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14、悪ふざけ
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父を除けば、オズヴィンをぶった人間はノエルが初めてになる。とっさの反応だったのでそれなりに痛みはあったが、ノエルも全力で殴ったわけではなさそうであった。
(あの様子からすると、王子と寝ていないというのは本当らしい)
ノエルが出て行き、開け放たれたままの扉を見ながらオズヴィンは思った。本人が前に打ち明けた通り、性行為の経験はないのだろう。
あれほどの美貌で誰からも手をつけられていないというのは、奇跡に近い。
ノエルの美しさは実際、並みのものではないのである。名匠の手によって彫られた天使の石像ですら、かなわないだろう。輝く金の髪、蒼穹の瞳、滑らかな白い肌に、紅い唇。
普通であれば、とんでもない上玉が身近にいることに我慢ができず、村の男の誰かが決死の覚悟で男爵邸へ夜這いに入ってもおかしくないだろう。
だが、ミラリア領の領民は揃いも揃って純朴で人柄が良い。ノエルを傷つけようとする人間など一人もいないのだ。
ノエルはとにかく皆から愛されており、大切にされている。ノエルは高慢そうな口のきき方をするが、父と同様、領民第一主義でお人好しである。
世間ずれしていない、真面目で気の優しいあの美青年は、生来の人たらしなのだった。
黙っていれば近づきがたいほどの美人なのだが、喋るとまだ子供っぽく、親しみやすい。
オズヴィンは、彼のことをまだ子供だと思っていたが、考えてみればもう成人していて、領主という責任ある立場なのだった。ノエルには、自分で考えて決断を下す自由があるというわけだ。
オズヴィンがそこで突っ立ったままでいると、飛び出したはずのノエルが何故か引き返してきた。
手に何か持っていると思ったら、濡らした手巾である。
どうやら腹を立てて出て行ったのではなく、これのためだったらしい。
「……すまなかった。殴るつもりはなかったんだが、つい……。これで冷やせ」
そう言って手巾を渡してくる。受け取っただけのオズヴィンに痺れをきらして、ノエルが布をオズヴィンの頬にあてた。
「痛いか」
「大したことはない」
「少し赤くなってる……。悪かったよ」
謝るのはお前の方ではないだろう、とオズヴィンはまた呆れたが、口には出さなかった。何てことをするのだ、と非難するより、自分が相手を傷つけてしまったことを反省する。それがノエル・ミラリアという男なのだ。
「もうあんな、悪ふざけはよしてくれ。物心ついてから、尻なんて他人に触られたことがないんだぞ。恥ずかしいだろう」
口を尖らせ、ノエルはオズヴィンの手をとって自分で布をあてさせた。
見つめ合い、真正面からノエルの顔を眺める。子供の頃から愛らしさを失わない顔立ちで、髪と同じ色をした睫毛がまばたきして上下するさまは、めまいがするほど美しい。
まばたきだけでこんなに他人の目を奪う奴がいるか、とオズヴィンは文句を言いたくなった。年々美しさを増すのをやめろ。そのうち、正視できなくなりそうだ、と。
「お前が心配してくれるのはありがたいが、そういう形の援助はお断りするよ。身売りは御免だ。自分でどうにかする」
「どうにかするあてを思いついてから言うんだな」
グサリときたのか、ノエルはわかりやすく落ち込んだ様子で、肩を落とした。そのまま重い足取りで、部屋を出て行く。今度こそミラリア領へ帰るつもりなのだろう。
(悪ふざけ、か)
ノエルが去った後、オズヴィンは温くなった手巾をすぐに卓の上に放った。
部屋の片隅に置いてあるベルを手にとって持ち上げる。音は鳴らないが、これはある者を呼び出すための合図に使う物で、その相手にしか伝わらない仕組みだ。
「閣下、お呼びでしょうか」
音もなく現れたのは、エヴァルテス家に代々仕える隠密の者である。情報戦略に長けていたため、エヴァルテス家はここまで栄えることが出来たのだ。
「エヴァルテスの耳に気をつけろ」と口にする貴族も多い。エヴァルテス侯爵が望むなら、閨で国王が王妃の耳元に囁いた睦言すら知ることができた。
「リューネフェルトのレオフェリス王子について、徹底的に洗い出せ。幼少の頃、奴がミラリア邸に匿われていた時と、その後の行動を重点的に調べろ。現在、リューネフェルトの王家で何が起きているのかも探れ。それから――ノエルの父親の死に関してもだ」
呼び出した部下が問いかけるような視線を向けてくる。
「正直、まだ私は前男爵のことが引っかかっているのだ」
ノエルとの会話を思い出す。レオフェリス王子について語るノエルの楽しそうな表情を見た時は、はらわたが煮えくりかえりそうになった。今も怒りがおさえられず、椅子を蹴り飛ばしたい衝動をどうにかこらえているのだ。
――ノエルを伴侶にしたいだと?
「狐め。その本性を暴いてやる」
リューネフェルトの猛毒王子は執念深く、切れ者だと聞いている。壮絶な手段で敵を追いつめて復讐を果たしたのだ。
そんな王子が、幼い頃から温めてきた愛を告げるために、わざわざノエルのもとへやって来るはずがないではないか。必ず裏があるはずなのだ。
ノエルはそういったロマンチックな展開があると信じているが、現実は甘くない。
ぽっと出の王子の好きにさせてたまるか、とオズヴィンは舌打ちをした。
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