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第3章 俺たちは『公務』じゃなくて、『新婚旅行(ハネムーン)』がしたい
第19話:氷の城塞都市と、有能な補佐
しおりを挟む白銀領の領都、『クリスタリア』。
その名の通り、街全体が氷と水晶で構成された、美しくも冷厳な城塞都市だ。
中心にそびえ立つ領主の館――通称「氷城」に到着した俺たちは、息つく暇もなく公務の波に飲み込まれようとしていた。
「――お着きになられました! 領主、オルドリン・クライス伯爵閣下のお成りです!!」
重厚な扉が開くと同時に、衛兵が大声で告げる。
ホールには、白銀領を管理する役人や騎士たちが整列し、直立不動で頭を下げていた。
ピリリとした緊張感。
空気の温度が、外よりも低い気がする。
「……出迎えご苦労」
オルドリンが短く応える。
その声には、俺に向ける甘さは微塵もない。絶対的な支配者としての威厳と、冷たさが満ちている。
役人たちがビクリと肩を震わせるのが見えた。
(うわぁ……やっぱり怖がられてるなぁ)
俺はオルドリンの半歩後ろを歩きながら、苦笑した。
彼は優秀な領主だが、完璧主義すぎて部下にプレッシャーを与えがちなのだ。
現に、最前列にいる代官らしき初老の男性は、すでに顔面蒼白で滝のような汗をかいている。
「長旅でお疲れでしょう、閣下。まずは客室で旅装を……」
「不要だ。すぐに状況報告を聞く。会議室へ案内しろ」
「は、はいっ! ただちに!」
オルドリンは歩みを止めない。
完全に「仕事モード」だ。
「ルシアン」
「ん?」
「君は部屋で休んでいてくれ。移動で疲れただろう」
彼は歩きながら、低い声で指示した。
いつもなら「一緒に寝よう」とか甘えるくせに、今はあくまで事務的だ。
俺を公務という「戦場」から遠ざけようという配慮だろう。
だが、俺は首を横に振った。
「断る」
「……なぜ?」
「俺は今回、アンタの『妻兼臨時補佐』として来たんだ。部屋でゴロゴロしてるために来たんじゃない」
俺はニカっと笑い、自分の胸を叩いた。
「お茶汲みでも、書類の仕分けでもなんでもやるよ。……アンタの背中、守らせてくれよ」
オルドリンの足が、一瞬だけ止まる。
彼はわずかに視線を泳がせ(デレそうになるのを必死に堪えてるなこれは)、咳払いをした。
「……好きにしていいが、無理はするな」
「了解、閣下」
許しは出た。
俺は心の中でガッツポーズをし、凍りついた会議室へと足を踏み入れた。
◇◇◇
会議室の空気は、窒息しそうなくらい重かった。
というより、会話が成立していなかった。
「――説明しろ、代官。魔力供給率の数値が、先月の報告書と0.5%食い違っている」
上座に座ったオルドリンが、書類をテーブルに静かに置いた。
叩きつけたりはしない。ただ、絶対零度の視線を送るだけだ。
それが一番怖いのだが。
「も、申し訳ございません! 観測機器の不調による誤差かと……!」
「機器のメンテナンスは定例業務のはずだ。それを怠ったのか? それとも、虚偽の報告を上げようとしたのか?」
「め、滅相もございません!!」
「ならばなぜ報告しなかった? 言語中枢まで凍りついたのか?」
代官が震え上がり、他の役人たちも下を向いて嵐が過ぎるのを待っている。
オルドリンの言っていることは、論理的には正しい。
魔力供給のズレは、大事故に繋がりかねない重大なミスだ。
だが、正論を氷の刃で突き刺しても、相手は萎縮して思考停止に陥るだけだ。これでは問題の根本が見えてこない。
(……やっぱり、こうなるのか)
部屋の隅に控えていた俺は、ため息をついた。
オルドリンは悪くない。ただ、彼は優秀すぎるがゆえに、「凡人の恐怖心」や「小さなミスの隠蔽心理」が理解できないのだ。
これじゃあ、いつまで経っても平行線だ。
(よし。ここは、俺の出番だな)
俺はワゴンに乗せてあったティーセットを手に取った。
王都から持参した、とっておきの茶葉と、糖分たっぷりの高級クッキーだ。
「はい、失礼しまーす。ちょっと休憩挟みましょうか」
俺は能天気な声を出し、ピリピリした会議の真っ只中に割って入った。
役人たちが「えっ!?」とギョッとした顔をする。
オルドリンも不快そうに眉をひそめた。
「……ルシアン、今は会議中だ。遊びではない」
「知ってるよ。でも、みんな顔色が悪いだろ? 脳に糖分回さないと、いい答えも出ないって」
俺は構わず、オルドリンの前にカップを置き、次に代官の前にクッキーの皿を置いた。
「これ、王都で流行ってるクッキーなんです。代官様もどうぞ。……そんなに怯えなくても、閣下は取って食ったりしませんから」
「は、はあ……しかし……」
「閣下が怒ってるのは、皆さんが憎いからじゃないですよ。この街を守りたいから、必死なだけです」
俺は代官の耳元で、こっそりと、しかし部屋中に聞こえる音量で囁いた。
「うちの旦那様、顔は怖いですけど、中身は領民思いの不器用な人なんですよ。……言葉が足りないのは、俺がお詫びしますから」
「……誰が不器用だ」
オルドリンが不服そうに鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。
その様子を見て、役人たちの間に走っていた緊張の糸が、ふっと緩んだ。
「あの氷の伯爵に、あんな軽口を叩ける人間がいるのか?」という驚きと、「伯爵も人間なんだ」という安堵。
「……いただきます」
代官が恐る恐るクッキーを口にする。
サクサクとした音と共に、彼の強張った肩から力が抜けた。
「……申し訳ありません、閣下。機器の不調を見落としていたのは、私の管理不足です。……実は、予算不足で部品交換が遅れておりまして……」
「予算だと? 申請は上がってきていない」
「そ、それは……却下されるのを恐れて、現場で揉み消してしまい……」
萎縮が解けたことで、ようやく「本当の原因」が出てきた。
オルドリンは目を丸くし、それからバツが悪そうに視線を逸らした。
「……そうか。私の威圧感が、報告を妨げていたということか」
「い、いいえ! そんな!」
「反省すべきは私の方だな。……すぐに予算を組む。部品の手配は私が直接行おう。……その代わり、隠し事はなしだ。いいな?」
「は、はいっ! ありがとうございます!!」
場が回った。
一度流れができれば、あとは早い。
オルドリンの的確な指示と、役人たちの報告が噛み合い、滞っていた案件が次々と片付いていく。
俺はその間、空いたグラスに水を注いだり、疲れた人に飴を配ったりして、部屋の中をちょろちょろと動き回った。
「潤滑油」。
それが、今の俺の役割だ。
最強の歯車(オルドリン)を、錆びつかせずに回すための油。
地味だけど、悪くない仕事だ。
◇◇◇
「――以上で、本日の会議を終了する」
数時間後。
予定よりも大幅に早く、会議が終わった。
「お疲れ様でした、閣下! 奥様!」
役人たちが一斉に頭を下げる。
最初のような恐怖に満ちた礼ではなく、敬意と親しみのこもった礼だ。
オルドリンが退室すると、代官が俺の元へ駆け寄ってきた。
「あ、あの……ルシアン様」
「はい」
「ありがとうございました! あなた様のおかげで、我々は救われました……! まさか、あの閣下とこれほど円滑に話ができる日が来るとは……」
代官は涙目で俺の手を握った。
「あなた様は、我々にとっての女神……いや、救世主です!」
「大袈裟ですよ。俺はただ、お菓子配ってただけですし」
「いいえ! その気遣いが、どれほどありがたかったか! どうか末長く、閣下のお傍にいて差し上げてください!」
他の役人たちも、口々に感謝を述べてくる。
どうやら、俺の「愛想」スキルは、この極寒の地でも通用したらしい。
俺は少し照れくさくなりながら、「これからも旦那様をよろしくお願いします」と笑顔で返した。
◇◇◇
夜。領主の館のプライベートルーム。
二人きりになった途端、オルドリンが俺をソファに押し倒した。
「……うおっ!? なんだよ急に!」
「……君には、完敗だ」
彼は俺の上に覆いかぶさり、悔しさと愛しさが入り混じった瞳で見下ろしてきた。
「正直、君の仕事は何もないだろうと思っていた。……だが、まさかあそこまで場をコントロールするとは」
「コントロールなんてしてないよ。ちょっと空気を入れ替えただけ」
「それがすごいと言っているんだ。……私にはできない」
彼は俺の肩に顔を埋めた。
少し弱気な、甘えるような仕草だ。
「私は人を畏怖させることはできても、安心させることはできない。……今日の会議で痛感したよ。君がいなければ、私はただの暴君だったとな」
「……買いかぶりすぎだって」
「いいや。君は最高の補佐だ。……いや、私にとってなくてはならない『半身』だ」
彼は顔を上げ、すがるように俺を見た。
「頼むから、ずっと私の側にいてくれ。……君がいないと、私はただの凍りついた彫像になってしまう」
昼間の威厳ある領主様とは大違いだ。
でも、この不器用で寂しがり屋なところが、俺の旦那様の本当の姿なのだ。
「分かってるよ。離れろって言われたって、くっついててやる」
俺が頭を撫でてやると、彼は嬉しそうに目を細め、俺の唇にキスを落とした。
甘い。
仕事の疲れも吹き飛ぶような、とろけるようなキスだ。
「……隣に立たせてくれてありがとな、オルドリン。俺も、仕事してるアンタを見て、惚れ直したよ」
「ほう? 私の不器用なところに惚れたのか?」
「違うよ。街のために必死になってるところが、かっこいいって言ってんだよ」
俺が素直に褒めると、彼は耳まで赤くして、「……そうか」と呟いた。
「君に褒められるのが、どんな勲章よりも嬉しい」
彼は俺の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「……さて。仕事は順調に進んだ。明日は魔脈の儀式だ」
「ああ。一番の大仕事だな」
「それが終われば、少し自由な時間が作れる」
彼の言葉に、俺の耳がピクリと反応した。
「自由な時間?」
「ああ。……どこか行きたいところがあるんだろう?」
彼は顔を上げ、悪戯っぽく笑った。
「君がこっそり『氷結ダンジョン』の資料を読んでいたのを、私は知っているぞ」
「げっ、バレてた!?」
「私の目を欺けると思うな。……儀式が無事に終われば、どこへでも連れて行く。君の望む場所へ」
すべてお見通しだったらしい。
さすが旦那様。敵わない。
「やった! 約束したからな!」
「ああ。……だから今夜は、たっぷり英気を養ってもらおうか」
「えっ、寝るんじゃないの?」
「君という『糖分』を補給しないと、明日の儀式に響くからな」
彼は妖艶に笑い、再び唇を重ねてきた。
どうやら、俺の補佐としての業務(夜の部)は、ここからが本番らしい。
窓の外は極寒の吹雪。
けれど、この部屋の中だけは、真夏のように熱い夜が更けていった。
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