花の貴人と宝石王子

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第一部 再会

67、黒薔薇

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 * * *

 いつものように、リーリヤはジェードと並んで宮殿の中を歩いていた。心地の良い昼下がりである。
 リーリヤは先日、すみれのイオンと茶を飲みながら話をしたことを思い出していた。
 梔子くちなしの侍従オピスが仕上げた服を着て踊ったあの夜。演奏にはすみれの侍従も加わっていた。ジェードの「リーリヤと踊ってみたい」との希望を聞き、イオンが楽器を得意とする侍従達を寄越してくれたのだそうだ。あの夜、広間の入り口でイオンも途中から見学をしていた。

 礼を言いつつ、リーリヤはイオンにあの時のことについてを語っていた。
 ジェードがいかに素晴らしい人物かと熱弁するのを、イオンは自分が褒められているかのように機嫌良く頷きながら聞いていた。

 あの方が自分にとってどのような存在であるか。今までジェードは、親切で可愛らしく、なるたけ助けてあげたい若者だった。寄り添いたいと思っていたが、今は寄り添ってほしいと思い始めている。互いに支えることを求めているのだ。
 イオンは目を輝かせながら相づちを打って、身を乗り出していた。

「つまりこれが――」

 リーリヤが言う。
 イオンが耳をすましている。

「持ちつ持たれつ、というものなのですね!」

 朗らかに力強くリーリヤが言った瞬間、イオンは椅子から転げ落ちそうになった。それから頭を抱えてしばらく黙り込んでいたが、どうにか顔を上げる。

「要約してください。つまりどういうことになるのですか」
「仲良しです。良い関係、ということですね」
「他に言い方はありませんか。だから、あなたは、ジェード殿下を……ねえ?」

 イオンが歯がゆそうな顔をしている理由がわからなくて、リーリヤは目を見開いていた。

「はっきりしてくださいよ、リーリヤ。ジェード殿下を好きになったのでしょう?」
「変なことを言いますね。私はずっとジェード様が好きですよ」
「いやもう、その、あなたのそういう言い方が、まだこう、全然……どうして……どうしてなんだ!」

 悲痛な声をあげてイオンが胸を押さえている。どういうことなのかはっきり言ってほしいのはリーリヤの方だったのだが、イオンは手を振ってとりあってくれなかった。
 それはリーリヤが自分で見つけて実感して、己の口から言わなければならないらしいのだ。
 自分は素直に思った通りを言っただけなのだが、「それがあなたの本音であれば殿下にはお伝えしない方がよろしいでしょう」と力なくイオンが助言した。

 おそらく、「好き」の質について指摘されているのだろう。表現の仕方が問題視されているのだろうか。
 だからリーリヤは真面目に見えるよう顔をひきしめ、力強く低い声で「ジェード様のことは好きですが」と言ってみたのだが「そういうことではなくて」とイオンに呆れられてしまった。難しいものである。
 イオンの嘆きはそのまま、ジェード中に秘された嘆きでもあるのだろううか。そう思うと申し訳なくて仕方がない。何が正解なのかわからないのだ。

 けれどとにかく、嘘をつくのは不誠実だから、思ったままをジェードには伝えよう。
 隣に並ぶジェードの顔を見上げた。

「ジェード様。あなたと一緒に踊るのは楽しかったです。またいつか、お願いします」

 リーリヤが言うと、ジェードは微かな笑みを浮かべて頷いた。彼をがっかりさせるような、余計なことは言わずに済んだらしい。多分、もう少し喜ばせられるような言葉があるのだろうが。
 イオンによると、いつかリーリヤにもわかる時が来るそうだからそれを期待して過ごすしかないだろう。
 ジェードが満足するほどの愛情表現を出来ていないというのは察していたので、せめて楽しい会話をしようと思う。

「ジェード様は、私と何かしたいことがありますか?」

 ジェードは少し考えてから話し始めた。

「実現させようという気持ちがあるわけではないが、お前と旅がしてみたいとは幾度か思っていた」
「旅、ですか?」
「川のそばでお前と初めて会った後、少しの間行動を共にしただろう。もっとお前と一緒にいればよかったと悔いていたのだ。そのせいか、お前と旅をするのを想像したり、夢を見た」

 当時、ジェードもリーリヤもそれぞれ用事があって旅をしていたのだ。たまたま行き合った二人は、二晩ほど一緒にいたが目的の方向が違うので別れた。もし同じであれば、二人の旅はもう少し続いていたかもしれない。

「いいですね。機会があれば、旅をしましょう」

 リーリヤは花宮殿に住む貴人であるから、自由に外出などできない。実は魔術に縛られておらず、外に出るのは可能なのだが、リーリヤだけが出入りして遊び歩くわけにもいかないのだ。
 リーリヤが宮殿から出たところでそもそも何の足しにもなっていないのだし誰もとがめないだろうが、だからといって出て行く気にはならない。自分は貴人としては不足するものが多すぎるが、せめて皆と同じように不自由さだけは分かち合いたかった。余程逼迫した理由でもない限り宮殿から離れたりはしないだろう。

 ジェードもそれをわかっているから、あくまで夢として語っているらしかった。
 ジェードとなら、どこへ行くのも何をするのも楽しそうだった。リーリヤは抜けているところが多いが、ジェードがそばにいれば窮地に陥る場面も少なそうである。前回外に出て戻った時、出迎えたすみれのイオンが「あなたが五体満足で帰ってくるだなんて、奇跡に近いですね!」とため息をついていた。リーリヤは一人で行動していると、それほど他人を心配させてしまうらしいのだ。

