【8話完結】魔力欠乏の義弟を救うため、魔族の末王子に嫁入りします

キノア9g

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第3話 泥だらけの採掘と絶体絶命


 翌朝。宿の窓から差し込む光が、埃っぽい室内を照らし出した。
 俺はベッドの脇で、優斗の寝顔を見下ろしていた。
 あのフードの男――グレンと呼ばれていたか――の処置のおかげで、優斗の呼吸はまだ安定している。頬には血色が差し、昨日のような死相は消えていた。
 だが、これは一時的な魔法だと言われた。魔法が解ければ、またあの苦しみが襲ってくる。
 時間がない。

「行ってくるよ、優斗」

 俺は眠っている優斗の小さなおでこに、そっと自分の額を押し当てた。
 柔らかくて温かい。この体温を守るためなら、俺は何だってできる。恐怖なんて、この温もりが消える怖さに比べればチリのようなものだ。

 俺は部屋を出て、宿の女将さんに頭を下げた。
 女将さんは恰幅の良い中年女性で、俺たちの事情をギルド経由で聞いているらしい。

「あの子のことは任せておきな。ご飯も食べさせておくし、様子がおかしくなったらすぐに人を呼ぶから」
「ありがとうございます。……あの、これ」

 俺は、なけなしの銅貨数枚をカウンターに置いた。これで、優斗の温かいスープ代くらいにはなるはずだ。自分の昼食代など残すつもりはなかった。

「……バカだねぇ、あんたは。出世払いでいいって言ってるのに」
「いえ、払わせてください。必ず戻ってきますから」

 そう言い切って、俺は宿を後にした。


 ◇◇◇
          
 冒険者ギルドは、朝から活気づいていた。
 俺が受付に向かうと、アンナさんがすでに書類を用意して待っていた。その顔には、隠しきれない不安が張り付いている。

「おはよう、湊くん。……本当に行くのね?」
「はい。装備を貸してください」
「これにサインして。装備のレンタル料と、ポーション代、その他諸々……ギルドからの借金という形になるわ」

 提示された羊皮紙には、読めない文字が並んでいたが、アンナさんが読み上げてくれた金額は、今の俺が逆立ちしても払えない額だった。
 もし生きて戻れなければ、あるいは魔石が採れなければ、俺はどうなるのだろう。奴隷として売られるのか、一生牢屋の中か。
 だが、俺は迷わずペンを取り、震える手で『Minato』とサインした。

「契約成立ね。……ついてきて」

 裏の倉庫に通され、渡されたのは古びた革の胸当てと、刃こぼれしたショートソード、そして重たいつるはしだった。
 どれも使い古されていて、革の匂いと鉄の錆びた匂いが染み付いている。

「いい? 湊くんが向かうのはダンジョンの『第一層』。初心者向けだけど、それでも魔物は出るわ。魔石は壁や地面に埋まっているから、魔力を感じ取って掘るの。……と言っても、魔法が使えないなら勘で掘るしかないわね」
「勘、ですか……」
「そう。キラキラ光る場所や、空気が少し違う場所を探して。……絶対に、無理はしないで。危ないと思ったら走って逃げること。約束よ」

 アンナさんは、俺の手に小さな小瓶を押し付けた。下級ポーションだと言う。
 彼女の指先が震えているのがわかった。見ず知らずの異世界人のために、ここまで心配してくれる人がいる。その事実に、胸が熱くなる。

「行ってきます。必ず、魔石を持って帰ります」

 俺はつるはしを背負い、剣を腰に差した。
 重い。
 その重さが、命の重さだと言い聞かせて、俺は街の北側にある巨大な洞窟――ダンジョンの入り口へと向かった。


 ◇◇◇

 ダンジョンの中は、ひんやりとした冷気に満ちていた。
 入り口付近はまだ外の光が届いていたが、少し進むと完全な闇になった。入り口で借りた魔導ランタンの淡い光だけが頼りだ。
 コツン、コツン。
 自分の足音が反響して、どこまでも響いていく。
 壁は湿っていて、所々に苔が生えている。空気は澱んでいて、カビと土の匂いが充満していた。

