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一.鳥愛づる王女 2
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叫び続けたが、マリアスからの反応は全くない。
倒れている姫の額に手をやる。その顔色は普段とさほど変わりないように見えるのだが、熱があった。スワンソンはマリアスの肌に汗が浮かび始めているのを認めた。
王室付きの医者を呼びに行こうと、立ち上がるスワンソン。その背中に弱々しい声がかかった。
「スワンソン……大丈夫よ」
見ると、マリアスが身体を起こしかけている。
「だめです、姫! 横になっていてくださいまし!」
「……ったら……」
かすれるような声音。どうやら、「大丈夫ったら大丈夫よ」とでも言ったらしい。言葉とは裏腹に、その表情も身体もまるで元気がない。
「いけません。熱があるじゃありませんか。すぐに侍医を呼んで参りますから、絶対に動かないでください!」
きっぱり言ってから、スワンソンは部屋を飛び出していった。
いくらも経たない内に引き返してきた彼女は、侍医の他に大柄な男を一人、引き連れていた。
スワンソンが目で合図をし、まずは大男がマリアスの側へ駆け寄る。
「失礼します、姫」
素早く言って、彼は姫を抱え上げ、寝台の上にそっと横たえさせた。
その間、厚手の眼鏡をかけた侍医は姫の熱を計り、スワンソンは水を用意する。
「おまえは、レオンティール国王にこのことをお伝えして」
スワンソンに命じられた先の大男は、緊張した面もちで出て行った。
「どうですか」
肩越しに、スワンソン。侍医は難しそうな表情で、
「何の病かは分からん。だが、この高熱では絶対安静にする必要が」
と答えながら、マリアスの肌の色に目を凝らしたり、腕を取ってみたりと、診察を続ける。
「じゃあ、今日の式典は」
固くしぼった手拭いを整え、姫の額にのせながら、スワンソンは侍医に聞いた。声はおろおろと震えてしまっている。
「式典に出るなんて、とんでもない! 無理だ」
「そんなに悪いんですか……。あの、どのくらいで治るんでしょうか」
「分からないんだよ。原因も治療法も何もかも。こんな高熱を出されるとは……」
ここで侍医は姫をちらりと見やった。そして続ける。
「幸い、熱の他は肌にも異常はないご様子だし、痛みも感じておられんようだ。
スワンソン、姫がどうされていたか、話してくれたまえ」
「話す、と言いますのは?」
「そう、今朝からの姫のご様子を知っている限り、話してほしい。姫がどうして高熱を出されたか、その理由を知るきっかけが掴めるかもしれん」
「分かりました。……いつも通り、姫を起こしに部屋まで行きますと、すでにお目覚めでしたわ」
スワンソンは静かに始めた。改まって喋るせいか、いつもマリアスと交わす会話のようにはいかず、敬語が多めになる。
「窓際に立っておられて、これもいつものように、小鳥達とおたわむれに」
「そのときのご様子は? お顔の色とか声の調子とかは、変わりがない?」
「はい……。少なくとも、私は気付きませんでした」
それからも、スワンソンは知っていることを全て話したが、侍医は首をひねるだけであった。
「うーん、分からん。朝食がいけなかったのか……」
「しかし、それでしたら、他の方、例えば国王様も高熱をお出しになっているのでは……。しかし、そのようなことはきいておりませんし」
「それはそうなんだが……。念のため、食事の残りもしくは食器を調べるよう、伝えてくれんかね」
「はい、すぐに」
スワンソンは再び駆け出していった。
式典は中止にする訳にもいかず、そのまま執り行われていた。そしてもちろん、マリアスの肉親――父たるレオンティール国王、あるいは兄のシーレイも式典を欠席できるはずなく、今はマリアスに関わっていられない状況である。
