アベルとフランク ~ 魔玉を巡る奇譚 ~

崎田毅駿

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エピソード4:処女懐胎 5

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 カインは曇り空を好んだ。たとえ夜であろうと、曇っている方がいい。
(身軽に動けるからな。それに、闇が好都合なことも多い)
 振り返ったカイン。ひたひたと斜め後ろを歩く女に、声をかける。
「おい」
「何でございましょう、カイン様」
 女の声は、抑揚に乏しかった。
「直前の腕試しに、あいつをやってみせよ」
 カインが顎で示した先には、酔漢らしき小太りの男が木にもたれかかっている。寝ているのか起きているのか、判然としない。
「できうる限り早く、だ」
「承知しました」
 女はただただ赤い唇を、うれしそうに歪めた。
 それからの彼女の動きは、決して素早いとは言えなかったが、気配を感じさせないという意味では一級品であった。音をことともさせずに酔っ払いの男性に近付くと、その腹部に両手をかまえた。おもむろに唱え始められる呪文。
「……、ク、ビグビグビグ、エルティルエルティルエルティル、エチニフニ、ルン、……、ワンラ」
 十五秒足らずでまじないの言葉は終わり、女は手を引いた。
 途端に、酔漢が叫声を発した。
「げ!」
 女はその場を離れ、カインの方に戻ってきた。
 酔漢の男は、酔いも覚めよとばかり、大地に横たわり、もがき苦しんでいる。仰向けの態勢で、土をかきむしる。
 その腹のところどころが、ぼこ、ぼこ、と盛り上がっていた。盛り上がっては元に戻り、また別の場所が盛り上がる。これを繰り返す。
(呪文に時間がかかるのは問題だが、胎児の活動が格段に早くなっているな)
 カインは満足した笑みを浮かべた。
(『サイレントウーム』――何の役にも立たないと思っていたが、ここまで発展するとはな。予想外の収穫ってやつか)
 カインは女を見下ろした。
 女――ベラ=カスティオンは、何の感情もなく見える目つきで、酔漢の様を観察し続けていた。
 最後は表し難い奇声だった。
 酔漢は仰向けのまま、事切れた。その腹を打ち破って、人間の赤ん坊のような、黒い小さな影が現れる。そいつは少しの間、うごめいていたが、何の前触れもなく消えてしまった。
「よい出来だ」
 カインの言葉に、ベラは全身を揺らめかして反応した。

「おやすみなさい」
 祖父らに就寝の挨拶をしてから、アニタ=ロビンソンは自分の部屋に入った。
 淡い青色の肩掛けを外し、ベッドにもぐり込んでから、灯りを落とそうと手を伸ばす。
 窓が音を立てて開いた。
「!」
 はっとして身を起こすアニタ。
「これは……つまらないミスをしてしまったな」
 悪びれた様子もなく、その侵入者は堂々と言い放った。カーテンの向こうにいるため、姿はまだ見えない。
「だ、誰……」
「おまえがアニタ=ロビンソンか?」
 声と同時に姿を現したのは、銀色めいた髪に赤い目を持つ、細身だが立派な体躯の男だった。
「答えよ」
 声を出せないでいるアニタに、一歩近付く男。手には帽子を握っていた。
(答えたら……殺される?)
 アニタは聞かされていた。かつて、刻み屋ニックと呼ばれた男の存在を。そして、そいつは今、一部でカインと呼ばれていることを。
「……カイン、なのね」
「ほう」
 歩みを止める男――カイン。
「それを知っているとは、やはり、スティーブン=ロビンソン博士の線から聞いたのだな? アベルやフランクとも知らぬ仲ではあるまい」
 アニタは両手で毛布を引き寄せた。
「おまえがアニタであるのは、もはや明確」
 カインは鋭く言い立てると、一気に間合いを詰めてきた。
「死んでもらうぞっ」
 カインが武器とする爪を長く伸ばしたとき――。
「ぐっ?」
 空気を切る音がしたかと思うと、カインは右の首筋を押さえていた。
「これは……矢」
 矢の飛んで来た方に顔を向けるカイン。
 その隙に、アニタは毛布を蹴り上げ、部屋を飛び出した。
「カインが!」

