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その5
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早めの声変わりを迎えているのか、低い声でその少年が云った。ケシンは無言で顎を引き、許可を出す。それから横路と七尾に、用意しておいた席に座るよう促した。
件の少年は椅子を離れると、上座の教壇に立った。紺のブレザー姿がなかなか様になっている。教卓に両手を着き、堂々とした態度で口火を切る。
「俺は天野紳蔵。六年生。ケシン先生に教わり始めて、ちょうど二年になる」
七尾の座る位置から教卓まで、目測で三メートル強といったところか。手元が見えにくい距離ではない。教卓の上に敷かれた緑の布も、その光沢がよく分かった。
が、七尾は天野が最前やったように挙手をした。
「ここでお行儀よくしてないと、だめなの?」
「どういう意味だね?」
ケシンが微笑を浮かべる。このプロマジシャンは、部屋の上座の左手奥に腰を落ち着けていた。
「もっと近くから見てはだめなのかなってことです」
「私にではなく、天野君に聞いてみたまえ」
「――ということだけど」
台詞の繰り返しを面倒臭がったのか、七尾はそれだけ云うと天野へと向き直った。相手は強い調子で応じた。
「前からならどこから見てもいいさ。が、有能な人間ならば、今おまえがいる場所からでも見破るね」
「ふうん。じゃ、ここでいい」
意地の張り合いのようなやり取りの直後、天野は早速始めた。彼が教卓の下から取り出したのは、銅のような色をしたカップと黄色いボールが三つずつ。それと長さおよそ十センチのステッキ。ボールのサイズはピンポン球程度で、カップを被せれば楽に隠れる。
道具立てを見て、横路にはどんなマジックが始まるのか分かった。何度かテレビで見たことがあるし、小さい頃、祭の屋台で演じられていたのを見た記憶もある。ボールの上からカップを伏せて隠し、カップの中にボールがあるかと思ったら消え、ないはずのところから現れ、いつの間にか三つ揃う……そんな感じの演目だ。
相当な熟練を要するマジックのように思えるのだが、果たして小学生に演じられるものなのか。横路は付き添いで来たにも拘わらず、興味を抱いた。
天野が披露したのは横路の予想した通りのマジックで、“カップとボール”という通称がある。天野の演技は基本に忠実で、オーソドックスながらきれいに進んでいく。三つのカップそれぞれに一個ずつボールを隠した状態から始め、右に入れたはずのボールが消え、左を開けると二つになっていた。次は左右とも消えていて、真ん中に三つ揃って現れる。あるいはボールを一個ポケットに戻して、二個しか使っていないはずなのに、カップを開けるといつの間にか三個に戻っていたり、三個使っていたはずのボールがカップを重ねる内に全て見当たらなくなってしまったりと、徐々に不思議さを増していく。
そしてラスト。左右のカップを開いて空であることを見せると、伏せたままの真ん中のカップの底をステッキで叩き、注目させる。天野は横路や七尾の方を一瞥し、にやっと笑うと、カップの底に指を掛けて、ゆっくりと開けた。
「あ」
横路が年齢に似合わず、例によって間の抜けた声を上げる。無理もない。ボールが現れると思い込んでいたところへ、レモンが出現したのだから。
「このレモンは勿論、本物です」
天野が力を込めて皮を剥いた。確かにレモンの果肉が見える。それから、
「疑うのなら、手に取って調べてみてもいい」
と、挑戦的に七尾に言葉を投げた。
ところが、七尾は椅子から立とうともせず、頭に手をやった。
「あのさあ、非常に悪いんですけど……一体何が不思議だったの?」
「はあ?」
天野が表情を歪める。そのあと、しょうがねえなと見下すように小声で吐き捨てた。七尾への返事がすぐに出て来ないのは、呆れたからかもしれない。
彼の演技はほぼ無言で行われ、不思議さの説明はなかった。だが、目で追っていれば充分に理解できるはずである。
