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第6話:俺があいつを追い詰めた
しおりを挟む目が覚めると、そこは最高級ホテルの一室……ではなかった。
「……天蓋付きベッド。猫足の家具。窓には鉄格子。そして、扉には厳重な魔法結界」
俺、橘真(二十二歳・監禁被害者)は、ふかふかのベッドの上で天井を見上げながら、虚ろな目で現状を実況していた。
「はい、というわけでね! 見事にフラグ回収しました! ありがとうございます! ……って、笑えないんだよおおおお!」
俺は枕を投げ捨てた。
枕はふわりと宙を舞い、高級そうなペルシャ絨毯の上に音もなく落ちた。
ここがどこかは分からない。だが、状況は明白だ。
昨日、旧校舎の裏でルークに昏睡魔法をかけられ、お持ち帰りされたのだ。
いわゆる『監禁ルート』突入である。
「マジかよ……。俺、会社……じゃない、学校どうすんだよ。ハルが心配するだろ……」
窓の外を見る。高い。ここは塔の上層階らしい。下には森が広がっているが、飛び降りれば即死、良くて複雑骨折だ。
俺は扉に向かった。ノブを回す。開かない。
体当たりする。ビクともしない。
試しに、昨日覚えたばかりの初級魔法『小さな灯火(ライト)』を鍵穴に向けてみる。
ジュッ。
紫色の電撃が走り、俺の指先を焦がした。
「痛っ! ……セキュリティ万全かよ。警備会社もびっくりだわ」
俺は指をふーふーと吹きながら、ベッドの縁に座り込んだ。
ゲームなら、ここから数週間(ゲーム内時間でスキップされる)過ごせば、主人公の精神が摩耗して『依存エンド』か、隙を見て脱走する『逃走劇』になる。
だが、ここは現実だ。
トイレはどうする? 風呂は? 食事は?
リアルな生理現象への不安が頭をもたげたその時、ガチャリと重い音がして、扉が開いた。
「……起きたか、真」
ワゴンを押して入ってきたのは、この部屋の主であり、俺を拉致した張本人。
ルーク・アージェントだ。
昨日の制服姿ではない。ラフなシャツに、カーディガンを羽織っている。まるで、休日の朝を恋人と過ごす彼氏のような、リラックスした出立ちだ。
だが、その瞳は違う。
暗く、深く、光のないアメジスト。
そして頭上には——ゲージがなかった。
数字も、アイコンも消えている。
計測不能(エラー)。あるいは、もう計測する必要もないという『確定』の証か。
「……ルーク様」
「ルークでいい。……顔色が少し悪いな。腹が減っているんだろう? 食事を持ってきた」
ルークはワゴンから皿を取り出し、サイドテーブルに並べ始めた。
焼きたてのパン、温かいスープ、彩り豊かなサラダ。
いい匂いがする。悔しいことに、俺の腹がグゥと鳴った。
「食べろ。毒など入っていない」
「……いただきます。でもその前に、話をさせてください」
俺は努めて冷静に切り出した。
ここで取り乱して「出せ!」と叫んでも、ヤンデレには逆効果だ。俺は社会人。交渉(ネゴシエーション)で解決する。
「ルーク様。……ルーク。これは、どういうことですか」
「どういうこと、とは?」
「俺をここに閉じ込めて、学校にも行かせない。これは犯罪です。誘拐、監禁罪にあたります。王族であっても、許されることじゃありません」
俺は理路整然と説いた。
二十二歳の一般常識を持ってすれば、十七歳の高校生なんて論破できるはずだ。
だが、ルークはきょとんとして、それから不思議そうに首を傾げた。
「犯罪? ……なぜ? 私は大切なものを、泥棒から守っているだけだ」
「泥棒?」
「ああ。外の世界は危険だ。害虫が多すぎる。お前に群がる有象無象……カイや、シオンや、あの忌々しいハルとかいう男。奴らは隙あらばお前を奪おうとする」
ルークはスープをスプーンですくい、俺の口元に運んできた。
「だから、ここに隠した。ここなら誰も来ない。お前を傷つけるものも、お前を惑わせるものもない。私と、お前だけだ。……素晴らしい解決策だろう?」
ゾッとした。
話が通じない。
論理の前提が違うのだ。彼にとって、俺は『人間』ではなく、『所有すべき宝物』であり、『守るべき弱者』なのだ。人権という概念が欠落している。
「……俺には、生活があります。勉強もしなきゃいけないし、将来のことも……」
「将来? 私が保証する。一生、何不自由なく暮らせるようにしてやる。お前はただ、そこで私の帰りを待って、私に愛されていればいい」
