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第一部 再会
46、お前達は似ている
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子供の頃に読んだ物語で、印象に残ったものがあった。
心優しい青年が、自分の身を犠牲にして人々を救う話だ。幼いジェードはこの主人公に好感を持ったが、もやもやした思いも募らせた。
彼は人々を救って、幸せそうに消えていった。それは一つの美しい話ではあるし、彼は満足したのだろうが、本当に、この話はこれでよかったのだろうか。
彼は自己完結した幸福しか知らない。強い男だったのかもしれないが、誰かに与えられる幸福を求めずに消えていった。
誰かが彼を助け、一緒に他の誰かを助けながら、彼が時折己だけの喜びも噛みしめつつ長く存在していける道はなかったのだろうか。
どうして、誰も助けられなかったのだろう。彼を。
そして長じるにつれて、ジェードはその物語に出てくるような男は存在しないのだと知った。
城の中で目にするのは謀略、裏切り。兄弟達は一人ずつ消えていく。
皆生きるのに必死なのだから、他人になどかまけていられない。それはわかる。
わかってはいたが、失望した。
この世界は汚い。そしてそう感じる自分も汚れている。
ジェードは物語の青年のように、身を捧げて誰かを助けることはなかった。己がそうすることはどこかわざとらしさを感じて、陶酔による自己犠牲は酷く醜い、愚かなものに思えたのだ。
テクタイトは幼いジェードが読んでいた本を取り上げて、この話に出てくる男は生き物として失格だとなじった。
「生き物は生きるために生きている。この男はその義務を自慰のために投げ出した。唾棄すべき存在だ」
兄の言葉を聞き流す癖がついていたジェードは返事もしなかったが、全部が間違っているとも思わなかった。
生きるために生きている。
生きなければいけない、とぼんやり考えた。
狐狸の巣窟のようなところで生まれ、見苦しいほどの競争を見て心が塞いだとしても。欺かれ、貶され、幾度となく殺されそうになったとしても。
生きなければならない。理由はよくわからないが、いつも心の奥底で呟いていた。だからどんな戦地に送り出されても、帰ってきたのだ。
光も見えない闇の中を、行ったり来たりとうろつきながら。半端に誰かに手を差し伸べるくらいなら斬る方が似合っている、と剣を握り続けた。
人斬り王子が人を斬ることを誰もが求めて、それがジェードの在り方となっていた。
三人の王子が花宮殿に到着したが、テクタイトは彼らと会わなかったらしい。呼ばれたのはジェードだった。
やって来たのはマラカイト、ヘマタイト、カイヤナイトだ。いずれもジェードの兄に当たる。この三人の中でまとめ役を担っているのは、第五王子のマラカイトだった。
マラカイトは羽織ったマントを軽く手で払ってジェードを睨み据えた。彼はいつも猜疑心のこもった目でジェードを睨む。
「私はそう長居するつもりはない」
ひと気のない通路で、ジェードは立ったままマラカイト達と対面していた。
「お前とテクタイトがどうしているのか見に来たのだ。特に、テクタイトが何かつかんだのかが気になっている」
「何か、とは?」
ジェードが質問する。
「王の資格だ。現在城では、継承権を持つ兄弟達が血眼になってさがしている。そしてそれが何であるか判明しつつあるのだ、ジェード。冠なのだ。王の冠を戴いた者が王となる。父上がそうであったようだ。あの方は宝玉王として即位した期間が数千年と長かった。戴冠式の記録をさがすのに難儀した」
マラカイトの話によると、本来であれば誰に王位を継がせるかは王が決めるはずであり、息子に冠を譲る儀式があったのだそうだ。それが今回は行われず、王冠も見当たらない。
城中ひっくり返してさがしているそうだから、その騒ぎはなかなか滑稽なものだろうとジェードは口に出さずに想像した。
おそらく、城にはないのだ。テクタイトがここにいることがそれを証明している。幾度となく兄弟達を出し抜いてきたテクタイトが、それしきの事実を知らないはずがない。
そこからのマラカイトの話は、意外なものだった。
「父上がある時期、とある花の貴人に骨抜きにされていたという話は知っているか?」
「聞いたことがありません」
「そうだろうな。千年以上前のことで、我々は生まれていない。相当入れ込んでいたようで、頻繁に自分の部屋へ呼んでいたそうだ」
生前の父王の様子からはおよそ想像がつかない話だった。愛想がなく厳めしく、何かに心を動かすような男には見えなかったのだ。
それに、花の貴人が人の国の王城に何度も訪れるというのはあり得ないことのように思われた。彼らは花宮殿に縛られていて、出入りするのは不可能だ。
だが確かに貴人であるらしい、とマラカイトは主張する。長く逗留したわけではないのに幾晩も続けて王の私室を訪っていたところから、魔術で移動していたと思われた。
宝玉王が長い人生で唯一関心を持ったのが一人の花の子だった。王冠の秘密はそこにあるのではないかと、王子達は考えたらしい。たとえば、王冠を預けた、だとか。
何故か同じ時期に花の国は王の代理が選ばれようとしている。冠を授ける権利を、その代理が得るのではないだろうか。
根拠に乏しいが、全くないとは言えないかもしれない。それにしても、王の代理選定については謎が多すぎた。
「父上の愛人というのは誰なのですか?」
「そこまではわからない。花の子は込み入った魔術を使う。人々から己の記憶を消していたようだ」
リーリヤも道具を使っていたが似たようなことを試みていたので、記憶の操作というのは、彼らにとっては容易なのかもしれない。
愛人とは花の国の王なのではないかと考えたが、宝玉王の残した僅かな記述によると王ではなくて「貴人」なのだそうだ。
マラカイト達は要するに、根回しのために宮殿へ訪れたらしい。テクタイトが王冠を手にするのを阻止し、王の代理候補を味方につけてその後何かあった際にことが自分の有利に働くよう準備をしておきたいのだろう。
ご苦労なことだ、とジェードは思った。
「お前にはやるべきことがあるはずだ」
ジェードはマラカイトへ、視線で問いかけた。
「テクタイトを亡き者にしろ。それがお前の仕事ではないか」
いつからだ?
いつからそれが私の仕事になったのだ。
ジェードは無表情で兄の目を見つめる。マラカイトの緑の瞳には、彼が持つ石と同じような美麗な縞模様が浮かんでいた。
「あなたが討てばいい」
感情をこめずにジェードは答える。当然のように、マラカイトの逆鱗に触れた。怒りに満面朱を注ぐ。
「何と言った?」
「テクタイト兄様を葬るべきだとお考えになるのなら、マラカイト兄様、あなたが手をくだせばよいのではないかと言っているのです」
「できるのならそうしている! かなわぬ相手であるから手こずっていると、お前も知っているではないか! テクタイトを滅ぼせるのはお前だけだ!」
己にできぬことをやれと言う。いつも兄弟達はこうだった。そしてそれを当然だとジェードに言い聞かせる。
「そして、テクタイト兄様を討った後、私は兄殺しの汚名を着せられ、処刑台へと送られるわけですか?」
マラカイトの眉間のしわが深くなる。人斬りの剣が賢しらなことを言うと面白がるのはテクタイトだけで、他の兄達は嫌がった。
道具が意見を述べるのは気に入らないのだ。
「何故テクタイトを討たない。裏切る気か? ジェード」
「おかしなことを仰る。私は誰にも与しない。ですから裏切りようがありません」
味方以外は敵だという考えが彼らの中では根強い。だがこれまで歩んできた人生を考えればそれも仕方のないことだろう。
そして、ジェードは自分の気持ちを兄弟達に理解してほしいとは微塵も思っていない。
「テクタイトは人心を操ることに長けているのだ。あんな邪悪な男が国を治めれば恐ろしい未来が待っている。それがわからぬのか?」
「ですから」
ジェードはマラカイトから目をそらさずに、わずかに語気を強めた。
「そう思うなら、あなたが殺せばがいい」
「これは正義だ、ジェード!」
「そうでしょうとも。しかしこの汚れた人斬りは、正義という看板を背負う資格はとうにありませんし、私は正義に興味がない」
百年余りこの世を見てきた。正義は時代によって翻る。頼みにするにはジェードにとってあまりに頼りなかった。
人を殺して誉められて、後の世では罪人として裁かれる。
ジェードには、正義というものがよくわからない。わかっていたら、人など斬らぬ。
「私はあなた方には関わらない」
「腰抜けめ! 貴様、それでも男か。いやしくも王子として生を享けたなら、国のために働かずしてどうする。覚悟を持って立場を決めろ」
誰につくかをこの場で告げるよう迫られていた。興奮する兄とは対照的に、ジェードは冷静だった。心には何も響かない。
返事をしない弟を、マラカイトは糾弾し続けた。
「どれだけあの男に害があるか、狙われ続けたお前なら危険性を承知しているはずだ。放置するのは罪であるぞ。それともお前は、奴に弱みでも握られているのか? 納得のいく説明をしてみろ! お前が奴に手をくださないのであれば、味方をしていると判断する」
マラカイトの命令を、何度聞いただろう。彼の放った刺客を、何度返り討ちにしただろう。
彼の言うことは正しいのかもしれない。間違っているのは己の方なのかもしれない。
テクタイトなど消えてくれればいいと、ジェードも思っている。けれど。
「どうぞ、お好きなように」
ジェードは冷え切った声で返事をした。
マラカイトは弟二人を後ろに従え、憎々しげにジェードを睨めつける。憤怒するあまり、なかなか言葉が口から出てこない様子だった。
「貴様みたいな化け物に道理を説いても無駄なようだ。テクタイトのような化け物とさぞ気が合うのだろう。手にした剣から血を滴らせて佇む後ろ姿は、そっくりだ。お前達はよく似ている。お前達には信念というものがない」
そう吐き捨てると、マラカイトは背を向けて歩き出した。二人の王子もそれに続く。
ジェードは黙ってその場に立ったままでいた。姿が見えなくなっても、兄達が去って行った方へ目をやっている。だが、そこにある何かを見ているのではなかった。
自分とテクタイトの後ろ姿を幻視していた。
手にした剣は赤く染まっている。笑って振り向くテクタイトと、無表情で振り向くジェード。どちらも躊躇わずに人を斬る。
虚ろな瞳は、確かに似ているようだった。
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