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後遺症

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 吐き気がする。昔、馬車で酔ったことがあるけど、あの時よりずっと酷い。
 いっそ胃ごと抉り出せば、この嘔吐感も収まるんだろうか。

「オットー! ああオットー、良かった!」

 ベッドの上で半身を起こした夫に縋り付き、声を上げて泣く奥方。
 感動的な場面に水を差すようで申し訳ないが、少し抑えて欲しい。
 頭に響く。正味、かなり、うるさい。

「いやはや……どうやったか知らねぇが、全く大した嬢ちゃんだ。本当に呪いを解いちまった」

 感心と呆然を半々にローガンが呟くけれど、正確には解いたと言うより、力任せに噛み砕いたと表現した方がニュアンスは近い。まあ、結果は同じだから別にどっちでもいいが。
 そして成功は当たり前だ。あれだけのことを私にさせておいて解呪失敗など、馬鹿も休み休み言って欲しい。
 支払った対価や労力に結果が伴わない。謂わば世の常だが、それにだって限度はある。もし呪いが解けてなかったら、私はぶつけようの無い怒りと憤りに気狂いを起こしただろう。

「……しかし嬢ちゃん、顔色悪いぞ。大丈夫か?」

 大丈夫じゃない。そう返すのも億劫なくらいだ。
 毒抜きのために精気を吸い過ぎた。或いは洗い流すために与え過ぎた。どっちなのかも分からない。
 満腹以上まで食べ物を詰めたような、絶食で三日間過ごしたような。何をしても良くなる気がしない、兎にも角にも最悪の心地。

 いつもの夢から目覚めた後と違って、性交の余韻が身体にまで出ていないのが、せめてもの幸いか。
 あんな無様を人目に晒そうものなら、舌を噛んで死にたくなる。

 流石は外法。施術者への負荷も相当という訳だ。
 曽祖母の研究書にもその辺の記述はあったが、優に想像以上で参る。
 正直舐めてた。生理痛よりキツい。二度とやりたくない。色々な意味で。

 …………。
 ああ、駄目。もう無理。

「お、おい嬢ちゃん!?」

 寝室の壁に寄り掛かり、ずるずると座り込む。
 ローガンが声を上げて駆け寄って来る。うるさい。触るな。

 私の様子に気付いた奥方達もまた、血相変えて此方に呼び掛ける。
 吐き気と目眩を飲み込んで、半ば前後不覚の私は、心底気怠く言葉を返した。

 ――お願いだから、取り敢えず放っておいて。





 グラス半分ほどに注がれた水を呷る。
 中々喉を通ってくれないが、少なくとも吐き戻すような真似はしなかった。

「ちったぁ良くなったか? 嬢ちゃん」

 動かず動けず、部屋の隅で膝を抱えること暫く。
 奥方が気を遣って用意してくれた湯冷ましに手を伸ばした私を見とめつつ、ローガンが問うてくる。

 ――最悪から、下の中へってとこね。

 空のグラスを指先で回し、ゆるりと立ち上がる。
 相変わらず身体は重いし気分も優れないが、差し当たり吐き気と目眩はかなり薄れた。
 この調子なら、もう歩いて宿まで帰れそうだ。

「あんま無理すんなよ。へへっ、なんなら俺がおぶってやってもいいんだぜ?」

 生憎とそんなサービスを提供する気は毛頭無い。
 第一、私は呪いの進行を少しでも遅らせるため、可能な限り異性との接触行為は断ってる。
 十五歳の誕生日以降、現実で男に触れた数は片手の指で足りる筈。しかも、殆どが指先程度。

 だから、ブラも着けていない胸をこいつの背中に押し付けるなど、論外も論外だ。
 成人女性が往来でおぶられる姿なんて、恐ろしく目立つだろうし。

「んだよ冗談だよ、エロ中年でも見るような目しやがって」

 ようなも何も、まさしくその通りじゃないか。
 私より一回り以上は歳上っぽいし。

「俺はまだ二十九だ!」

 思っていたより若かった。





「この度は本当に、ありがとうございました……!」

 万感篭もった心からの謝辞と共に、膝ほどの高さまで深々と低頭する奥方。
 路銀稼ぎの脇道とは言え、傭兵などという金次第のヤクザな商売に就いている身柄上、こう改まって感謝される機会は殆ど無い。
 悪い気はしないけれど、どうにも首が痒くなってしまう。

「是非ともお返しをさせて下さい。少々なら蓄えも御座います。心ばかりですが、礼金を」

 正直なところ、別に要らない。正規の依頼として引き受けた訳じゃないし、狼退治の報酬を貰ったばかりで当面金銭に不安は無い。
 領主からの追加報酬もある。金は持ち過ぎない主義だ。身の丈を外れた大金は、無用な騒動を招き寄せるから。

 そもそも、私は彼女達夫婦を救うつもりで解呪を施したのではない。
 あくまでも其方はついで。私にとっての本命は、夢魔の足取りを掴むことだった。
 奴の領域へと踏み込み、僅かではあれど刀にを覚えさせた。
 報酬と言うなら、それで十分過ぎるくらい頂いている。

 が。全くの無償というのも傭兵として体裁が悪い。
 変に食い下がられても面倒。向こうが満足する程度の額を貰っておいた方が、後腐れなく片付くか。

「暫しお待ち下さいな。今、持って参りますので」

 取り敢えず、金貨二枚。解呪に於ける相場の最低価格を提示する。
 奥方は笑顔で頷くと、金を包みに家の中へと戻って行った。

「っと、悪いが便所貸して貰えねぇかな。催してきちまった」

 少し遅れる形で、ローガンも同様に玄関を跨ぐ。
 必然、私と目覚めたばかりの御亭主が、この場に残る。
 ……些かの気まずさを覚えるのは、無理からぬ話だろう。

「あ……あの……」

 やや間を挟み、おずおずと話しかけられた。
 無視するのもどうかと思ったため、なに、と短く返す。

「えっと、その、妻に話は聞きました。目が覚めたら何日も経ってて驚きましたよ……はは」

 解呪を経た者は、正気を保つための防衛本能が働き、呪いに囚われていた間の出来事は全て忘れ去る。
 故、彼は私にしたことを覚えていない。結構な話だ。

「それで……出来れば僕からも、改めてお礼をしたいんですが……」

 覚えてないものを責め立てたところで意味は無い。元より、いつもの夢と同様、御亭主とて呪いの犠牲者だ。

 彼を前にしただけで募るイライラと落ち着かない心地を、理屈で説き伏せ、宥める。
 そんな私を他所に、妙に言い淀んだ様子の彼は、やがて意を決した風に告げた。

 思わず、耳を疑うような台詞を。

「こ、今度、会えませんか!? ふ……二人、で」

 …………。
 ああ。成程。
 加減を誤ると後遺症が残るって、そういうこと。




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