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一.鳥愛づる王女 1
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戦乱の世を終結させ、大陸の統一を果たした者。
それが英雄であれば、大地には歓喜の声があふれるであろう。
それが暴君であれば、大地には暗い沈黙が訪れるであろう。
今、天下を取った者がいずれであったのか。その答が……。
1 鳥愛づる王女
窓を開ける。待ちかねていたかのように、優しい風が花の香りと共に部屋に流れ込む。室内は、陽の光が長く差し込んでいたせいもあって、すでに温もっているのだが、さらに暖かになった気がする。
「ん」
ふっと息を漏らし、マリアスは軽く伸びをした。外を見れば、盛んに小鳥達が飛び回っている。少し視線を下げると、城の庭に広がる大きな花畑の上をすれすれに、白や黄色のかわいらしい蝶々が踊っている様子。
まず、黙って手を出す。小鳥達に対してゆっくりと手招きを繰り返すと、ある程度近くまでやって来た。
「おいで」
人の言葉を解したか、青い群の中の一羽が向きを換え、つーっとマリアスの手のひらへと舞い降りる。それから腕を伝い、ぴょんと跳ねたかと思うと、窓枠の木にしがみつき、落ち着いた。
「おまえは初めてかな」
小さな頭をなでてやってから、マリアスは話しかけた。もはや、目の前の鳥のことしか頭にないらしく、人と話すのと全く変わらぬ調子。小鳥の方はきょとんとした眼のまま、くくるっと短い鳴き声を返す。
「ううん、前にも来ているわ。そう……ベニーよね」
機械仕掛けのように二度、首を振ると、その青い鳥は翼をばたつかせた。
「あ、待て。おまえを忘れたこと、怒っているんだったら謝るから」
慌てて手を差し出すマリアス。鳥はほんの短い距離を飛んだだけで、今度は彼女の指先に居座る。
何か餌になる物をと振り返り、見回すマリアス。そのとき、部屋の扉が勢いよく開かれた。
部屋の空気が大きく動き、また盛大に音もしたため、青い小鳥は消えるように飛び去ってしまった。
「もう、スワンソン」
廊下への空間が大きく口を開けた扉の方を向きながら、マリアスは膨れっ面になる。大きな瞳が、このときばかりは不釣り合いになってしまう。
「部屋に入るときは合図をするものよって、あれだけ言っているのに」
「失礼ながら姫」
作ったように堅い調子で、スワンソンと呼ばれた女性は応答した。年はマリアスとさほど変わらぬはずだが、こちらの方が外見・物腰とも数段落ち着きがある。
「私はちゃんと合図をいたしました。このように」
左の拳で扉の表面を軽く叩くスワンソン。こんこんこんと三回、音がした。
「ですが、姫の返事がありませんでしたので、私は念を押してもう一度、同じことを繰り返したのです。それなのに返事がないとなれば、不安になって突然、扉を開けることもお付きの者として当然の行為かと」
「分かったわ」
マリアスはため息をついた。早く、このお小言を終わらせよう。
「夢中になっていた私がいけなかったのよね? いつものように、朝、起きてから鳥と話をしていた私が」
「その通りです。せめて、お目覚めになってすぐ、顔を見せてくだされば、姫がそのあと鳥と話をされようが、風に抱かれておられようが、私も何も構いわいたしません」
「はーい」
間延びした返事をすると、マリアスはスワンソンのわきをすり抜けるようにして廊下に出た。そうしないと、まだまだ小言が続きそうな気配だったからだ。
「姫、そういった返事は改めること! それに窓が開け放したままです……」
スワンソンの金切り声が、マリアスの後方から聞こえてきた。
「本日は予定が入っています」
スワンソンの声が聞こえた。
国王たる父レオンティールや兄シーレイと同席しての朝食を終えたマリアスは、鳥に関する分厚い書物を読もうとしていたところだった。
「え? 今日は勉強はないはず……」
マリアスは茶色の細い髪を揺らし、顔を上げた。
「本を読んでいるお暇はございません。よろしいですか? 十時から祝勝記念式典にご列席していただきます。式典終了後、引き続き、功労者叙勲の儀に。城に戻って昼食を挟みまして」
「待って。また祝勝の式典? この間、やったばかりじゃないの」
「前回は七年前の対ルビデン国戦勝の祝いでした。本日の式典は二十年前の対ノンメード国戦勝の祝いなのです」
「二十年前ー? 私、まだ生まれてないじゃない」
「私もそうです」
「そうじゃなくて……。やたらと多いのよね、この手の式典が。そりゃあ、お父さまは度重なる戦を勝ち抜いて、この大陸を統一する偉業を成し遂げられたのは分かっているつもりよ。でも、いつまでも戦争に勝ったことを祝い続けるのは不自然だわ」
「それは、この国の軍隊を鼓舞する意味と、国王の偉業をたたえる意味があってのことです」
「今が平和なんだから、もう、ほどほどにしたらいいじゃない、ねえ。そうね、大陸を統一した最後の戦い、オクトール国に勝った日だけを戦勝記念で祝えば充分と思うけど」
「愚痴をこぼされてもどうしようもありません。時間がございませんし、お仕度、急いでください」
スワンソンは静かな声で言い、式典での正装を取り出した。
マリアスは背中を向け、スワンソンに背中のボタンを外させる。
口では色々とだだをこねていたマリアスであったが、それほど深い意味はなかった。いや、むしろ、式典に出る楽しみもあるのだから、喜んでいる気持ちの方が強いかもしれない。
その楽しみとは、ある一人の将軍と堂々と会って、大っぴらに話ができる、ただそれだけであった。
「マリアス姫」
鏡を媒介として、スワンソンがマリアスに話しかけてきた。彼女の口調はどうにもきつい。
「何?」
「ディオシス将軍のことを考えておられますね」
「……」
「お顔で分かります。ディオシス将軍のことを考えている姫の顔は、いつも口元をゆるめて、にやにや笑っています」
「そんな、虫を観察するように私を見ていたの? それでお父様に告げ口でもするつもりね」
「あら、別に私はとがめだてしているのではございませんわ」
急に女性らしい声と顔つきになって、鏡の中に映ったスワンソンが言った。
「ディオシス将軍は素晴らしい方だと思います、私も。先の大戦でご武勇がありながら、控え目で。それにお顔が。常にきりりと引き締まった表情にあのきれいな黒髪と来れば、姫さえも参ってしまって当然のことかもしれません」
「周りにいるほとんどの者は身分が違うって言うのに、おまえだけは分かってくれるのね、スワンソン」
「ええ、分かっているつもりです。身分のことにしても、あの方はご自身から明らかにされないだけで、実際のところは大変、高貴な家系ではないかという噂もありますし」
こういう話題になると、いつもの口やかましいスワンソンはどこへやら、完全に今の彼女はお喋り好きな一女子となっていた。
マリアスも、そんなスワンソンが好きで、ようやくこれまでの緊張を解いて笑うことができた。
が、そのとき――。
頭の中がすーっとなるのを覚えたマリアスは、溶け落ちる氷像のようにがくりと床にへたり込んでしまう。
「姫?」
ちょうどマリアスから目を離していたスワンソン。振り返るとマリアスの姿がなかったので、スワンソンの意識は恐慌を起こしてしまった。
「姫! 姫様! どうされたんです!」
それが英雄であれば、大地には歓喜の声があふれるであろう。
それが暴君であれば、大地には暗い沈黙が訪れるであろう。
今、天下を取った者がいずれであったのか。その答が……。
1 鳥愛づる王女
窓を開ける。待ちかねていたかのように、優しい風が花の香りと共に部屋に流れ込む。室内は、陽の光が長く差し込んでいたせいもあって、すでに温もっているのだが、さらに暖かになった気がする。
「ん」
ふっと息を漏らし、マリアスは軽く伸びをした。外を見れば、盛んに小鳥達が飛び回っている。少し視線を下げると、城の庭に広がる大きな花畑の上をすれすれに、白や黄色のかわいらしい蝶々が踊っている様子。
まず、黙って手を出す。小鳥達に対してゆっくりと手招きを繰り返すと、ある程度近くまでやって来た。
「おいで」
人の言葉を解したか、青い群の中の一羽が向きを換え、つーっとマリアスの手のひらへと舞い降りる。それから腕を伝い、ぴょんと跳ねたかと思うと、窓枠の木にしがみつき、落ち着いた。
「おまえは初めてかな」
小さな頭をなでてやってから、マリアスは話しかけた。もはや、目の前の鳥のことしか頭にないらしく、人と話すのと全く変わらぬ調子。小鳥の方はきょとんとした眼のまま、くくるっと短い鳴き声を返す。
「ううん、前にも来ているわ。そう……ベニーよね」
機械仕掛けのように二度、首を振ると、その青い鳥は翼をばたつかせた。
「あ、待て。おまえを忘れたこと、怒っているんだったら謝るから」
慌てて手を差し出すマリアス。鳥はほんの短い距離を飛んだだけで、今度は彼女の指先に居座る。
何か餌になる物をと振り返り、見回すマリアス。そのとき、部屋の扉が勢いよく開かれた。
部屋の空気が大きく動き、また盛大に音もしたため、青い小鳥は消えるように飛び去ってしまった。
「もう、スワンソン」
廊下への空間が大きく口を開けた扉の方を向きながら、マリアスは膨れっ面になる。大きな瞳が、このときばかりは不釣り合いになってしまう。
「部屋に入るときは合図をするものよって、あれだけ言っているのに」
「失礼ながら姫」
作ったように堅い調子で、スワンソンと呼ばれた女性は応答した。年はマリアスとさほど変わらぬはずだが、こちらの方が外見・物腰とも数段落ち着きがある。
「私はちゃんと合図をいたしました。このように」
左の拳で扉の表面を軽く叩くスワンソン。こんこんこんと三回、音がした。
「ですが、姫の返事がありませんでしたので、私は念を押してもう一度、同じことを繰り返したのです。それなのに返事がないとなれば、不安になって突然、扉を開けることもお付きの者として当然の行為かと」
「分かったわ」
マリアスはため息をついた。早く、このお小言を終わらせよう。
「夢中になっていた私がいけなかったのよね? いつものように、朝、起きてから鳥と話をしていた私が」
「その通りです。せめて、お目覚めになってすぐ、顔を見せてくだされば、姫がそのあと鳥と話をされようが、風に抱かれておられようが、私も何も構いわいたしません」
「はーい」
間延びした返事をすると、マリアスはスワンソンのわきをすり抜けるようにして廊下に出た。そうしないと、まだまだ小言が続きそうな気配だったからだ。
「姫、そういった返事は改めること! それに窓が開け放したままです……」
スワンソンの金切り声が、マリアスの後方から聞こえてきた。
「本日は予定が入っています」
スワンソンの声が聞こえた。
国王たる父レオンティールや兄シーレイと同席しての朝食を終えたマリアスは、鳥に関する分厚い書物を読もうとしていたところだった。
「え? 今日は勉強はないはず……」
マリアスは茶色の細い髪を揺らし、顔を上げた。
「本を読んでいるお暇はございません。よろしいですか? 十時から祝勝記念式典にご列席していただきます。式典終了後、引き続き、功労者叙勲の儀に。城に戻って昼食を挟みまして」
「待って。また祝勝の式典? この間、やったばかりじゃないの」
「前回は七年前の対ルビデン国戦勝の祝いでした。本日の式典は二十年前の対ノンメード国戦勝の祝いなのです」
「二十年前ー? 私、まだ生まれてないじゃない」
「私もそうです」
「そうじゃなくて……。やたらと多いのよね、この手の式典が。そりゃあ、お父さまは度重なる戦を勝ち抜いて、この大陸を統一する偉業を成し遂げられたのは分かっているつもりよ。でも、いつまでも戦争に勝ったことを祝い続けるのは不自然だわ」
「それは、この国の軍隊を鼓舞する意味と、国王の偉業をたたえる意味があってのことです」
「今が平和なんだから、もう、ほどほどにしたらいいじゃない、ねえ。そうね、大陸を統一した最後の戦い、オクトール国に勝った日だけを戦勝記念で祝えば充分と思うけど」
「愚痴をこぼされてもどうしようもありません。時間がございませんし、お仕度、急いでください」
スワンソンは静かな声で言い、式典での正装を取り出した。
マリアスは背中を向け、スワンソンに背中のボタンを外させる。
口では色々とだだをこねていたマリアスであったが、それほど深い意味はなかった。いや、むしろ、式典に出る楽しみもあるのだから、喜んでいる気持ちの方が強いかもしれない。
その楽しみとは、ある一人の将軍と堂々と会って、大っぴらに話ができる、ただそれだけであった。
「マリアス姫」
鏡を媒介として、スワンソンがマリアスに話しかけてきた。彼女の口調はどうにもきつい。
「何?」
「ディオシス将軍のことを考えておられますね」
「……」
「お顔で分かります。ディオシス将軍のことを考えている姫の顔は、いつも口元をゆるめて、にやにや笑っています」
「そんな、虫を観察するように私を見ていたの? それでお父様に告げ口でもするつもりね」
「あら、別に私はとがめだてしているのではございませんわ」
急に女性らしい声と顔つきになって、鏡の中に映ったスワンソンが言った。
「ディオシス将軍は素晴らしい方だと思います、私も。先の大戦でご武勇がありながら、控え目で。それにお顔が。常にきりりと引き締まった表情にあのきれいな黒髪と来れば、姫さえも参ってしまって当然のことかもしれません」
「周りにいるほとんどの者は身分が違うって言うのに、おまえだけは分かってくれるのね、スワンソン」
「ええ、分かっているつもりです。身分のことにしても、あの方はご自身から明らかにされないだけで、実際のところは大変、高貴な家系ではないかという噂もありますし」
こういう話題になると、いつもの口やかましいスワンソンはどこへやら、完全に今の彼女はお喋り好きな一女子となっていた。
マリアスも、そんなスワンソンが好きで、ようやくこれまでの緊張を解いて笑うことができた。
が、そのとき――。
頭の中がすーっとなるのを覚えたマリアスは、溶け落ちる氷像のようにがくりと床にへたり込んでしまう。
「姫?」
ちょうどマリアスから目を離していたスワンソン。振り返るとマリアスの姿がなかったので、スワンソンの意識は恐慌を起こしてしまった。
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