 そう、ジェードは若いが非常に頼りになる。
 現在持ち上がっている問題についてジェードに相談してみようかとリーリヤは思った。
 ジェードは信用できるし口が堅い。しかも花の貴人達のように、記憶が封じられていたり王という存在に疑問を持たないよう制限がかけられているわけでもない。部外者であるからこそやや安心かもしれないのだ。

 リーリヤは王のことなどについて周りと話し合いたいのは山々だったが、誰も彼もが反応が鈍いし、無理して思い出させようとして心身に負担をかけるのは避けたかった。なので、まだ仲間と話し合う段階ではないと判断している。
 造花の件は考えただけで気が塞ぐが、無視し続けてもいられない。人の子が関わることでもあるので、ジェードに話してみるべきかもしれない。

「ジェード様、あなたは……」

 リーリヤは口を開きかけたが、異様な気配を察知してそのまま硬直した。
 ジェードもすぐに気がついて目つきを鋭くする。
 どぉん、とどこかから重々しい破壊の音が響いて、床がわずかに揺れる。その音はそれきり静まるどころか、複数回続いた。

「この……力は」

 目に見えない魔力の奔流が向かってくる。放たれた力が廊下を流れ、風のごとく通り過ぎた。
 リーリヤが目を見開いたまま立ち尽くしている間、ジェードは無言で剣を抜いた。断続的な響きが徐々にこちらへと近づいてくる。
 壁を破って、うねる長いものが廊下で暴れ回っていた。その黒いものがリーリヤに襲いかかろうとするので、ジェードが叩っ斬る。

 床に落ちたのは、棘の生えた、巨大な黒い蔓だった。
 暴れる蛇のごとく敏捷な黒い蔓は、他にもあちこちから床や壁を突き破りのたうち回っている。鋭利な棘は石壁に刺さってそこを砕き、粉塵が舞う。
 宮殿の方々から怒鳴り声が聞こえてきた。

 剣を手にした赤薔薇と白薔薇がリーリヤ達と同じ階を走っている。

「退避だ! 逃げろ!」

 赤薔薇のローザは黒い蔓を斬って無力化させながら、侍従達に逃げるよう指示を出していた。

「誰が……」

 リーリヤは破壊の続く廊下を凝視しながら、苦々しい思いで呟いた。

「誰があの子の蕾を持ち出したのですか……」

 宮殿内は阿鼻叫喚の状態で、逃げ惑う侍従達を貴人達がかばって戦い、安全な場所へと逃がしていく。
 そんな中、蔓を操っている男の絶叫が響き渡った。

「白百合ィィィーーーーーーーーーーーーッッッ!!」

 大声が空気を震わせ、耳をつんざく。あまりの凄まじさに、リーリヤは目を細めた。しかし落ち着いた表情で、その場からは動かなかった。
 ジェードは剣を手にしたままリーリヤのそばに立っていて、二人の薔薇も駆けつけた。
 崩れかけた廊下の暗がりに、ふらふらと歩いて向かってくる人影を見つける。

「私はここです、黒薔薇」

 うねりのある長い髪は漆黒。身にまとう服も黒だった。顔つきは美しいが蒼白で、目つきが病的な男だ。飢えて気の狂いかけた猛獣を思わせる。

「おはようございます。気分はどうですか?」

 声をかけても、黒薔薇はリーリヤを睨みつけるだけだった。

「……で、黒薔薇の蕾を地下から出したのはどこの誰なんです?」

 リーリヤは振り向いて尋ねたが、赤薔薇も白薔薇も首を横に振った。遠巻きに見守っている貴人達も何人かいたが、誰も彼もが想像もしていなかった出来事に困惑しているらしかった。
 しかし、誰がやったかというのは今大した問題ではないだろう、とリーリヤは前に向き直る。

「あの者は?」

 ジェードに問われたリーリヤが「黒薔薇公です」と答える。
 ジェードは初めて目にする貴人だろう。リーリヤ達も、顔を見るのは数百年ぶりだった。

「黒薔薇公は宮殿に住む花の貴人で最も若く、少々異質な花でした。一族はなく、彼一人が黒薔薇なのです。そういう花は、個人名ではなく花の名前で呼ぶことが多い」

 花の貴人は年齢差というものがほとんどないのだが、黒薔薇は宮殿が出来てから誕生したいわゆる「新種」の貴人である。新種は飛び抜けた魔力を持っていることが多いが、どこか精神が不安定で危険な存在だった。
 リーリヤはかいつまんでジェードに説明した。

「暴れて手がつけられないので、彼は散った後に咲かせず、宮殿の地下に蕾のまま長らく封印されていました」

 蕾が咲くには太陽の光が不可欠で、つまり光が当たらない場所で保管しておけば復活はしない。通常であればそんなことはしないのだが、黒薔薇は特例だった。
 こうして黒薔薇が目の前にいる以上、何者かが蕾を持ち出して、咲き直すように陽光の下にさらしたのは明白だった。黒薔薇は咲き直しが非常に早いことで知られている。

「私が黒薔薇を剣で貫いて散らせたのです」

 リーリヤの告白に、ジェードは意外そうに眉をひそめている。
 恨みのこもった声で黒薔薇が白百合の名を叫んだのはそういう理由がある。リーリヤにしてみれば数百年前の出来事だが、黒薔薇にとってはまるで昨日のことのように感じるだろう。
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