「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第4章 俺たちは『星渡りの夜』じゃなくて、『魔物狩り(デート)』に行きたい

第25話:帰還と、星渡りの予兆

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「……頭が、割れるようだ」

 クライス伯爵家の執務室。
 重厚なカーテンが閉め切られ、薄暗い部屋の中で、当主オルドリン・クライスはマホガニーのデスクに突っ伏していた。
 その背中からは、この世の終わりのような絶望的なオーラが立ち上っている。

「……星の、音がうるさい。大気中の魔素が悲鳴を上げているのが聞こえる……」

 彼はうわ言のように呟き、こめかみを指で押さえた。
 苦しげな吐息。乱れた前髪。
 傍目に見れば、強大な魔力を持つがゆえに、環境の変化に蝕まれている悲劇の貴公子に見えるだろう。

 だが。
 部屋の隅で紅茶の支度をしていた老執事、セバスチャンは、表情一つ変えずに告げた。

「旦那様。演技にしては少々、哀愁が過剰でございますよ」
「……演技ではない。事実だ」

 オルドリンは顔を上げず、さらに低く唸った。

「知っているだろう、セバスチャン。もうすぐ『星渡り』の時期だ。この時期は天体の魔力が降り注ぎ、地脈が乱れる。……私のような高位の魔導師にとっては、呼吸をするだけで針を飲み込むような苦痛が伴うのだ」
「はいはい、左様でございますね」

 セバスチャンは涼しい顔でカップを置いた。

「ですが、先日の白銀領への遠征では、もっと過酷な魔力嵐の中で平然としておられましたな? あの時は『ルシアンがいるから空気も美味い』などと仰っていましたが」
「うっ……」

 図星を突かれたオルドリンの肩が、ビクリと跳ねた。
 セバスチャンは呆れたようにため息をつく。

「旦那様。正直に仰いなさいませ。……ルシアン様が、ここ数日忙しくて構ってくださらないから、拗ねておられるのでしょう?」

 その言葉は、鋭利なナイフのようにオルドリンの核心を貫いた。
 ガバッ、と彼は顔を上げた。
 その瞳は潤み、目元は赤く、そして頬は不満で膨らんでいる。

「……だが!!」

 先ほどのシリアスな魔導師はどこへやら。そこにいたのは、玩具を取り上げられた子供のような駄々っ子だった。

「ルシアンが冷たいんだ! 白銀領から帰ってきてからというもの、『祭りの準備を手伝うから』と言って、ちっとも執務室に来てくれない!」
「奥様はこの屋敷の主人として、使用人たちと装飾の指示出しをしておられるだけです」
「私とルシアン、どっちが大事なんだ!」
「比べる対象が間違っております」

 オルドリンは椅子の上でジタバタと身悶えした。

「あの旅行の時は、あんなに甘かったのに……! 『ずっとくっついててやる』と言ったあの言葉は嘘だったのか!? 私はもう用済みなのか!? ああ、魔力が暴走しそうだ、これは星のせいじゃない、愛の欠乏による禁断症状だ……!」
「はい、どうぞ。鎮静剤代わりのハーブティーでございます」

 セバスチャンは慣れた手つきでティーカップを差し出した。

「それは魔力酔いではなく、ただの『ルシアン様不足』という病です。……シャキッとなさいませ。奥様は、旦那様のために祭りの準備を張り切っておられるのですから」
「……私のために?」
「ええ。その意味を、もう少し考えられてはいかがですかな」

 老執事の言葉に、オルドリンはハッとして口をつぐんだ。
 彼は湯気の立つ紅茶を見つめ、それから不器用に、しかし愛おしそうに口元を緩めた。

「……そうか。私のために、か」
「はい。ですから、その死にそうな顔はおやめください。奥様が心配されます」
「善処する。……だが、寂しいものは寂しい」

 最強の魔法使いは、ちびりと紅茶を啜った。
 その背中にはまだ、「早く帰ってきてくれ、私の相棒」という文字が貼り付いているようだった。


 ◇◇◇

「うわぁ……! すっげぇキラキラしてる!」

 屋敷の大広間。
 脚立の上から飾り付けを見下ろした俺、ルシアンは、感嘆の声を上げた。
 
 広間の天井には、無数の小さな魔石が吊るされ、まるで本物の星空のように瞬いている。
 壁には銀色のリボンと、冬にだけ咲く「氷晶花(クリスタル・フラワー)」のリース。
 窓の外を見れば、王都全体が淡い光の粒子に包まれているのが分かる。

