【8話完結】魔力欠乏の義弟を救うため、魔族の末王子に嫁入りします

キノア9g

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第2話 兄としての決意と冷たい現実


 夜が明け、薄暗かった空が白んでいく頃、俺は村の出入り口に立っていた。
 背中には、眠ったままの優斗。その重みだけが、今の俺を現実に繋ぎ止めていた。

「本当に行くのかね? 悪いことは言わん。やめておきなさい」

 村の老婆が、心配そうに眉を寄せて俺を見上げている。
 俺は小さく頭を下げた。

「ええ。ここにいても、優斗は助からない。なら、行くしかないんです」

 手の中にあるのは、くすんだ銀貨が数枚と、いくつかの銅貨。
 義父の形見だったブランド物の腕時計と、着ていた学校指定のブレザー、それにスーパーの袋に入っていた食材のほとんどを村で売り払って得た、全財産だ。
 こちらの世界の貨幣価値はまだよくわからないが、村人の反応を見る限り、決して大金ではないことは確かだった。

「……無茶な子だねぇ。ほれ、これを持っていきな」

 老婆はため息をつきながら、古びた水筒と、干し肉のようなものを包んで渡してくれた。

「ありがとうございます。……行ってきます」

 俺はパーカーのフードを深く被り直し、優斗を背負い直すと、教えられた街道へと足を踏み出した。
 目指すは、山向こうにある城塞都市バルド。
 そこにしか、優斗を救う「魔石」はない。


 ◇◇◇

 道のりは、想像を絶する過酷さだった。
 舗装されていない土の道は凸凹していて歩きにくい。靴底の薄いローファーはすぐに悲鳴を上げ、足裏には豆がいくつも潰れて血が滲んでいるのがわかった。
 背中の優斗は五歳児とはいえ、長時間背負い続けるには重い。肩にリュックの紐代わりの布が食い込み、感覚が麻痺してくる。

「……はぁ、はぁ……」

 それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
 時折、背中から聞こえる優斗の呼吸音が、ヒュー、ヒューと弱々しくなるたび、俺の心臓は早鐘を打つ。

「大丈夫だ……もうすぐだからな。頑張れ、優斗」

 誰にともなく呟き、自分を奮い立たせる。
 すれ違う旅人や商人の馬車が、奇異なものを見る目で俺たちを見ていく。ボロボロのパーカーに、泥だらけのスラックス。背中にはぐったりした子供。どう見ても普通の旅人ではない。
 だが、そんな視線を気にしている余裕はなかった。

 太陽が中天に昇り、ジリジリと肌を焼き始めた頃。
 ようやく、視界の先に巨大な石造りの壁が見えてきた。

「あれが……バルド……」

 村とは比較にならないほど巨大な建造物。高い城壁に囲まれたその街は、まるで巨大な要塞のようだった。
 門には槍を持った兵士が立っていたが、身なりがボロボロすぎる俺たちを見て怪訝な顔をされたものの、通行税として銅貨を払うと、なんとか中に入れてもらえた。

 街の中は、活気に溢れていた。
 石畳の道路、煉瓦造りの建物。行き交う人々は、剣や杖を持った冒険者風の人間や、派手な服を着た商人たち。
 異世界のファンタジー映画の中に放り込まれたような光景だが、今の俺にはそれを楽しむ余裕はない。

「えっと、ギルド、冒険者ギルド……」

 通りがかりの人に頭を下げて場所を聞き、教えられた大きな建物へと向かう。
 重厚な木の扉を押し開けると、ムワッとした熱気と、酒と汗の匂いが鼻をついた。
 そこは、昼間だというのに大勢の荒くれ者たちでごった返していた。
 怒号のような笑い声、ジョッキをぶつけ合う音。
 俺が一歩足を踏み入れると、近くにいた男たちがギロリとこちらを見た。

「ああん? なんだあのガキ」
「ここはお子様の来るところじゃねえぞ」

 嘲笑うような声が飛んでくる。足がすくみそうになるが、背中の優斗の温もりが俺を支えた。
 俺は視線を床に向けたまま、一直線に受付カウンターへと向かった。
 カウンターの中にいたのは、赤毛をポニーテールにした女性職員だった。彼女は書類仕事をしていたが、俺が前に立つと、驚いたように顔を上げた。

「いらっしゃいませ……って、ちょっと君、どうしたのその格好!」
「あの、冒険者の登録をお願いします」

 俺は乾いた唇を開き、できるだけはっきりとした声で言った。
 受付の女性――名札には『アンナ』とある――は、目を丸くして俺と、背中の優斗を交互に見た。

「登録って……君、幾つ? それにその背中の子、顔色が真っ青じゃない!」
「十六です。弟が病気なんです。治すために魔石が必要で……自分で採りに行きたいんです」

 俺の言葉に、周囲の喧騒が少しだけ静まった。
 アンナさんは困惑したように眉を下げ、カウンターから身を乗り出した。

「十六歳なら、年齢制限はクリアしてるけど……でもね、君。装備も持たずに、そんな格好でダンジョンに入るなんて自殺行為よ。それに、弟さんの看病はどうするの?」
「それは……宿に預けて……」
「ダメよ。悪いことは言わないから、家に帰りなさい。魔石が欲しいなら、お金を貯めて買うべきだわ」

 正論だった。あまりにも真っ当な、大人の意見だ。
 でも、俺にはその「お金を貯める」ための時間がなかった。

「お金がないんです! それに、時間もないんです!」

 俺はカウンターに身を乗り出し、叫ぶように言った。

「弟は『魔力欠乏症』なんです! 魔石がないと、あと二日も持たないって言われたんです! 買うお金なんてない、だから自分で採りに行くしかないんです!」

 必死の叫び声が、ギルドの中に響き渡った。
 ざわめきが完全に止まる。荒くれ者たちの視線が、嘲笑から同情、あるいは呆れへと変わっていくのがわかった。

「魔力欠乏症……」

 アンナさんが息を呑む。彼女もその病気の厄介さを知っているようだった。
 彼女は悲しげに目を伏せ、それでも首を横に振った。

「……気持ちはわかるわ。でもね、だからこそ許可できない。素人の君がダンジョンに入れば、魔石を見つける前にモンスターの餌になるだけよ。そうしたら、弟さんは誰が守るの?」
「でも……っ! じゃあ、どうすればいいんですか! ここで指をくわえて、弟が死ぬのを見てろって言うんですか!?」

 涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
 わかってる。俺が無力なのはわかってる。
 でも、他に道がないんだ。
 誰か、誰か助けてくれよ。神様でも悪魔でもいい、優斗を助けてくれるなら、俺は何だって差し出すのに。

「……おい、邪魔だぞ小僧」

 その時だった。
 俺の背後から、地響きのような低い声が聞こえた。
 振り返ると、そこには壁のような男が立っていた。
 深い灰色のフードを目深に被っており、顔は見えない。だが、その体躯は周囲の冒険者よりも頭一つ分大きく、全身から発せられる威圧感は、ただ立っているだけで肌がヒリつくほどだった。
 周りの冒険者たちが、慌てて道を空けていく。

「あ……」

 俺が呆然としていると、男は俺を押しのけることもなく、静かに俺の横に並んだ。
 そして、太く大きな手を、俺の背中にいる優斗の方へ伸ばした。

「なっ……何をするんですか!」

 反射的に身を引こうとしたが、男の動きは見た目に反して恐ろしく早かった。
 大きな手が、優斗の額にそっと触れる。
 その瞬間。

 ――フォォン。

 男の手のひらから、淡い赤色の光が溢れ出した。
 温かく、それでいて力強い光の波動が、優斗の小さな体を包み込んでいく。

「……んぅ……」

 今まで苦しげに浅い呼吸を繰り返していた優斗の表情が、見る見るうちに穏やかになっていく。
 青白かった頬に赤みが戻り、強張っていた体がリラックスして脱力した。
 まるで、魔法だった。いや、これが本当の魔法なのだろう。

「ゆ、優斗……?」

 俺は震える手で優斗の頬に触れた。熱くない。呼吸も穏やかだ。
 男はゆっくりと手を離すと、興味なさそうに鼻を鳴らした。

「……一時的な処置だ。半日もすれば元に戻る」

 低く、腹の底に響く声。
 フードの奥から、鋭い視線が俺を射抜いている気配がした。

「あ、あの……! ありがとうございます! あなたは……」
「礼には及ばん。気まぐれだ」

 男は短くそう言うと、踵を返して出口の方へと歩き出した。
 俺は慌ててその背中に声をかけた。

「待ってください! どうすれば……どうすれば完全に治るんですか!?」

 男は足を止め、振り返ることはせずに答えた。

「そのガキの器は壊れている。ただ魔力を注ぐだけでは、ザルのように漏れ出していく。治したければ、莫大な魔力を常に供給し続けるしかない。……あるいは、魔素の濃い土地へ移り住むかだ」
「魔素の、濃い土地……」
「人間界(ここ)にはない場所だ。……諦めるか、あがくか。好きにしろ」

 それだけ言い残し、男は扉を開けて出て行ってしまった。
 風のように現れ、奇跡のように優斗の苦痛を取り除き去っていった謎の男。
 俺はその場に立ち尽くしていた。
 ギルドの中は、静まり返ったままだ。

 助かったわけじゃない。
 男は言った。「一時的な処置」だと。
 でも、優斗の寝顔は穏やかだ。少なくとも、今の苦しみは取り除かれた。
 それが、俺に考える時間をくれた。

「……あがきます」

 俺は小さく呟いた。
 誰に聞かせるわけでもない、自分への誓い。

「諦めてたまるか。絶対に、助けるんだ」

 俺は再びカウンターへ向き直り、アンナさんを真っ直ぐに見つめた。
 その目にはもう、さっきまでの涙はなかった。

「お願いします。登録させてください。装備も整えます。お金も、なんとかします。だから……優斗を助けるチャンスをください」

 俺の気迫に押されたのか、それとも謎の男の介入で空気が変わったのか。
 アンナさんは深いため息をつくと、諦めたように苦笑した。

「……わかったわ。その代わり、準備ができるまでは絶対にダンジョンには行かせないからね」
「はい!」

 アンナさんはギルドの奥に声をかけ、男手を数人呼んでくれた。
 彼らは口々に「無茶なガキだぜ」と悪態をつきながらも、俺のために宿の手配と、装備の貸し出しについて相談に乗ってくれることになった。
 ギルドの人々は、見た目は怖いが、根は悪い人たちではないらしい。

 俺は宿のベッドに優斗を寝かせ、その横顔を見つめた。
 あのフードの男――彼のおかげで、優斗は今夜を越せそうだ。
 だが、明日はどうなるかわからない。
 猶予はわずか。
 明日、俺は必ず魔石を手に入れなければならない。

 窓の外、異世界の月が二つ、不気味に輝いていた。
 俺は震える拳を握りしめ、眠れぬ夜を過ごすことになった。

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