アベルとフランク ~ 魔玉を巡る奇譚 ~

崎田毅駿

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エピソード3:遠眼鏡 4

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 部屋の中へ、突然、風が流れ込んできた。
「おかしいな」
 怪訝そうに、風の来た窓の方を見やるロビンソン博士。
「昨日、観察のあと、閉め忘れたか……」
「待ってください」
 立ち上がろうとした博士を、言葉で押しとどめるフランク。
「昨日から開け放していたとしても、今になって風が入ってくるなんて、おかしい……。窓は外開きですか?」
「あ? ああ、確か、そうだ」
「それなら、錠を掛け忘れたにしたって、勝手に開くはずがない。博士、アベル。これは誰かが、今しがた、窓を開けたのだと考えるべきでは……」
 フランクの見方に、言葉にならぬ声でうなるアベル。
「誰かが開けただって? ここは二階だよ」
 ロビンソン博士が一笑に付しかけたところに、嘲笑の声がとどろいた。
「――愉快だったよ、フランク・シュタイナー!」
「その声、まさか、カイン?」
 アベルらは立ち上がり、身構える。
「アベル、君も来ているとはね」
 カーテンが揺らめき、その奥から、灰色らしきマントをまとったカインが、ゆらりと姿を現した。わずかに見えた窓ガラスは、きれいに切り取られていた。
「カイン君……」
 呆気に取られたようにつぶやいたのは、ロビンソン博士。いくらアベルから説明を受けていても、かつてのカインを知る者として、現状が把握できない。そんな様子だ。
「お久しぶりですな、ミスターロビンソン」
「逃げてください、博士」
 フランクが前面に出た。
「何をしに来た?」
「今日のところは、君に用はない。無論、アベルにも」
「博士をどうするつもりだと聞いているんだ!」
 アベルが、怒声を上げた。
「――実験台になってもらおうと思ってね」
「実験台?」
 まだ部屋に残っていたロビンソン博士が、裏返った声で言った。
「じゃ、じゃあ、カイン。君は、私の胸を切り裂き、魔玉とかを試すつもりなのか……」
 博士の言葉に対するカインの反応は、わずかだが驚いたもののように見受けられた。
「ほう……そのような言葉が出てくるとは、これまでの事件も知っているのだろうね。大方、アベルのつまらん猿知恵なんだろう」
「やはり、五人の胸を切り裂いて殺したのは、貴様か」
「五人?」
 アベルの質問を、カインはじらすかのようにゆったりとした物言いと身振りで、否定した。
「六人だよ、アベル! 新聞に報道されていないのは、確か、日雇労働者だったかねえ?」
「日雇労働者だって? 眼についての能力を得たくて、職業を選んでいたんじゃなかったのか?」
「フランク、素晴らしいな! そこまで気付いていたとはね。君達にとって第六の男は、覗きを趣味にしていたんだよ。いい趣味じゃないが、試す価値はあった。結果的に失敗だったが」
「どうして、博士を選んだ?」
「おや? そこまで見抜いていながら、分からないのか。これは気分がいい。教えてやろう。ロビンソン、あなたは今でも、望遠鏡を覗いていますよねえ?」
 その一言で、すぐに理解できた。
「天体観測の眼を、試したい訳か」
「ご名答だ。付け加えるならば、学者として優れた頭脳を持つ人間で試せば、成功するんじゃないかと思ってね。そういう条件を満たす者として、我が旧知のスティーブン・ロビンソンは適役だ!」
 カインは素早く、右手をかまえた。
「博士!」
 アベルが叫びながら、ロビンソン博士の腕を掴み、部屋の外へ飛び出した。
「フランク、そこを退くんだ」
「聞けないね」
 扉を背に、立ちふさがるフランク。
「行きたければ、俺を倒すことだ」
「君とは――まだ闘う時期ではないと思っているのだが……。君が隠している能力について、探らないとね。私は完全なる勝利の確信を得るまで、行動に出ない誓いを立てたのだよ」
「誰に誓った? 悪魔にでもか?」
「つまらんジョークだ。確実に君を倒せるならば、あの六人を殺し、今またロビンソンを狙う理由もなくなるのだがね。仕方ないな、今夜は出直すとしよう」
 あっさり引き下がるカインの態度に、フランクは拍子抜けした。
「驚いたようだな」
 愉快そうに、カインは唇を歪めた。
「旧知の間柄のロビンソンへ、敬意の代わりに忠告しておこう。夜道を歩くときは、気を付けろと伝えてくれたまえ」
「くっ、言われなくても、俺が守ってみせる!」
「ふん。いつまで、あんな老人一人にかまっていられるかな。はははは!」
 カインは言い終わらぬか否かの内に、身を翻すと、来たのと同じ窓から飛び出していった。
 すぐさま、フランクはその窓へ駆け寄ったが、闇に紛れたカインの姿を捉えるのは、もはや困難だった。

 ただならぬ気配を察してか、ベルサは階下で一人、おびえてしまっていた。彼女をロビンソン博士に任せ、フランクはカインの言葉をアベルに伝えた。
「まだ狙い続けるつもりですよ、カインの奴……」
「そのようだ。それに」
 カインは去ったとは言え、何かしら気になって仕方がないらしく、仕切りに窓外を見やるアベル。
「『確実にフランクを倒せるなら、ロビンソン博士を狙う理由もなくなる』、
確かに、そう言ったのだね、カインは」
「そんな意味のことを言いました。でも、分からないんです。僕の力では、まだカインを倒すのは無理だ。せいぜい、相打ちがいいところ。現時点では、カインの方が有利でしょう」
 フランクは本心から言った。
「僕には隠している力なんて、何もない」
「――そうか」
 アベルは何か閃いたらしく、視線を窓の外から室内へ戻した。
「これまで二度、君がカインと相対した際、切り抜けられたのは何故か? 二度とも、向こうが君の力をよく知らないという事実を利用した訳だよ……。カインが知りたいのは、フランクの能力の全てだ。この前のワンマン・デュオの件で、君は自分が新たな能力を得たように見せかけた。それをあいつは信じている。そして、その正体を探るために、眼についての特殊能力――遠視のようなものかな――を求めている。この想像に、無理はあるだろうか」
「遠視、ですか」
「そう。カインは思い込んでいるのだ。君が、隠している能力をカインの目の届かぬ場所で試している、とね。それを探るには、その場にいなくても状況を見ることができる、遠視のような能力があれば、一番だろう」
「筋道は通っていますね……」
「分かったことは、まだある」
 アベルが言った。フランクがアベルの顔を見つめると、彼は片目をつむった。
「『今夜は出直すとしよう』、『夜道に気を付けろ』――カインのこれらの言
葉は、夜しか動き回れない奴の不自由な立場を、如実に示しているとは思わないかね?」

 トニー・リッチは、いつになく落ち込んでいた。
(畜生、チルトの馬鹿めが)
 カウンターに上半身を持たせかけるようにしながら、彼はグラスの中身を呷った。いくらか液体がこぼれ、口の周りを濡らす。
(いつまで経っても、三流雑誌の記者止まりだと? 約束が違うだと? 俺がいつ、そんな約束したってんだ!)
 口の周りを手の甲で拭いつつ、腹の中でわめくトニー。ふらふらと揺れる頭からは、冴えない緑色のハンチングがずり落ちそうになっている。
(一流新聞社の記者になって、ばりばり働いてみたいって言う、夢は語ったかもしれねえけどよ。そいつを、あの馬鹿女、勝手に受け取りやがって。その上、何てこと言いやがる。『あなたって、名前と逆ね。いつまでも貧乏なまま。リッチになんかなれやしない』ときたか。はっ、くだらねえぞ!)
「隣、いいかね」
 不意に肩に触れられ、トニーは思わず、席から転げ落ちそうになった。背の高い丸椅子なので、腰が安定していない上、心の中だけでわめいたつもりが外に漏れ聞こえてしまったのかと、慌ててしまった。
「あ……いいですよ」
 見上げると、身なりのいい男が、マントを店の者に預けているところだった。

 続く
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