【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第1話:再会の遺跡にて

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 風が吹き抜けるたび、崩れかけた石柱の影が静かに揺れた。
 乾いた土の香りとともに、ほんのわずかに混じる魔力の気配が鼻先をかすめる。

 アッシュ・レイフォードは、剣の柄に手を置いたまま、広がる古代神殿跡を見下ろしていた。

 王都から東へ三日。渓谷を越えた先に眠る古代遺跡。
 今回の任務は、王立魔法学会からの依頼による調査隊の護衛だ。

 ──よくある仕事のはずだった。
 けれど、今日に限って、妙に胸がざわついて仕方がない。

「……ここを最後に、しばらく休むか」

 ふと漏れた呟きに、自分でも驚いた。
 旅を続けて三年。どの町にも腰を落とさず、寝床と剣を担いであちこちを流れてきた。
 それが、ごく当たり前の暮らしになっていたはずなのに。

 けれど──最近になって、不意に“拠点”という言葉が脳裏をよぎるようになった。

 たぶん、どこかで心が疲れているのだ。
 振り切ったはずの記憶が、季節の変わり目にふと顔を出す。

 三年前のあの決断は、本当に正しかったのかと。
 
 王子である彼を手放したあの日、自分なりに彼の未来を守ったつもりだった。
 それでも、いまもなお──
 心の奥では、彼の名を呼び続けている。

「……未練がましいな、俺」

 自嘲する声をかき消すように、荷馬車の車輪が鳴った。
 下の道に目をやると、調査隊を乗せた馬車が、ちょうど到着したところだった。

 そのとき──

 馬車の扉が開く。
 最初に降り立った男の姿に、アッシュの視線が凍りついた。

 陽に透ける銀金の髪。
 真っ直ぐに伸びた背筋。
 無駄のない動作と、抑制された気配。

「……まさか」

 その名を口にするよりも早く、彼はアッシュに気づき、歩み寄ってくる。
 白い外套が風に翻り、靴音が石を打つ。軽やかで、迷いがなかった。

「ご無沙汰している、アッシュ・レイフォード殿」

 声音は柔らかだった。けれど──そこには確かに、距離があった。
 王子としての節度。護られるべき立場としての威厳。
 かつて夜毎に寄り添い、同じ名を囁き合ったはずの声が、今はずいぶんと遠く聞こえる。

 アッシュは、思わず右手を拳のように握った。

「……カイル殿下。まさか、調査隊にご同行とは聞いていませんでした」

「急な決定で、失礼した。……本来は別の者が赴く予定だったが、私の希望で同行を願い出た。今回の神殿は、王室にも関わりの深い場所でね」

 その言葉に含まれた真意を、アッシュは読み取らないふりをするしかなかった。
 目の前の男は今や国の未来を担う王太子。
 ──そして、自分とは釣り合わなかった人間だ。

 かつての関係がどれほど深かったとしても、それはもう、何の意味も持たない。

「護衛としての任務は果たします。……それ以上の干渉は、避けるつもりです」

 静かに口にすると、カイルは一瞬だけ目を細めた。

「そのように接してもらえると、助かる」

 それきり、カイルは背を向ける。
 白の外套を揺らしながら、他の学者たちへと歩み寄っていった。

 振り返らなかった。
 けれど──その背中が、何よりも雄弁に語っていた。

 今はもう、他人だと。


◇◇◇


 神殿内の探索は、翌朝から本格的に始まった。調査隊は魔力の痕跡を辿りながら、慎重に崩れかけた石の回廊を進んでいく。

 アッシュは先頭を歩きながらも、無意識に後方を振り返る癖が抜けなかった。そこにいるはずの人影を、確認せずにはいられない。

 三年経っても、それだけは変わらなかったらしい。

 けれど、カイルはこちらを一度も見なかった。言葉も交わさない。まるで、必要以上に関わることを避けるかのように。

 ──それが、彼の選んだ距離なのだろう。

 過去を引きずらないこと。今は互いに別の道を歩んでいること。王子として、かつての恋人に希望を抱かせないように。

「……随分、律儀になられたな」

 誰にも聞こえぬほどの声で、ふと呟いた。
 自分から身を引いたはずなのに、今さら傷つくとは思わなかった。いや、思わないふりをしていただけかもしれない。

「アッシュ殿。王子殿下と旧知と伺いましたが……お話はなさらないのですか?」

 調査隊の一人が、気軽な調子で声をかけてきた。

 アッシュは表情を崩さず、淡く微笑んで首を振る。

「昔、ほんの少しだけ縁があっただけです。今は……ただの護衛ですから」

 それ以上の言葉は、喉の奥で飲み込んだ。


 ◇◇◇


 夜。焚き火の灯りが、神殿の壁に揺れる影を映している。

 アッシュは、神殿の入口近くで一人、警戒を続けていた。手元の剣を磨きながら、炎の中に過去の残像を見ていた──そんな時だった。

 足音が近づく。静かで、それでいてどこか躊躇いの混じった歩み。

「失礼する」

 低く抑えられた声。振り向けば、カイルがそこにいた。
 昼間と変わらぬ白い外套。けれど、その瞳だけが、揺れていた。

「……何か、御用ですか」

「少しだけ、話がしたい。……それとも、今はその資格すら、私にはないか?」

 その問いに、アッシュは目を伏せた。

 あの頃のように名前を呼ばれないことに、驚きはなかった。けれど、まるで許しを乞うようなその口ぶりが、胸の奥を鋭く抉った。

「話すことなど、残っていたかどうか……」

「三年前。君が理由を告げずに別れを選んだ夜のことだ。あの時、私はただ君を責めることしかできなかった。だが──あれは、本心ではなかったのだろう?」

 アッシュは眉を寄せ、火の粉を払うように顔を逸らした。

「殿下。……それは、今さら問うべき話ではありません」

「そうかもしれない。だが……君を見て、どうしても聞かずにはいられなかった」

 その言葉に、アッシュは手元の剣をそっと鞘に収めた。

「……俺は、あなたの未来を邪魔したくなかった。ただ、それだけのことです」

「それでも、君と生きる未来を──私は、今でも選びたかったと、思ってしまう」

 静かな痛みを帯びた声。けれどアッシュは、それに応えることはなかった。

「……その未来は、もう来ません。俺たちは、選ばなかった。それだけのことです」

 長い沈黙が落ちた。

 やがて、カイルはゆっくりと一礼し、何も言わずに背を向ける。

 その背は、焚き火の灯りが届かぬ神殿の奥へと、音もなく消えていった。

 アッシュは一人、揺れる火を見つめたまま動かない。

 たった数語の再会が、過去を容赦なく暴き出す。
 終えたはずの想いが、未練が、躊躇いが、静かに心の奥に灯を点す。

 ──あの選択は、本当に正しかったのか。

 答えはまだ、暗がりの向こうに沈んでいた。
 遺跡の夜は、あまりに長く、そして、静かだった。

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