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第4話:孤高の悪役と、沈黙の守護者
しおりを挟む季節は巡り、アステリア魔法学園にも卒業の時期が近づいていた。
キャンパス内の並木道は葉を落とし、冷たい風が吹き抜ける。だが、俺の心は常夏の太陽のように晴れやかだった。
(あと一日……! あと一日で、この胃痛生活ともおさらばだ!)
俺、ミシェル・ヴァイオレットは、自室で荷造りを進めながら、込み上げる笑いを噛み殺していた。
あれから二年間。俺は勤勉だった。
来る日も来る日も「悪役」としての業務を遂行し続けた。
図書室では、ライオネルが読もうとしていた初歩的な魔導書を取り上げ、「貴様にはまだ早い」と超難解な『深淵魔法・全集(古代語版)』を押し付けた(※俺が読めなくて邪魔だったからだ)。
食堂では、彼が菓子パンを食べているのを見かけるたびに没収し、代わりに徹夜で作った『完全栄養食・魔力増強クッキー(味は粘土)』を口にねじ込んだ(※作りすぎて余っていたからだ)。
その結果。
ライオネル・ブレイブは、もはや入学当初のオドオドした少年の面影など微塵もない、完璧な「強者」へと成長していた。
背は俺を頭一つ分追い抜き、鍛え上げられた肉体は制服の上からでも分かるほど逞しい。
金色の髪は獅子のように輝き、その蒼い瞳には揺るぎない自信が宿っている。
『マスター、最終ステータスを確認します』
脳内ナビゲーターの声が響く。
『ターゲット:ライオネル・ブレイブ
・魔法レベル:SS(学年次席、実質最強)
・身体能力:SS
・覚醒進行度:99%
・追放レート:測定不能(ERROR)』
「……最後のが相変わらず不穏だが、まあいい」
俺は思考を放棄した。
あれだけいじめ抜いたのだ。測定不能になるほど嫌われているに決まっている。
準備は万端だ。
明日の卒業パーティーで、衆人環視の中、彼を派手に罵倒し、追放を宣言する。
そうすれば、彼は怒りで残りの1%を埋め、覚醒した力で俺を断罪してくれるはずだ。
俺はその混乱に乗じて、無人島へ高飛びする。完璧なシナリオだ。
「よし、荷造り完了」
俺は部屋を見渡した。
家具も、衣服も、私財の全てはすでに『亜空間収納(インベントリ)』に放り込んである。
無人島で使うための農具、種子、調味料。さらには、チートスキル『万物創造』を駆使して作り上げた秘密兵器――『全自動ゴーレム・メイドちゃん(仮)』のパーツも収納済みだ。
この部屋に残っているのは、明日のパーティーで着る礼服だけ。
俺は窓を開け、バルコニーに出た。
夜風が心地よい。
眼下には、静まり返った学園の庭園が広がっている。
「……やっと、終わるんだな」
ワイン(に見せかけた高級葡萄ジュース)をグラスに注ぎ、一人乾杯する。
自由。
その二文字が、こんなにも幸福で甘美なものだとは知らなかった。
明日からは、誰に気を使うこともなく、トマトを育て、ヤギと戯れ、泥のように眠る日々が待っている。
「……ヴァイオレット様」
不意に、隣のバルコニーから声がかかった。
ビクリとして顔を向けると、そこにはライオネルが立っていた。
特待生寮は別棟のはずだが、少し前からこの貴族寮の特別室に移ってきたのだ(よりによって俺の隣に)。
月明かりの下、彼は欄干に手をかけ、じっとこちらを見つめていた。
その瞳は、深海のように暗く、静かだった。
「……なんだ、特待生か。何の用だ」
俺は努めて冷淡に、いつもの悪役トーンで返した。
これが最後の会話になるかもしれない。最後までブレてはいけない。
「貴方は相変わらず、ですね。……部屋の中、随分と片付いているのですね」
ライオネルの視線が、カーテンの隙間から見える俺の空っぽの部屋に向けられた。
ギクリとした。
夜逃げの準備が見られたか?
いや、ここは強気で誤魔化すところだ。
「フン、この学園とも貴様らとも、これでおさらばだからな」
「……噂は本当だったのですね」
「あ?」
「貴方が、高等部卒業と同時に王都を去るという噂です」
ライオネルの声が少し低くなった。
俺は心の中でガッツポーズをした。
実家に根回しをして流した「放蕩息子、勘当されて辺境へ追放」という偽情報が、しっかり広まっているらしい。これで俺が消えても誰も探さないだろう。
「そうだ。俺は自由になる。堅苦しい貴族社会も、馴れ合いも御免だ。俺は一人で生きていく」
俺はグラスを傾け、ニヒルに笑ってみせた。
どうだ、この身勝手さ。
「全ての責任を放棄して逃げるクズ」に見えるだろう? さあ、軽蔑しろ。
だが。
ライオネルは軽蔑しなかった。
代わりに、ギュッと欄干を握りしめた。ミシミシ、と鉄が軋む音が聞こえる。
「……一人で、ですか」
「そうだ。俺には誰も必要ない」
「嘘だ」
鋭い、けれど酷く切迫した声が飛んできた。
俺は驚いて彼を見た。ライオネルの表情が、まるで世界の終わりのように苦しげに歪んでいる。
「貴方は、そうやってまた……何もかも一人で背負って、泥を被って、消えようとする」
「……は? 何を言って……」
「俺には分かります。貴方のその突き放すような態度が、何を意味しているのか」
ライオネルが身を乗り出した。その瞳の熱量に、俺は思わず後ずさる。
「貴方は、……俺が、貴族社会のしがらみに巻き込まれないよう、代わりに全ての悪評を引き受けて去ろうとしている。俺の未来のために、自分を犠牲にして」
(……なんでそうなる!?)
俺は内心で絶叫した。
待て待て、その解釈はあまりにも「美談」すぎないか?
俺はただ、スローライフのために逃げるだけだぞ?
だが、ここで本当の理由を伝えたら計画が台無しだ。俺はあくまで「悪役」でなければならない。
「……バカを言うな。俺はただ、貴様が目障りなだけだと言っている」
俺は冷たく言い放ち、背を向けた。
これでいい。会話を打ち切ろう。これ以上話すとボロが出る。
「ヴァイオレット様!」
背後から、強い声が響いた。
呼び止められた足が止まる。
「俺は、もう守られるだけの弱者ではありません」
ライオネルの声には、確固たる力が宿っていた。
それは、二年前のひ弱な少年には出せなかった、王者の響き。
「貴方が渡してくれた魔導書も、試練も、全て俺の血肉になっています。体の中で、力が溢れて止まらないんです。……今なら、何が相手でも負ける気がしない」
……おいおい、なんかすごいこと言ってるぞ。
まあ、それだけ強くなったという自信の表れだろう。結構なことだ。
「明日のパーティーで、証明してみせます。俺の力が、貴方の想像を超えていることを」
「ほう。……挑戦と受け取る」
俺は肩越しに振り返り、ニヤリと笑った。
そうだ、その意気だ。
明日の断罪イベント、その力で俺を思いっきり吹っ飛ばしてくれ。俺は『絶対防御』で耐えて逃げるから。
「後悔するなよ、特待生」
俺はそれだけ言い残し、部屋に入って窓を閉めた。
カーテンを閉め切った瞬間、俺はへなへなと座り込んだ。
「ふぅ……怖かった……」
心臓がバクバクしている。
最後のライオネルの目。あれは完全に「獲物を狩る目」だった。
殺る気満々じゃないか。
これ、下手をすると防御結界ごと叩き斬られるんじゃないか?
俺は念のため、結界の強度設定を「対ドラゴン級」から「対魔王級」に引き上げておくことにした。
「さあ、寝よう。明日は早い」
俺はベッドに潜り込み、毛布を頭まで被った。
明日さえ乗り越えれば、パラダイスだ。
俺は羊の代わりにトマトを数えながら、眠りについた。
◇◇◇
一方、バルコニーに残されたライオネルは、閉ざされたミシェルの窓をじっと見つめていた。
その手には、いつの間にかひび割れた鉄の手すりが握られていた。
「……一人で生きていく? そんなこと、させるわけがない」
ライオネルの体から、黄金の粒子が漏れ出していた。
感情の高ぶり呼応するように、魔力が暴れ出そうとしている。
光の勇者としての力。
だが、今の彼にとって、それは世界を救うためのものではない。
「この力は、貴方を縛る鎖を断ち切り、そして……貴方自身を俺の元に繋ぎ止めるためにある」
彼は知っている。
ミシェルがどれほど優しく、そしてどれほど不器用か。
誰にも理解されず、孤独に悪を演じ続ける彼を救えるのは、自分しかいない。
「証明して見せます、ヴァイオレット様。俺はもう、貴方が守らなきゃいけない子供じゃない。……貴方を守り、愛し、一生離さない男だと」
ライオネルの瞳が、妖しく輝いた。
それは覚醒の前兆であり、同時に、制御不能な執着の炎が灯った瞬間でもあった。
運命の卒業パーティーまで、あと二十四時間。
二人の思惑は、「退場」と「捕獲」という、決して交わらない平行線を辿ったまま、激突の時を迎えようとしていた。
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