マリアスの欠席は、祝勝の式典という意味合いをおもんばかって、次のような理由付けがなされていた。先の戦争で我がライ国のために命をなげうってくれた無名戦士の墓を参ってやりたい、気まぐれなマリアス王女がこのように言い出したため、と。
「……」
スワンソンは、侍医と共にマリアスの部屋にいた。つきっきりの看病。
マリアスの容態は悪くならないものの、よくもなっていない。相変わらずの高熱で、横になったまま意識もはっきりしない様子である。ぜーぜーと、かすかに呼吸が乱れていると言えようか。
王の名の下、国中から名医を呼び寄せているところであるが、時間がかかりそうな気配であった。そもそも、王室付きの医者が国一番の名医であると認識されてきたのだ。他の医師に手の施しようがあるのか、はなはだ疑問である。
「姫、気だけはしっかりと持っていてくださいませ」
氷室から持ち出された雪を皮の袋に詰めた物を姫の額にあてがいながら、スワンソンは声を震わせた。
マリアスはわずかにうなずいたように見えた。
それからしばらくして、式典が終わったのであろう、レオンティール王とシーレイ王子が正装のまま姿を見せた。
「私がいながらこんなことになって、申し訳ございません!」
飛び上がるように立ち上がったスワンソンは、頭を深く深く下げた。
「いや、気にするでない。ロッツコッドにも分からぬほどの難病なのであろう」
大きな身ぶりから、レオンティールはスワンソンと侍医――ロッツコッド医師を見据えた。
「さようでございます。私の力不足で姫を……」
「それはよい。なってしまったものはどうしようもない。今はマリアスを治すことに全力を注ぐのだ。して、どうなのだ、マリアスの様子は?」
さすがに心配げな顔になり、尋ねるレオンティール。
「熱こそ高いのですが、その他はこれと言った異常は見受けられません。ともかく熱をお下げしようと、解熱作用のある薬草の中から一つを用いてみましたが、効果は表れておりません」
「ふむ……とにかく続けてくれ。熱に効く野草は他にも何種類かあろう?」
「もちろんでございます」
「では、夜になっても変わらぬようであれば、他の薬草も用いるがよい。副作用のないようにな」
「承知しました」
侍医と国王がこんなやり取りをしている間、王子のシーレイは横になっているマリアスの枕元に寄り、
「しっかりしろ、マリアス」
と、妹を励ますような声を何度かかけていた。
引き上げる段階になって、レオンティールが言った。
「よいか、マリアスが熱を出して臥せっておることは極秘だ。ここにおる者以外、ことの次第を知っているのは?」
「あ、あの、衛兵の……」
スワンソンが答える。マリアスを運んだあの大男のことだ。
「よし。そちらの方も口止めしておけ。いずれ漏れ出るだろうが、城内にとどめておくのだ」
威圧的に申し渡すと、レオンティールは正装のマントをひるがえしながら、シーレイと共に部屋を出て行った。
わずかに静寂ができた後、スワンソンが侍医に尋ねる。
「何故、あそこまで姫のご病気を秘密にされるんでしょう?」
「さて、私のような一介の医者風情には計り知れんが……。想像するに、祝勝記念の日の朝、姫様が原因不明の病で倒れられたとあっては、国内に不穏な空気が立たんとも限らんからではないかな。つまり、姫様のご病気は、敗残国の亡霊によるものだとかいう、非科学極まりない噂の類」
「まあ、そんな噂が立つ余地があるのですか、この国に?」
スワンソンは、信じられないという風に口を手で覆った。
「あるね、遺憾ながら」
侍医は声を低めた。
「大陸の統一がなって、平和が訪れたように見えるが、それは表面だけ。敗戦国の民を皆殺しにできるはずもなく、そのまま各地で生活を営んでおろう。彼らが不平不満を持っているのは当然至極のことじゃないかね。そやつらが姫様のご病気のことを知れば、すぐにでも利用するだろう」
「そうですか……」
スワンソンは、城の中でマリアス王女と平穏無事に暮らしてきたので、侍医の言葉がすぐには受け入れられぬ様子である。