「……よし」

 俺は第一層の、少し開けた場所で足を止めた。
 他の冒険者たちはもっと奥へ進んでいくが、俺には戦闘能力がない。入り口に近い場所で、おこぼれを探すしかないのだ。
 壁を見渡す。
 どこにでもあるただの岩壁に見える。だが、アンナさんは「勘で掘れ」と言っていた。
 俺はランタンを地面に置き、つるはしを構えた。
 思った以上に重い。これを振り上げるだけで、痩せっぽちの俺の腕は悲鳴を上げる。

「えいっ!」

 ガキンッ!
 鈍い音とともに、火花が散った。
 硬い。コンクリートを叩いているような硬さだ。手のひらにビリビリと衝撃が走り、骨がきしむ。
 削れたのは、ほんの表面のわずかな欠片だけ。

「こんなの……っ、でも、やるしかない!」

 俺は歯を食いしばり、何度も、何度もつるはしを振り下ろした。
 ガッ、ガキン、ゴッ。
 単調な音が洞窟内に響く。
 十分も経たないうちに、息が上がった。汗が吹き出し、目に入って染みる。
 手のひらの皮がめくれ、血が滲んでくるのがわかった。つるはしの柄が血で滑る。

「はぁ……はぁ……優斗……待ってろ……」

 休憩なんてしている暇はない。
 一回つるはしを振るうたびに、優斗の命が繋がると信じて。
 俺は無心で壁を叩き続けた。

 一時間、二時間。
 何も出ない。ただの石ころと土が出るだけだ。
 通りかかった冒険者たちが、「おいおい、そんな入り口で掘ってどうすんだ?」「物好きなガキだな」と笑って通り過ぎていく。
 悔しさと情けなさで視界が歪む。
 わかってるよ。俺が一番わかってる。こんな効率の悪いやり方じゃダメだってことくらい。
 でも、俺にはこれしかできないんだ。

 場所を変えよう。
 俺は重い体を引きずり、少し奥へと進んだ。
 薄暗い通路の先。ふと、空気が変わったような気がした。
 湿度が少し下がり、肌を撫でる風が微かに温かい。
 壁の一部が、ランタンの光を反射して微かに光ったように見えた。

「……あそこか?」

 吸い寄せられるように近づき、壁に触れる。冷たい岩肌の中で、そこだけほんのりと温かい気がする。
 俺は震える手でつるはしを構えた。
 渾身の力で振り下ろす。

 ガキンッ! ボロッ。

 大きな岩の塊が崩れ落ちた。
 その奥に、淡い水色の光が見えた。
 俺は慌ててつるはしを捨て、泥だらけの手で土を掻き出した。
 指先が切れて血が出ても構わない。爪の間に土が入る痛みもどうでもいい。
 ポロリ、と。
 小指の先ほどの、小さな結晶が掌に転がり落ちた。

「あった……!」

 それは、透き通るような水色をした、本当に小さな魔石だった。
 クズ魔石と呼ばれるような、価値の低いものかもしれない。
 それでも、それは確かに魔力を秘めて輝いていた。
 俺にとっては、どんな宝石よりも美しい希望の光だった。

「優斗、あったよ……! これがあれば、もう少しだけ時間が稼げる!」

 涙が溢れて止まらなかった。
 泥と血と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、俺はその小さな石を胸に抱きしめた。
 たった一個。でも、ゼロじゃない。
 これを優斗に与えれば、数日間くらいは楽になるかもしれない。
 希望が見えた。そう思った瞬間だった。