それとも、小学生には少々難しいのだろうか……横路はそんな不安を持った。
「不思議さが分からないとは、もう一遍やれって云うのか?」
レモンとステッキを握りしめ、声を荒げる天野に、七尾は首を横に振る。
「そうじゃなくて。レモンを入れたカップからレモンが出て来たって、ちっとも不思議じゃないわ」
「!?」
再び絶句した天野。だが、今度は先ほどとは違って、追い詰められている。
「カップやステッキを持った手の中に、うまいこと隠していたでしょ。ボールもレモンも。それを入れたり、引っ込めたりしてただけじゃない」
「……」
やや動揺の色の見えた視線が、七尾を離れ、ケシンへと向く。
天野の先生は、微かに笑って肩を竦めるだけで、何も云わなかった。
天野は七尾へ向き直るなり、叫んだ。
「お、思い付きで云うな!」
「思い付きじゃない。ちゃんと考えて、それしかないと思ったから、注意してたら、ちょろっと見えたときがあったもの」
「じゃ、じゃあ、もう一度やるから、ボールの位置を云い当ててみろ!」
天野は七尾の返事を待たず、がちゃがちゃと音を立てて、再演の準備に掛かる。そして合図も何もなく、たださっきとはがらりと変わって必死の形相で演じ始めた。
七尾はしばらく黙っていたが、一つため息をつくと、唐突に答え出す。
「今、左手に一個」「カップを伏せる瞬間に入れた」「あ、また入れた」「ボールをポケットに戻すふりをして、一個取り出した」「ステッキを持つ手に二個隠してる」「レモン取り出した……あ、入れた」という具合に、次々と云い当てていった。それが正しいことは、天野の顔色の変化で明白に分かった。
「どう? 当たってたんじゃない? 間違ってたら云ってよ。もう一回ぐらい、考える時間くれるんでしょ」
無邪気な口ぶりの七尾。本当に当たっているかどうか、彼女自身はまだ分かっていないようである。
台詞を無視するかのように道具を片付けた天野は、七尾をじろりと横目で睨みながら、舞台を降りた。奥歯を噛みしめているのが、遠目からでも分かる。
「いや、私は全然分からなかった。小学生とは思えない、素晴らしかった」
横路は場の空気を和ませるつもりで拍手をしたが、逆効果だったらしく、かえって白けてしまった。
件の少年は椅子を離れると、上座の教壇に立った。紺のブレザー姿がなかなか様になっている。教卓に両手を着き、堂々とした態度で口火を切る。
「俺は天野紳蔵。六年生。ケシン先生に教わり始めて、ちょうど二年になる」
七尾の座る位置から教卓まで、目測で三メートル強といったところか。手元が見えにくい距離ではない。教卓の上に敷かれた緑の布も、その光沢がよく分かった。
が、七尾は天野が最前やったように挙手をした。
「ここでお行儀よくしてないと、だめなの?」
「どういう意味だね?」
ケシンが微笑を浮かべる。このプロマジシャンは、部屋の上座の左手奥に腰を落ち着けていた。
「もっと近くから見てはだめなのかなってことです」
「私にではなく、天野君に聞いてみたまえ」
「――ということだけど」
台詞の繰り返しを面倒臭がったのか、七尾はそれだけ云うと天野へと向き直った。相手は強い調子で応じた。
「前からならどこから見てもいいさ。が、有能な人間ならば、今おまえがいる場所からでも見破るね」
「ふうん。じゃ、ここでいい」
意地の張り合いのようなやり取りの直後、天野は早速始めた。彼が教卓の下から取り出したのは、銅のような色をしたカップと黄色いボールが三つずつ。それと長さおよそ十センチのステッキ。ボールのサイズはピンポン球程度で、カップを被せれば楽に隠れる。
道具立てを見て、横路にはどんなマジックが始まるのか分かった。何度かテレビで見たことがあるし、小さい頃、祭の屋台で演じられていたのを見た記憶もある。ボールの上からカップを伏せて隠し、カップの中にボールがあるかと思ったら消え、ないはずのところから現れ、いつの間にか三つ揃う……そんな感じの演目だ。
相当な熟練を要するマジックのように思えるのだが、果たして小学生に演じられるものなのか。横路は付き添いで来たにも拘わらず、興味を抱いた。
天野が披露したのは横路の予想した通りのマジックで、“カップとボール”という通称がある。天野の演技は基本に忠実で、オーソドックスながらきれいに進んでいく。三つのカップそれぞれに一個ずつボールを隠した状態から始め、右に入れたはずのボールが消え、左を開けると二つになっていた。次は左右とも消えていて、真ん中に三つ揃って現れる。あるいはボールを一個ポケットに戻して、二個しか使っていないはずなのに、カップを開けるといつの間にか三個に戻っていたり、三個使っていたはずのボールがカップを重ねる内に全て見当たらなくなってしまったりと、徐々に不思議さを増していく。
そしてラスト。左右のカップを開いて空であることを見せると、伏せたままの真ん中のカップの底をステッキで叩き、注目させる。天野は横路や七尾の方を一瞥し、にやっと笑うと、カップの底に指を掛けて、ゆっくりと開けた。
「あ」
横路が年齢に似合わず、例によって間の抜けた声を上げる。無理もない。ボールが現れると思い込んでいたところへ、レモンが出現したのだから。
「このレモンは勿論、本物です」
天野が力を込めて皮を剥いた。確かにレモンの果肉が見える。それから、
「疑うのなら、手に取って調べてみてもいい」
と、挑戦的に七尾に言葉を投げた。
ところが、七尾は椅子から立とうともせず、頭に手をやった。
「あのさあ、非常に悪いんですけど……一体何が不思議だったの?」
「はあ?」
天野が表情を歪める。そのあと、しょうがねえなと見下すように小声で吐き捨てた。七尾への返事がすぐに出て来ないのは、呆れたからかもしれない。
彼の演技はほぼ無言で行われ、不思議さの説明はなかった。だが、目で追っていれば充分に理解できるはずである。
それとも、小学生には少々難しいのだろうか……横路はそんな不安を持った。
「不思議さが分からないとは、もう一遍やれって云うのか?」
レモンとステッキを握りしめ、声を荒げる天野に、七尾は首を横に振る。
「そうじゃなくて。レモンを入れたカップからレモンが出て来たって、ちっとも不思議じゃないわ」
「!?」
再び絶句した天野。だが、今度は先ほどとは違って、追い詰められている。
「カップやステッキを持った手の中に、うまいこと隠していたでしょ。ボールもレモンも。それを入れたり、引っ込めたりしてただけじゃない」
「……」
やや動揺の色の見えた視線が、七尾を離れ、ケシンへと向く。
天野の先生は、微かに笑って肩を竦めるだけで、何も云わなかった。
天野は七尾へ向き直るなり、叫んだ。
「お、思い付きで云うな!」
「思い付きじゃない。ちゃんと考えて、それしかないと思ったから、注意してたら、ちょろっと見えたときがあったもの」
「じゃ、じゃあ、もう一度やるから、ボールの位置を云い当ててみろ!」
天野は七尾の返事を待たず、がちゃがちゃと音を立てて、再演の準備に掛かる。そして合図も何もなく、たださっきとはがらりと変わって必死の形相で演じ始めた。
七尾はしばらく黙っていたが、一つため息をつくと、唐突に答え出す。
「今、左手に一個」「カップを伏せる瞬間に入れた」「あ、また入れた」「ボールをポケットに戻すふりをして、一個取り出した」「ステッキを持つ手に二個隠してる」「レモン取り出した……あ、入れた」という具合に、次々と云い当てていった。それが正しいことは、天野の顔色の変化で明白に分かった。
「どう? 当たってたんじゃない? 間違ってたら云ってよ。もう一回ぐらい、考える時間くれるんでしょ」
無邪気な口ぶりの七尾。本当に当たっているかどうか、彼女自身はまだ分かっていないようである。
台詞を無視するかのように道具を片付けた天野は、七尾をじろりと横目で睨みながら、舞台を降りた。奥歯を噛みしめているのが、遠目からでも分かる。
「いや、私は全然分からなかった。小学生とは思えない、素晴らしかった」
横路は場の空気を和ませるつもりで拍手をしたが、逆効果だったらしく、かえって白けてしまった。
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