花の貴人と宝石王子

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第二部 旅

92、前宰相

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 * * *

 粗末な荷馬車で突っ切った後はあらかじめ用意してあった別の馬車に乗り換え、リーリヤ達は王都を無事に抜けた。
 その後、追っ手の姿は見えず、穏やかに街道を進んで行く。

「疑いが晴れて向こうが納得するまではおとなしくしていた方がいいだろう。また難癖をつけられては面倒だ」

 とジェードが言った。

「間違いだったとわかった場合、彼らはどういう裁きを受けるのですか?」
「お咎めはなしだな。擯斥ひんせきされている王子は疑われる方が悪いと思われている。肩をすくめて、間違いでした、という報告をするだけで済むのだ」

 この手の騒動は毎回こういった流れなのだというから驚きである。
 リーリヤを捕らえようとした男は、王国騎士団の副団長だそうだ。百年前にジェードを徹底的に追い詰めたのは彼の親族で、因縁がある。つくづく足を踏まなかったのを後悔するリーリヤだった。

 副団長が誰の操り人形なのかまだはっきりしてないが、大方テクタイトだろうというのがジェードの見解だ。直接操っているのか間に何人か挟んでいるのかは不明だが。
 追跡者を振り切りながらの旅は負担が大きい。状況が落ち着いたのを把握してから出発しようとの話になった。

 ひとまず目指すのは、前宰相のアルト・ソルムの領地。門前払いされるかもしれないが、面識があって敵対していない貴族は彼くらいしかいないという。
 一度休憩のために馬車が止まり、ジェードがルカに城へ戻るよう詰め寄った。

「俺、一週間休みをとりましたから。鼻の具合が悪いんで、遠方にいる名医に診てもらうって嘘ついたんです」

 だから今更戻れないと言うルカと、そんな事情はこちらの知ったことではないと言い返すジェードのやりとりは長く続いた。
 ジェードは今まで威圧することで相手を引き下がらせてきたと見られるが、ルカにはまるで効果がないようである。結局、根負けしたのはジェードの方だった。

 慕っているとしたら、突き放せば焦って考えを改めるかもしれないと思ったらしいジェードは「お前と縁を切るぞ」と言い放ったが、「縁なんてありました? あなたはもう隊を抜けてるし、いつも俺を無視するのに。これ以上どうやって冷たくするのかな。まあ、構いませんよ。媚びを売る気はないですし、どう仰られても俺はやりたいことをやるんで」ときっぱり返されてはジェードも言葉がなかった。

 年下に口で負けたジェードが可哀想になり、リーリヤは笑いながらジェードの頭を撫でて慰めた。頑固で真っ直ぐな部下を持つと苦労するらしい。
 殿下、飯を調達してきました。リーリヤ様、水です。とルカは上機嫌で甲斐甲斐しく二人の世話を焼いていた。

 この日は野宿で、翌日は終日かかってアルト・ソルムが管理する領地へとたどり着いた。宰相の職を辞するしかなかったアルトは、領地へ引っ込んで療養の日々を送っている。
 事前の連絡もなく夜半に訪ねるのは非常識ではあるが、ジェードはそもそも追い払われるのを前提としてやって来たらしいのだ。

(人を頼みにするのも、とうに諦めていらっしゃるのだろうな)

 先に馬車を降りて館に向かったルカの背を見るジェードの横顔に表情はない。そのうち、ルカの話が長引いているので、ジェードは降りて直接話に行くと言い出した。リーリヤもついて行くことにする。
 応対しているのは執事と、ここの住人らしい若い青年だった。若い方が、近づいてきたジェードを見て顔を強張らせる。

「十五番目が来たと伝えろ」

 静かな口調に気圧されて、青年は奥へと走り出した。胡散臭いルカが相手なら押し問答ができても、王子が登場してはさすがに取り次ぐしかなかったようだ。ルカは不満げに唇を突き出している。

「あれは?」

 ジェードに尋ねられた執事は、慇懃に頭を下げた。

「アルト様の四番目のご子息、ヴェイン様にございます、殿下」
「私が厄介事を持ち込んで、病身の父がまた伏せってはたまらないと思ったのだろう」

 指摘なのか独り言なのかわからないジェードの言葉に、執事は頭を垂れたまま反応しなかった。この国では揉め事を抱えていない王子などいないから、近づいてくれば息子が警戒するのも無理はないかもしれない。

 しばらくして、廊下の奥から杖をついて歩く老齢の男が現れた。介助をするように隣にいる息子のヴェインは一瞬険しい目つきを王子へ向け、思い直したのか目を伏せた。父の方はこちらを真っ直ぐ見つめ続けていたが、その表情は好意的とは言い難い。

「ジェード殿下。久方振りですな」

 やつれており、病身であるのは間違いないが、上背があって、がっしりとした体つきをしていた。
 現宰相の弟と異なり、彼はおもねるような薄っぺらい笑みは浮かべない。老木の表皮に刻まれたような多くの皺が、人生で経験した労苦の数々を物語っている。
 厳しい顔だが、しかし、正直だとリーリヤは思った。正直な表情を相手に見せるというのは、時には覚悟が必要となる。

 ジェードに紹介され、リーリヤはアルトに挨拶をした。ある程度の事情はもう耳にしているのか、目の前にいるのが花の貴人だと聞いてもアルトは顔色を変えなかった。
 ジェードが言った。

「迷惑なら私はすぐに出て行く。が、この白百合公を泊めてやってほしい」

 そこらの宿に宿泊するよりはアルトの館の方が安全だとジェードはあてにして来たようだ。前宰相アルト・ソルムと現宰相ノイン・ソルムは、フローライトに次ぐ力を持つ魔術師だと言われている。ノインの館にはそれなりの防犯の魔術がかけられているのだろう。

「彼は我が国の賓客だが、それに相応しいもてなしをすることが出来なかった。私が力足らずだった。少しの間だけ彼を保護してもらいたい。お前しか頼れる者がいないのだ」

 アルトは薄い唇を結び、眉間にしわを寄せたまましばらくジェードを見つめていたが、掠れた声を出した。

「迷惑かと聞かれましたな。はっきり言わせていただきましょう。至極迷惑です、殿下」

 静まり返った廊下で、館の主が続ける。

「お急ぎだったのは理解できますが、来られるのなら事前に言っていただかないと。大したおもてなしは出来ませんぞ。ここは田舎ですからな。まずはお話を伺います。奥へどうぞ」

 白百合公も、と促してアルトは大儀そうに歩き出したが、ふと足を止めて少し振り返った。

「……あなたが誰かを頼りにするような日が来るとは、思いもしませんでした」

 表情は少しも和らいでいなかったが、老人の声はどこか感慨深そうであった。


 応接用の部屋に通されたジェードとリーリヤは、アルトと向かい合って椅子に腰を下ろした。
 出されたのは香り高い茉莉花ジャスミン茶である。誰も口をつけぬまま冷めてしまいそうだったので、では失礼して、とリーリヤは一人、茶の味を堪能した。

 自分が場の緊張を共有したところで何がどうなるものでもない、とのんきに冷めゆく茶の心配をしてしまうのは歳のせいだろう。若い頃はきりきりと締まっていた精神の中心が、いつの間にか緩んでいくのである。
 この一種の鷹揚さの正体が、経験から生まれた余裕なのか、加齢のせいで鈍感になっただけなのか、どちらかわからないのだが。

 ジェードもアルトも無表情で互いの顔を見つめていた。
 こうして面会するのがどれくらい久々なのか知らないが、その空白がちょっとしたものでないことを沈黙の長さが物語っている。アルトは若くして宰相職に就任した。王の補佐として国の守護者として、政務に奔走しつつ、先の世を任されるであろう王の子らを厳しい目で見守ってきたのだろう。

 リーリヤが半分ほど茶を飲んだところで、アルトがわずかにため息をついた。

「大体のことは存じておりますが、改めて殿下からご説明いただいてもよろしいでしょうか。物事というのは、なるべく多くの視点から情報を集めて分析するのが肝要ですからな。こと、我が国の王城での出来事なら」

 それを受けて、ジェードは人の国に戻ってから今までの出来事を語り始めた。わかりやすくまとめられており、自分の感情は含めず淡々と事実を述べる。
 アルトは黙って頷き、それに耳を傾けた。ノイン・ソルム宰相の名前が出てきたり、第二王子の具合が悪いと聞くと、アルトの眉間に少し力がこもったが、それらについて彼は意見を述べなかった。

 以上だ、とジェードが話を終えると、再び沈黙が落ちた。使用人が入ってきて、リーリヤに新しい茶をいれてくれる。王子と前宰相は飲み物に全く口をつけようとしなかった。

「非礼をお詫びいたします、白百合公リーリヤ」

 突然アルトにそう声をかけられて、油断していたリーリヤは目を丸くした。

「花の国と人の国は、友好関係にあります。ユウェルはその他の小国も代表して花の国と付き合いがある。何一つ非のないあなたを、内輪揉めの巻き添えにしてしまったのは我が国として恥ずべきことです。どうか許していただきたい」

 アルトが目をつぶって頭を下げるので、リーリヤは顔をあげるように頼んだ。

「大変な状況でいらっしゃるのは、殿下から事前に伺っております。幸いこの方がしっかり守ってくださいましたから、私は無傷ですし、何も気にしておりませんよ。悲しいかな、どこであっても争いごとというものは尽きないものです。あなたのご苦労をお察しします、アルト殿」

 リーリヤは、城でのジェード王子の扱いが酷すぎるとの憤りはあるが、自分の身に起きたことについては何ら腹を立てていない。気にしていないと強調すると、アルトは厳しい顔つきのまま「白百合公の寛大な御心に感謝申し上げます」と礼を言い、ジェードとの話に戻った。
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