよね」
 女に対するアニタの印象は、さらに悪くなった。
「私が名前を差し上げましょう。男の子なら……アーメッド、女の子なら……ベニーがいい。その子も幸福になるし、あなたにも幸福をもたらすわ。きっとねえ」
「え、ええ……」
 ここに来て、ようやく身体を引き気味にするキーナ。でも、今度は意識の方が呆然としてしまっている。
「そ、それじゃ、これで」
 アニタはキーナの手を引っ張り、女の前から立ち去ろうとした。
 女は少しも気を悪くした素振りを見せず、にっこりと微笑んできた。
「お幸せに」

 夏期休暇で久しぶりに帰ってきた孫娘に、スティーブン=ロビンソンは暗さを感じ取った。いつもは笑顔で挨拶してくれるのが、今日に限って、黙ったままである。
「アニタ、お帰り」
「――ただいま帰りました、おじいさま」
 声をかけても素っ気なく、そのまま自分の部屋に向かう気配である。
「母さんに顔は見せたのかい?」
「ええ」
 会話が続かない。アニタは部屋に入ってしまった。
 スティーブンは、がたの来つつある足腰に無理を言って、階段を駆け下りた。
「ベルサさん」
 アニタの母――スティーブンから見て義理の娘に当たる――ベルサの姿を求め、あちこち部屋を覗いて回る。
「ベルサさんっ」
「何でしょうか、お義父さん」
 台所から現れたベルサは、手を布巾でよく拭っている。洗い物か何かの最中だったらしい。
「珍しく大声を出されるから、びっくりしましたわ」
「ベルサさん、アニタを見て何か感じんかったかね」
「ああ、それですか」
 ベルサの表情に、わずかに影が差す。彼女もおかしいと感じていたらしい。
「何か、落ち込んでいるみたい」
「私もそう見えた。思い当たる節はないかね」
「さあ……。寮から戻って来て、いきなりですし」
「私は訳を聞こうとしたんだが、うまく行かんかった。何も聞かなかったかな、ベルサさんは?」
「今すぐは難しいと判断しましたから。折を見て聞き出してみますわ」
「そういうものか、ふむ。難しい年頃になって来よった。気を付けないと意志の疎通が断たれてしまいかねん」
 両腕を広げるスティーブンに、ベルサは苦笑した。
「そんな大げさな。あの子はそんなことありませんよ」
「母親のあんたがそう言ってくれると、私もほっとするが……。こんなこと、言いたくないんだが、ヘンリーがおらんようになったことが影響してなけりゃいいんだがねえ」
「――そうですわね」
 亡き夫の名を出されたためか、ベルサの反応は一拍、遅れた。
「とにかく、注意しておきます」
「頼みますよ」
 スティーブンは、とりあえずの義務を果たした気分になって、落ち着いた。そうして、行きとは別人のように、ひょこ、ひょこっと階段を昇り始めた。