 ――グルルルルゥ……。

 背筋が凍りつくような低い唸り声が、すぐ背後から聞こえた。
 喜びが一瞬で氷解し、全身の血が逆流する。
 恐る恐る振り返ると、闇の中から二つの赤い光が浮かび上がっていた。
 ランタンの光が、その姿を映し出す。

 体長は大型犬ほどもあるだろうか。黒い体毛に覆われ、口からはダラダラと涎を垂らした、狼のような魔物。
 『ブラックウルフ』。
 第一層に現れる魔物の中では、群れをなさずとも凶暴な部類だ。

「あ……」

 声が出ない。
 足がすくんで動かない。
 殺気。明確な「捕食」の意志が、俺に向けられている。
 逃げなきゃ。アンナさんとの約束。「危ないと思ったら走って逃げること」。
 でも、体は石になったように動かない。

 ウルフが、ゆっくりと姿勢を低くした。
 飛びかかってくる予備動作だ。
 俺の手には、ショートソードがある。でも、剣道の経験すらない俺に、何ができる?
 いや、そもそも腰の剣を抜くことすら忘れていた。

「……だめ、だ……」

 死ぬ。殺される。
 その恐怖が頭を支配する。
 だが、次の瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、優斗の笑顔だった。
 『にーちゃん、だいすき』
 あのあどけない声。温かい手。

(この魔石を……取られるわけにはいかない)

 俺は咄嗟に、魔石を握りしめたまま体を丸め、背中を向けた。
 戦うことも、逃げることもできないなら。
 せめて、この石だけは守らなきゃ。
 俺が食われている間に、誰かが通りかかって、この石を拾ってくれるかもしれない。遺品の中に、これがあれば。
 そんな馬鹿げた、ほとんど不可能な思考が巡る。

「うああああああああっ!!」

 俺は叫びながら、亀のようにうずくまった。
 直後、ドンッ! という衝撃が背中を襲った。
 鋭い牙が、安物の革鎧ごと俺の肩に食い込む感覚。
 熱い。痛い。
 肉が裂け、骨がきしむ音が耳元で聞こえる。

「ぐっ、うぅうううっ!!」

 激痛に目の前が真っ白になる。
 獣の生臭い息がかかる。
 もう一度噛まれたら、首を持っていかれる。
 死ぬんだ。俺は、ここで死ぬんだ。
 ごめん、優斗。ごめん、母さん。
 約束、守れなくてごめん。
 豚汁、作ってやれなくてごめん。

 意識が遠のきかけたその時。
 ふと、昨日の男の声が蘇った。

 『諦めるか、あがくか』

(あがく……俺は、あがくんだ……!)

 俺は霞む視界の中で、魔石を握りしめたままの手で、腰の剣に手を伸ばした。
 抜けない。手が震えて力が入らない。
 それでも、諦めたくなかった。
 ただの高校生で、何の力もない俺だけど。
 大切な家族のために、命を燃やすんだ。

 ウルフが喉笛を狙って大きく口を開けたのが、スローモーションのように見えた。
 俺は、終わりの時を覚悟して、きつく目を閉じた。

 ――その時。

 ドォォォォォォン!!

 凄まじい爆音とともに、洞窟全体が揺れた。
 俺に食らいつこうとしていたウルフの気配が、一瞬にして消し飛んだ。
 代わりに、強烈な熱風が俺の頬を撫でていく。
 痛みが引いていくような、不思議な感覚。
 恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 俺を襲っていたはずのウルフは跡形もなく消え失せ、壁が大きくえぐれていた。
 そして、舞い上がる土煙の向こうから、一人の男が歩いてくる。
 深々とフードを被った、あの巨躯。

「……まったく。見ていられんな」

 呆れたような、しかしどこか安堵したような声。
 俺は薄れゆく意識の中で、その姿を見上げた。

「……あ……な、た……は……」

 そこで、俺の意識はプツリと途切れた。
 最後に感じたのは、硬い岩の感触ではなく、誰かの太く逞しい腕に抱き止められる温もりだった。

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