9 / 14
9、男爵様と王子様
しおりを挟む◇
書斎に戻ったノエルは帳簿をつけ始めた。
本来こうした仕事は当主の自分のやることではなく、以前は家令に任されていた。没落貴族の三男だった家令のその男は、父が雇った者でよく働いてくれていた。
しかし父が急逝して急速に領地の財政状況が悪化し、男爵家ものっぴきならない状態となったために、辞めてもらったのだ。彼はノエルを心配して残ろうと頑張ったが、無理な話だった。親族に病を抱えた者が複数おり、そのために稼がなくてはならなかったからだ。
ノエルは、申し訳ないがもっと安い給金で雇えそうな者が見つかったからと嘘をつき、オズヴィンに頼み込んで家令の男には王都での仕事を紹介してやった。
事務仕事をするには読み書きができる者でなくてはならないが、そうなると貴族以外では修道士だとか、裕福な商家で育った者だとかに限られてくる。給金もそれなりの額になり、とてもではないが雇えない。だから自分でやるしかなかった。
「ええと、こっちが収入の欄……作物の収穫不良が多くて、年貢も昨年より少ないが……仕方がないな。そのうちどうにかなるだろう。しかし、どうやってやりくりしよう。で、こっちが支出……。使用人の給金の分はなし、と。屋敷の修繕は来春まで延期だな、金がないから。寄付の額は減らせないし……。後は、ああ、利息だ。これが大きすぎる」
備蓄庫について書かれている物資台帳も並べて開く。領地に何かあった時のために蓄えは必須である。
「塩、五袋。残少。近々港町より仕入れ要、と……」
基本的に備蓄庫の中身は納められた年貢からあてられるが、塩の購入などの出費は、男爵家の私財で賄われる。
「……金が……ない……」
こんなに切り詰めても必要経費を捻出できない。赤字、赤字、赤字……毎年酷い赤字になる。
ジェフリーとメイベルにも大変な思いをさせていた。彼らは現在無給である。ノエルはどうにか辞めさせようとしたのだが、「私たち老いぼれは、住む場所を急に変えたら病気になっちまいますよ。お金をいただかなくたって、雨風しのげて食べ物が少しでもあれば、生きていけますから」と、頑として譲らなかった。根負けしたノエルは彼らに手伝ってもらって生活を続けている。
ノエル一人では視察や徴税のことなど、一人ではとても仕事の手が回らないのだが、領民代表の毛織物工房の親方や、村長に手を貸してもらってどうにかこなしていた。
ノエルは貧乏揺すりをしながら帳簿に書き込んでいく。最近では数字を見るのが恐ろしくて、この帳簿を開くのにも毎回勇気がいるようになっていた。備考の欄に、泣き言や奮起の言葉をつらつらと綴っていく。
(ここ、計算が間違っているな。こっちもだ。どうして見落としていたんだ? ああ、返済の額が……本当はもっと多いじゃないか!)
