【8話完結】あなたの瞳に映るのは、僕じゃなくていい。〜死に戻り薬師は、元旦那様の恋を応援する〜

キノア9g

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第8話: ご案内します、僕たちのハッピーエンドへ

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 その日のアルカディア王国は、雲ひとつない快晴に恵まれていた。
 王都の大聖堂には、朝から鐘の音が鳴り響いている。
 国中が注目する、「世紀の結婚式」の始まりだ。

 新郎の一人は、史上最年少で『賢者』の称号を得ようとしている天才魔術師、クライヴ・オルステッド。
 そしてもう一人は、不治の病とされた『白灰病』の特効薬を共同開発し、多くの命を救った薬師、ノア・ベルベット。

 控え室の鏡の前で、僕は深呼吸を繰り返していた。
 純白の礼服。胸元には、クライヴさんの瞳と同じ黄金色の胸飾りの花。
 鏡に映る自分は、かつて死にかけていた時の蒼白さはなく、紅潮した健康的な頬をしている。

「……落ち着け、僕。転ばないようにしなきゃ」

 緊張で指先が震える。
 前の人生での結婚は、書類一枚を提出しただけの、事務的なものだった。式なんて挙げていないし、誰かに祝われることもなかった。
 だから、こんなふうに晴れやかな場所に立つのは、生まれて初めてのことなのだ。

「ノア様! ううっ、綺麗です……本当に、お綺麗ですぅ……!」

 背後で、従者のルカがまた泣いていた。彼は今日だけですでにハンカチを三枚も濡らしている。

「ありがとう、ルカ。……君がいなかったら、今日のこの日はなかったよ」
「そんな……俺はただ、手紙を届けただけで……うわぁぁん!」
「泣きすぎだってば」

 苦笑しながら、僕はルカの肩を叩いた。
 あの日、彼が僕の言いつけを破って走ってくれなかったら。僕は今頃、冷たい灰になって土の下にいただろう。
 生きていてよかった。心からそう思う。

 コンコン、と控えめなノックの後、ドアが開いた。

「準備はいいか、ノア」

 入ってきた人物を見て、僕は息を呑んだ。
 漆黒の礼服に身を包み、髪を綺麗に撫でつけたクライヴさんが立っていた。
 その立ち姿は、ため息が出るほど美しい。鋭い黄金の瞳が、今はとろけるほど甘く僕を見つめている。

「……クライヴ、さん」
「入るなと言われたが、待ちきれなくてな」

 彼は悪戯っぽく笑い、僕の元へと歩み寄る。
 そして、跪いて僕の手を取った。

「美しいよ、ノア。……俺にはもったいないくらいだ」
「そ、そんなことないです。僕の方こそ……」
「いいや、お前が一番だ。世界中の誰よりも」

 彼は僕の手の甲に口づけを落とす。
 この数ヶ月、彼は片時も僕を離さず、隙あらばこうして愛を囁いてくる。
 前の人生での「冷徹な魔術師」の仮面はどこへやら、今の彼は正真正銘の「溺愛夫」だった。

「さあ、行こうか。みんなが待っている」

 差し出された大きな手。
 森の井戸端で強く握りしめたその手を、僕はもう一度しっかりと握り返した。


 ◇◇◇

 大聖堂の扉が開くと、眩い光と共に、割れんばかりの拍手と歓声が降り注いだ。
 聖堂のオルガンの荘厳な音色が響き渡る。
 中央通路を歩く僕たちの足元には、真っ白な花びらが敷き詰められていた。

 参列席の最前列には、エレナ様の姿があった。
 彼女は隣国の婚約者と並び、満面の笑みで拍手を送ってくれている。僕と目が合うと、彼女は口の動きだけで『お幸せに』と告げてくれた。
 僕も小さく会釈で返す。
 もう、僕たちの間にわだかまりはない。

 祭壇の前。
 神父様の言葉に続き、僕たちは誓いの言葉を交わす。

「クライヴ・オルステッド。あなたは、健やかなる時も、病める時も……」

 病める時。
 その言葉の重みを、僕たちは誰よりも知っている。
 クライヴさんが僕の手を握る力が、ぎゅっと強くなった。

「誓います。……二度と、この手を離しません。死が二人を分かつまで、いや、死んでも魂のある限り」
「ノア・ベルベット。あなたは……」
「誓います。……どんな時も、彼のそばにいます」

 指輪の交換。
 僕の左薬指に滑り込んできたのは、彼が自ら魔術で錬成したという、淡く光る白金のリングだ。
 そこには、小さな重力魔法が付与されているらしい。「もし指から外れても、必ず戻ってくる」という、彼らしい重いおまじない付きだ。

