3 / 8
第3話 泥だらけの採掘と絶体絶命
しおりを挟む翌朝。宿の窓から差し込む光が、埃っぽい室内を照らし出した。
俺はベッドの脇で、優斗の寝顔を見下ろしていた。
あのフードの男――グレンと呼ばれていたか――の処置のおかげで、優斗の呼吸はまだ安定している。頬には血色が差し、昨日のような死相は消えていた。
だが、これは一時的な魔法だと言われた。魔法が解ければ、またあの苦しみが襲ってくる。
時間がない。
「行ってくるよ、優斗」
俺は眠っている優斗の小さなおでこに、そっと自分の額を押し当てた。
柔らかくて温かい。この体温を守るためなら、俺は何だってできる。恐怖なんて、この温もりが消える怖さに比べればチリのようなものだ。
俺は部屋を出て、宿の女将さんに頭を下げた。
女将さんは恰幅の良い中年女性で、俺たちの事情をギルド経由で聞いているらしい。
「あの子のことは任せておきな。ご飯も食べさせておくし、様子がおかしくなったらすぐに人を呼ぶから」
「ありがとうございます。……あの、これ」
俺は、なけなしの銅貨数枚をカウンターに置いた。これで、優斗の温かいスープ代くらいにはなるはずだ。自分の昼食代など残すつもりはなかった。
「……バカだねぇ、あんたは。出世払いでいいって言ってるのに」
「いえ、払わせてください。必ず戻ってきますから」
そう言い切って、俺は宿を後にした。
◇◇◇
冒険者ギルドは、朝から活気づいていた。
俺が受付に向かうと、アンナさんがすでに書類を用意して待っていた。その顔には、隠しきれない不安が張り付いている。
「おはよう、湊くん。……本当に行くのね?」
「はい。装備を貸してください」
「これにサインして。装備のレンタル料と、ポーション代、その他諸々……ギルドからの借金という形になるわ」
提示された羊皮紙には、読めない文字が並んでいたが、アンナさんが読み上げてくれた金額は、今の俺が逆立ちしても払えない額だった。
もし生きて戻れなければ、あるいは魔石が採れなければ、俺はどうなるのだろう。奴隷として売られるのか、一生牢屋の中か。
だが、俺は迷わずペンを取り、震える手で『Minato』とサインした。
「契約成立ね。……ついてきて」
裏の倉庫に通され、渡されたのは古びた革の胸当てと、刃こぼれしたショートソード、そして重たいつるはしだった。
どれも使い古されていて、革の匂いと鉄の錆びた匂いが染み付いている。
「いい? 湊くんが向かうのはダンジョンの『第一層』。初心者向けだけど、それでも魔物は出るわ。魔石は壁や地面に埋まっているから、魔力を感じ取って掘るの。……と言っても、魔法が使えないなら勘で掘るしかないわね」
「勘、ですか……」
「そう。キラキラ光る場所や、空気が少し違う場所を探して。……絶対に、無理はしないで。危ないと思ったら走って逃げること。約束よ」
アンナさんは、俺の手に小さな小瓶を押し付けた。下級ポーションだと言う。
彼女の指先が震えているのがわかった。見ず知らずの異世界人のために、ここまで心配してくれる人がいる。その事実に、胸が熱くなる。
「行ってきます。必ず、魔石を持って帰ります」
俺はつるはしを背負い、剣を腰に差した。
重い。
その重さが、命の重さだと言い聞かせて、俺は街の北側にある巨大な洞窟――ダンジョンの入り口へと向かった。
◇◇◇
ダンジョンの中は、ひんやりとした冷気に満ちていた。
入り口付近はまだ外の光が届いていたが、少し進むと完全な闇になった。入り口で借りた魔導ランタンの淡い光だけが頼りだ。
コツン、コツン。
自分の足音が反響して、どこまでも響いていく。
壁は湿っていて、所々に苔が生えている。空気は澱んでいて、カビと土の匂いが充満していた。
「……よし」
俺は第一層の、少し開けた場所で足を止めた。
他の冒険者たちはもっと奥へ進んでいくが、俺には戦闘能力がない。入り口に近い場所で、おこぼれを探すしかないのだ。
壁を見渡す。
どこにでもあるただの岩壁に見える。だが、アンナさんは「勘で掘れ」と言っていた。
俺はランタンを地面に置き、つるはしを構えた。
思った以上に重い。これを振り上げるだけで、痩せっぽちの俺の腕は悲鳴を上げる。
「えいっ!」
ガキンッ!