筆記具を投げ出したくなったノエルは、外から賑やかな声が聞こえてくることに気がついた。
外に出てみると、敷地の外に子供達が集まっている。顔ぶれを見たところ、近所の村の子らしかった。彼らがひそひそ話しながら注目しているのは、レオフェリスの馬車のようである。
「ノエル様、こんにちは!」
「王子様が来てるって、本当?」
噂はすぐに広がるものだ。借金取り以外は余所者などほとんど訪れない男爵邸に誰かが滞在していれば、すぐに皆気がつくだろう。
「どこの王子様? ロマリスの?」
「いいや、隣の国のお方だよ」
レオフェリスは自分が王子であることや、ここへ来たことを隠している様子はなかった。お忍びであれば王家の紋章の入った馬車でなど来ないはずなので、ノエルも誤魔化さず話した。
お隣の王子様、と子供達ははしゃいでいる。彼らはほとんどこの田舎から出ずに育ち、出稼ぎや結婚で出て行く他は、一生この地で過ごす。小さな世界で生きており、隣国リューネフェルトの名前すら知らない人間が多いだろう。
「近くで見てもいい?」
「ダメだ。王族の方の馬車に、何かあったら大変だ。私も弁償できないぞ」
「ねー、見るだけだよ、ノエル様ー」
子供達は不平の声をあげているが、許可するわけにはいかなかった。すると背後から、「いいよ。近くで見てご覧」と言う者があってぎょっとする。
振り向くと、薪割りを終えたレオフェリスが立っていた。結構な仕事量だったはずだが、汗一つかかずに涼しげな顔である。
「この人が王子様? すごい、ノエル様みたいに美人!」
「お二人とも、輝いてるみたいだね!」
「馬車、見ていいってー!」
おい、とノエルは止めようとするが、子供達は馬車に群がってうろうろ見学し始めた。高級品なんだぞ、王家の馬車は。いくらするのか想像もつかん、とノエルは苦い顔をする。
美しい馬車に興味津々で見入っていた子供の一人が、ノエルの方を振り向いた。
「こんな立派な馬車を見たのは久しぶり。男爵家の馬車は、売っちゃったもんねぇ」
無邪気な言葉が胸に刺さった。
横を見ると、こちらを向いていたレオフェリスと目が合う。ノエルは苦笑いを浮かべて頬をかいた。
「……馬車は維持費がかかるからな。真っ先に手放してしまったんだよ。でも馬はいるし、移動には困らない」
ノエルが遠出するとしたらせいぜいエヴァルテス侯爵領くらいで、馬に乗れば数時間で行ける距離である。領内の視察は徒歩か馬で、荷物の移動は村人の荷車を使わせてもらうので問題なかった。
レオフェリスがこちらを見つめたままでいるので、何だか居たたまれなくなったノエルは話題をそらすことにした。
「そういえば、庭はよく見たか? 私とお前が出会った場所だな。あの年のように、今年は黄金のリコリスが咲いている。綺麗だぞ。見に行こう」
ノエルはレオフェリスの手を引いて歩き出した。子供達にくれぐれも気をつけるよう注意するのは忘れない。
「本当だ、綺麗ですね」
一面に生えているというほどの量ではないが、満開のリコリスはそよ風に揺れて庭の一角を美しく彩っている。領内でもここ以外では見たことがないと話すと、レオフェリスは珍しい種類なのだと教えてくれた。花に詳しいのが意外だったが、リコリスには毒があり、猛毒王子の彼は毒の知識が豊富なので知っているそうだった。
「十年に一度しか開花しない花が咲いたタイミングで再会するなんて、運命を感じるな」
「……そうですよ。私達の出会いは、運命だったのです」
軽い気持ちで発言したのだが、真剣な声が返ってくる。握る手に力がこめられて、そこでノエルは、まだレオフェリスの手をとっていたことに気がついた。
レオと喋っていると、まるで昔に戻ったような気持ちになってしまうのだ。子供みたいに手を繋いだままだったので、ノエルは「すまない」と手を離そうとした。が、レオフェリスが離さない。
レオフェリスが一歩、こちらに距離をつめる。かつてはノエルの方が大きかったが、身長の高さは入れ替わり、レオフェリスが見下ろす形になっている。
レオフェリスの顔が近づいてきて、ノエルは動きを止めたまま目をしばたたかせた。
「ほら、チューするよ!」
幼い声が飛んできて、はっとしてノエルはそちらを向いた。馬車を見ていたはずの子供達が集まってきており、一番小さな少女の口から飛び出した声である。年長の少女が慌ててその子の口を塞いだ。
「何見てるんだ、チューなんてしないぞ!」
ノエルが大声をあげると、子供達はわっと逃げていった。何てことを言い出すんだ、と呆れているノエルに、レオフェリスが笑いかける。
「子供達に好かれておられるのですね」
「ありがたいことに、寄ってきてはくれるよ。子供が好きだから私も嬉しい。領主としては威厳が足りないのかもしれないが……」
レオフェリスはまだ手を離そうとしないので、ノエルは「しないよな? 口づけなんて」と念を押す。遠ざかった子供達だが、馬車を見るふりをしてまだこちらを気にしているのである。
それに気がついたレオフェリスは、少し黙ってから頷いた。
「そうですね、今はいいでしょう。毎晩していますし」
あれって、やっぱり口づけだったのか……とノエルは目をつぶった。犬だ犬だと言い張るので、ふざけて触れてくるだけかと思っていたが。