 もうすぐ、この世界の一大イベント『星渡り(ほしわたり)』の日がやってくる。

 『星渡り』とは、一年に一度、惑星の軌道が重なり、宇宙(そら)からの魔力が地上に降り注ぐ日だ。
 この日の夜は、空に光の帯――オーロラのようなものが現れ、人々はその光を浴びて無病息災を祈る。
 前世で言うところの、クリスマスと七夕を足して二で割ったような、ロマンチックで盛大なお祭りだ。

「ルシアン様、その位置でよろしいですか?」
「ああ、バッチリ! ありがとう、マリー」

 俺は脚立を降り、メイドのマリーに笑顔を向けた。
 白銀領への遠征から帰ってきて数日。
 俺とオルドリンの絆は深まり、今では完全に「バカップル」として屋敷内で定着している。
 そして俺自身も、ただ守られるだけの存在から、少しずつ「伯爵家の一員」として認められつつある実感があった。

(……オルドリン、喜んでくれるかな)

 俺は天井を見上げた。
 白銀領での旅は楽しかった。
 だからこそ、帰ってきてからの日常も、彼にとって楽しいものであってほしい。
 そう思って、俺は慣れない屋敷の飾り付けや、祭りの献立決めに奔走していたのだが……。

「……はぁ」

 ふと、廊下の向こうから重苦しい気配を感じた。
 振り返ると、執務室の方から、どんよりとした黒い雲を背負ったようなオルドリンが歩いてくるのが見えた。

「あ、オルドリン! お疲れ!」
「…………」

 俺が手を振ると、彼は幽鬼のようにゆらりと顔を上げ、すがるような目で俺を見た。

「……ルシアン……」
「ど、どうした? 顔色が悪いぞ」

 俺が駆け寄ると、彼は倒れ込むように俺の肩に額を押し付けてきた。
 重い。物理的にも、精神的にも。

「……不足だ」
「え?」
「ルシアン成分が……危険域に達している……」
「……またそれかよ」

 俺は苦笑しつつ、彼の背中をポンポンと叩いた。

「ごめんごめん。準備が忙しくてさ。……ほら、補給しろ」
「……ん」

 彼は俺の首筋に顔を埋め、深呼吸を始めた。
 使用人たちが「あらあら」「まあまあ」と生温かい目で見守りながら去っていく。
 もう慣れた光景だ。

「で、どうしたんだ? ただの寂しがり病以外に、何かあるのか?」
「……いや。少し、魔力が騒がしいだけだ」

 オルドリンは顔を上げないまま、ポツリと言った。

「星渡りの時期は……苦手なんだ」
「苦手?」
「ああ。……あまり、良い思い出がない」

 その声のトーンが、いつもの甘えた調子とは少し違って聞こえた。
 もっと暗く、冷たく、古傷が痛むような響き。
 俺は手を止め、彼の顔を覗き込んだ。

「……なんかあったのか?」
「……昔の話だ」

 彼はためらいがちに、しかし俺には隠し事をしたくないというように、重い口を開いた。
 彼が語ったのは、幼少期の記憶だった。
 クライス家は代々、強大な魔力を持つ家系だ。中でもオルドリンは、歴代でも突出した魔力の持ち主だった。
 まだ制御も未熟だった十歳の頃。
 『星渡り』の夜、降り注ぐ過剰な魔力に共鳴した彼は、自分の力を抑えきれずに暴走させてしまったのだという。

「……気づいた時には、屋敷の庭が全て凍りついていた。大切に育てていた薔薇も、池の魚も……そして、止めに入った父上の腕さえも」

 オルドリンの声が震えた。

「誰も私を責めなかった。だが、あの時の恐怖は消えない。……美しく輝く星の光が、私にとっては『自分を化け物に変えるトリガー』にしか見えないんだ」

 彼は自身の腕を強く抱いた。

「だから、この時期は憂鬱になる。……また、大切なものを傷つけてしまうのではないかと」

 俺は言葉を失った。
 最強の魔法使いと呼ばれ、白銀領では神の如く崇められていた彼。
 けれどその内側には、幼い頃に負った深い傷跡が、まだ生々しく残っていたのだ。

(……そっか。だから、さっきあんなに顔色が悪かったのか)