 スティーブン=ロビンソンを訪ねたアベルは、博士にいつもの快活さがないのを見て取った。
「どうかされたんですか」
「ん? 何がだね」
 星々の運行表から目を上げるロビンソン博士。
「お元気がないように見える」
「そうかね……」
「私が余計な相談を持ちかけたせいで、博士の研究が進まず、迷惑をかけているのではありませんか?」
「いや、そんなことはない。気にしないでくれ」
「しかし」
「……相談、ね。ふむ。一つ、こちらの相談にも乗ってくれるかな。なに、気休めになればいいんだ、深刻に受け止めることはない」
「はあ。私で役に立つのであれば、喜んで」
 アベルは手元のノートを閉じた。
 ロビンソン博士も書類を机に追いやり、アベルへと向き直る。
「孫娘のことなんだよ」
「お孫さん……アニタさんがどうかしましたか?」
 つい先日、初めて顔を合わせたアニタ=ロビンソンの容姿を思い浮かべるアベル。なかなか理知的な顔立ちをしていると、そのとき感じた一方、人見知りする質なのか、ほとんど会話しなかった点も気になっていた。
「実に失礼な態度を、君に対しても取っておると思うが」
「そんなことは」
「嘘を言わんでいい。あの子は、私らに対してもそうなんだよ」
「……博士や母親に対しても、ですか」
「ああ。誤解してほしくないのは、今年の春、帰って来たときはこんな態度ではなかったということだ。この夏になって、ああいう風になってしまった」
「何かあったのではないですか。例えば、大学で」
「そこなんだが……聞いても答えてくれん」
 難しい顔になり、腕組みするロビンソン。
 アベルはいささか困惑を覚えた。
「博士ご自身やベルサさんをして何も聞き出せないのでしたら、私なぞお呼びでないでしょう。アニタさんとはこの夏初めて、顔を合わせたのですから、なおさらです」
「それは分かっておるよ。考えてもらいたいのは……君のところのフランク君、彼は尾行は得意かね?」
「尾行……できないことはないと思いますが」
 相手の言わんとすることが飲み込めず、アベルは手を返して説明を求めた。
「孫娘はときどき、ふいと出かけおる。行き先を尋ねても、話そうとせんのだ。
それが気がかりでの」
「私が言うのもあれですが……。彼女も立派な学生なのだから、そこまで気にせずともいいのではないですか」
「そうかもしれん。しかし……笑わんでくれよ。万が一、悪い男につかまりでもしたんじゃないかと思うと、気になって仕方がない」
 アベルは呆れて、いささか興味を失いかけていた。
 が、考え直す。魔玉の謎を解明するためには、今のところ、天文学の線しか思い当たらない。その天文学の専門家の中でアベルが頼れるのは、目の前のスティーブン=ロビンソンただ一人しかいない。
「顔の割れていない者、例えばフランクにアニタさんをつけさせて、何ともないと分かれば、それで安心できるのですね?」
「ああ、まあ、そうかな。できれば、前のように会話を交わしたいものだが」
「分かりました。幸い、カインも目立った動きを見せていません。フランクを当たらせてみましょう」
「そうかね。いや、ぜひ、頼むよ」
 ロビンソン博士が顔をくしゃくしゃにして喜ぶのを見て、アベルは軽く息をついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

目の前で始まった断罪イベントが理不尽すぎたので口出ししたら巻き込まれた結果、何故か王子から求婚されました

歌龍吟伶
恋愛
私、ティーリャ。王都学校の二年生。 卒業生を送る会が終わった瞬間に先輩が婚約破棄の断罪イベントを始めた。 理不尽すぎてイライラしたから口を挟んだら、お前も同罪だ!って謎のトバッチリ…マジないわー。 …と思ったら何故か王子様に気に入られちゃってプロポーズされたお話。 全二話で完結します、予約投稿済み

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

悪役令嬢が処刑されたあとの世界で

重田いの
ファンタジー
悪役令嬢が処刑されたあとの世界で、人々の間に静かな困惑が広がる。 魔術師は事態を把握するため使用人に聞き取りを始める。 案外、普段踏まれている側の人々の方が真実を理解しているものである。

二十年仕えた王女が私を敵に売った。それでも守ることにした

セッシー
ファンタジー
二十年間、王女殿下の護衛騎士として仕えた。その殿下が、私を敵に売った。 牢の中で事実を知り、一分考えて——逃げることにした。殿下の目的を、まだ果たしていないから。 裏切りの真相を確かめるため、一人王都へ戻る護衛騎士の話。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

スーパーのビニール袋で竜を保護した

チー牛Y
ファンタジー
竜は、災害指定生物。 見つけ次第、討伐――のはずだった。 だが俺の前に現れたのは、 震える子竜と、役立たず扱いされたスキル―― 「スーパーのビニール袋」。 剣でも炎でもない。 シャカシャカ鳴る、ただの袋。 なのにその袋は、なぜか竜を落ち着かせる。 討伐か、保護か。 世界の常識と、ひとりの男の常識が衝突する。 これは―― ビニール袋から始まる、異世界保護ファンタジー。

処理中です...