8 / 8
第8話: ご案内します、僕たちのハッピーエンドへ
しおりを挟むその日のアルカディア王国は、雲ひとつない快晴に恵まれていた。
王都の大聖堂には、朝から鐘の音が鳴り響いている。
国中が注目する、「世紀の結婚式」の始まりだ。
新郎の一人は、史上最年少で『賢者』の称号を得ようとしている天才魔術師、クライヴ・オルステッド。
そしてもう一人は、不治の病とされた『白灰病』の特効薬を共同開発し、多くの命を救った薬師、ノア・ベルベット。
控え室の鏡の前で、僕は深呼吸を繰り返していた。
純白の礼服。胸元には、クライヴさんの瞳と同じ黄金色の胸飾りの花。
鏡に映る自分は、かつて死にかけていた時の蒼白さはなく、紅潮した健康的な頬をしている。
「……落ち着け、僕。転ばないようにしなきゃ」
緊張で指先が震える。
前の人生での結婚は、書類一枚を提出しただけの、事務的なものだった。式なんて挙げていないし、誰かに祝われることもなかった。
だから、こんなふうに晴れやかな場所に立つのは、生まれて初めてのことなのだ。
「ノア様! ううっ、綺麗です……本当に、お綺麗ですぅ……!」
背後で、従者のルカがまた泣いていた。彼は今日だけですでにハンカチを三枚も濡らしている。
「ありがとう、ルカ。……君がいなかったら、今日のこの日はなかったよ」
「そんな……俺はただ、手紙を届けただけで……うわぁぁん!」
「泣きすぎだってば」
苦笑しながら、僕はルカの肩を叩いた。
あの日、彼が僕の言いつけを破って走ってくれなかったら。僕は今頃、冷たい灰になって土の下にいただろう。
生きていてよかった。心からそう思う。
コンコン、と控えめなノックの後、ドアが開いた。
「準備はいいか、ノア」
入ってきた人物を見て、僕は息を呑んだ。
漆黒の礼服に身を包み、髪を綺麗に撫でつけたクライヴさんが立っていた。
その立ち姿は、ため息が出るほど美しい。鋭い黄金の瞳が、今はとろけるほど甘く僕を見つめている。
「……クライヴ、さん」
「入るなと言われたが、待ちきれなくてな」
彼は悪戯っぽく笑い、僕の元へと歩み寄る。
そして、跪いて僕の手を取った。
「美しいよ、ノア。……俺にはもったいないくらいだ」
「そ、そんなことないです。僕の方こそ……」
「いいや、お前が一番だ。世界中の誰よりも」
彼は僕の手の甲に口づけを落とす。
この数ヶ月、彼は片時も僕を離さず、隙あらばこうして愛を囁いてくる。
前の人生での「冷徹な魔術師」の仮面はどこへやら、今の彼は正真正銘の「溺愛夫」だった。
「さあ、行こうか。みんなが待っている」
差し出された大きな手。
森の井戸端で強く握りしめたその手を、僕はもう一度しっかりと握り返した。
◇◇◇
大聖堂の扉が開くと、眩い光と共に、割れんばかりの拍手と歓声が降り注いだ。
聖堂のオルガンの荘厳な音色が響き渡る。
中央通路を歩く僕たちの足元には、真っ白な花びらが敷き詰められていた。
参列席の最前列には、エレナ様の姿があった。
彼女は隣国の婚約者と並び、満面の笑みで拍手を送ってくれている。僕と目が合うと、彼女は口の動きだけで『お幸せに』と告げてくれた。
僕も小さく会釈で返す。
もう、僕たちの間にわだかまりはない。
祭壇の前。
神父様の言葉に続き、僕たちは誓いの言葉を交わす。
「クライヴ・オルステッド。あなたは、健やかなる時も、病める時も……」
病める時。
その言葉の重みを、僕たちは誰よりも知っている。
クライヴさんが僕の手を握る力が、ぎゅっと強くなった。
「誓います。……二度と、この手を離しません。死が二人を分かつまで、いや、死んでも魂のある限り」
「ノア・ベルベット。あなたは……」
「誓います。……どんな時も、彼のそばにいます」
指輪の交換。
僕の左薬指に滑り込んできたのは、彼が自ら魔術で錬成したという、淡く光る白金のリングだ。
そこには、小さな重力魔法が付与されているらしい。「もし指から外れても、必ず戻ってくる」という、彼らしい重いおまじない付きだ。
「では、誓いの口づけを」
神父様の言葉に、彼がそっと僕の頬に手を添えた。
至近距離で目が合う。
黄金の瞳に、僕の顔が映っている。
はっきりと。誰の代わりでもなく、僕だけが。
「愛している、ノア」
囁きと共に、唇が重なった。
聖堂内が歓声に包まれる中、僕たちは長い間、互いの体温を確かめ合うように口づけを交わした。
◇◇◇
夜。
盛大な祝宴を終え、僕たちは新居となった屋敷の寝室にいた。
二人で新しく選んだ、日当たりの良い、庭に薬草園のある屋敷だ。
バルコニーで夜風に当たっていると、背後から温かい腕に包まれた。
クライヴさんが僕を後ろから抱きしめ、肩に顎を乗せてくる。
「何を考えている?」
「……幸せだなって。夢じゃないですよね?」
「夢になんかさせるものか」
彼は僕の身体を反転させ、月明かりの下で瞳を覗き込んだ。
「俺たちは遠回りをした。……だが、その分、今の幸せがどれほど尊いかを知っている」
「はい。……僕、もう自分のことを『脇役』だなんて思いません。あなたの隣にいていいんだって、胸を張れます」
「当然だ。お前は俺の人生の、唯一無二なのだから」
二人は顔を見合わせて笑った。
かつてあんなにすれ違っていたことが、今では遠い昔のことのようだ。
彼は僕を軽々と抱き上げ、ベッドへと運んでいく。
寝台の上、重なる体温。
触れ合う肌が熱い。
