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9、男爵様と王子様
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書斎に戻ったノエルは帳簿をつけ始めた。
本来こうした仕事は当主の自分のやることではなく、以前は家令に任されていた。没落貴族の三男だった家令のその男は、父が雇った者でよく働いてくれていた。
しかし父が急逝して急速に領地の財政状況が悪化し、男爵家ものっぴきならない状態となったために、辞めてもらったのだ。彼はノエルを心配して残ろうと頑張ったが、無理な話だった。親族に病を抱えた者が複数おり、そのために稼がなくてはならなかったからだ。
ノエルは、申し訳ないがもっと安い給金で雇えそうな者が見つかったからと嘘をつき、オズヴィンに頼み込んで家令の男には王都での仕事を紹介してやった。
事務仕事をするには読み書きができる者でなくてはならないが、そうなると貴族以外では修道士だとか、裕福な商家で育った者だとかに限られてくる。給金もそれなりの額になり、とてもではないが雇えない。だから自分でやるしかなかった。
「ええと、こっちが収入の欄……作物の収穫不良が多くて、年貢も昨年より少ないが……仕方がないな。そのうちどうにかなるだろう。しかし、どうやってやりくりしよう。で、こっちが支出……。使用人の給金の分はなし、と。屋敷の修繕は来春まで延期だな、金がないから。寄付の額は減らせないし……。後は、ああ、利息だ。これが大きすぎる」
備蓄庫について書かれている物資台帳も並べて開く。領地に何かあった時のために蓄えは必須である。
「塩、五袋。残少。近々港町より仕入れ要、と……」
基本的に備蓄庫の中身は納められた年貢からあてられるが、塩の購入などの出費は、男爵家の私財で賄われる。
「……金が……ない……」
こんなに切り詰めても必要経費を捻出できない。赤字、赤字、赤字……毎年酷い赤字になる。
ジェフリーとメイベルにも大変な思いをさせていた。彼らは現在無給である。ノエルはどうにか辞めさせようとしたのだが、「私たち老いぼれは、住む場所を急に変えたら病気になっちまいますよ。お金をいただかなくたって、雨風しのげて食べ物が少しでもあれば、生きていけますから」と、頑として譲らなかった。根負けしたノエルは彼らに手伝ってもらって生活を続けている。
ノエル一人では視察や徴税のことなど、一人ではとても仕事の手が回らないのだが、領民代表の毛織物工房の親方や、村長に手を貸してもらってどうにかこなしていた。
ノエルは貧乏揺すりをしながら帳簿に書き込んでいく。最近では数字を見るのが恐ろしくて、この帳簿を開くのにも毎回勇気がいるようになっていた。備考の欄に、泣き言や奮起の言葉をつらつらと綴っていく。
(ここ、計算が間違っているな。こっちもだ。どうして見落としていたんだ? ああ、返済の額が……本当はもっと多いじゃないか!)
筆記具を投げ出したくなったノエルは、外から賑やかな声が聞こえてくることに気がついた。
外に出てみると、敷地の外に子供達が集まっている。顔ぶれを見たところ、近所の村の子らしかった。彼らがひそひそ話しながら注目しているのは、レオフェリスの馬車のようである。
「ノエル様、こんにちは!」
「王子様が来てるって、本当?」
噂はすぐに広がるものだ。借金取り以外は余所者などほとんど訪れない男爵邸に誰かが滞在していれば、すぐに皆気がつくだろう。
「どこの王子様? ロマリスの?」
「いいや、隣の国のお方だよ」
レオフェリスは自分が王子であることや、ここへ来たことを隠している様子はなかった。お忍びであれば王家の紋章の入った馬車でなど来ないはずなので、ノエルも誤魔化さず話した。
お隣の王子様、と子供達ははしゃいでいる。彼らはほとんどこの田舎から出ずに育ち、出稼ぎや結婚で出て行く他は、一生この地で過ごす。小さな世界で生きており、隣国リューネフェルトの名前すら知らない人間が多いだろう。
「近くで見てもいい?」
「ダメだ。王族の方の馬車に、何かあったら大変だ。私も弁償できないぞ」
「ねー、見るだけだよ、ノエル様ー」
子供達は不平の声をあげているが、許可するわけにはいかなかった。すると背後から、「いいよ。近くで見てご覧」と言う者があってぎょっとする。
振り向くと、薪割りを終えたレオフェリスが立っていた。結構な仕事量だったはずだが、汗一つかかずに涼しげな顔である。
「この人が王子様? すごい、ノエル様みたいに美人!」
「お二人とも、輝いてるみたいだね!」
「馬車、見ていいってー!」
おい、とノエルは止めようとするが、子供達は馬車に群がってうろうろ見学し始めた。高級品なんだぞ、王家の馬車は。いくらするのか想像もつかん、とノエルは苦い顔をする。
美しい馬車に興味津々で見入っていた子供の一人が、ノエルの方を振り向いた。
「こんな立派な馬車を見たのは久しぶり。男爵家の馬車は、売っちゃったもんねぇ」
無邪気な言葉が胸に刺さった。
横を見ると、こちらを向いていたレオフェリスと目が合う。ノエルは苦笑いを浮かべて頬をかいた。
「……馬車は維持費がかかるからな。真っ先に手放してしまったんだよ。でも馬はいるし、移動には困らない」
ノエルが遠出するとしたらせいぜいエヴァルテス侯爵領くらいで、馬に乗れば数時間で行ける距離である。領内の視察は徒歩か馬で、荷物の移動は村人の荷車を使わせてもらうので問題なかった。
レオフェリスがこちらを見つめたままでいるので、何だか居たたまれなくなったノエルは話題をそらすことにした。
「そういえば、庭はよく見たか? 私とお前が出会った場所だな。あの年のように、今年は黄金のリコリスが咲いている。綺麗だぞ。見に行こう」
ノエルはレオフェリスの手を引いて歩き出した。子供達にくれぐれも気をつけるよう注意するのは忘れない。
「本当だ、綺麗ですね」
一面に生えているというほどの量ではないが、満開のリコリスはそよ風に揺れて庭の一角を美しく彩っている。領内でもここ以外では見たことがないと話すと、レオフェリスは珍しい種類なのだと教えてくれた。花に詳しいのが意外だったが、リコリスには毒があり、猛毒王子の彼は毒の知識が豊富なので知っているそうだった。
「十年に一度しか開花しない花が咲いたタイミングで再会するなんて、運命を感じるな」
「……そうですよ。私達の出会いは、運命だったのです」
軽い気持ちで発言したのだが、真剣な声が返ってくる。握る手に力がこめられて、そこでノエルは、まだレオフェリスの手をとっていたことに気がついた。
レオと喋っていると、まるで昔に戻ったような気持ちになってしまうのだ。子供みたいに手を繋いだままだったので、ノエルは「すまない」と手を離そうとした。が、レオフェリスが離さない。
レオフェリスが一歩、こちらに距離をつめる。かつてはノエルの方が大きかったが、身長の高さは入れ替わり、レオフェリスが見下ろす形になっている。
レオフェリスの顔が近づいてきて、ノエルは動きを止めたまま目をしばたたかせた。
「ほら、チューするよ!」
幼い声が飛んできて、はっとしてノエルはそちらを向いた。馬車を見ていたはずの子供達が集まってきており、一番小さな少女の口から飛び出した声である。年長の少女が慌ててその子の口を塞いだ。
「何見てるんだ、チューなんてしないぞ!」
ノエルが大声をあげると、子供達はわっと逃げていった。何てことを言い出すんだ、と呆れているノエルに、レオフェリスが笑いかける。
「子供達に好かれておられるのですね」
「ありがたいことに、寄ってきてはくれるよ。子供が好きだから私も嬉しい。領主としては威厳が足りないのかもしれないが……」
レオフェリスはまだ手を離そうとしないので、ノエルは「しないよな? 口づけなんて」と念を押す。遠ざかった子供達だが、馬車を見るふりをしてまだこちらを気にしているのである。
それに気がついたレオフェリスは、少し黙ってから頷いた。
「そうですね、今はいいでしょう。毎晩していますし」
あれって、やっぱり口づけだったのか……とノエルは目をつぶった。犬だ犬だと言い張るので、ふざけて触れてくるだけかと思っていたが。
これに関して掘り下げるのが不安になり、ノエルは曖昧に返事をするしかなかった。
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