鈍い音とともに、火花が散った。
硬い。コンクリートを叩いているような硬さだ。手のひらにビリビリと衝撃が走り、骨がきしむ。
削れたのは、ほんの表面のわずかな欠片だけ。
「こんなの……っ、でも、やるしかない!」
俺は歯を食いしばり、何度も、何度もつるはしを振り下ろした。
ガッ、ガキン、ゴッ。
単調な音が洞窟内に響く。
十分も経たないうちに、息が上がった。汗が吹き出し、目に入って染みる。
手のひらの皮がめくれ、血が滲んでくるのがわかった。つるはしの柄が血で滑る。
「はぁ……はぁ……優斗……待ってろ……」
休憩なんてしている暇はない。
一回つるはしを振るうたびに、優斗の命が繋がると信じて。
俺は無心で壁を叩き続けた。
一時間、二時間。
何も出ない。ただの石ころと土が出るだけだ。
通りかかった冒険者たちが、「おいおい、そんな入り口で掘ってどうすんだ?」「物好きなガキだな」と笑って通り過ぎていく。
悔しさと情けなさで視界が歪む。
わかってるよ。俺が一番わかってる。こんな効率の悪いやり方じゃダメだってことくらい。
でも、俺にはこれしかできないんだ。
場所を変えよう。
俺は重い体を引きずり、少し奥へと進んだ。
薄暗い通路の先。ふと、空気が変わったような気がした。
湿度が少し下がり、肌を撫でる風が微かに温かい。
壁の一部が、ランタンの光を反射して微かに光ったように見えた。
「……あそこか?」
吸い寄せられるように近づき、壁に触れる。冷たい岩肌の中で、そこだけほんのりと温かい気がする。
俺は震える手でつるはしを構えた。
渾身の力で振り下ろす。
ガキンッ! ボロッ。
大きな岩の塊が崩れ落ちた。
その奥に、淡い水色の光が見えた。
俺は慌ててつるはしを捨て、泥だらけの手で土を掻き出した。
指先が切れて血が出ても構わない。爪の間に土が入る痛みもどうでもいい。
ポロリ、と。
小指の先ほどの、小さな結晶が掌に転がり落ちた。
「あった……!」
それは、透き通るような水色をした、本当に小さな魔石だった。
クズ魔石と呼ばれるような、価値の低いものかもしれない。
それでも、それは確かに魔力を秘めて輝いていた。
俺にとっては、どんな宝石よりも美しい希望の光だった。
「優斗、あったよ……! これがあれば、もう少しだけ時間が稼げる!」
涙が溢れて止まらなかった。
泥と血と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、俺はその小さな石を胸に抱きしめた。
たった一個。でも、ゼロじゃない。
これを優斗に与えれば、数日間くらいは楽になるかもしれない。
希望が見えた。そう思った瞬間だった。
――グルルルルゥ……。
背筋が凍りつくような低い唸り声が、すぐ背後から聞こえた。
喜びが一瞬で氷解し、全身の血が逆流する。
恐る恐る振り返ると、闇の中から二つの赤い光が浮かび上がっていた。
ランタンの光が、その姿を映し出す。
体長は大型犬ほどもあるだろうか。黒い体毛に覆われ、口からはダラダラと涎を垂らした、狼のような魔物。
『ブラックウルフ』。
第一層に現れる魔物の中では、群れをなさずとも凶暴な部類だ。
「あ……」
声が出ない。
足がすくんで動かない。
殺気。明確な「捕食」の意志が、俺に向けられている。
逃げなきゃ。アンナさんとの約束。「危ないと思ったら走って逃げること」。
でも、体は石になったように動かない。
ウルフが、ゆっくりと姿勢を低くした。
飛びかかってくる予備動作だ。
俺の手には、ショートソードがある。でも、剣道の経験すらない俺に、何ができる?
いや、そもそも腰の剣を抜くことすら忘れていた。
「……だめ、だ……」
死ぬ。殺される。
その恐怖が頭を支配する。
だが、次の瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、優斗の笑顔だった。
『にーちゃん、だいすき』
あのあどけない声。温かい手。
(この魔石を……取られるわけにはいかない)
俺は咄嗟に、魔石を握りしめたまま体を丸め、背中を向けた。
戦うことも、逃げることもできないなら。
せめて、この石だけは守らなきゃ。
俺が食われている間に、誰かが通りかかって、この石を拾ってくれるかもしれない。遺品の中に、これがあれば。
そんな馬鹿げた、ほとんど不可能な思考が巡る。
「うああああああああっ!!」
俺は叫びながら、亀のようにうずくまった。
直後、ドンッ! という衝撃が背中を襲った。
鋭い牙が、安物の革鎧ごと俺の肩に食い込む感覚。
熱い。痛い。
肉が裂け、骨がきしむ音が耳元で聞こえる。
「ぐっ、うぅうううっ!!」
激痛に目の前が真っ白になる。
獣の生臭い息がかかる。
もう一度噛まれたら、首を持っていかれる。
死ぬんだ。俺は、ここで死ぬんだ。
ごめん、優斗。ごめん、母さん。
約束、守れなくてごめん。
豚汁、作ってやれなくてごめん。
意識が遠のきかけたその時。
ふと、昨日の男の声が蘇った。
『諦めるか、あがくか』
(あがく……俺は、あがくんだ……!)
俺は霞む視界の中で、魔石を握りしめたままの手で、腰の剣に手を伸ばした。
抜けない。手が震えて力が入らない。
それでも、諦めたくなかった。
ただの高校生で、何の力もない俺だけど。
大切な家族のために、命を燃やすんだ。
ウルフが喉笛を狙って大きく口を開けたのが、スローモーションのように見えた。
俺は、終わりの時を覚悟して、きつく目を閉じた。
――その時。
ドォォォォォォン!!