ルークは微笑んだ。
本当に、心からの善意で言っている顔だった。
それが一番怖い。
「……俺は、ペットになりたいわけじゃないんです」
「ペット? まさか。お前は私の『命』だ」
ルークがスプーンを置き、俺の手を両手で包み込んだ。
冷たい。震えている。
「……いなくならないでくれ。もう、耐えられないんだ」
「えっ」
「どこに行っても、誰といても、お前は私を見ていなかった。目が合っても、心は別の場所にあった。……あの男(ハル)と笑い合うお前を見た時、私の中で何かが壊れた音がした」
ルークの手が強くなる。痛いほどに。
「お前を殺して、剥製にして飾っておこうかとも思った。そうすれば、お前は永遠に私だけのものだ。……でも、お前が冷たくなるのは嫌だ。温かいまま、私のそばにいてほしい」
……おいおい、待て待て。
さらっと猟奇的な選択肢を検討してたんじゃないよ。危うくサスペンス劇場になるところだったぞ。
「だから、ここにいてくれ。お願いだ、真」
懇願。
王族である彼が、俺の足元に跪き、縋り付いている。
その姿は、恐怖の対象であるはずのヤンデレというより——まるで、親に捨てられるのを恐れる子供のようだった。
(……そうか)
俺は、ふと気づいてしまった。
あの『-98』のゲージ。
あれは『危険度』であると同時に、『SOS』の信号だったのかもしれない。
俺が「大人だから」「常識的だから」と距離を置き、壁を作っていたその態度が、彼をここまで追い詰めたのだ。
俺は『実況者』として、画面の外から彼を見ていたつもりだった。
でも、彼は生きていて、俺の無関心に傷つき、飢えていた。
……悪いのは、俺の「事なかれ主義」だったのか?
「……ルーク」
俺はため息をつき、彼の手を握り返そうとした。
だが、その瞬間。
ドォォォォン!!!
部屋全体が大きく揺れた。
爆発音。そして、窓の外から黒煙が上がるのが見えた。
「な、なんだ!?」
「チッ……」
ルークの表情が一変した。
縋るような弱さは消え失せ、冷酷な殺意が顔を覗かせる。
彼は立ち上がり、窓の外を睨みつけた。
「……嗅ぎつけたか。ハイエナ共め」
窓の下、森の方から拡声魔法による声が響いてきた。
『おーい! ルーク! 橘を返せぇぇぇ!! 筋肉で解決しに来たぞぉぉぉ!!』
『その建物の構造的弱点は計算済みだ! 三分以内に解放しなければ、基礎部分を爆破する!』
『橘ー! 助けに来たよー! 無事かいー!?』
カイ、シオン、そしてハル。
攻略対象(とサポートキャラ)たちが、カチコミに来てくれたのだ。
「あいつら……!」
俺は感動で泣きそうになった。
まさか、あの脳筋やマッドサイエンティストたちが、こんなに頼もしく見える日が来るとは。
「……騒がしい」
ルークが低く呟く。
彼の手には、いつの間にか長剣が握られていた。空間収納魔法か何かか。
その背中からは、どす黒いオーラが噴出している。
「真。ここで待っていろ。……ゴミ掃除をしてくる」
「ちょ、ルーク! 待て!」
「安心しろ。すぐに静かになる」
ルークは振り返り、ニッコリと笑った。
その笑顔は、先ほどの子供のようなものではなく、完全に『魔王』のそれだった。
「私の邪魔をする者は、誰であろうと許さない。……たとえ、旧友であろうともな」
ルークは窓を開け放つと、躊躇なくそこから飛び降りた。
マントを翻し、森へと降下していくその姿は、皮肉にもゲームのパッケージで見た『正義の王子様』そのものだった。
ただ、向かう先が魔王城ではなく、クラスメイトの元であることを除けば。
「……これ、ヤバいんじゃないか?」
俺は窓に駆け寄った。
下では、魔法の光と爆発が交差している。戦争だ。完全に戦争が始まっている。
俺一人のために、国の重要人物の息子たちが殺し合いを始めている。
もはや「二十二歳一般男性」の手に負える事態ではない。
だが、ここで待っているわけにはいかない。
俺のせいで誰かが死ぬなんて、それこそバッドエンドだ。
「……やるしかねえ。実況者魂、見せてやるよ」
俺は部屋を見渡した。
武器はない。魔法も使えない。
あるのは、シーツと、重たい家具と、そして俺の『口(トーク)』だけ。
俺はシーツを裂き始めた。
脱出じゃない。仲裁に行くんだ。
この泥沼のヤンデレ劇場に、俺自身が幕を引くために。
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