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番外編
兄への報告
天駆ける屍の黒い馬は不吉なものと見なされるが、足が速いのでリトスロード侯爵家の者は重宝している。領地を出る時は乗らないが、領内の移動であればまずこの馬に乗っている。
領民はもう見慣れていて、空を移動している馬を見つけると、嬉しそうに手を振ったり礼をした。
この日、フィアリスとエヴァンは馬にまたがり、リトスロード家の長男、クリストフが住む館へと向かっていた。
「あなたと私の関係を、兄上にしっかり報告しておく必要がありますから」
エヴァンは言う。関係というのは、「そういう」関係のことだろう。フィアリスとしては気が進まない。どんな顔をしたらいいかわからないのだ。
ジュードとの関係は半ば公然だったが宣言したわけではなく、周りがそれとなく察しただけだ。今回もそんな流れでいいのではないかと弱気なフィアリスは思っていたが、真面目なエヴァンが許さなかった。
眼下には小麦畑が広がっている。領内で栽培される小麦は質が良く、魔物が出る土地だからか土が特殊で連作障害が起きない。
他にもリトスロード侯爵家の領地で有名なのは生糸と織物だ。魔物と虫の合いの子である特別な蚕はここの土地でしか生きていけない。頑固な織物職人も蚕と同様ここから離れたくないとでも言いたげに、土地から出ずに技術を弟子へと伝えている。
王都だけではなく国外からも需要があり、概ね領内は豊かだった。
「侯爵家のお方だ!」
畑仕事をしていた数人が立ち上がり、こちらに手を振っている。
フィアリスも手を振り返した。
豊かではあるが危険はつきものの土地である。この辺りに住む人間は肝が据わった者が多い。他所から移り住もうとする者もいたが長くは続かず、代々暮らしている家系が大半だった。
織物職人が住む町のすぐそばに、クリストフのいる館がある。養蚕農家も近くにあり、かつてこの辺りはよく襲撃を受けていたことから保護と牽制のためにここへリトスロードの館を建てたのだった。
あくまでリトスロード侯爵家の館はあの荒野の黒い館となっていたが、別館のここが本拠地のような扱いを受けつつある。ここならば瘴気の影響もなく、並みの人間でも行き来できるのだ。
建て増しをしてどこか歪な黒い館と違い、クリストフの住む館はいたって普通の貴族の居所という佇まいだった。
馬を降下させたフィアリスとエヴァンは、出てきた使用人に馬を任せて館へと足を踏み入れる。
「やあ、よく来たな、二人とも」
クリストフが出迎える。
顔を合わせたのは、竜の騒動の時以来だ。
「時間を割いていただき、ありがとうございます。兄上」
歳が離れているから子供の頃からそれほどべったりとしていたわけではないが、エヴァンは長兄との関係は良好だった。
現在三十歳のクリストフは父に似ず愛想が良くて、気遣いもできる男だった。長身で髪はエヴァンと同じ栗色。穏やかな顔は母親似である。
二人は部屋へ案内された。
フィアリスが好きな、甘い香りのするハーブティーでもてなされる。
「私の好きなお茶を覚えてくださってたんですね」
フィアリスが微笑むと、クリストフも笑みを返した。
領内で育てられている葉で、たくさんあるから土産に持って行くといい、と言われた。
「父上の容態だが、良好だそうだ。どれほど療養すれば動けるようになるのかはまだ何とも言えないが、ひとまずは安心だな。頑丈な方で良かった」
クリストフがため息混じりに説明した。
体に癒着していた一級石を取り出した影響がどのくらいあるのかフィアリスも心配していたが、リーゼリアがどうにか手を尽くしてくれているそうだ。
ところで父の話になると、エヴァンはやけに無表情になる。積極的にジュードについて兄から聞き出そうとはしなかった。
鈍いフィアリスもさすがにエヴァンの気持ちの一端は理解できるから、それについては指摘できないでいる。
「お前達のおかげで助かったよ。父上には死なれては困る。情けない話だが、私はまだリトスロード侯爵家の当主となる器ではない。私が今爵位を継いでみろ。舐められて大変なことになる」
とクリストフは嘆く。
確かにジュード・リトスロード侯爵は傑物であり、力も存在感も圧倒的だ。