凄まじい爆音とともに、洞窟全体が揺れた。
俺に食らいつこうとしていたウルフの気配が、一瞬にして消し飛んだ。
代わりに、強烈な熱風が俺の頬を撫でていく。
痛みが引いていくような、不思議な感覚。
恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
俺を襲っていたはずのウルフは跡形もなく消え失せ、壁が大きくえぐれていた。
そして、舞い上がる土煙の向こうから、一人の男が歩いてくる。
深々とフードを被った、あの巨躯。
「……まったく。見ていられんな」
呆れたような、しかしどこか安堵したような声。
俺は薄れゆく意識の中で、その姿を見上げた。
「……あ……な、た……は……」
そこで、俺の意識はプツリと途切れた。
最後に感じたのは、硬い岩の感触ではなく、誰かの太く逞しい腕に抱き止められる温もりだった。
155
あなたにおすすめの小説
【8話完結】勇者召喚の魔法使いに選ばれた俺は、勇者が嫌い。
キノア9g
BL
勇者召喚の犠牲となった家族——
魔法使いだった両親を失い、憎しみに染まった少年は、人を疑いながら生きてきた。
そんな彼が、魔法使いとして勇者召喚の儀に参加させられることになる。
召喚の儀——それは、多くの魔法使いの命を消費する狂気の儀式。
瀕死になりながら迎えた召喚の瞬間、現れたのは——スーツ姿の日本人だった。
勇者を嫌わなければならない。
それなのに、彼の孤独に共感し、手を差し伸べてしまう。
許されない関係。揺れる想い。
憎しみと運命の狭間で、二人は何を選ぶのか——。
「だけど俺は勇者が嫌いだ。嫌いでなければならない。」
運命に翻弄される勇者と魔法使いの、切ない恋の物語。
全8話。2025/07/28加筆修正済み。
【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。
キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。
しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。
迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。
手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。
これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。
──運命なんて、信じていなかった。
けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。
全8話。
偽りの聖者と泥の国
篠雨
BL
「感謝すら忘れた者たちに、明日を語る資格はない」
自らの都合で聖王セシルを追放し、異世界から新たな「勇者」を召喚したアドレアン聖王国。
しかし、その身勝手な選択が、国を、大地を、そして人々の心を根底から腐らせていく。
壊れゆく少年勇者と、彼を歪に愛した騎士。
二人の執着が交わったとき、聖王国は二度と再生不能な終焉へと突き進む。
裏切り者たちには、因果応報という名の、容赦なき報いが下る。
これは、傲慢な国が崩壊するまでの、無慈悲な記録。
-----------------------------------------
『嘘つき王と影の騎士』から引き続き読んでくださる皆様へ
この物語は、セシルを虐げた者たちが、ただただ因果応報の末路を辿るだけの物語です。
本編に救いはありません。
セシルたちのその後が気になるという方は、本編は飛ばして、最終話の後に掲載する「閑話」のみをお読みいただくことをお勧めいたします。
本作は『嘘つき王と影の騎士』の続編となりますが、前作をお読みでない方でも一つの物語としてお楽しみいただけます。
【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!
キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!?
あらすじ
「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」
前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。
今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。
お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。
顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……?
「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」
「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」
スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!?
しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。
【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】
「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」
四天王一の最弱ゴブリンですが、何故か勇者に求婚されています
書鈴 夏(ショベルカー)
BL
「アイツは四天王一の最弱」と呼ばれるポジションにいるゴブリンのオルディナ。
とうとう現れた勇者と対峙をしたが──なぜか求婚されていた。倒すための作戦かと思われたが、その愛おしげな瞳は嘘を言っているようには見えなくて──
「運命だ。結婚しよう」
「……敵だよ?」
「ああ。障壁は付き物だな」
勇者×ゴブリン
超短編BLです。
悪役令嬢と呼ばれた侯爵家三男は、隣国皇子に愛される
木月月
BL
貴族学園に通う主人公、シリル。ある日、ローズピンクな髪が特徴的な令嬢にいきなりぶつかられ「悪役令嬢」と指を指されたが、シリルはれっきとした男。令嬢ではないため無視していたら、学園のエントランスの踊り場の階段から突き落とされる。骨折や打撲を覚悟してたシリルを抱き抱え助けたのは、隣国からの留学生で同じクラスに居る第2皇子殿下、ルシアン。シリルの家の侯爵家にホームステイしている友人でもある。シリルを突き落とした令嬢は「その人、悪役令嬢です!離れて殿下!」と叫び、ルシアンはシリルを「護るべきものだから、守った」といい始めーー
※この話は小説家になろうにも掲載しています。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
運悪く放課後に屯してる不良たちと一緒に転移に巻き込まれた俺、到底馴染めそうにないのでソロで無双する事に決めました。~なのに何故かついて来る…
こまの ととと
BL
『申し訳ございませんが、皆様には今からこちらへと来て頂きます。強制となってしまった事、改めて非礼申し上げます』
ある日、教室中に響いた声だ。
……この言い方には語弊があった。
正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。
テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。
問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。
*当作品はカクヨム様でも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる