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第2話 兄としての決意と冷たい現実
夜が明け、薄暗かった空が白んでいく頃、俺は村の出入り口に立っていた。
背中には、眠ったままの優斗。その重みだけが、今の俺を現実に繋ぎ止めていた。
「本当に行くのかね? 悪いことは言わん。やめておきなさい」
村の老婆が、心配そうに眉を寄せて俺を見上げている。
俺は小さく頭を下げた。
「ええ。ここにいても、優斗は助からない。なら、行くしかないんです」
手の中にあるのは、くすんだ銀貨が数枚と、いくつかの銅貨。
義父の形見だったブランド物の腕時計と、着ていた学校指定のブレザー、それにスーパーの袋に入っていた食材のほとんどを村で売り払って得た、全財産だ。
こちらの世界の貨幣価値はまだよくわからないが、村人の反応を見る限り、決して大金ではないことは確かだった。
「……無茶な子だねぇ。ほれ、これを持っていきな」
老婆はため息をつきながら、古びた水筒と、干し肉のようなものを包んで渡してくれた。
「ありがとうございます。……行ってきます」
俺はパーカーのフードを深く被り直し、優斗を背負い直すと、教えられた街道へと足を踏み出した。
目指すは、山向こうにある城塞都市バルド。
そこにしか、優斗を救う「魔石」はない。
◇◇◇
道のりは、想像を絶する過酷さだった。
舗装されていない土の道は凸凹していて歩きにくい。靴底の薄いローファーはすぐに悲鳴を上げ、足裏には豆がいくつも潰れて血が滲んでいるのがわかった。
背中の優斗は五歳児とはいえ、長時間背負い続けるには重い。肩にリュックの紐代わりの布が食い込み、感覚が麻痺してくる。
「……はぁ、はぁ……」
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
時折、背中から聞こえる優斗の呼吸音が、ヒュー、ヒューと弱々しくなるたび、俺の心臓は早鐘を打つ。
「大丈夫だ……もうすぐだからな。頑張れ、優斗」
誰にともなく呟き、自分を奮い立たせる。
すれ違う旅人や商人の馬車が、奇異なものを見る目で俺たちを見ていく。ボロボロのパーカーに、泥だらけのスラックス。背中にはぐったりした子供。どう見ても普通の旅人ではない。
だが、そんな視線を気にしている余裕はなかった。
太陽が中天に昇り、ジリジリと肌を焼き始めた頃。
ようやく、視界の先に巨大な石造りの壁が見えてきた。
「あれが……バルド……」
村とは比較にならないほど巨大な建造物。高い城壁に囲まれたその街は、まるで巨大な要塞のようだった。
門には槍を持った兵士が立っていたが、身なりがボロボロすぎる俺たちを見て怪訝な顔をされたものの、通行税として銅貨を払うと、なんとか中に入れてもらえた。
街の中は、活気に溢れていた。
石畳の道路、煉瓦造りの建物。行き交う人々は、剣や杖を持った冒険者風の人間や、派手な服を着た商人たち。
異世界のファンタジー映画の中に放り込まれたような光景だが、今の俺にはそれを楽しむ余裕はない。
「えっと、ギルド、冒険者ギルド……」
通りがかりの人に頭を下げて場所を聞き、教えられた大きな建物へと向かう。
重厚な木の扉を押し開けると、ムワッとした熱気と、酒と汗の匂いが鼻をついた。
そこは、昼間だというのに大勢の荒くれ者たちでごった返していた。
怒号のような笑い声、ジョッキをぶつけ合う音。
俺が一歩足を踏み入れると、近くにいた男たちがギロリとこちらを見た。
「ああん? なんだあのガキ」
「ここはお子様の来るところじゃねえぞ」
嘲笑うような声が飛んでくる。足がすくみそうになるが、背中の優斗の温もりが俺を支えた。
俺は視線を床に向けたまま、一直線に受付カウンターへと向かった。
カウンターの中にいたのは、赤毛をポニーテールにした女性職員だった。彼女は書類仕事をしていたが、俺が前に立つと、驚いたように顔を上げた。
「いらっしゃいませ……って、ちょっと君、どうしたのその格好!」
「あの、冒険者の登録をお願いします」
俺は乾いた唇を開き、できるだけはっきりとした声で言った。
受付の女性――名札には『アンナ』とある――は、目を丸くして俺と、背中の優斗を交互に見た。
「登録って……君、幾つ? それにその背中の子、顔色が真っ青じゃない!」
「十六です。弟が病気なんです。治すために魔石が必要で……自分で採りに行きたいんです」
俺の言葉に、周囲の喧騒が少しだけ静まった。
アンナさんは困惑したように眉を下げ、カウンターから身を乗り出した。
「十六歳なら、年齢制限はクリアしてるけど……でもね、君。装備も持たずに、そんな格好でダンジョンに入るなんて自殺行為よ。それに、弟さんの看病はどうするの?」
「それは……宿に預けて……」
「ダメよ。悪いことは言わないから、家に帰りなさい。魔石が欲しいなら、お金を貯めて買うべきだわ」
正論だった。あまりにも真っ当な、大人の意見だ。
でも、俺にはその「お金を貯める」ための時間がなかった。
「お金がないんです! それに、時間もないんです!」
俺はカウンターに身を乗り出し、叫ぶように言った。
「弟は『魔力欠乏症』なんです! 魔石がないと、あと二日も持たないって言われたんです! 買うお金なんてない、だから自分で採りに行くしかないんです!」