 カインは首筋から矢を引き抜いた。血が流れていたが、見る間に止まる。
「これか」
 足下を見やったカイン。細いが丈夫そうな糸が、くるぶしの高さにぴんと張ってある。
(自動的に射出される仕組みか。くだらぬ。が、面倒になった。どうやら罠だったらしいな)
 短い間、逡巡するカイン。
「――ん?」
 フランクが姿を現した。部屋の入口に立ちふさがっている。
 先手必勝と、フランクは巨体を踊らせ、カインへ殴りかかってきた。
 身を翻し、窓枠につかまるカイン。
 すんでのところでかわしたつもりだったが、カインの左頬には傷ができていた。極薄く、血がにじんでいる。
「礼儀知らずだな、フランク。いきなりとはね」
「他人の部屋に断りもなく入ってくる奴が、ほざくんじゃない」
 先制攻撃を避けられると、フランクも慎重にならざるを得ないようだ。間合いを保ったまま、隙を窺い合う。
「私が来ることを予測していたようだが、どうして分かったのかね?」
「貴様の頭なら、見当が着いていると思うがね」
「では、やはり、あの新聞記事が餌だったか。ふはは、我ながら見事に引っかかったものだ! ロビンソンの孫娘さえ口封じすれば、ベラを自由に操れると思ったのだが」
「ベラ……。祈りで相手の女性を妊娠されるという妙な力を身に着けた女がいるだろう。貴様が魔玉で作ったんだな。そいつがベラか?」
「ご名答。ベラはかわいそうな女でね。結婚して何年も経つのに子供ができないものだから、周りからせっつかれて、肩身の狭い思いをしていたらしいねえ。そこで、心優しいこの私が、魔玉を埋め込み、力を与えたのだよ」
 挑発的なやり取りの間にも、じりじりと立ち位置を変える。相手もそれに合わせて移動する。
「結果、生まれたのが『サイレントウーム』だよ。今や彼女は手強くなった。安心していてよいものかね、フランク君?」
「……まさか」
「ベラはどこで何をしているのか、考えてみたまえ。では、アベルによろしく」
 確実な勝利が見込めない戦いは避ける主義だ。カインは来たときと同様に、窓から逃走した。

 警備の警官の一人が、またやられた。
 警備のため、十名の警官をロビンソン邸の周囲に配していたのだが、その網はあっさりと破られてしまった。
 女はいきなり抱きついてくると、両手で警官の身体を前後から挟み、奇妙な呪文を唱え始める。一人目の警官は、無抵抗にそれを聞き流してしまった故、瞬く間に死を迎えた。腹を内側から破られて死んだのだ。
 二人目以降は警戒して、簡単には近付かせなかったが、女の方は弾丸を食らっても身体に傷ができるだけで、そのまま向かってくる。恐れをなした警官達が、徐々に餌食になり始めていた。
「ば、化け物だ」
 物陰に隠れ、息を整えるコナン警部。
(カインの奴も化け物だと思ったが、この女の方は、何を考えているか分からんだけ、不気味だ……。こいつにロビンソン博士達の居場所を知られたら、真っ先に殺しに向かわれちまう。防ぎきれるかどうか)
 アニタ=ロビンソンとその母、それに博士についてはアベルとフランクに任せてあるだけに、最初は心配していなかった。が、先ほど、アニタの部屋で物音がしたのを聞いている。あちらに現れたのがカインだとすれば、一気に暗雲立ちこめたことになる。
(効かないと分かっていて、ぶっ放すのは税金の無駄遣いだな)
 頭の中でくだらない冗談を飛ばしてから、柱から身を乗り出す警部。ふらふら歩く女の姿を見つけると、一発だけ発射した。
(……だめだな)
 正面、右肩の辺りに命中した。女の上半身ががくんと後ろに揺れたが、すぐに態勢を立て直すと、平気で前進し続ける。
「警部!」
 振り返るコナン警部。
「フランク!」
 彼の声には、安堵の色が混じっている。
「無事ですか!」
 フランクはコナンのすぐ後ろについた。
「何とか、な。そっちは? アニタ達は無事だったか?」
「カインが現れましたが、どうやら引き上げたらしい。ただ、奴が気になることをほのめかしたから、急いでこちらへ」
「奴も案外、親切だな。ふん」
 顎で女を示すコナン。
「あいつにもう少しで、やられるところだったよ」
「『サイレントウーム』のベラ」
「何だって?」
「カインが言った、彼女の名前です。……警官がやられている……。女性を妊娠させる能力の他、何かあるんですか?」
「女性? 違う、あいつは男も女も関係なく、妊娠させやがる!」
「な……」
 絶句するフランク。その間にも、ベラはどんどん近付いてくる。残り、十メートル足らずか。
「なあに、おまえさんの敏捷さがあれば、あいつの呪文にやられることはないだろうよ。もう一つ。あの女は銃弾を物ともしない。フランク、おまえの腕力で足を叩き折れ。相手の動きをとにかく封じろ」
「……やってみます」
 もはや距離はない。
 飛び出すや否や、フランクはベラの膝に拳を叩き込んだ。
(手応えあり)
 ベラから離れるフランク。
 ベラは前進をやめ、身体をがくがく震えさせ始めていた。その震えは徐々に大きくなり、やがて、砂上が倒壊するようにその場にくずおれた。
「やったか!」

 続く
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