これに関して掘り下げるのが不安になり、ノエルは曖昧に返事をするしかなかった。
22
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。
零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。
鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。
ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。
「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、
「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。
互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。
他にも幼馴染み達の一抹の寂寥を切り取った短篇や、
両想いなのに攻めの鈍感さで拗れる二人の恋を含む全四篇。
フッと笑えて、ギュッと胸が詰まる。
丁寧に読みたい、大人のためのファンタジーBL。
他サイトでも公開しております。
冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている
春夜夢
BL
「――誰にも言うな。これは、お前だけが知っていればいい」
王国最年少で宰相に就任した男、ゼフィルス=ル=レイグラン。
冷血無慈悲、感情を持たない政の化け物として恐れられる彼は、
なぜか、貧民街の少年リクを城へと引き取る。
誰に対しても一切の温情を見せないその男が、
唯一リクにだけは、優しく微笑む――
その裏に隠された、王政を揺るがす“とある秘密”とは。
孤児の少年が踏み入れたのは、
権謀術数渦巻く宰相の世界と、
その胸に秘められた「決して触れてはならない過去」。
これは、孤独なふたりが出会い、
やがて世界を変えていく、
静かで、甘くて、痛いほど愛しい恋の物語。
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
ミリしら作品の悪役令息に転生した。BL作品なんて聞いてない!
宵のうさぎ
BL
転生したけど、オタク御用達の青い店でポスターか店頭販促動画か何かで見たことがあるだけのミリしら作品の世界だった。
記憶が確かならば、ポスターの立ち位置からしてたぶん自分は悪役キャラっぽい。
内容は全然知らないけど、死んだりするのも嫌なので目立たないように生きていたのに、パーティーでなぜか断罪が始まった。
え、ここBL作品の世界なの!?
もしかしたら続けるかも
続いたら、原作受け(スパダリ/ソフトヤンデレ)×原作悪役(主人公)です
BL習作なのであたたかい目で見てください
魔王に転生したら、イケメンたちから溺愛されてます
トモモト ヨシユキ
BL
気がつくと、なぜか、魔王になっていた俺。
魔王の手下たちと、俺の本体に入っている魔王を取り戻すべく旅立つが・・
なんで、俺の体に入った魔王様が、俺の幼馴染みの勇者とできちゃってるの⁉️
エブリスタにも、掲載しています。
悲報、転生したらギャルゲーの主人公だったのに、悪友も一緒に転生してきたせいで開幕即終了のお知らせ
椿谷あずる
BL
平凡な高校生だった俺は、ある日事故で命を落としギャルゲーの世界に主人公としてに転生した――はずだった。薔薇色のハーレムライフを望んだ俺の前に、なぜか一緒に事故に巻き込まれた悪友・野里レンまで転生してきて!?「お前だけハーレムなんて、絶対ズルいだろ?」っておい、俺のハーレム計画はどうなるんだ?ヒロインじゃなく、男とばかりフラグが立ってしまうギャルゲー世界。俺のハーレム計画、開幕十分で即終了のお知らせ……!
【完結】少年王が望むは…
綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。
15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。
恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか?
【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム
完結·氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました
禅
BL
幼い頃から心に穴が空いたような虚無感があった亮。
その穴を埋めた子を探しながら、寂しさから逃げるようにボイス配信をする日々。
そんなある日、亮は突然異世界に召喚された。
その目的は――――――
異世界召喚された青年が美貌の宰相の寝かしつけをする話
※小説家になろうにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる