予後、夕焼け、スパゲティ

一初ゆずこ

文字の大きさ
17 / 18

17

しおりを挟む
 いよいよ明日から、小学校は夏休みに突入する。終業式の日は目が眩みそうなほどの青空で、入道雲が力強く天へと立ち上っている。
 放課後の生徒たちは、図工室へ立ち寄る者が大半だ。授業で作った工作物を持ち帰らなくてはならないからだ。淳美に挨拶をしにくる子たちもいて、「あっちゃん先生、夏休みはどこに行くの?」と訊ね、次には「デートだ、デートだ」と騒がれた。このパターンを五回ほど繰り返したあとで、正午を過ぎた図工室から子どもの姿はなくなった。しんと静かな青い影が、淳美一人だけになった図工室へ海のように満ちている。潮風が鼻腔を掠め、淳美は両腕をぐっと頭上に伸ばした。子どもたちは長い休みを宿題に追われつつ満喫するが、大人はそう簡単に休めない。夏の仕事に思いを馳せていると、ぎしりと背後で床が軋る音がした。
 振り返ると、梶本美里かじもとみさとが立っていた。きっと美里だろうと予感があったが、淳美は目を丸くした。Tシャツにデニムのスカート姿の美里の髪は、少年のようなベリーショートに変わっていた。
「美里ちゃん、びっくりした。思いきったイメチェンだね」
「本当は、もっと前からこうしたかった。おさげは、ママが編んでくれてたから」
 特に表情もなく言った美里は、首元がさっぱりした髪を揺らした。健康的に日焼けしたうなじも相まって、別人のように様変わりしている。ひょっとしたら美里なりに、母親に気を使っていたのかもしれない。やっぱり淳美の教え子たちは、根は優しくて良い子たちばかりだ。ただ時々少しだけ、桜の木の根っこが出鱈目でたらめに地面を割ってのたうつように、まっすぐ綺麗にとはいかないだけで――それでも毎日、成長している。
「三つ編みも可愛かったけど、今の髪型もすごく似合ってる。格好いいね」
「……別に」
 居心地悪そうに唇を結んだ美里は、意を決した様子で淳美を見上げた。
「ウサギの絵、完成させた。こないだの、途中だった絵」
「そっか」
 頷いた淳美は、目を細めた。美里は、ふいと余所見をした。
「教室でウサギの絵を描いてたら、亜理紗ちゃんに話しかけられた。……上手じゃん、って」
「へえ、亜理紗ちゃんが……美里ちゃんの絵を、上手って言ってくれたんだね」
「うん……顔が怒ってたから、私がまた誰かの絵をまねしたって疑ってるんだ。……あっちゃん先生は、どう思う?」
「その答えは、もう美里ちゃんの心の中にあるんじゃないかな」
 桜の絵と丁寧に向き合っていた亜理紗も、美里と同じだったのだ。譲れない感情を抱えた者同士、二学期が始まる頃には、新しい絆を育んでいるかもしれない。
 つい頬が緩んだ淳美の心を読んだのか、美里はもじもじした様子でそっぽを向いた。半袖から伸びた右腕は、なぜか背中に隠されている。遅ればせながらそれに気づき、淳美は首を傾げた。
「どうしたの?」
「これ、あっちゃん先生にあげる」
 ぶっきらぼうに言った美里が、右腕を突然こちらへ突き出してきた。喧嘩のように繰り出された手へ、淳美は呆れ半分、驚き半分で見入って――言葉を失くしてしまった。
 美里が突き出したのは、ポストカードだった。絵具で彩色された真ん中には大きなテーブルがあり、にこにこ笑う女性と白髪の老人が描かれている。二人が囲む食卓には、ミートスパゲティの皿があった。
 ここでも、赤いスパゲティなのだ。淳美は笑っていいのか、泣いていいのか、やっぱり名前のつけられない感情で胸がいっぱいになってしまい、口元を手で押さえた。この学校で淳美が涙を見せる時は、生徒たちが卒業していく時だけだと決めている。
「……先生のおじいちゃんを知らないから、想像だけど。先生とおじいちゃん以外の人には、ぜったい見せないでね」
「見せないよ。大事にする」
「おじいちゃんの好きなもの、スパゲティだったよね?」
「うん、そうだよ。合ってるよ」
「……あっちゃん先生、悲しいの?」
「違うよ、嬉しいんだよ」
 ひたすらに目頭の熱をやり過ごそうとしていると、美里がしばし考えこむように黙ってから、ぴたりと淳美の腕に身体を寄せてきた。子どもの高い体温が、ブラウスとスカート越しに伝わってくる。美里は、ぽつりと小声で言った。
「うちでは、誰かが悲しい時、こうする」
 寂しさの乗り越え方にも、家庭のカラーがあることを淳美は知った。すっかり短くなった美里の髪を撫でながら、淳美は菊次の瞳で見た世界へ思いを巡らせた。
 この世界は本当に、数えきれないほどの色で溢れている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

下っ端宮女のひたむき後宮恋譚 ~前世の夢を追いかけていたらいつのまにか寵愛されていました~

紀本明
キャラ文芸
妃嬪から嫌がらせを受けつつも耐え忍んでいた下っ端宮女の鈴風(りんふぁ)はある日突然前世の記憶を取り戻す。料理人になるのが夢だった彼女は、今世でもその夢を叶えようと決意した矢先、ぼさぼさ頭の宦官・雲嵐(うんらん)と出会い、毎晩夕飯をつくることになる。料理人になるべく奮闘するも、妃嬪からの嫌がらせはひどくなる一方だった。そんなある日、事件が起こり、鈴風は窮地に立たされるが……――?

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

処理中です...