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第7話:最強の保護者、ついに限界を迎える
しおりを挟む「ふぅ……大収穫でしたね!」
キルデアの森、出口付近。
傾きかけた夕日を背に、俺は背負い袋の重みを心地よく感じながら伸びをした。
今日の成果は上々だ。
希少な月光花が三株に、上質なマンドラゴラが一株。
そして何より、魔物に一度も襲われることなく(襲われる前に消し炭にされたので)、無傷での帰還である。
「楽しかったか? ルシアン」
隣を歩くオルドリン様が、穏やかな声で尋ねてきた。
俺は満面の笑みで頷いた。
「はい! 最高のデートでしたよ。旦那様の魔法、やっぱり凄いですね。あのオークを一睨みで石化させた時は、さすがに引きましたけど」
「……石化なら、素材は残るだろう?」
「残りますけど、重くて運べないですよ!」
軽口を叩き合いながら、俺たちは待機していた馬車へと向かった。
オルドリン様は、満足げに目を細めている。
ただ、その足取りが――行きよりも少しだけ、重い気がした。
「旦那様? 足元、気をつけてくださいね」
「ああ、問題ない。……少し、歩きすぎただけだ」
彼は杖を突き、いつも通りの涼しい顔で答えた。
額にはうっすらと汗が滲んでいるが、森の中は蒸し暑かったし、ローブも厚手だ。汗くらいかくだろう。
俺はその時、深く考えなかった。
この人が「疲れる」なんていう生理現象とは無縁の超人だと思い込んでいたからだ。
◇◇◇
帰りの馬車の中。
行きは窓の外を見てはしゃいでいた俺も、さすがに遊び疲れてウトウトし始めていた。
心地よい揺れ。
隣には、オルドリン様の体温がある。
「……んぅ……」
俺は抗いがたい睡魔に負け、ガクンと首を傾けた。
頭が、隣の硬い肩に乗っかる。
あ、やばい。旦那様の肩を枕にしちゃった。
失礼だぞ、離れろ俺。
そう思うのに、体が言うことを聞かない。
「……そのままでいい」
頭上から、静かな声が降ってきた。
そして、大きな手が俺の頭を優しく撫でた。
「寝ていいぞ、ルシアン。……家に着くまで、私が守っている」
その声は、とろけるように甘く、そしてどこか――掠れていた。
俺は安心しきって、その言葉に甘えることにした。
世界最強の魔法使いが守ってくれているんだ。
この世で一番安全な場所で、俺は泥のように眠りに落ちた。
……まさか、その「守護者」が、限界ギリギリだったなんて気づきもせずに。
◇◇◇
「――ン様! ルシアン様! 起きてください!」
焦ったような声で揺り起こされ、俺はハッと目を覚ました。
窓の外は薄暗くなっている。屋敷に着いたようだ。
声をかけてきたのは御者だった。
「んぁ……ついた? 旦那様は……」
「それが……」
俺は隣を見た。
オルドリン様は、腕を組んで目を閉じたまま、微動だにしない。
深く眠っているようだ。
眼鏡が少しズレていて、整った顔立ちが青白く見える。
「珍しいな、旦那様が寝落ちなんて」
俺は微笑ましく思いながら、彼の肩を揺すった。
「旦那様、着きましたよ。起きてください」
「…………」
「旦那様? ベッドで寝ないと風邪ひきますよー」
「…………」
返事がない。
ぴくりとも動かない。
ただの熟睡にしては、呼吸が浅く、早い気がする。
「……え?」
俺は恐る恐る、彼の手首に触れた。
冷たい。
氷魔法の使い手だから冷たいのではない。生命力が削がれたような、不吉な冷たさだ。
そして逆に、首筋に触れると――火傷しそうなほどの高熱を発していた。
「だ、旦那様!?」
「旦那様が目を覚まされないのです! 揺すっても、呼びかけても!」
御者の悲鳴のような報告に、俺の血の気が引いた。
俺は慌てて彼の胸に耳を当てた。
心臓の音は……ある。でも、早くて不規則だ。
「しっかりしてください! オルドリン様! オルドリン様!」
俺は必死で彼の名を叫んだ。
それでも、最強の魔法使いは、人形のように動かなかった。
「誰か! 手を貸してくれ! 旦那様を部屋へ運ぶんだ! 急いで!!」
屋敷の玄関ホールは、瞬く間にパニックに陥った。
使用人たちが走り回り、主治医を呼ぶ声が響く。
俺は意識のないオルドリン様の手を握りしめながら、ただ祈ることしかできなかった。
(嘘だろ……なんで? さっきまであんなに元気だったのに!)
オークを石化させ、スライムを蒸発させ、俺の頭を撫でてくれた。
あんなに強かった彼が、どうして。
◇◇◇
「……『魔力欠乏症』、および極度の精神疲労による過労です」
数時間後。
天蓋付きのベッドに横たわるオルドリン様を診察し終えた主治医が、重々しく告げた。
「魔力欠乏……ですか?」
「はい。通常、オルドリン様の魔力量は膨大ですが、本日はその制御に著しい負担がかかったようです」
医師は眼鏡を拭きながら説明を続けた。
「例えるなら、激流を指先一つでせき止めるようなものです。強すぎる魔力を持つオルドリン様が、森の環境やルシアン様を守るために、極限まで出力を絞って魔法を行使し続けた……。その精神的負荷は、全力を出す場合の数十倍に及びます」
俺は言葉を失った。
あの、森での魔法。
「手加減してくれ」と俺が頼んだから。
彼は俺の願いを叶えるために、そして俺を怖がらせないために、神経をすり減らして魔法をコントロールしていたのだ。
「それに、執事の話では……昨晩は一睡もされていないとか」
「えっ?」
「デートの準備、だそうです。装備の手入れや、万が一の事態に備えた魔道具の作成で、朝まで工房に篭っておられたと」
頭を殴られたような衝撃だった。
楽しみだとはしゃいでいた俺の隣で、彼は寝不足の体に鞭打って、笑顔を作っていたのか。
俺を守るために。
俺にかっこいいところを見せるために。
「……バカだ」
俺の口から、震える声が漏れた。
「バカすぎるだろ、この人……」
唇を噛み締めた。
何が最強の魔法使いだ。
何が完璧な当主だ。
ただの、不器用で、一途で、どうしようもないくらい愛妻家なだけの男じゃないか。
「命に別状はありません。今は魔力を補給しています。一晩眠れば、意識も戻るでしょう」
「……ありがとうございます」
医師と使用人たちが退室し、広い寝室には俺とオルドリン様だけが残された。
俺はベッド脇の椅子に座り、彼の冷たい手を両手で包み込んだ。
「……ごめんなさい」
俺は彼の手の甲に額を押し付けた。
「俺、何も分かってなかった。旦那様がどれだけ無理してたか、どれだけ俺のこと考えてくれてたか……」
俺はずっと自分のことばかりだった。
冒険がしたい、自由になりたい、対等でいたい。
そんな俺のワガママに付き合って、彼はボロボロになるまで頑張ってくれたのだ。
「……早く起きてください。言いたいことが、山ほどあります」
返事はない。
でも、握った手から伝わるわずかな温もりが、彼が生きていることを教えてくれていた。
◇◇◇
深夜。
日付が変わる頃、俺はふと手の中の指がピクリと動いたのを感じた。
「……っ、旦那様?」
顔を上げると、オルドリン様がうっすらと目を開けていた。
アイスブルーの瞳はまだ焦点が定まっておらず、ぼんやりと天井を見上げている。
「……ここ、は……」
「家です。旦那様の部屋のベッド」
「ルシ、アン……?」
彼はゆっくりと首を動かし、俺を見た。
俺の顔を見るなり、彼の顔が歪んだ。
痛みではなく、焦燥に。
「すま、ない……」
「無理して喋らないでください。まだ熱があるんだから」
「デート、が……最後まで……送れなくて……」
掠れた声で、彼が一番に口にしたのは、自分の体調ではなく俺への謝罪だった。
「格好悪いところを……見せた。君を守ると、言ったのに……」
「バカ!」
俺はたまらず叫んでいた。
我慢していた涙が、ポロリとこぼれ落ちた。
「何言ってんですか! 倒れるまで我慢する方がよっぽどカッコ悪いです!」
「……ルシアン?」
「魔力制御がそんなに大変なら、最初から言ってください! 徹夜までして準備して……俺のこと守る前に、自分のこと守ってよ!」
俺は彼の手を握りしめたまま、子供のように泣いた。
オルドリン様は驚いたように目を見開き、それから困ったように眉を下げた。
動かないはずの手を必死に持ち上げ、俺の頬に触れる。
「……泣かないでくれ」
「止まりませんよ!……だって、 旦那様のせいです!」
「ああ、すまない……。君を泣かせるつもりじゃなかった」
彼の親指が、俺の涙を優しく拭う。
その手つきは、森で汗を拭いてくれた時と同じ、愛おしさに満ちたものだった。
「ただ……嬉しかったんだ」
「え?」
「君と出かけられるのが嬉しくて。君にかっこいいと思われたくて……つい、張り切りすぎたようだ」
彼は力なく笑った。
その笑顔が、あまりにも無邪気で、そして儚くて。
俺の胸は、怒りと、呆れと、そしてどうしようもないほどの愛しさでいっぱいになった。
「……知ってます」
俺は彼の手に自分の手を重ね、頬に押し付けた。
「旦那様が俺のこと大好きだってことは、もう嫌ってほど分かりました」
「……そうか。バレたか」
「バレバレです」
俺たちは見つめ合い、どちらからともなく笑った。
涙でぐしゃぐしゃの顔を見られてしまったけれど、もう恥ずかしくはなかった。
「……ねえ、オルドリン様」
俺は彼の名前を呼んだ。
いつもの旦那様ではなく、一人の男としての名前を。
「俺、最強の護衛なんていりません」
「……なに?」
「何でも一発で倒す魔法使いも、完璧なエスコートもいりません。俺が欲しいのは……一緒に歩いて、一緒に疲れて、一緒に『楽しかったね』って言い合えるパートナーだから」
俺は彼の目をまっすぐに見て告げた。
「だから、もう無理しないでください。旦那様が倒れたら、俺の冒険(じんせい)がつまんなくなる」
オルドリン様は息を呑んだ。
そして、月明かりに照らされた瞳を潤ませ、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。善処する」
「善処じゃなくて、約束してください!」
「……分かった。約束しよう」
彼は俺の手を引き寄せ、その甲にキスを落とした。
熱っぽい唇の感触に、俺の心臓が甘く疼く。
「愛している、ルシアン。……君が思っているよりもずっと、深く」
「……知ってます。俺も……好きです」
小さな声で返すと、彼は満足げに目を閉じた。
今度の眠りは、気絶ではない。
安らかな、休息のための眠りだ。
俺はずっと彼の手を握っていた。
窓の外には満月が輝いている。
俺たちの「すれ違い」は、この夜、完全に終わりを告げた。
これからは、互いに支え合い、寄り添い合う本当の夫婦としての時間が始まるのだ。
……まあ、その前に。
明日目が覚めたら、徹夜明けの体に優しいお粥を食べさせて、一週間の「魔法禁止令」を出すつもりだけどな。
覚悟しておけよ、俺の可愛い旦那様。
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