彼の指が、僕の髪を、頬を、背中を、愛おしむように辿っていく。
「ノア」
甘く、低い声が耳元をくすぐる。
「前の人生での結婚初夜を覚えているか?」
「……はい。あの時は、あなたはすぐに研究室に行ってしまって……僕は一人で寝ました」
「すまなかった。……だが、今夜は違う」
彼は僕の薬指のリングに口づけを落とし、熱っぽい瞳で僕を射抜いた。
「今夜こそ、本当の意味で俺の妻になってほしい。……心も身体も、すべて俺のものに」
その言葉に、僕は胸がいっぱいになり、彼の首に腕を回した。
かりそめでも、義務でもない。
愛による、魂の結合。
「はい、旦那様。……僕のすべてを、あなたに捧げます」
彼は嬉しそうに目を細め、僕を抱きしめた。
静寂の中に、互いの激しい鼓動だけが響き渡る。
僕たちは愛しさを確かめ合うように、深く口づけを交わした。
僕は彼のものになり、彼は僕のものになった。
過去も、未来も、全ての時間を超えて。
◇◇◇
――それから、数年後。
王立魔術アカデミーの研究室は、今日も忙しない活気に包まれていた。
数々の難病の治療薬を開発し、『賢者』の名を欲しいままにするクライヴ・オルステッド教授。
その隣には、いつも優秀なパートナーの姿がある。
「クライヴ、次の実験記録がまとまりましたよ」
「ああ、ありがとうノア。……少し休め。顔色が悪いぞ」
「大丈夫ですよ、これくらい。……あ、でも、コーヒーは淹れましょうか?」
「いや、俺が淹れる。お前は座ってろ」
過保護すぎる夫に、僕は苦笑する。
学生たちは、そんな僕たちを見て「また始まったよ」と呆れつつも、温かい目で見守ってくれている。
かつて「黒の貴公子」と呼ばれた彼は、今では「愛妻家の賢者」として有名になってしまった。
僕は、胸元の銀のロケットに手を触れた。
中には、二人の小さな肖像画が入っている。
かつて彼が、亡き妻の肖像画を飾っていたかもしれないその場所に、今は僕たちの笑顔がある。
「どうかしましたか? ノア様」
いつの間にか、立派な執事となったルカが、お茶菓子を持って入ってきていた。
「ううん、なんでもないよ。……ただ、最高に幸せだなぁって」
「まったく。毎日そればっかりですね」
ルカは呆れ顔で、でも嬉しそうに笑った。
そう。僕は今、世界で一番幸せだ。
かつては「本当の妻にはなれない」と泣いて、死んでしまった僕だけれど。
今は胸を張って言える。
彼は、僕の最愛の伴侶だ。
クライヴがコーヒーのカップを二つ持って戻ってきた。
湯気の向こうで、黄金の瞳が優しく僕を見つめる。
「ノア。この研究が終わったら、旅行にでも行くか」
「いいですね。どこへ行きます?」
「お前の行きたいところなら、どこへでも」
彼は僕の手を取り、当然のように指を絡めてくる。
その手の温もりが、僕の生きる道標だ。
僕は彼に微笑み返し、かつて彼に告げたかった言葉を、心の中で呟いた。
――ご案内します。
悲しみも、寂しさもない、僕たちの永遠の幸福な結末(ハッピーエンド)へ。
今度は、二人一緒に。
176
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
【8話完結】勇者召喚の魔法使いに選ばれた俺は、勇者が嫌い。
キノア9g
BL
勇者召喚の犠牲となった家族——
魔法使いだった両親を失い、憎しみに染まった少年は、人を疑いながら生きてきた。
そんな彼が、魔法使いとして勇者召喚の儀に参加させられることになる。
召喚の儀——それは、多くの魔法使いの命を消費する狂気の儀式。
瀕死になりながら迎えた召喚の瞬間、現れたのは——スーツ姿の日本人だった。
勇者を嫌わなければならない。
それなのに、彼の孤独に共感し、手を差し伸べてしまう。
許されない関係。揺れる想い。
憎しみと運命の狭間で、二人は何を選ぶのか——。
「だけど俺は勇者が嫌いだ。嫌いでなければならない。」
運命に翻弄される勇者と魔法使いの、切ない恋の物語。
全8話。2025/07/28加筆修正済み。
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
※他サイトにも掲載しております。
王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む
木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。
その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。
燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。
眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。
それが妹の名だと知っても、離れられなかった。
「殿下が幸せなら、それでいい」
そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。
赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎月影 / 木風 雪乃
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる