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2話 死体の婚約破棄
死体は謝る
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「ううっ……ひどいわ……ひどいわ……」
ジュリエットはシーツで体を隠しながらすすり泣いた。
フィーナはその横に座り背を優しくさすってあげる。
エルドレッドはバツが悪そうに反対側のソファに座って何も言えないでいる。
グレイヴだけが満足そうに部屋のすみっこでエサと水にありついていた。
「既成事実を作るのに失敗して……子どもにまでこんな醜態を見られて……もう、わたくし生きていけない……」
グズグズと泣いているジュリエットを慰めながら、フィーナはエルドレッドを非難の目で見る。
「ジュリエットが、かわいそう」
エルドレッドは苦虫をかみつぶした顔をする。
「……そんなこと言ったって……」
「……エルドレッド。ちゃんと話してあげるべきだとあたしは思う」
きっぱりとフィーナに言われて、エルドレッドは更に顔をしかめる。
「……いいのか、それで。君は」
「あたしは最初っからそう言ってるもん。それに、ジュリエットはいい人だよ。でしょ?」
フィーナのためというのならばそれは筋違いだった。
エルドレッドは言葉に詰まり、はあーっと深いため息をついた。
「……仕方が、ないか」
ジュリエットに視線を向けると、ジュリエットは鼻をすすりながらエルドレッドの顔を見上げる。
「ジュリエット、済まなかった、君を混乱させて。全部包み隠さず話すから――どうか、僕の話を聞いてくれないか?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ジュリエットが衣服を整えている間エルドレッドは一度部屋の外に出て、メイドに気持ちの落ち着くお茶を持ってくるようにと頼んだ。
部屋の花瓶に入りきらなかったのか廊下にも飾られているピンクの薔薇は、確かにジュリエットの心を逆撫でするだろうな、と苦い笑いが浮かぶ。
毎年エルドレッドが彼女に贈っていた真っ赤な薔薇の花言葉は、『あなたを愛してます』。花言葉には複数の意味が混在するものだけれど、この真っ赤な薔薇に限っては情熱的な愛の意味しかない。
そして、ピンクの薔薇の花言葉は、『しとやか』『上品』『感銘』と、悪い意味はないものの恋人に贈る愛情を感じさせるものはなかった。その変化が彼女には許せなかったのだろう。
彼女に愛されていると感じて、エルドレッドの胸はズキンと痛む。
――この愛はもう手放したものなのに。
ただ自分だけを悪者にしてくれたらよかったのに、などと自分勝手なことを思う。
人生上手くいかないのは死んでからでさえ同じだ。
ため息を一つついてうつむいていると、メイドがお茶の用意をして戻ってきた。ノックをして共に部屋の中に入ると、落ち着いた様子のジュリエットとフィーナがテーブルに座っている。
ハーブティーをテーブルに置いたメイドに、夕食はもう少し後にとるから、と伝えて下がらせる。
レモンの香りのするお茶を一口飲んで、カップを置くと、硬い表情のジュリエットに目を向ける。
あんなことをさせる程に追いつめてしまった、彼の大事な婚約者。
けれど、これからもっと残酷なことを知らせるのだと思うと、胸の奥が鉛のように重くなる。
「ジュリエット」
「はい」
「こんなこと言うと、頭がおかしいって思われるだろうね。でも、本当のことだから、落ち着いてよく聞いてほしい」
ジュリエットは不安げに頷く。
――本当は、こんな顔さえさせたくはなかった。
こんなことを言う僕は、世界一最低の男だ。
けれどエルドレッドは覚悟を決めて口を開く。
「僕はね、もう死んでいるんだ」
ジュリエットの水色の瞳が大きく見開かれて、戸惑いに揺れた。
「なに……言ってるの……?」
「うん、変なこと言ってるって思うだろ? ……でも、そうなんだ。僕はサザーランドの謀略にかけられてあの日殺されてしまったんだ」
「でも、今あなたは――」
「そう、君のまえに座って喋っている。まるで生きているかのようにね。でもそれは、そこにいるフィーナが動かしてくれているからなんだ」
ジュリエットはフィーナを見る。フィーナは頷く。
「あたしは死霊術士なの。森で死んでいるエルドレッドを見つけて、死霊術で動かしてみたら、なんでか魂がまだ残ってて、こんな風に生きてるみたいにエルドレッドが動くことができてるの」
「そんな――、そんなことって……」
ジュリエットはエルドレッドに向き直って、つぶさにその姿を見つめるが、どこも生きている時と変わりがない。
「あ、でも。そうだとしても、それって、生き返ったってことよね? じゃあ、何の問題も――」
エルドレッドは首を振る。
「いいや、違うよ。僕はもう、死んでいるんだ。フィーナからの魔力をもらわなければこうして喋ることだってできない。フィーナのそばから離れないのはそのためで、魔力の届かないところに行くと僕はまた元の死体に戻ってしまう。今の姿だっていつまでもつかも、わからないんだよ。――いずれ、君が目を覆いたくなるような醜い姿になってしまうのさ」
「あ……え……? ええ……? ええと…………えと……」
事実を受け入れられずに戸惑うジュリエットを見て、エルドレッドはフィーナに頷く。フィーナもエルドレッドに頷き返して立ち上がり、自分の杖を持った。
とても小さなエルドレッドの主人は口を真一文字にして真面目な顔でエルドレッドを見てくれている。
そのゆるぎない姿に背中を支えられているような気がすると、少しだけ心が軽くなってジュリエットに柔らかく微笑んであげることができた。
「ジュリエット。きっと君は実際に見なければ信じられないね。だから――よく見ておいて」
「ジュリエット、今からエルドレッドに魔力をあげるのを止めるよ」
エルドレッドが寝台に横になると、フィーナは杖を彼の頭にコツンと触れさせた。
途端にエルドレッドを廻っていたいたすべての魔力が停止し、エルドレッドからすべての力が抜けた。それははた目にはただ眠ってしまっただけのように見える。
戸惑った様子のジュリエットがフィーナを見つめると、フィーナは軽く頷いた。
ジュリエットはおずおずとエルドレッドの胸の上に組まれた手に触れてみる。すると、その手は重力に逆らわずに胸から滑り落ちて寝台の外に垂れ下がった。
「……エルドレッド……? え……?」
ジュリエットの顔が色を失くしていく。
確かめるようにエルドレッドの頬を触ても何の反応も返ってこない。頭を撫でて、手を握って、体中を触って、動かない彼を思い知っていく。何度も、何度も。
やがてジュリエットの目から涙がポロポロと零れて彼の体に流れた。
「ジュリエット、もう動かしていい?」
フィーナが気遣い気に問うと、ジュリエットは胸を詰まらせながらコクコクと頷く。嗚咽が聞こえる中、フィーナは魔力の供給を再開する。
魔力のめぐりと共に彼の体に生気が宿り、紫水晶の瞳に輝きが戻る。
「……ジュリエット……」
エルドレッドは困ったように微笑み、体を起こしてジュリエットの涙をぬぐった。
「エルドレッド……! エルドレッドっっ……!」
ジュリエットはエルドレッドの胸にしがみついて泣いた。
エルドレッドもしっかりとジュリエットの体を抱きしめる。生きた人間の温もりが伝わってくる。
「ごめん……ごめんね。君を泣かせたくなかった。できれば……知らせずにいられたらって思ってた。……でも、ダメだったね。君は、頑固で、真っすぐで、僕がつく下手な嘘なんて全然通用しないんだから」
エルドレッドの目からも涙がこぼれてジュリエットの肩を濡らす。
「君と……生きていきたかった……。けど、もうそれも叶わない。だけど、それでも……死んでからでも……こうやって、君に会えて、君と言葉を交わして、君に触れて、君の涙をぬぐうことができて……良かったとも思ってしまうんだ……」
自分のために泣いてくれる大切な人を慰められるなんて、なんて幸せな死人なんだろうか。
腕の中からジュリエットのすすり泣きが聞こえる。
「馬鹿……馬鹿……。なんで……なんで……死んじゃうの……? わたくしを、置いて……。そんなの、勝手よ……。ひどい。こんなひどい人だなんて、わたくし、思わなかった……」
死ぬつもりなんて、なかった。生きたかった。それでも……。
「うん、ごめんね。……ごめん。……っ……ごめん…………」
エルドレッドは謝る。彼女のために。
「わたくし……とても楽しみにしていたのよ? ……あなたと結婚して……毎日をあなたと過ごして……薔薇をあなたのために摘んで…………春も、夏も、秋も、冬も、季節のめぐりをあなたと感じて…………楽しいことも嬉しいことも、苦しいことも、辛いことも、すべてを分かち合っていくのだと…………ずっと……ずっと……年老いても、そばにいて…………どんなことがあっても、死が二人を分かつまでは……って……なのに……なのに…………」
そんな日が訪れる前に終わってしまった。
二人が夢に見た約束された幸福な日々はもうこない。
だから、エルドレッドは謝る。彼女のために。
「……そうだね……ごめん……ごめん……ごめん…………………………ごめん」
エルドレッドは涙が枯れるまで、ジュリエットに謝り続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「それで? だからあなたはわたくしにユージーンの婚約者になれと言うのね?」
目を真っ赤に腫らしたまま二人は夕飯を挟んで向かい合う。
あの後、「おなかがすいたわ」とジュリエットが言って、部屋での夕食となった。
いつも通りの食欲でジュリエットは食事をとる。隠し事のなくなったエルドレッドもスッキリとした顔でお茶を飲む。
「うん、こうなってはユージーンだけが王位を継げるからね。元々ユージーンの婚約者選びはもめて決まっていなかっただろう? 最後にはサザーランドの32歳の姪までしゃしゃり出てきて」
「ああ……、あれはわたくしもドン引いたわ。つり合いというものを何だと思っているのかしら?」
「その点、ジュリエットなら安心、安泰間違いなしだ。君はなんだかんだ恐ろしいほどの人脈を持っているし人柄も信頼できる」
「そうね。……でも、ユージーンはどう思うかしら? 繊細な子なのよね。兄のお古の女なんて――」
「ユージーンだって王子だ。政略結婚に文句は言わないだろう。それに、君のことは姉様と呼んで慕っていただろう?」
「……それって、姉としてじゃない。実際6才年上なんてどうなのかしら……、ちょっと若作り頑張んなきゃだめよね……」
「いいや、君は十分綺麗さ。それにこれ以上ガキくさい行動を取られたら目も当てられな……」
バシンとエルドレッドの頭が叩かれる。
「うーん、でもこれからがっちりユージーンの心を掴まないとだわ。あの子の好きなもの……好きなもの……、子どもの時ならいざ知らず、最近の好みがなあ……」
二人が考え込んでいるところを見て、ミニトマトをフォークで刺したフィーナが自慢げに微笑む。
「あたし、知ってるよ。ユージーンは薔薇が好きなの。今日だってピンクの薔薇をいっぱい一緒に摘んだんだよ」
「え?」
「まさか……部屋にあった薔薇っていうのは……」
戸惑う年長組二人にフィーナは自信たっぷりに頷く。
「うん、ユージーンがジュリエットが落ち込んでるから励ましたいって言ってプレゼントしたんだよ? あたしは赤い薔薇も入れようって言ったんだけどそれはダメなんだって」
フィーナは「なんでだろうね」と小首を傾げる。
「……やだ、わたくし、グッときたわ……」
胸を押さえるジュリエット。
「……心配はいらなかったな……」
複雑な顔をするエルドレッド。
夕食を食べ終えて、ジュリエットはふうっと息をつく。
「これから二人はどうするの?」
「まあ大体の始末はついたからね。きりのいいところで旅立つよ」
「あたしはエルドレッドの体の秘密を調べたい!」
『秘密?』
二人が首を傾げる。
「うん、普通は死体からはすぐに魂が離れちゃうんだ。なのにエルドレッドからはなんでか魂がくっついたまんまなの。それをずっと調べてるんだけど、よくわからなくて。でもジュリエットがこの前エルドレッドにお呪《まじな》いをかけた治癒師がいたって言ってたでしょ? きっとそれが原因なんじゃないかって思うの」
「ああ……そんなこともあったな」
「じゃあ、当時のことを知る人に話を聞いてみるってのはどう?」
ジュリエットが提案する。
「うん! それって誰?」
年長二人は顔を見合わせる。
そして、
「「父上(国王陛下)だ……」」
大きなため息をついた。
ジュリエットはシーツで体を隠しながらすすり泣いた。
フィーナはその横に座り背を優しくさすってあげる。
エルドレッドはバツが悪そうに反対側のソファに座って何も言えないでいる。
グレイヴだけが満足そうに部屋のすみっこでエサと水にありついていた。
「既成事実を作るのに失敗して……子どもにまでこんな醜態を見られて……もう、わたくし生きていけない……」
グズグズと泣いているジュリエットを慰めながら、フィーナはエルドレッドを非難の目で見る。
「ジュリエットが、かわいそう」
エルドレッドは苦虫をかみつぶした顔をする。
「……そんなこと言ったって……」
「……エルドレッド。ちゃんと話してあげるべきだとあたしは思う」
きっぱりとフィーナに言われて、エルドレッドは更に顔をしかめる。
「……いいのか、それで。君は」
「あたしは最初っからそう言ってるもん。それに、ジュリエットはいい人だよ。でしょ?」
フィーナのためというのならばそれは筋違いだった。
エルドレッドは言葉に詰まり、はあーっと深いため息をついた。
「……仕方が、ないか」
ジュリエットに視線を向けると、ジュリエットは鼻をすすりながらエルドレッドの顔を見上げる。
「ジュリエット、済まなかった、君を混乱させて。全部包み隠さず話すから――どうか、僕の話を聞いてくれないか?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ジュリエットが衣服を整えている間エルドレッドは一度部屋の外に出て、メイドに気持ちの落ち着くお茶を持ってくるようにと頼んだ。
部屋の花瓶に入りきらなかったのか廊下にも飾られているピンクの薔薇は、確かにジュリエットの心を逆撫でするだろうな、と苦い笑いが浮かぶ。
毎年エルドレッドが彼女に贈っていた真っ赤な薔薇の花言葉は、『あなたを愛してます』。花言葉には複数の意味が混在するものだけれど、この真っ赤な薔薇に限っては情熱的な愛の意味しかない。
そして、ピンクの薔薇の花言葉は、『しとやか』『上品』『感銘』と、悪い意味はないものの恋人に贈る愛情を感じさせるものはなかった。その変化が彼女には許せなかったのだろう。
彼女に愛されていると感じて、エルドレッドの胸はズキンと痛む。
――この愛はもう手放したものなのに。
ただ自分だけを悪者にしてくれたらよかったのに、などと自分勝手なことを思う。
人生上手くいかないのは死んでからでさえ同じだ。
ため息を一つついてうつむいていると、メイドがお茶の用意をして戻ってきた。ノックをして共に部屋の中に入ると、落ち着いた様子のジュリエットとフィーナがテーブルに座っている。
ハーブティーをテーブルに置いたメイドに、夕食はもう少し後にとるから、と伝えて下がらせる。
レモンの香りのするお茶を一口飲んで、カップを置くと、硬い表情のジュリエットに目を向ける。
あんなことをさせる程に追いつめてしまった、彼の大事な婚約者。
けれど、これからもっと残酷なことを知らせるのだと思うと、胸の奥が鉛のように重くなる。
「ジュリエット」
「はい」
「こんなこと言うと、頭がおかしいって思われるだろうね。でも、本当のことだから、落ち着いてよく聞いてほしい」
ジュリエットは不安げに頷く。
――本当は、こんな顔さえさせたくはなかった。
こんなことを言う僕は、世界一最低の男だ。
けれどエルドレッドは覚悟を決めて口を開く。
「僕はね、もう死んでいるんだ」
ジュリエットの水色の瞳が大きく見開かれて、戸惑いに揺れた。
「なに……言ってるの……?」
「うん、変なこと言ってるって思うだろ? ……でも、そうなんだ。僕はサザーランドの謀略にかけられてあの日殺されてしまったんだ」
「でも、今あなたは――」
「そう、君のまえに座って喋っている。まるで生きているかのようにね。でもそれは、そこにいるフィーナが動かしてくれているからなんだ」
ジュリエットはフィーナを見る。フィーナは頷く。
「あたしは死霊術士なの。森で死んでいるエルドレッドを見つけて、死霊術で動かしてみたら、なんでか魂がまだ残ってて、こんな風に生きてるみたいにエルドレッドが動くことができてるの」
「そんな――、そんなことって……」
ジュリエットはエルドレッドに向き直って、つぶさにその姿を見つめるが、どこも生きている時と変わりがない。
「あ、でも。そうだとしても、それって、生き返ったってことよね? じゃあ、何の問題も――」
エルドレッドは首を振る。
「いいや、違うよ。僕はもう、死んでいるんだ。フィーナからの魔力をもらわなければこうして喋ることだってできない。フィーナのそばから離れないのはそのためで、魔力の届かないところに行くと僕はまた元の死体に戻ってしまう。今の姿だっていつまでもつかも、わからないんだよ。――いずれ、君が目を覆いたくなるような醜い姿になってしまうのさ」
「あ……え……? ええ……? ええと…………えと……」
事実を受け入れられずに戸惑うジュリエットを見て、エルドレッドはフィーナに頷く。フィーナもエルドレッドに頷き返して立ち上がり、自分の杖を持った。
とても小さなエルドレッドの主人は口を真一文字にして真面目な顔でエルドレッドを見てくれている。
そのゆるぎない姿に背中を支えられているような気がすると、少しだけ心が軽くなってジュリエットに柔らかく微笑んであげることができた。
「ジュリエット。きっと君は実際に見なければ信じられないね。だから――よく見ておいて」
「ジュリエット、今からエルドレッドに魔力をあげるのを止めるよ」
エルドレッドが寝台に横になると、フィーナは杖を彼の頭にコツンと触れさせた。
途端にエルドレッドを廻っていたいたすべての魔力が停止し、エルドレッドからすべての力が抜けた。それははた目にはただ眠ってしまっただけのように見える。
戸惑った様子のジュリエットがフィーナを見つめると、フィーナは軽く頷いた。
ジュリエットはおずおずとエルドレッドの胸の上に組まれた手に触れてみる。すると、その手は重力に逆らわずに胸から滑り落ちて寝台の外に垂れ下がった。
「……エルドレッド……? え……?」
ジュリエットの顔が色を失くしていく。
確かめるようにエルドレッドの頬を触ても何の反応も返ってこない。頭を撫でて、手を握って、体中を触って、動かない彼を思い知っていく。何度も、何度も。
やがてジュリエットの目から涙がポロポロと零れて彼の体に流れた。
「ジュリエット、もう動かしていい?」
フィーナが気遣い気に問うと、ジュリエットは胸を詰まらせながらコクコクと頷く。嗚咽が聞こえる中、フィーナは魔力の供給を再開する。
魔力のめぐりと共に彼の体に生気が宿り、紫水晶の瞳に輝きが戻る。
「……ジュリエット……」
エルドレッドは困ったように微笑み、体を起こしてジュリエットの涙をぬぐった。
「エルドレッド……! エルドレッドっっ……!」
ジュリエットはエルドレッドの胸にしがみついて泣いた。
エルドレッドもしっかりとジュリエットの体を抱きしめる。生きた人間の温もりが伝わってくる。
「ごめん……ごめんね。君を泣かせたくなかった。できれば……知らせずにいられたらって思ってた。……でも、ダメだったね。君は、頑固で、真っすぐで、僕がつく下手な嘘なんて全然通用しないんだから」
エルドレッドの目からも涙がこぼれてジュリエットの肩を濡らす。
「君と……生きていきたかった……。けど、もうそれも叶わない。だけど、それでも……死んでからでも……こうやって、君に会えて、君と言葉を交わして、君に触れて、君の涙をぬぐうことができて……良かったとも思ってしまうんだ……」
自分のために泣いてくれる大切な人を慰められるなんて、なんて幸せな死人なんだろうか。
腕の中からジュリエットのすすり泣きが聞こえる。
「馬鹿……馬鹿……。なんで……なんで……死んじゃうの……? わたくしを、置いて……。そんなの、勝手よ……。ひどい。こんなひどい人だなんて、わたくし、思わなかった……」
死ぬつもりなんて、なかった。生きたかった。それでも……。
「うん、ごめんね。……ごめん。……っ……ごめん…………」
エルドレッドは謝る。彼女のために。
「わたくし……とても楽しみにしていたのよ? ……あなたと結婚して……毎日をあなたと過ごして……薔薇をあなたのために摘んで…………春も、夏も、秋も、冬も、季節のめぐりをあなたと感じて…………楽しいことも嬉しいことも、苦しいことも、辛いことも、すべてを分かち合っていくのだと…………ずっと……ずっと……年老いても、そばにいて…………どんなことがあっても、死が二人を分かつまでは……って……なのに……なのに…………」
そんな日が訪れる前に終わってしまった。
二人が夢に見た約束された幸福な日々はもうこない。
だから、エルドレッドは謝る。彼女のために。
「……そうだね……ごめん……ごめん……ごめん…………………………ごめん」
エルドレッドは涙が枯れるまで、ジュリエットに謝り続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「それで? だからあなたはわたくしにユージーンの婚約者になれと言うのね?」
目を真っ赤に腫らしたまま二人は夕飯を挟んで向かい合う。
あの後、「おなかがすいたわ」とジュリエットが言って、部屋での夕食となった。
いつも通りの食欲でジュリエットは食事をとる。隠し事のなくなったエルドレッドもスッキリとした顔でお茶を飲む。
「うん、こうなってはユージーンだけが王位を継げるからね。元々ユージーンの婚約者選びはもめて決まっていなかっただろう? 最後にはサザーランドの32歳の姪までしゃしゃり出てきて」
「ああ……、あれはわたくしもドン引いたわ。つり合いというものを何だと思っているのかしら?」
「その点、ジュリエットなら安心、安泰間違いなしだ。君はなんだかんだ恐ろしいほどの人脈を持っているし人柄も信頼できる」
「そうね。……でも、ユージーンはどう思うかしら? 繊細な子なのよね。兄のお古の女なんて――」
「ユージーンだって王子だ。政略結婚に文句は言わないだろう。それに、君のことは姉様と呼んで慕っていただろう?」
「……それって、姉としてじゃない。実際6才年上なんてどうなのかしら……、ちょっと若作り頑張んなきゃだめよね……」
「いいや、君は十分綺麗さ。それにこれ以上ガキくさい行動を取られたら目も当てられな……」
バシンとエルドレッドの頭が叩かれる。
「うーん、でもこれからがっちりユージーンの心を掴まないとだわ。あの子の好きなもの……好きなもの……、子どもの時ならいざ知らず、最近の好みがなあ……」
二人が考え込んでいるところを見て、ミニトマトをフォークで刺したフィーナが自慢げに微笑む。
「あたし、知ってるよ。ユージーンは薔薇が好きなの。今日だってピンクの薔薇をいっぱい一緒に摘んだんだよ」
「え?」
「まさか……部屋にあった薔薇っていうのは……」
戸惑う年長組二人にフィーナは自信たっぷりに頷く。
「うん、ユージーンがジュリエットが落ち込んでるから励ましたいって言ってプレゼントしたんだよ? あたしは赤い薔薇も入れようって言ったんだけどそれはダメなんだって」
フィーナは「なんでだろうね」と小首を傾げる。
「……やだ、わたくし、グッときたわ……」
胸を押さえるジュリエット。
「……心配はいらなかったな……」
複雑な顔をするエルドレッド。
夕食を食べ終えて、ジュリエットはふうっと息をつく。
「これから二人はどうするの?」
「まあ大体の始末はついたからね。きりのいいところで旅立つよ」
「あたしはエルドレッドの体の秘密を調べたい!」
『秘密?』
二人が首を傾げる。
「うん、普通は死体からはすぐに魂が離れちゃうんだ。なのにエルドレッドからはなんでか魂がくっついたまんまなの。それをずっと調べてるんだけど、よくわからなくて。でもジュリエットがこの前エルドレッドにお呪《まじな》いをかけた治癒師がいたって言ってたでしょ? きっとそれが原因なんじゃないかって思うの」
「ああ……そんなこともあったな」
「じゃあ、当時のことを知る人に話を聞いてみるってのはどう?」
ジュリエットが提案する。
「うん! それって誰?」
年長二人は顔を見合わせる。
そして、
「「父上(国王陛下)だ……」」
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