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2話 死体の婚約破棄

死体は追いつめられる

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 ジュリエットの朝は早い。
 日の出と共に起床し、フィーナを熱烈なキスで起こし、共に城の庭を散歩する。
 庭で死んでいる小鳥を見つけると、可哀想に、と涙して、すぐさま穴を掘って死体を埋めてしまう。フィーナはそれを悲し気に見つめる。(せっかくの新鮮な死体が……)
 「朝ご飯は必ず全員で!」というジュリエットの一声で、王、王子二人、フィーナ、ジュリエットの5人が集められて、朝から恐ろしい量の朝食が出される。それをジュリエットはぺろりと平らげる。「……胸に栄養が回っているんだな」とはエルドレッドの言。見てるだけで気持ち悪くなる、とエルドレッドは成長期のフィーナに好きなものを分けてあげてを少な目に食事を済ませる。
 ちなみに王はまだ怒ったままなので、非常に雰囲気の悪い食事会が毎朝開催されていることになる。もちろんジュリエットがすべての会話を回している。

 朝食が終わると、それぞれ別行動になるのだが、ジュリエットは泣く泣く自分の仕事(「国際ひよこ学会婦人部」「生き馬の目を抜く祭り事務局」「キャベツオンザディッシュ財団」etc.etc.……)に出かけるのだが、毎日それは今生の別れかというくらいに大げさにフィーナのことを抱きしめていく。
 エルドレッドはといえば、フィーナと離れるとまた死んでしまうのではないかと危惧していたのだが、城の中であれば魔力の供給に問題がないことが分かり、今日は王城でフィーナと離れて仕事をしている。
 そんなわけで、今日のフィーナはグレイヴと庭をウロウロと死体探しをしていた。

「そうだ、グレイヴ、家から緑の秘薬を持ってきてもらえない? そろそろなくなりそうなの」

 グレイヴはオン、と一鳴きすると、城壁を軽やかに越えて行った。
 家にはなかなか帰れなくなってしまったので、グレイヴにお使いに行ってもらうことが多い。グレイヴは機敏なので自分で取りに行くよりも早いし、家の様子も見てきてくれるようなので助かる。

 これで新しい実験ができるぞ、とフィーナはホクホクする。
 夜はジュリエットがいるのでエルドレッドの体をいじることができないけれど、代わりにジュリエットはフェザーストン秘蔵の医学書を貸し出してくれるから、フィーナはジュリエットのことが好きだ。
 ここは森の中では知ることのできなかった知識や感情に溢れていて、とても楽しい。

 ふと、庭の片隅でユージーンがしゃがみ込んでいるのを見つけた。

「ユージーン、何してるの?」

 後ろから声をかけると、ユージーンがびっくりしたように振り返る。

「フィーナ……ああ驚いた。うん、薔薇を摘んでいたんだよ」

 数本の柔らかなピンク色をした薔薇がすでに刈り取られて籠に入れられていた。それらは棘の一つ一つまで丁寧にそぎ落とされている。

「薔薇、好きなの?」

 ユージーンははにかみながら頷く。
 ユージーンはエルドレッドよりも淡いはちみつ色の髪をしていて、瞳はエルドレッドよりも赤みの強い深い赤葡萄色をしている。エルドレッドによく似た鼻筋に、エルドレッドよりも幼い面立ちは12歳という齢相応だ。

「フィーナは?」
「あたしはお花よりも動物の方が好きかなぁ」

 動かして楽しいのはやはり植物よりも動物の死体だ。

「そっか、フィーナはお医者さんになりたいんだっけ。ジュリエット姉様が言っていたね」

 そういうことにしておく。

「ジュリエット姉様はね、薔薇が好きなんだ。今ちょっと兄上ともめているでしょ? だから綺麗なものを見て和んでいただけたらなあって思って。切り花にして部屋に飾るといつでも見れるからね」
「そっかあ。優しいんだね。じゃああたしも手伝ってあげる」

 二人で薔薇の花を園芸鋏で切りとっていく。

「あっちの薔薇もとっていい?」

 フィーナが隣の赤い薔薇を指さすと、ユージーンは少し困ったような顔をした。

「うーん、赤い薔薇はちょっと……」
「嫌いなの?」
「ううん。でもやめとこうか。ピンクだけでも綺麗でしょ?」

 フィーナはよくわからないながらも頷く。それよりも薔薇の株の元で蟻に運ばれている蜜蜂の死体の方が気になった。


 部屋に薔薇を活けてもらうと、その強烈な匂いにフィーナは戸惑った。
 森での生活では鼻を利かせることが多く、こんなに大量の薔薇は香りがきつすぎるのだ。屋外ではともかく、部屋の中では匂いがこもって辛い。
 たまらずフィーナはエルドレッドの部屋に避難する。
 フィーナの死霊術士としての私物はエルドレッドの部屋にあったので、そこから前に家からグレイヴに持ってきてもらった本を引っ張り出して、エルドレッドのベッドに潜りこんでからのんびりと本を開く。ジュリエットはお行儀に厳しいのでこんなことは許してくれない。
 そうしていると、うとうとして、つい眠り込んでしまった。


 ドアの開く音で目が覚めた。
 あたりは薄暗く、その人はランプを持って部屋に入ってきた。
 エルドレッドの匂いがする。
 フィーナは寝ぼけたままボーっといつ起きようかと考える。
 ――お夕飯に呼ばれたらでいっかぁ……
 眠気が勝ってベッドの中でまどろんでいると、バンッと乱暴にドアが開く音がした。

「エルドレッド!」

 ジュリエットの怒声が聞こえる。それと、薔薇の甘い香り。

「どうしたんだい? 最近の君はノックをすることを忘れてしまったんじゃないのかな? もう一度淑女教育をやり直した方が――」
「これはどういう意味なのかしら? わたくしを馬鹿にするのもいい加減にして」

 最近は二人はケンカせずにいたけれど、そういえば最初はジュリエット、すごく怒ってたなあと、のんびりと思いながら、フィーナはジュリエットとエルドレッドの様子を天蓋の中から窺う。
 ジュリエットが一輪のピンク色の薔薇を手に持って、エルドレッドに詰め寄っていた。

「ピンク色の薔薇ですって? 毎年あなたが贈ってくれていたのは真っ赤な薔薇だったわね? それをわざわざ色を変えてわたくしの部屋にたくさん飾るだなんて、嫌味過ぎやしないかしら? わたくしにはもう真っ赤な薔薇を贈る価値なんてないとでも言いたいのかしら?」
「ちょっと待ってくれ。僕は――」
「ねえ、エルドレッド。わたくし、すごく我慢していたのよ。あなたのために。いつもいつも。今だって。それがなぜかわかる?ええ、わからないでしょうね。あなたには!」

 ジュリエットは薔薇を床にたたきつけると、ヒールの靴で踏みつける。そして涙ぐんだ目でエルドレッドを睨みつけた。

「あなたを愛しているからよ。ずっとずっと。出会った時からわたくしはあなたの伴侶で、共に国を支えていくと誓った同志で。フェザーストンだなんて家の繋がりなんかなくても、あなたという人間と生きているのだと、信頼し合っているのだと、そう思っていたのよ。なのに、真実の愛に目覚めたですって? ユージーンの婚約者になれですって? そんなこと言うくせに、わたくしと読んだ絵本のことは覚えていて、なのに今度はピンクの薔薇を贈るですって? もう嫌よ。わたくし、どうしたらいいかわからない。――出家します」

 突然のジュリエットの出家宣言にエルドレッドが慌てる。

「ちょっと待て! どうして君はいつもそう極端なんだ!」
「極端なのはどっちなの!? もうわたくしは結婚なんてできないわ。あなたのことを長年信じてきたのに裏切られて、人を信用できるわけがないでしょう!」
「いいや、大丈夫だ。君は強い人だから――」

 ジュリエットはピタッと口を閉じてうつむいてしまうと、妙な間をあけてから笑顔をむけた。

「――そう。わたくしが人。だから……。信じて下さって嬉しいわ。なら、わたくしもあなたの理想のわたくしを裏切ることにするわ」
「ジュリエット……?」

 エルドレッドが失言を悟ってももう遅い。
 ジュリエットが不穏な空気を醸し出しながら、一歩、また一歩とエルドレッドに迫り、反対にエルドレッドはじりじりと後ろに追いつめられていく。そしてついに、壁にドンと背中がついた。
 けれど、ジュリエットは距離を詰めるのを止めない。

「ジュリエット……ちょっと待て。それ以上近づくな――ンっ! ンンッ――!?」

 ジュリエットがエルドレッドにキスをしていた。

 ――わーっ、わーっ、わーっ! どどど……どうすれば! 

 ベッドの中で二人の様子を見ていたフィーナは大混乱でどうすればいいのかわからない。大人なシーンを覗き見するのは良くない気がするけれど、今出ていく勇気だってない。結局、じっと見続けるしかない。

「ジュリ…ッ! ンっ……!」

 ジュリエットは壁にエルドレッドを押し付けて無理やりキスを重ねる。何度も角度を変えながらエルドレッドの唇をむさぼっていき、顔を逸らそうと抵抗されるとより深く吸い付いていく。
 そして、長すぎるキスの後でやっと唇を離した。

「はあっ……はあ……どう……? これがわたくしの気持ちよ」

「……ジュリ……エット……、すまない……僕が、悪かった……だから、もう……」

 息も絶え絶えのエルドレッドに、ジュリエットはクスリと妖艶に笑う。

「あら? これで終わりなわけがないでしょう?」

 壁についていた手を離してエルドレッドの頬をなぞると、エルドレッドがビクリと震える。

「もう……わたくしってホント、馬鹿みたい。最初からこうしておけばよかったのだわ」

 そう言って、ジュリエットはしゅるりとドレスの前リボンを解いた。

「ちょっと待て……ジュリエット……! それはさすがにシャレにならない――」
「ふふ……伊達や酔狂であなたの婚約者やってるんじゃないのよ? わたくしを怒らせたこと、後悔させてあげる」

 ぷちぷちとドレスのボタンを開けていけば、コルセット越しに豊かな胸が主張する。窮屈に押し込めていたそれを解放してやると、エルドレッドの視線が釘づけられ、ゴクンと喉が鳴った。

「わたくしにはピクリともしないのだったわね? エルドレッド。上等よ、本当かどうか確かめてやるんだから――」

 固まったように動けないでいるエルドレッドの服にジュリエットが手をかけた時――

 ドンドン

 ベランダに通じる大窓が叩かれる音がした。
 ジュリエットの手が止まり、それに乗じてエルドレッドが窓に近づくと、そこにいたのはグレイヴだった。

「グレイヴ? どうして。いや、今開けてやるから――」

 窓を開けると、グレイヴが背中に荷物を括りつけたまま真っすぐにベッドへと歩いていく。

 ――へ? グレイヴ? ……ちょっと待って。今来ちゃダメ! 来たらあたしがここにいるって分かっちゃう……!

 必死に目で訴えかけるのに、グレイヴは主の元に戻ってこられたことで嬉しくて尻尾をブンブンと揺らす。

「――? グレイヴ――?」

 グレイヴはそのままベッドに上がって、「オン」と鳴いた。

 ベッドの上に男女の視線が集まる。
 そこにはもちろんフィーナがいて……

「きゃああああああっっ!」
「わあああああああっっ!」
「うぇえええええんっっ!」

 3人で絶叫した。
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