 単なる構ってちゃんではなかった。
 彼は本気で怯えていたのだ。
 祭りの光に。そして、自分自身の力に。

「……オルドリン」

 俺は彼の両頬を挟み、無理やり顔を上げさせた。
 アイスブルーの瞳が、不安げに揺れている。

「……すまない。湿っぽい話をしたな。忘れてくれ」
「忘れるかよ」

 俺は真っ直ぐに彼を見つめた。

「アンタがそんな顔してんのに、俺だけ祭りで浮かれるわけにはいかないだろ」
「……ルシアン」
「なら、上書きしようぜ」
「え?」

 俺はニッと笑った。

「嫌な思い出なんて、もっと強烈で楽しい思い出で塗りつぶしちまえばいいんだよ。……俺たち流のやり方でさ」

 オルドリンが瞬きをした。

「俺たち流……?」
「そう。堅苦しい式典とか、怯えながら部屋に篭るとか、そんなんじゃなくてさ」

 俺はポケットから、一枚の紙を取り出した。
 それは、冒険者ギルドの掲示板から剥がしてきた依頼書だ。

『求む! 幻の食材、極光鳥(オーロラ・バード)の捕獲!』
『年に一度、星渡りの時期にのみ雪山に現れる美味なる鳥。その肉は光を纏い、食べた者に至上の幸福をもたらすという――』

「これだよ、オルドリン」

 俺は依頼書を彼の目の前に突きつけた。

「祭りのメインディッシュは、自分たちで狩りに行こうぜ」
「……は?」

 オルドリンが間の抜けた声を出した。

「か、狩り? 私と君でか?」
「そう! 『星渡り』の夜に、屋敷でガタガタ震えてるなんて柄じゃないだろ? 俺たちは冒険者夫婦だ。……星の魔力が溢れてるなら、それを逆手にとって、一番美味いもん食って笑い飛ばしてやろうぜ!」

 俺の提案に、オルドリンはぽかんと口を開けた。
 常識的に考えれば、魔力暴走を恐れる魔導師を、魔力が満ちる雪山に連れ出すなんて正気の沙汰ではない。
 でも、俺は知っている。
 彼はもう、昔の無力な子供じゃない。
 それに、隣には俺がいる。

「俺がいるだろ?」

 俺は彼の胸元、お揃いのペンダントを指先で弾いた。

「この『共鳴』がある限り、アンタが暴走しそうになったら俺が止める。……アンタの氷も、恐怖も、俺が全部受け止めてやるよ」
「…………」

 オルドリンの瞳から、揺らぎが消えた。
 代わりに、じわじわと熱い光が宿り始める。

「……君は、本当に」

 彼はふっと息を吐き、そして泣き笑いのような表情で俺を抱き寄せた。

「無茶苦茶だ。……だが、最高に魅力的だ」
「だろ?」
「ああ。……上書きしてくれ、ルシアン。君との色で、私の過去を塗り替えてくれ」

 彼の腕に力がこもる。

「行こう。……極光鳥とやらを狩り尽くして、二人だけの祝宴を開こうではないか」
「狩り尽くすなよ、絶滅するから!」

 俺たちは笑い合った。
 重苦しかった空気が、一瞬で吹き飛ぶ。
 やっぱり、俺たちには湿っぽい空気は似合わない。

「よし、じゃあ準備だ! セバスチャン、弁当の用意を頼む!」
「畏まりました。……腕によりをかけましょう」

 影から現れたセバスチャンも、嬉しそうに微笑んでいる。
 こうして、俺たちの『星渡り』の計画は、優雅な晩餐会から、雪山への『魔物狩りデート』へと変更された。
 トラウマ?
 そんなもの、俺の旦那様の最強魔法と、俺の食欲の前では敵じゃない。
 最高の夜にするための、冒険の準備が始まった。
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