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番外編
君は友達(後編)
* * *
しばらくするとレーヴェもさすがに慣れてきて、馬車で隣にフィアリスが座り、うたたねをして寄りかかられても平気になった。
やっといつもの調子を取り戻し、「こいつが雇い主の愛人じゃなくてめんどくさいものを背負ってなければ、まあ抱いてたかもしれんな」と思うほどになった。必死に拒むよりはそういう思考の方が自分らしい。
打ち解けてきたフィアリスは、レーヴェに意外なほど遠慮のない冗談を飛ばすようにもなってきていた。レーヴェの方も彼に特段気をつかうような発言をしなかったからだろう。
考えてみればお互い、育ちが良いわけでもない。フィアリスは孤児で一時期はゴミをあさって生きていたというし、レーヴェは喧嘩に明け暮れて過ごしてきている。
だからなのか、次第に気兼ねのない仲になっていた。
その日は急遽駆除の仕事が入った。レーヴェはまだ夜の駆除は参加した経験がなかったが、人手を必要としていたのでかり出されたのだった。
とにかく今夜は量が多い。時折地下の無限迷宮の空間が歪む関係で、地上に大量の魔物が噴き出してくることがあった。
とはいえ今夜は小規模な方だ。ジュードはとうに出ていたので、指示を出したのはノアだった。
「できるでしょうね?」
と無愛想に決めつけて、レーヴェを送り出す。
「大丈夫かな」
フィアリスはレーヴェの初の夜の駆除がこんな日になってしまったのを心配していた。
「大丈夫ですよ、この人は殺したってそう死なない人ですから」
ノアは無茶苦茶なことを言っている。
小さなエヴァンが泣きそうな顔をして走ってくると、フィアリスに抱きついた。
「無事に帰ってきて、フィアリス」
「約束するよ」
フィアリスは笑いながらエヴァンの頭をなでた。全くこの三男は、男だというのにすぐべそをかく。根性を叩き直してやらなくてはならないだろう。
それにしたってこの二人はいつもべったりで、フィアリスもエヴァンのことをやたらと気に入っていた。
黒い馬にまたがって、出発する。
確かに明るいうちと夜とではまるっきり様子が違った。魔物の姿を視認しづらい。目に頼っていれば痛い目に遭うだろう。
どこまでも続いているかのような黒い大地に、大量のものが蠢く気配を肌に感じる。
「こんなのをいつも相手にしてんのか、お前らは」
「いつもはもっと少ないんだけどね」
フィアリスが魔法で魔物を一気に片づける。レーヴェは馬首をめぐらせて、取りこぼした分を剣で倒していった。
魔物にも種類があって、倒せば霧散するもの、崩れてしばらく死体をさらしてから消えるもの、体液が飛び散るもの、いろいろだ。毒を持つものも爆発するものもいる。
対応を間違えれば大怪我だ。瞬時にどんな相手か見極めて対処しなくてはならない。
リトスロードは魔物を駆除を任されている、という事実は誰もがよく知るところだが、魔物がどんなものであるか知る者は多くない。
侯爵一族がほとんどこの荒れ地から魔物が出て行くのを許さないからだ。王都までたどり着いた魔物はここ数十年一体もいないという。王の信頼も厚いはずだ。リトスロード家がいなければこの辺りはどうなっていたかと考えるとぞっとする。
地面で魔物を斬り伏せていたレーヴェは再び馬に乗って上昇する。フィアリスの隣に馬を並ばせた。
「案外早く終わりそうじゃねーか?」
フィアリスの大型魔法のおかげで、固まっていたのはほぼ一掃されている。魔物が固まっている場所は七カ所で、そこは片づけた。
「うん……」
光の魔法で一帯を照らして確認をするフィアリスは浮かない顔をしている。
「レーヴェはもう帰ってもいいよ。私は念のため辺りを見回ってから戻る」
「何か気になることでもあるのか」
「上手く説明できないけど、空気が妙だ」
レーヴェにはぴんとこなかった。何せ魔物の駆除については初心者だ。
だがこういう時に経験者が「引っかかる」と言うのなら、十中八九何かあるのだ。
「俺だけ帰ったら腰抜けだって言われない?」
「言われるわけないよ」
しかしノアなら言いそうだ。「途中で、一人で、帰ってきたのですか?」といちいち言葉を区切って強調し、軽蔑の眼差しを向けて。
「あなたはまだ慣れてないんだから、ここは離れた方がいい」
自分より経験を積んでいる者の言うことに従うべきではあるだろう。
だがこんな暗闇にこの男を一人残して退散するというのも抵抗があった。いや、抵抗があったのはフィアリスが心配だったからではない。腕が確かなのは知っている。