「では、誓いの口づけを」

 神父様の言葉に、彼がそっと僕の頬に手を添えた。
 至近距離で目が合う。
 黄金の瞳に、僕の顔が映っている。
 はっきりと。誰の代わりでもなく、僕だけが。

「愛している、ノア」

 囁きと共に、唇が重なった。
 聖堂内が歓声に包まれる中、僕たちは長い間、互いの体温を確かめ合うように口づけを交わした。


 ◇◇◇

 夜。
 盛大な祝宴を終え、僕たちは新居となった屋敷の寝室にいた。
 二人で新しく選んだ、日当たりの良い、庭に薬草園のある屋敷だ。

 バルコニーで夜風に当たっていると、背後から温かい腕に包まれた。
 クライヴさんが僕を後ろから抱きしめ、肩に顎を乗せてくる。

「何を考えている?」
「……幸せだなって。夢じゃないですよね?」
「夢になんかさせるものか」

 彼は僕の身体を反転させ、月明かりの下で瞳を覗き込んだ。

「俺たちは遠回りをした。……だが、その分、今の幸せがどれほど尊いかを知っている」
「はい。……僕、もう自分のことを『脇役』だなんて思いません。あなたの隣にいていいんだって、胸を張れます」
「当然だ。お前は俺の人生の、唯一無二なのだから」

 二人は顔を見合わせて笑った。
 かつてあんなにすれ違っていたことが、今では遠い昔のことのようだ。
 彼は僕を軽々と抱き上げ、ベッドへと運んでいく。

 寝台の上、重なる体温。
 触れ合う肌が熱い。
 彼の指が、僕の髪を、頬を、背中を、愛おしむように辿っていく。

「ノア」

 甘く、低い声が耳元をくすぐる。

「前の人生での結婚初夜を覚えているか?」
「……はい。あの時は、あなたはすぐに研究室に行ってしまって……僕は一人で寝ました」
「すまなかった。……だが、今夜は違う」

 彼は僕の薬指のリングに口づけを落とし、熱っぽい瞳で僕を射抜いた。

「今夜こそ、本当の意味で俺の妻になってほしい。……心も身体も、すべて俺のものに」

 その言葉に、僕は胸がいっぱいになり、彼の首に腕を回した。
 かりそめでも、義務でもない。
 愛による、魂の結合。

「はい、旦那様。……僕のすべてを、あなたに捧げます」

 彼は嬉しそうに目を細め、僕を抱きしめた。
 静寂の中に、互いの激しい鼓動だけが響き渡る。
 僕たちは愛しさを確かめ合うように、深く口づけを交わした。

 僕は彼のものになり、彼は僕のものになった。
 過去も、未来も、全ての時間を超えて。


 ◇◇◇

 ――それから、数年後。
 王立魔術アカデミーの研究室は、今日も忙しない活気に包まれていた。
 数々の難病の治療薬を開発し、『賢者』の名を欲しいままにするクライヴ・オルステッド教授。
 その隣には、いつも優秀なパートナーの姿がある。

「クライヴ、次の実験記録がまとまりましたよ」
「ああ、ありがとうノア。……少し休め。顔色が悪いぞ」
「大丈夫ですよ、これくらい。……あ、でも、コーヒーは淹れましょうか?」
「いや、俺が淹れる。お前は座ってろ」

 過保護すぎる夫に、僕は苦笑する。
 学生たちは、そんな僕たちを見て「また始まったよ」と呆れつつも、温かい目で見守ってくれている。
 かつて「黒の貴公子」と呼ばれた彼は、今では「愛妻家の賢者」として有名になってしまった。

 僕は、胸元の銀のロケットに手を触れた。
 中には、二人の小さな肖像画が入っている。
 かつて彼が、亡き妻の肖像画を飾っていたかもしれないその場所に、今は僕たちの笑顔がある。

「どうかしましたか? ノア様」

 いつの間にか、立派な執事となったルカが、お茶菓子を持って入ってきていた。

「ううん、なんでもないよ。……ただ、最高に幸せだなぁって」
「まったく。毎日そればっかりですね」

 ルカは呆れ顔で、でも嬉しそうに笑った。
 そう。僕は今、世界で一番幸せだ。
 かつては「本当の妻にはなれない」と泣いて、死んでしまった僕だけれど。
 今は胸を張って言える。
 彼は、僕の最愛の伴侶だ。

 クライヴがコーヒーのカップを二つ持って戻ってきた。
 湯気の向こうで、黄金の瞳が優しく僕を見つめる。

「ノア。この研究が終わったら、旅行にでも行くか」
「いいですね。どこへ行きます?」
「お前の行きたいところなら、どこへでも」

 彼は僕の手を取り、当然のように指を絡めてくる。
 その手の温もりが、僕の生きる道標だ。
 僕は彼に微笑み返し、かつて彼に告げたかった言葉を、心の中で呟いた。

 ――ご案内します。
 悲しみも、寂しさもない、僕たちの永遠の幸福な結末(ハッピーエンド)へ。
 今度は、二人一緒に。
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