そんなスワンソンの顔色を見て、ロッツコッド医師は、珍しくも茶化したように言い添える。
「あ、断っておくが、私は生粋のライ国の民だ。今の発言に何の悪意もない」
倒れている姫の額に手をやる。その顔色は普段とさほど変わりないように見えるのだが、熱があった。スワンソンはマリアスの肌に汗が浮かび始めているのを認めた。
王室付きの医者を呼びに行こうと、立ち上がるスワンソン。その背中に弱々しい声がかかった。
「スワンソン……大丈夫よ」
見ると、マリアスが身体を起こしかけている。
「だめです、姫! 横になっていてくださいまし!」
「……ったら……」
かすれるような声音。どうやら、「大丈夫ったら大丈夫よ」とでも言ったらしい。言葉とは裏腹に、その表情も身体もまるで元気がない。
「いけません。熱があるじゃありませんか。すぐに侍医を呼んで参りますから、絶対に動かないでください!」
きっぱり言ってから、スワンソンは部屋を飛び出していった。
いくらも経たない内に引き返してきた彼女は、侍医の他に大柄な男を一人、引き連れていた。
スワンソンが目で合図をし、まずは大男がマリアスの側へ駆け寄る。
「失礼します、姫」
素早く言って、彼は姫を抱え上げ、寝台の上にそっと横たえさせた。
その間、厚手の眼鏡をかけた侍医は姫の熱を計り、スワンソンは水を用意する。
「おまえは、レオンティール国王にこのことをお伝えして」
スワンソンに命じられた先の大男は、緊張した面もちで出て行った。
「どうですか」
肩越しに、スワンソン。侍医は難しそうな表情で、
「何の病かは分からん。だが、この高熱では絶対安静にする必要が」
と答えながら、マリアスの肌の色に目を凝らしたり、腕を取ってみたりと、診察を続ける。
「じゃあ、今日の式典は」
固くしぼった手拭いを整え、姫の額にのせながら、スワンソンは侍医に聞いた。声はおろおろと震えてしまっている。
「式典に出るなんて、とんでもない! 無理だ」
「そんなに悪いんですか……。あの、どのくらいで治るんでしょうか」
「分からないんだよ。原因も治療法も何もかも。こんな高熱を出されるとは……」
ここで侍医は姫をちらりと見やった。そして続ける。
「幸い、熱の他は肌にも異常はないご様子だし、痛みも感じておられんようだ。
スワンソン、姫がどうされていたか、話してくれたまえ」
「話す、と言いますのは?」
「そう、今朝からの姫のご様子を知っている限り、話してほしい。姫がどうして高熱を出されたか、その理由を知るきっかけが掴めるかもしれん」
「分かりました。……いつも通り、姫を起こしに部屋まで行きますと、すでにお目覚めでしたわ」
スワンソンは静かに始めた。改まって喋るせいか、いつもマリアスと交わす会話のようにはいかず、敬語が多めになる。
「窓際に立っておられて、これもいつものように、小鳥達とおたわむれに」
「そのときのご様子は? お顔の色とか声の調子とかは、変わりがない?」
「はい……。少なくとも、私は気付きませんでした」
それからも、スワンソンは知っていることを全て話したが、侍医は首をひねるだけであった。
「うーん、分からん。朝食がいけなかったのか……」
「しかし、それでしたら、他の方、例えば国王様も高熱をお出しになっているのでは……。しかし、そのようなことはきいておりませんし」
「それはそうなんだが……。念のため、食事の残りもしくは食器を調べるよう、伝えてくれんかね」
「はい、すぐに」
スワンソンは再び駆け出していった。
式典は中止にする訳にもいかず、そのまま執り行われていた。そしてもちろん、マリアスの肉親――父たるレオンティール国王、あるいは兄のシーレイも式典を欠席できるはずなく、今はマリアスに関わっていられない状況である。
マリアスの欠席は、祝勝の式典という意味合いをおもんばかって、次のような理由付けがなされていた。先の戦争で我がライ国のために命をなげうってくれた無名戦士の墓を参ってやりたい、気まぐれなマリアス王女がこのように言い出したため、と。
「……」
スワンソンは、侍医と共にマリアスの部屋にいた。つきっきりの看病。
マリアスの容態は悪くならないものの、よくもなっていない。相変わらずの高熱で、横になったまま意識もはっきりしない様子である。ぜーぜーと、かすかに呼吸が乱れていると言えようか。
王の名の下、国中から名医を呼び寄せているところであるが、時間がかかりそうな気配であった。そもそも、王室付きの医者が国一番の名医であると認識されてきたのだ。他の医師に手の施しようがあるのか、はなはだ疑問である。
「姫、気だけはしっかりと持っていてくださいませ」
氷室から持ち出された雪を皮の袋に詰めた物を姫の額にあてがいながら、スワンソンは声を震わせた。
マリアスはわずかにうなずいたように見えた。
それからしばらくして、式典が終わったのであろう、レオンティール王とシーレイ王子が正装のまま姿を見せた。
「私がいながらこんなことになって、申し訳ございません!」
飛び上がるように立ち上がったスワンソンは、頭を深く深く下げた。
「いや、気にするでない。ロッツコッドにも分からぬほどの難病なのであろう」
大きな身ぶりから、レオンティールはスワンソンと侍医――ロッツコッド医師を見据えた。
「さようでございます。私の力不足で姫を……」
「それはよい。なってしまったものはどうしようもない。今はマリアスを治すことに全力を注ぐのだ。して、どうなのだ、マリアスの様子は?」
さすがに心配げな顔になり、尋ねるレオンティール。
「熱こそ高いのですが、その他はこれと言った異常は見受けられません。ともかく熱をお下げしようと、解熱作用のある薬草の中から一つを用いてみましたが、効果は表れておりません」
「ふむ……とにかく続けてくれ。熱に効く野草は他にも何種類かあろう?」
「もちろんでございます」
「では、夜になっても変わらぬようであれば、他の薬草も用いるがよい。副作用のないようにな」
「承知しました」
侍医と国王がこんなやり取りをしている間、王子のシーレイは横になっているマリアスの枕元に寄り、
「しっかりしろ、マリアス」
と、妹を励ますような声を何度かかけていた。
引き上げる段階になって、レオンティールが言った。
「よいか、マリアスが熱を出して臥せっておることは極秘だ。ここにおる者以外、ことの次第を知っているのは?」
「あ、あの、衛兵の……」
スワンソンが答える。マリアスを運んだあの大男のことだ。
「よし。そちらの方も口止めしておけ。いずれ漏れ出るだろうが、城内にとどめておくのだ」
威圧的に申し渡すと、レオンティールは正装のマントをひるがえしながら、シーレイと共に部屋を出て行った。
わずかに静寂ができた後、スワンソンが侍医に尋ねる。
「何故、あそこまで姫のご病気を秘密にされるんでしょう?」
「さて、私のような一介の医者風情には計り知れんが……。想像するに、祝勝記念の日の朝、姫様が原因不明の病で倒れられたとあっては、国内に不穏な空気が立たんとも限らんからではないかな。つまり、姫様のご病気は、敗残国の亡霊によるものだとかいう、非科学極まりない噂の類」
「まあ、そんな噂が立つ余地があるのですか、この国に?」
スワンソンは、信じられないという風に口を手で覆った。
「あるね、遺憾ながら」
侍医は声を低めた。
「大陸の統一がなって、平和が訪れたように見えるが、それは表面だけ。敗戦国の民を皆殺しにできるはずもなく、そのまま各地で生活を営んでおろう。彼らが不平不満を持っているのは当然至極のことじゃないかね。そやつらが姫様のご病気のことを知れば、すぐにでも利用するだろう」
「そうですか……」
スワンソンは、城の中でマリアス王女と平穏無事に暮らしてきたので、侍医の言葉がすぐには受け入れられぬ様子である。
そんなスワンソンの顔色を見て、ロッツコッド医師は、珍しくも茶化したように言い添える。
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