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第5話:ゲージの謎と不穏な視線
しおりを挟む膝の擦り傷は、魔法の薬ですぐに治った。
だが、俺の心に刻まれた『恐怖』という傷は、そう簡単には癒えそうになかった。
「……おかしい」
放課後の教室。俺は一人、ノートに殴り書きをしていた。
中心に書かれているのは『ルーク・アージェント』の名前と、『-98』という数字。
「嫌いなら、無視すればいい。それが人間の心理だ。俺だってアンチコメントはいちいち相手にしない」
ボールペンの先でトントンと机を叩く。
だが、ルークは違う。
俺をゴミのように扱いながら、俺が他の誰か(ハル)と仲良くしようとすると、物理攻撃(魔法)で妨害してくる。
これは『嫌悪』というより、『執着』に近いのではないか?
「……いや、待てよ」
俺はふと、配信の記憶を掘り起こした。
リスナーのコメントだ。
『まこっちゃん、ヤンデレは放置すると煮詰まって爆発するから、適度にガス抜き(構うこと)が必要だよ!』
「ヤンデレ。ガス抜き……?」
そうだ。俺は今まで、これ以上嫌われないように「避ける」という選択を取り続けてきた。数字さえ動かなければ、現状維持でバッドエンドを回避できるはずだと信じて。
けど、相手はヤンデレだぞ?
ヤンデレって相手のことを好きすぎる奴のことだよな? なら『好感度-98』っておかしくないか? 好きと嫌いは紙一重ってことなのか?
いや、もしこの『-98』が、『好感度』のマイナス(=嫌い)ではなく、『別の何か』を示すようなマイナスだとしたら?
わざわざゲージに示すぐらいなんだから、主人公の何かとか?
いやいや、まさか。あんな殺人鬼みたいな目で見てくる奴が、俺の何かなんぞを求めているわけがない……よな?
よくわからんが、現状を打破するには、仮説を検証するしかない。
「よし。……やってみるか。『オペレーション・あえて構い倒して反応を見る』!」
俺はノートをバタンと閉じた。
社会人の営業スキルを見せてやる。苦手な取引先こそ、笑顔で懐に入る。それが大人の流儀だ。
翌日。
俺は校舎のメインストリートで待ち伏せをしていた。
ターゲットは、ルーク・アージェント。
彼がいつものように取り巻き(ゼノス)を引き連れて歩いてくるのが見える。周りの生徒がモーゼの海割りのように道を開ける。
俺は深呼吸をして、その「道」の中央に飛び出した。
「ルーク様! おはようございます!」
満面の営業スマイル。角度三十度のお辞儀。
完璧だ。爽やかさの塊だ。
周りの生徒が「ヒッ」と息を呑む音が聞こえた。ゼノスが「貴様ッ!」と剣に手をかけるのが見えた。
だが、ルークが片手でそれを制した。
ルークが立ち止まる。
そのアメジストの瞳が、真正面から俺を捉えた。
「……何の真似だ」
「いえ! 天気が良かったので、ご挨拶をと思いまして! 今日も良い一日になりますように!」
俺は笑顔を崩さない。心臓はバクバクだが、表面上は『気のいいクラスメイト』を演じ切る。
さあどうだ。少しは数字が上がったか? 嫌いな相手でも、笑顔を向けられれば毒気は抜かれるはず——。
俺はチラリと、彼の頭上を見た。
『 ▼ -98 』
……動かない。
いや、待て。
ジジッ、ジジジッ。
数字が、ノイズのように不気味に明滅した。
一瞬、『ERR(エラー)』という文字が見えたような気がした。
そして次の瞬間、数字が『-99』になりかけ、また『-98』に戻るという、不安定な挙動を見せた。
「……は?」
バグった?
俺の演技がひどすぎてシステムエラー起こした?
「……ふっ」
ルークが、小さく笑った。
だが、それは友好的な笑みではなかった。
獲物が罠にかかったのを確認したような、昏く、粘着質な笑み。
「そうか。挨拶か」
ルークが一歩、俺に近づく。
香水の匂いではなく、冷たい冬の朝のような匂いがした。
「気が向いたのか? ようやく、私を見る気になったのか?」
「え……あ、はい。クラスメイトですし、仲良くしたいなーなんて……」
「仲良く。……ふふ、仲良くか」
ルークは俺の言葉を反芻し、うっとりとした表情で目を細めた。
怖い。
普通に怒鳴られるより、百倍怖い。
なんだこの違和感は。会話は成立しているのに、文脈の裏にある感情がまったく噛み合っていない気がする。
「いいだろう。放課後、旧校舎の裏に来い。……『仲良く』したいのだろう?」
そう言い残し、ルークは去っていった。
俺はその場に立ち尽くした。
背中にじっとりと冷や汗が滲んでいる。
「……俺、やらかしたかも」
俺は、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
放課後。
俺は約束の場所、旧校舎の裏庭に来ていた。
人気はない。夕日が廃墟のような校舎を赤く染め、影を長く伸ばしている。ホラーゲームなら確実にゾンビが出るロケーションだ。
「……遅いな」
約束の時間を十五分過ぎていた。
帰ろうか。いや、ここで帰ったらまた『-98』の制裁(魔法爆撃)が飛んでくるかもしれない。
カツン。
足音がした。
振り返ると、木陰にルークが立っていた。
逆光で表情が見えない。だが、頭上のゲージだけが、夕闇の中で赤く発光しているように見えた。
「……よかった。来てくれたんですね、ルーク様」
「ああ。この時を待っていたぞ、真」
名前。
初めて、名前で呼ばれた。
それだけで鳥肌が立つ。あんなに冷たかった声に、今は熱っぽい色が混じっている。
「それで、話というのは……」
「お前が望んだことだ。『仲良く』したいと」
ルークがゆっくりと近づいてくる。
俺は無意識に後ずさる。背中が冷たい壁に当たった。旧校舎の外壁だ。
逃げ場がない。
「あ、あの! 仲良くっていうのは、その、普通のクラスメイトとしてですね……!」
「クラスメイト? ……ああ、そうだな。まずはそこからでもいい」
ルークが俺の目の前で止まる。
近い。
そして、俺は見た。
彼の頭上のゲージを。
『 ▼ -98 』
動いていない。
こんなに俺に興味を示しているのに。名前まで呼んだのに。
数字に変動がない?
——違う。
俺はようやく、決定的な事実に気づいた。
あのゲージの横にある小さなアイコン。
小さすぎて見えていなかったが、今は肉眼で見える。
それは『ハート』のマークではない。
『空っぽの器(カップ)』のマークだ。
「……何かが、不足している?」
そう呟いた瞬間、ルークの瞳が見開かれた。
「……気づいたか?」
ルークの手が、俺の頬に触れた。
氷のように冷たい手。だが、そこから伝わる熱量は火傷しそうだ。
「ずっと、待っていた。お前が私を見るのを。お前が私に触れるのを。あちらの世界でも、この世界でも……私はずっと、飢えていたんだ」
あちらの世界でも?
もしかしてこの王子、今回のセーブデータじゃなくて、プレイヤーとしての俺のことまで知っているっていうのか?
「お前が私を選ばないこと。それが、私をどれだけ狂わせたか……お前にはわからないだろうな」
ルークの指が、俺の唇をなぞる。
ゲージが激しく点滅を始めた。
『-98』が『-99』へ。カウントダウンのように進んでいく。
やっぱり、これは好感度じゃない!
そうだ。これは『我慢の限界(ヤンデレ)ゲージ』だ。
何かが不足しているんじゃない、俺(主人公)自身を求めていることを示していたんだ。
満たされない渇望が限界を突破するまでの、時限爆弾のタイマー。
「ル、ルーク様、落ち着いて……! 俺は、その、主人公じゃありません!」
「主人公? 何を言っている。お前は私の『運命』だ」
ルークが微笑んだ。
それは、この世のものとは思えないほど美しく、そして絶望的なまでに壊れた笑顔だった。
「もう、我慢しなくていいんだな? お前から歩み寄ってくれたんだ。……なら、私のやり方で愛してやっても、文句はないな?」
カチリ。
頭上の数字が『-100』になった音が、幻聴のように聞こえた。
ゲージが砕け散るエフェクトが見えた。
「え?」
視界が暗転する。
魔法だ。
眠りの魔法をかけられたのだと気づいた時には、俺の体はすでに崩れ落ちていた。
「おやすみ、真。……もう二度と離さない」
薄れゆく意識の中で、ルークが俺を抱き止める感触と、幸せそうな、本当に幸せそうな声だけが聞こえた。
ああ、間違えた。
俺は攻略法を、根本から間違えていたんだ。
大人の余裕なんて見せている場合じゃなかった。
ゲージの意味をよく考えるべきだったんだ。
……もっと、早くに。
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