クリストフとて優秀な男だが、力は父には及ばないし、威圧感も足りない。ジュードはその凄まじいオーラだけで多くの競争者や厄介者を黙らせてきたのである。
若いクリストフが当主となれば、これまでの周囲との力関係も微妙に変化してくるに違いなかった。
療養中とはいえ生きていてくれるだけで、侯爵の威光は未だ効果がある。
「さて。それで、館の話になるのだが……」
館というのは本館、黒い館のことである。
「父上が留守にしている今、本来であれば私がそちらに行くべきなのだろう。しかし力不足で申し訳ないのだが、こちらも手が離せない。よってしばらくはエヴァン、お前に館を任せたい」
当主は黒い館に住む習わしだ。クリストフいわく、リトスロードの機密の多くはあの館に隠されているのだという。
家令であるノア・アンリーシャも当主代行となっているクリストフの元に向かうべきなのだが、彼には館を守るという使命もあった。なので月に何度かクリストフのもとに通って連携をとろうという話でまとまっていた。
エヴァンも竜をしとめたというし、力の面では館を任せるのに不足なし、とクリストフは判断したようだ。
近頃では、リトスロードの三男は竜を殺したと噂が流れ、エヴァンには「竜殺し」の異名が付き始めている。それほどまでに、竜を倒すというのは並大抵の仕事ではないのだ。あっさりしとめすぎて本人にはぴんときていないようだが。
エデルルークの聖剣の使い手と、竜殺しの三男。凄腕の若き魔術師。リトスロードの館には、侯爵が不在でも化け物のような人間がまだ集っている。
そう認識されているから、そうそうカチコミにこられる心配はないんじゃねーの、とレーヴェは楽観視していた。
「それで兄上、私からも話があるのですがよろしいでしょうか」
「ああ」
真っ直ぐに姿勢を正すエヴァンは、兄に目を向けたままきっぱりと言った。
「私はフィアリスを愛しています。彼を私の伴侶とすることに決めました。生涯を共に過ごしたいと考えています」
横で聞いているフィアリスは、ひたすらカップの中のハーブティーを見つめている。湯気の動きを見ているしかない。どうしてクリストフの顔が見られるだろう。
「なるほど」
やや間を置いて、クリストフの返事が聞こえた。
「まあ、そんな気はしていた。見ていたらわかるからな」
ではもしかすると、エヴァンの恋心に気づいていなかったのは自分だけなのだろうか。
レーヴェもノアもクリストフもルドルフもみんな知っていて、一番エヴァンの近くにいた自分だけ最後まで気がつかなかったのだろうか。
鈍いとなじられても仕方ないだろう。
「宜しいですね、兄上」
「お前がそうしたいなら、私は反対しないよ」
ここでフィアリスが、そろりと目線を上げた。
「しかし、クリストフ様……」
「どうしたフィアリス」
「私はエヴァンと婚姻関係を結ぶことはできませんが……」
クリストフは「ふむ、そうだな」と顎に手を添えた。
身分が違うのはもちろんだが、同性同士なのだから結婚などできるはずもない。
「私は、エヴァンは結婚するべきだと思うんです。ですからエヴァンにはどなたかふさわしい人を迎えてもらって……」
「君はどうするんだ」
「ええと、私はその、愛人としてでも……」
「フィアリス」
横から凍えるような冷たい声が飛んできて、腕をつかまれた。かなり力がこもっている。
「あまり私を怒らせないで下さい。それ以上言わせませんよ」
エメラルドの瞳は実際、ふつふつと怒りに燃えている。愛人、という言葉が特に気に障ったのだろう。
「でもエヴァン、君にも果たすべき責務があるだろうし」
「責務なら果たします、あなたではない人と結婚すること以外なら全て。どうしてこの話になるとあなたはそうやって逃げ腰になるんですか。私のことを愛しているといつも言ってくれるじゃないですか!」
このまま不毛な言い争いに突入すると、いつもレーヴェを置いてきぼりにしてしまう流れをクリストフの前でも披露してしまいそうだ。レーヴェはともかく、クリストフを放置してしまうのはまずい。
「クリストフ様はどうお考えでしょうか。エヴァンが私と共にいて、生涯独身というのはいかがなものかと……。形式的にでも妻を迎えた方が、彼のためにも良いと思うのですが」
大体身分の高い人間なんて政略結婚が多いので、愛しているかどうかなど二の次なのがほとんどだ。
「嫌です!」
頑として譲らないエヴァンが口を挟む。
クリストフはこんなやりとりに、少々目を丸くしてはいるが呆気にとられた風でもなく、腕を結んで考えるような仕草をする。
「フィアリス、実を言うと、私は妻が好きで好きでたまらないんだ。妻以外の人間を愛することも、愛するふりをするのも考えられない」
「はあ……」
突然クリストフは自分の話をし始めた。
確かにクリストフは妻を溺愛している。見初めたのはクリストフの方で、猛烈に求愛をして結婚までこぎつけたのだ。今は二人の間に二児の子供がいるが、それでも妻に対する愛情は少しも冷めていない。
「愛している愛しているとしつこく言うので、妻には呆れられることもある。知っているだろうが、ルドルフもそうだ。リトスロードの男はどうも、惚れた相手への愛の深さが尋常ではなく、そしてただ一人と決めてしまうところがあるようだ。血統的なものがあるのかもしれないな」
クリストフはちらりと弟に目をやった。
「フィアリスの言うことは正論だ。だが私はエヴァンを自分の身に置き換えた場合、とてもフィアリスの意見に賛成することはできないな」
腕をつかんでいたエヴァンの手は、いつの間にかフィアリスの手を柔らかく握っている。エヴァンは黙って兄の顔を見つめていた。どこかすがるような眼差しで。
「エヴァンが長男であれば問題となったかもしれないが、幸い三男だ。本人が構わないというのなら、このままでいいのではないか? ああ、そんな顔をするなフィアリス。リトスロードはまともな家じゃない、大丈夫だ。明日死ぬかもしれない身で、恋した人に愛を囁けないなんて悲劇じゃないか。我慢してやりなさい。私は認めるが、関係については大っぴらにしないことをすすめるぞ、エヴァン」
「身内が認めてくださるのなら、私はそれで結構です」
「噂が立てばお前もくちさがないことを言われるかもしれないが」
「気になりません、些細な雑音です。私にとって大切なのは、この人と共に人生を歩むことですから」
握られた手が温かい。
何とも言えない気持ちになって、またフィアリスはうつむいた。嬉しさと申し訳なさがせめぎ合う。
「君はどうなんだ、フィアリス。本心を聞かせてほしい。君はどうしたら幸せなんだ?」
クリストフが穏やかに尋ねてくる。
困り果てた顔で、フィアリスはおとがいを上げた。この場で嘘をつくのは不誠実だろう。だから本心を言わなければならない。とても勇気が必要だが。
「エヴァンの隣にいることが……私の幸せです」
「フィアリスっ……!」
「ちょっと待って、ここで抱きしめるのはやめてくれ」
感極まって体を寄せようとするエヴァンに、両手を突っ張ってフィアリスは拒んだ。エヴァンが不満そうに顔を歪めるが、ダメなものはダメだ。人前で過度な触れ合いはやめてくれと何度も注意している。
クリストフは苦笑していた。
「君も少しは素直に自分の気持ちを話せるようになったんだな、フィアリス」
フィアリスの意固地なところをクリストフは心配していたという。一見穏やかそうだが、君は頑なすぎて手を焼いていた、と。
「君の考え方は我々もわかっている。君が自分をどのように評価しているかも。君は父上との関係を後ろめたく感じているのだろうな」
直球の言葉に、フィアリスは身を固くする。
「普通の家なら揉めるだろうが、うちはリトスロードだ。何度でも言う。我々はまともではない。数え切れないほど魔物を刻んでいるうちに、俗世間でのまっとうな価値観も一緒に刻んで捨てているんだ。地位も名誉も重視していない。土地を守り民を守り、愛するものを守って死ぬ。それだけだ、我らリトスロードの男にとって重要なことは」
言葉を返せず、フィアリスは黙っていた。エヴァンによく似た緑の瞳は、優しげな光を宿している。
「幸せになるんだ、フィアリス。弟と共に。君達の幸福をいつも、私とルドルフが、皆が、祈っているよ。君は我々の家族なんだ」
「……はい」
やけに唇に力が入って、上手く笑顔が作れなかったが、かろうじてフィアリスは微笑んだ。
エヴァンも嬉しそうに微笑を浮かべている。
いつだかエヴァンも言っていた。あなたは家族だと。
「家族」なんて、永遠に無縁だと思っていた。一人で生きていくのが当たり前で、自分が家族というものを望むなど贅沢だと苦笑して。
けれど今はこうして、家族だと言ってくれる人が周りにいる。
「ありがとうございます、クリストフ様」
きっと彼は、クリストフ・リトスロードは良い当主となるだろう。これほど度量が広く、愛に溢れた人なのだから。
「兄上にお願いがあるんですが、いつかフィアリスと短い間だけでも、旅行に出かけてもよいでしょうか」
「構わないが」
兄弟が会話をする傍ら、フィアリスはハーブティーを口元へと運ぶ。
「よかった。初夜はつつがなく終えたんですけど、うちじゃやっぱりフィアリスが落ち着かないみたいで、たまには別の場所に行かないと」
「ごっぶ……!!!!」
フィアリスは口に含んだハーブティーを盛大に吹き出しそうになるのを、どうにかとどめた。口からぼたぼたと滴る液体を慌てて拭う。
申し訳ありませんクリストフ様、と早口で断ってからエヴァンに指を突きつける。
「エヴァン! いい加減にしてくれ! 人前で言って良いことと悪いことがある!」
「相手は兄上ですよ」
「余計に悪いんだよ!」
エヴァンは言ってみれば世間知らずだし、いささか教育を間違えたかもしれない。帰ったら、他人にどこまで私生活を打ち明けるべきか、その線引きについてみっちり教えこまなければならないだろう。
言い争う二人を見て、クリストフはまたもや苦笑している。
領民はもう見慣れていて、空を移動している馬を見つけると、嬉しそうに手を振ったり礼をした。
この日、フィアリスとエヴァンは馬にまたがり、リトスロード家の長男、クリストフが住む館へと向かっていた。
「あなたと私の関係を、兄上にしっかり報告しておく必要がありますから」
エヴァンは言う。関係というのは、「そういう」関係のことだろう。フィアリスとしては気が進まない。どんな顔をしたらいいかわからないのだ。
ジュードとの関係は半ば公然だったが宣言したわけではなく、周りがそれとなく察しただけだ。今回もそんな流れでいいのではないかと弱気なフィアリスは思っていたが、真面目なエヴァンが許さなかった。
眼下には小麦畑が広がっている。領内で栽培される小麦は質が良く、魔物が出る土地だからか土が特殊で連作障害が起きない。
他にもリトスロード侯爵家の領地で有名なのは生糸と織物だ。魔物と虫の合いの子である特別な蚕はここの土地でしか生きていけない。頑固な織物職人も蚕と同様ここから離れたくないとでも言いたげに、土地から出ずに技術を弟子へと伝えている。
王都だけではなく国外からも需要があり、概ね領内は豊かだった。
「侯爵家のお方だ!」
畑仕事をしていた数人が立ち上がり、こちらに手を振っている。
フィアリスも手を振り返した。
豊かではあるが危険はつきものの土地である。この辺りに住む人間は肝が据わった者が多い。他所から移り住もうとする者もいたが長くは続かず、代々暮らしている家系が大半だった。
織物職人が住む町のすぐそばに、クリストフのいる館がある。養蚕農家も近くにあり、かつてこの辺りはよく襲撃を受けていたことから保護と牽制のためにここへリトスロードの館を建てたのだった。
あくまでリトスロード侯爵家の館はあの荒野の黒い館となっていたが、別館のここが本拠地のような扱いを受けつつある。ここならば瘴気の影響もなく、並みの人間でも行き来できるのだ。
建て増しをしてどこか歪な黒い館と違い、クリストフの住む館はいたって普通の貴族の居所という佇まいだった。
馬を降下させたフィアリスとエヴァンは、出てきた使用人に馬を任せて館へと足を踏み入れる。
「やあ、よく来たな、二人とも」
クリストフが出迎える。
顔を合わせたのは、竜の騒動の時以来だ。
「時間を割いていただき、ありがとうございます。兄上」
歳が離れているから子供の頃からそれほどべったりとしていたわけではないが、エヴァンは長兄との関係は良好だった。
現在三十歳のクリストフは父に似ず愛想が良くて、気遣いもできる男だった。長身で髪はエヴァンと同じ栗色。穏やかな顔は母親似である。
二人は部屋へ案内された。
フィアリスが好きな、甘い香りのするハーブティーでもてなされる。
「私の好きなお茶を覚えてくださってたんですね」
フィアリスが微笑むと、クリストフも笑みを返した。
領内で育てられている葉で、たくさんあるから土産に持って行くといい、と言われた。
「父上の容態だが、良好だそうだ。どれほど療養すれば動けるようになるのかはまだ何とも言えないが、ひとまずは安心だな。頑丈な方で良かった」
クリストフがため息混じりに説明した。
体に癒着していた一級石を取り出した影響がどのくらいあるのかフィアリスも心配していたが、リーゼリアがどうにか手を尽くしてくれているそうだ。
ところで父の話になると、エヴァンはやけに無表情になる。積極的にジュードについて兄から聞き出そうとはしなかった。
鈍いフィアリスもさすがにエヴァンの気持ちの一端は理解できるから、それについては指摘できないでいる。
「お前達のおかげで助かったよ。父上には死なれては困る。情けない話だが、私はまだリトスロード侯爵家の当主となる器ではない。私が今爵位を継いでみろ。舐められて大変なことになる」
とクリストフは嘆く。
確かにジュード・リトスロード侯爵は傑物であり、力も存在感も圧倒的だ。
クリストフとて優秀な男だが、力は父には及ばないし、威圧感も足りない。ジュードはその凄まじいオーラだけで多くの競争者や厄介者を黙らせてきたのである。
若いクリストフが当主となれば、これまでの周囲との力関係も微妙に変化してくるに違いなかった。
療養中とはいえ生きていてくれるだけで、侯爵の威光は未だ効果がある。
「さて。それで、館の話になるのだが……」
館というのは本館、黒い館のことである。
「父上が留守にしている今、本来であれば私がそちらに行くべきなのだろう。しかし力不足で申し訳ないのだが、こちらも手が離せない。よってしばらくはエヴァン、お前に館を任せたい」
当主は黒い館に住む習わしだ。クリストフいわく、リトスロードの機密の多くはあの館に隠されているのだという。
家令であるノア・アンリーシャも当主代行となっているクリストフの元に向かうべきなのだが、彼には館を守るという使命もあった。なので月に何度かクリストフのもとに通って連携をとろうという話でまとまっていた。
エヴァンも竜をしとめたというし、力の面では館を任せるのに不足なし、とクリストフは判断したようだ。
近頃では、リトスロードの三男は竜を殺したと噂が流れ、エヴァンには「竜殺し」の異名が付き始めている。それほどまでに、竜を倒すというのは並大抵の仕事ではないのだ。あっさりしとめすぎて本人にはぴんときていないようだが。
エデルルークの聖剣の使い手と、竜殺しの三男。凄腕の若き魔術師。リトスロードの館には、侯爵が不在でも化け物のような人間がまだ集っている。
そう認識されているから、そうそうカチコミにこられる心配はないんじゃねーの、とレーヴェは楽観視していた。
「それで兄上、私からも話があるのですがよろしいでしょうか」
「ああ」
真っ直ぐに姿勢を正すエヴァンは、兄に目を向けたままきっぱりと言った。
「私はフィアリスを愛しています。彼を私の伴侶とすることに決めました。生涯を共に過ごしたいと考えています」
横で聞いているフィアリスは、ひたすらカップの中のハーブティーを見つめている。湯気の動きを見ているしかない。どうしてクリストフの顔が見られるだろう。
「なるほど」
やや間を置いて、クリストフの返事が聞こえた。
「まあ、そんな気はしていた。見ていたらわかるからな」
ではもしかすると、エヴァンの恋心に気づいていなかったのは自分だけなのだろうか。
レーヴェもノアもクリストフもルドルフもみんな知っていて、一番エヴァンの近くにいた自分だけ最後まで気がつかなかったのだろうか。
鈍いとなじられても仕方ないだろう。
「宜しいですね、兄上」
「お前がそうしたいなら、私は反対しないよ」
ここでフィアリスが、そろりと目線を上げた。
「しかし、クリストフ様……」
「どうしたフィアリス」
「私はエヴァンと婚姻関係を結ぶことはできませんが……」
クリストフは「ふむ、そうだな」と顎に手を添えた。
身分が違うのはもちろんだが、同性同士なのだから結婚などできるはずもない。
「私は、エヴァンは結婚するべきだと思うんです。ですからエヴァンにはどなたかふさわしい人を迎えてもらって……」
「君はどうするんだ」
「ええと、私はその、愛人としてでも……」
「フィアリス」
横から凍えるような冷たい声が飛んできて、腕をつかまれた。かなり力がこもっている。
「あまり私を怒らせないで下さい。それ以上言わせませんよ」
エメラルドの瞳は実際、ふつふつと怒りに燃えている。愛人、という言葉が特に気に障ったのだろう。
「でもエヴァン、君にも果たすべき責務があるだろうし」
「責務なら果たします、あなたではない人と結婚すること以外なら全て。どうしてこの話になるとあなたはそうやって逃げ腰になるんですか。私のことを愛しているといつも言ってくれるじゃないですか!」
このまま不毛な言い争いに突入すると、いつもレーヴェを置いてきぼりにしてしまう流れをクリストフの前でも披露してしまいそうだ。レーヴェはともかく、クリストフを放置してしまうのはまずい。
「クリストフ様はどうお考えでしょうか。エヴァンが私と共にいて、生涯独身というのはいかがなものかと……。形式的にでも妻を迎えた方が、彼のためにも良いと思うのですが」
大体身分の高い人間なんて政略結婚が多いので、愛しているかどうかなど二の次なのがほとんどだ。
「嫌です!」
頑として譲らないエヴァンが口を挟む。
クリストフはこんなやりとりに、少々目を丸くしてはいるが呆気にとられた風でもなく、腕を結んで考えるような仕草をする。
「フィアリス、実を言うと、私は妻が好きで好きでたまらないんだ。妻以外の人間を愛することも、愛するふりをするのも考えられない」
「はあ……」
突然クリストフは自分の話をし始めた。
確かにクリストフは妻を溺愛している。見初めたのはクリストフの方で、猛烈に求愛をして結婚までこぎつけたのだ。今は二人の間に二児の子供がいるが、それでも妻に対する愛情は少しも冷めていない。
「愛している愛しているとしつこく言うので、妻には呆れられることもある。知っているだろうが、ルドルフもそうだ。リトスロードの男はどうも、惚れた相手への愛の深さが尋常ではなく、そしてただ一人と決めてしまうところがあるようだ。血統的なものがあるのかもしれないな」
クリストフはちらりと弟に目をやった。
「フィアリスの言うことは正論だ。だが私はエヴァンを自分の身に置き換えた場合、とてもフィアリスの意見に賛成することはできないな」
腕をつかんでいたエヴァンの手は、いつの間にかフィアリスの手を柔らかく握っている。エヴァンは黙って兄の顔を見つめていた。どこかすがるような眼差しで。
「エヴァンが長男であれば問題となったかもしれないが、幸い三男だ。本人が構わないというのなら、このままでいいのではないか? ああ、そんな顔をするなフィアリス。リトスロードはまともな家じゃない、大丈夫だ。明日死ぬかもしれない身で、恋した人に愛を囁けないなんて悲劇じゃないか。我慢してやりなさい。私は認めるが、関係については大っぴらにしないことをすすめるぞ、エヴァン」
「身内が認めてくださるのなら、私はそれで結構です」
「噂が立てばお前もくちさがないことを言われるかもしれないが」
「気になりません、些細な雑音です。私にとって大切なのは、この人と共に人生を歩むことですから」
握られた手が温かい。
何とも言えない気持ちになって、またフィアリスはうつむいた。嬉しさと申し訳なさがせめぎ合う。
「君はどうなんだ、フィアリス。本心を聞かせてほしい。君はどうしたら幸せなんだ?」
クリストフが穏やかに尋ねてくる。
困り果てた顔で、フィアリスはおとがいを上げた。この場で嘘をつくのは不誠実だろう。だから本心を言わなければならない。とても勇気が必要だが。
「エヴァンの隣にいることが……私の幸せです」
「フィアリスっ……!」
「ちょっと待って、ここで抱きしめるのはやめてくれ」
感極まって体を寄せようとするエヴァンに、両手を突っ張ってフィアリスは拒んだ。エヴァンが不満そうに顔を歪めるが、ダメなものはダメだ。人前で過度な触れ合いはやめてくれと何度も注意している。
クリストフは苦笑していた。
「君も少しは素直に自分の気持ちを話せるようになったんだな、フィアリス」
フィアリスの意固地なところをクリストフは心配していたという。一見穏やかそうだが、君は頑なすぎて手を焼いていた、と。
「君の考え方は我々もわかっている。君が自分をどのように評価しているかも。君は父上との関係を後ろめたく感じているのだろうな」
直球の言葉に、フィアリスは身を固くする。
「普通の家なら揉めるだろうが、うちはリトスロードだ。何度でも言う。我々はまともではない。数え切れないほど魔物を刻んでいるうちに、俗世間でのまっとうな価値観も一緒に刻んで捨てているんだ。地位も名誉も重視していない。土地を守り民を守り、愛するものを守って死ぬ。それだけだ、我らリトスロードの男にとって重要なことは」
言葉を返せず、フィアリスは黙っていた。エヴァンによく似た緑の瞳は、優しげな光を宿している。
「幸せになるんだ、フィアリス。弟と共に。君達の幸福をいつも、私とルドルフが、皆が、祈っているよ。君は我々の家族なんだ」
「……はい」
やけに唇に力が入って、上手く笑顔が作れなかったが、かろうじてフィアリスは微笑んだ。
エヴァンも嬉しそうに微笑を浮かべている。
いつだかエヴァンも言っていた。あなたは家族だと。
「家族」なんて、永遠に無縁だと思っていた。一人で生きていくのが当たり前で、自分が家族というものを望むなど贅沢だと苦笑して。
けれど今はこうして、家族だと言ってくれる人が周りにいる。
「ありがとうございます、クリストフ様」
きっと彼は、クリストフ・リトスロードは良い当主となるだろう。これほど度量が広く、愛に溢れた人なのだから。
「兄上にお願いがあるんですが、いつかフィアリスと短い間だけでも、旅行に出かけてもよいでしょうか」
「構わないが」
兄弟が会話をする傍ら、フィアリスはハーブティーを口元へと運ぶ。
「よかった。初夜はつつがなく終えたんですけど、うちじゃやっぱりフィアリスが落ち着かないみたいで、たまには別の場所に行かないと」
「ごっぶ……!!!!」
フィアリスは口に含んだハーブティーを盛大に吹き出しそうになるのを、どうにかとどめた。口からぼたぼたと滴る液体を慌てて拭う。
申し訳ありませんクリストフ様、と早口で断ってからエヴァンに指を突きつける。
「エヴァン! いい加減にしてくれ! 人前で言って良いことと悪いことがある!」
「相手は兄上ですよ」
「余計に悪いんだよ!」
エヴァンは言ってみれば世間知らずだし、いささか教育を間違えたかもしれない。帰ったら、他人にどこまで私生活を打ち明けるべきか、その線引きについてみっちり教えこまなければならないだろう。
言い争う二人を見て、クリストフはまたもや苦笑している。
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騎士団副団長であるアーフェンは、召喚された聖者の真柴に敵意を剥き出しにしていた。
『魔獣』と対抗する存在である聖者は、騎士団存続の脅威でしかないからだ。
しかも真柴のひ弱で頼りない上に作った笑いばかり浮かべるのを見て嫌悪感を増していった。
だが最初の討伐の時に発動した『聖者の力』は、怪我の回復と『魔獣』が持つ属性の無効化だった。
アーフェンは騎士団のために真柴を最大限利用しようと考えた。
真柴も困っていた。聖者は『魔獣』を倒す力があると大司教に言われたが、そんな力なんて自分にあると思えない。
またかつてのように失敗しては人々から罵声を浴びるのではないかと。
日本に大勢いるサラリーマンの一人でしかなかった真柴に、恐ろしい魔獣を倒す力があるはずもないのに、期待が一身に寄せられ戸惑うしかなかった。
しかも度重なる討伐に身体は重くなり、記憶が曖昧になるくらい眠くなっては起き上がれなくなっていく。
どんなに食べても身体は痩せ細りと、ままならない状況となる。
自分が聖者の力を使っているのを知らないまま、真柴は衰弱しようとしていた。
その頃アーフェンは知るのだ、聖者の力は命と引き換えに出されるのだと。
そうなって初めて、自分がどれほどひどいことを真柴にしたかを思い知らされた。
同時にあれほど苛立ち蔑んだ真柴に、今まで誰にも感じたことのない感情を抱いていることにも。
騎士団を誰よりも大事にしていた副団長は、ある決意をするのだった……。
騎士団副団長×召喚された聖者の不器用な恋の話です。
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