「気をつかわれる」のが嫌だったのだ。
「じゃあ俺は離れて見てる」
「レーヴェ、頼むから私の言うことを……」
そこで何かの圧倒的な気配を感じて、二人は会話を中断した。総毛立つような感覚だ。
体勢を立て直す暇もない。
地面から猛烈な勢いで黒い影が立ち上がり、迫ってくる。
闇よりも濃い暗い色の触手が、一斉にこちらへ伸びてきた。
フィアリスがとっさにレーヴェの前に出た。
それを見たレーヴェも同時に鞍の上に立ち上がり、即座に剣を抜いて飛び上がる。
『千に散れ!』
短い詠唱と共に剣を振る。衝撃波がまず魔物の胴体を真っ二つにし、そのまま分裂してブーメランのように戻ってくる。小さな刃のようになった衝撃波が次々に触手を切り裂いた。
どうも変わった魔物らしい。
切断面に蛍でも集まっているみたいに、無数の緑色が発光して点滅している。切り刻まれた魔物の体は、光りながら地面へと落ちていった。
おぞましくもどこか幻想的な光景である。
相当な高所から飛び降りた。魔法で落下の衝撃を和らげながら着地するが、それなりの衝撃は足に伝わる。
魔法の刃はくるくる回りながら執拗に魔物を分解していき、黒い肉の塊はまだ飛び散って降ってくる。
明滅するそれをよけながら、フィアリスが馬と一緒に降下してきた。
「レーヴェ、怪我は……」
「ない。お前、ちょっと来い」
指でちょいちょいと招く仕草をすると、フィアリスは言われた通りに馬を降りて歩いてくる。
近くまで来た彼の胸倉を、レーヴェはつかんで引き寄せた。
「俺をかばおうとするな」
闇に囲まれてはいるが、ちかちかと灯る緑の光のおかげで、フィアリスの表情はよく見えた。ぽかんとしている。
「いいか、俺は自分で言うのもあれだが、とっても強いの。聞いてんだろ、俺の腕の良さについては。見た目通り頑丈だし、自分の身は自分で守れる。お前が守らなくちゃならない奴じゃない。だから、かばうな」
呪文を口にするより、まず盾になろうとフィアリスは動いた。おそらく無意識でそうしてしまうのだろう。
「それにな、俺は『かばわれる価値のある人間』じゃないわけ」
レーヴェはフィアリスの瞳をのぞきこむ。黄金の、いつでもどこか満たされていない、寂しそうな瞳を。
「言ってる意味わかるよな? 見たとこお前はそういう部分では俺と同類だもんな」
「……わかる」
「じゃあ、二度とそういう真似はやめろ。俺はお前が想像している五百倍くらいは強い。これはマジだから、これからの活躍を期待しててくれよな」
よしよし、と呟くと手を離し、肩を叩いた。
短い付き合いでなんとなく性分は理解した。そしてこれから付き合いが長くなるのだとしたら言っておかなければならないことだ。
正直レーヴェには、これほど自分のことをかえりみない奴の気持ちは理解しがたい。けれど一つだけ似たところがあるとすれば、自分のために誰かが傷つくのを極端に嫌がっているところだ。それも相手のためというより、自分への嫌悪によって。
「ごめんなさい」
「謝るほどのことじゃない」
大丈夫だ、ありがとう、の言葉も口にできないひねくれた男に謝罪など不要なのだ。
レーヴェは辺りを見回した。ぼう、ぼう、とまだ魔物の死骸はロマンティックに輝いている。異臭がしないのが救いだった。
すん、と空気を鼻から吸いこむと、雨の日の湿った土の匂いがする。
こんなわけのわからない魔物どもが無数にいるというのなら、しばらくは退屈しそうになかった。
「……あの、レーヴェ。変なこと言ってもいいかな」
「いいけど?」
「私、あなたのことを、友達だと勝手に思ってるんだ」
レーヴェはフィアリスの方を向いた。さすがにこの状況でそんな台詞を言われるのは予想外だった。フィアリスはちょっと照れたように笑っている。
「実を言うと、私はこれまで友達が一人もいなかったんだ。リトスロードの家の人もそうだし、王都に行っていた時も、友達と呼ぶような間柄の人はいなくて。あなたと話をしていると、友達って、こんな感じなのかなって思うんだ。迷惑かもしれないけど、勝手にそう思っててもいい?」
レーヴェは首筋をぼりぼりと掻いた。
小さな女の子じゃあるまいし、よくもまあこんな恥ずかしいことを言えるよなぁ、と思う。しかも、細切れになった魔物の死体に囲まれながら。
「いいよ」
フィアリスが、子供みたいにぱっと笑顔を咲かせた。
これくらいでなんつー嬉しそうな顔すんだよ。ほんといくつなのこいつ、まだ九歳くらいじゃないの、と呆れてしまう。
何で俺が、男が笑うところを見て、少し胸が締めつけられなくちゃならないんだよ。
「ありがとうレーヴェ! あなたは友達がすごく多いんでしょう?」
「いねーよ友達なんて」
「えっ、一人も?」
「いない。いたこともない」
厄介者扱いで暴れ回っていた自分に友達などいるはずがない。
「あ、ああ……そうなんだ……」
「気の毒そうな顔するな! 俺は一匹狼だったの。いないんじゃなくて作らなかったの!」
「大丈夫だよレーヴェ、私がいるから……」
「やめろその哀れむような眼差し! お前もいなかったんだろうが!」
友達だの仲良しこよしだの、この歳で口に出す話題じゃない。
残りの魔物を片づけて戻ろうか、という話になって、レーヴェはフィアリスの背中を押して歩き出す。離れたところに、忠実な二頭の馬が待っていた。
ローブに包まれたフィアリスの体は武人のような筋肉など少しもついていない。女や子供みたいに、誰かの庇護がまだ必要な、そんな弱々しささえ感じてしまう。
(申し訳ないが、俺はお前を救ってやれない)
フィアリスを救うにはきっと、とてつもない覚悟が必要だ。
こいつの人生をまるごと引き受けるつもりじゃないと救えない。フィアリスはとても危ういところにいるからだ。
こいつには愛が必要だ。全てを賭けた、ありったけの愛が。疑いようのないほどの、確固たる愛が。
でも、俺には与えてやれない。
(俺は誰かを救えるような人間じゃないしな)
せいぜい、この男を一生抱かないと誓うくらいしかない。
いつかフィアリスを全身全霊で愛してやれる誰かが出てきてくれたらいいのだが。
レーヴェは久しく祈ったことのない神を頼りにしようかと逡巡し、やめておくことにした。こんな素行の悪い男の願いを聞くほど、神も暇じゃないだろう。
* * *
「立てエヴァン! 休んでる暇はないぞ!」
明るい青空の下、レーヴェは声を張り上げる。館の近くで、今日もエヴァンの剣術の稽古だ。
エヴァンは息を切らして膝をついていたが、稽古用の剣を杖のようにして立ち上がる。
近頃はめっきり弱音を吐かなくなってきた。
日陰で育った発育の悪い植物みたいだった身体には筋肉がつきつつあり、背も急激に伸び始めている。
何かが心の中で芽生えて、それが肉体にも影響しているのだろう。
元から剣筋は良いと感じていたが、想像以上だった。吸収が早い。まだ到底話にならない技量だが、確実に成長している。
あまりの伸び方に、レーヴェも内心驚嘆していた。
ガキってのは恐ろしい生き物だ。可能性に満ちている。どこまで強くなれるか未知数だ。
「打ちこんでこい、お前はそれでもリトスロードの男か! 強くなりたいなら限界を越えるつもりで常に動け!」
汗みずくになり、咳きこんでからエヴァンが小さく呟いた。
「……強くなったら……守りたいものを守れるんだろうか」
レーヴェは眉をしかめる。
「青臭ぇこと言いやがって。お前ガキじゃねーんだから……いや、ガキだったか」
「どれほど強くなったら守りたいものを守れるんだ、レーヴェ」
エヴァンが顔をあげる。
その双眸には緑の炎が燃えている。若々しく汚れを知らない、力強い魂の一端が輝きとなって見えている。
「…………知らん」
自分がどれほど強くなったと感じたところで、守れないものはある。力を手にしても取りこぼすものはたくさんあるのだ。
失ったものを嘆いて、手が届かなかったことを悔いて、己がどれだけ無力なのかを知りながら生きていかなければならない人間も多い。
失ったものは、助けられなかったものは、二度と戻ってこない。
喪失を抱えて生きていかなければならなくて、それが現実だ。
――けれど。
「とにかく強くなれ、エヴァン。お前は俺より強くなる。絶対にだ!」
剣の切っ先をエヴァンに向ける。
(見せてみろ、俺に)
「強くなって、お前が守りたいものを守り抜くところを見せてみろ!」
歯を食いしばってエヴァンは踏み出した。
「うわああああああ!」
エヴァンの剣を受け止める。容赦なく横に払うと地面に転がった。それでもまた立ち上がる。
(こいつはどんどん強くなれるんだもんな)
自分ができなかったことを他人に託すのは良くないことではあるだろうが、それでも信じたかった。
「おら、どうした、来い!」
この弟子が望みを果たし、ただ一人の友人が幸せになる未来を見てみたい。
らしくない希望を抱いてしまうほどに、弟子の瞳の輝きは清らかで、美しかった。
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