必死の叫び声が、ギルドの中に響き渡った。
ざわめきが完全に止まる。荒くれ者たちの視線が、嘲笑から同情、あるいは呆れへと変わっていくのがわかった。
「魔力欠乏症……」
アンナさんが息を呑む。彼女もその病気の厄介さを知っているようだった。
彼女は悲しげに目を伏せ、それでも首を横に振った。
「……気持ちはわかるわ。でもね、だからこそ許可できない。素人の君がダンジョンに入れば、魔石を見つける前にモンスターの餌になるだけよ。そうしたら、弟さんは誰が守るの?」
「でも……っ! じゃあ、どうすればいいんですか! ここで指をくわえて、弟が死ぬのを見てろって言うんですか!?」
涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
わかってる。俺が無力なのはわかってる。
でも、他に道がないんだ。
誰か、誰か助けてくれよ。神様でも悪魔でもいい、優斗を助けてくれるなら、俺は何だって差し出すのに。
「……おい、邪魔だぞ小僧」
その時だった。
俺の背後から、地響きのような低い声が聞こえた。
振り返ると、そこには壁のような男が立っていた。
深い灰色のフードを目深に被っており、顔は見えない。だが、その体躯は周囲の冒険者よりも頭一つ分大きく、全身から発せられる威圧感は、ただ立っているだけで肌がヒリつくほどだった。
周りの冒険者たちが、慌てて道を空けていく。
「あ……」
俺が呆然としていると、男は俺を押しのけることもなく、静かに俺の横に並んだ。
そして、太く大きな手を、俺の背中にいる優斗の方へ伸ばした。
「なっ……何をするんですか!」
反射的に身を引こうとしたが、男の動きは見た目に反して恐ろしく早かった。
大きな手が、優斗の額にそっと触れる。
その瞬間。
――フォォン。
男の手のひらから、淡い赤色の光が溢れ出した。
温かく、それでいて力強い光の波動が、優斗の小さな体を包み込んでいく。
「……んぅ……」
今まで苦しげに浅い呼吸を繰り返していた優斗の表情が、見る見るうちに穏やかになっていく。
青白かった頬に赤みが戻り、強張っていた体がリラックスして脱力した。
まるで、魔法だった。いや、これが本当の魔法なのだろう。
「ゆ、優斗……?」
俺は震える手で優斗の頬に触れた。熱くない。呼吸も穏やかだ。
男はゆっくりと手を離すと、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「……一時的な処置だ。半日もすれば元に戻る」
低く、腹の底に響く声。
フードの奥から、鋭い視線が俺を射抜いている気配がした。
「あ、あの……! ありがとうございます! あなたは……」
「礼には及ばん。気まぐれだ」
男は短くそう言うと、踵を返して出口の方へと歩き出した。
俺は慌ててその背中に声をかけた。
「待ってください! どうすれば……どうすれば完全に治るんですか!?」
男は足を止め、振り返ることはせずに答えた。
「そのガキの器は壊れている。ただ魔力を注ぐだけでは、ザルのように漏れ出していく。治したければ、莫大な魔力を常に供給し続けるしかない。……あるいは、魔素の濃い土地へ移り住むかだ」
「魔素の、濃い土地……」
「人間界(ここ)にはない場所だ。……諦めるか、あがくか。好きにしろ」
それだけ言い残し、男は扉を開けて出て行ってしまった。
風のように現れ、奇跡のように優斗の苦痛を取り除き去っていった謎の男。
俺はその場に立ち尽くしていた。
ギルドの中は、静まり返ったままだ。
助かったわけじゃない。
男は言った。「一時的な処置」だと。
でも、優斗の寝顔は穏やかだ。少なくとも、今の苦しみは取り除かれた。
それが、俺に考える時間をくれた。
「……あがきます」
俺は小さく呟いた。
誰に聞かせるわけでもない、自分への誓い。
「諦めてたまるか。絶対に、助けるんだ」
俺は再びカウンターへ向き直り、アンナさんを真っ直ぐに見つめた。
その目にはもう、さっきまでの涙はなかった。
「お願いします。登録させてください。装備も整えます。お金も、なんとかします。だから……優斗を助けるチャンスをください」
俺の気迫に押されたのか、それとも謎の男の介入で空気が変わったのか。
アンナさんは深いため息をつくと、諦めたように苦笑した。
「……わかったわ。その代わり、準備ができるまでは絶対にダンジョンには行かせないからね」
「はい!」
アンナさんはギルドの奥に声をかけ、男手を数人呼んでくれた。
彼らは口々に「無茶なガキだぜ」と悪態をつきながらも、俺のために宿の手配と、装備の貸し出しについて相談に乗ってくれることになった。
ギルドの人々は、見た目は怖いが、根は悪い人たちではないらしい。
俺は宿のベッドに優斗を寝かせ、その横顔を見つめた。
あのフードの男――彼のおかげで、優斗は今夜を越せそうだ。
だが、明日はどうなるかわからない。
猶予はわずか。
明日、俺は必ず魔石を手に入れなければならない。
窓の外、異世界の月が二つ、不気味に輝いていた。
俺は震える拳を握りしめ、眠れぬ夜を過ごすことになった。
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