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第3章 欲望と謀略の秋 編

第31話 悪魔のささやき

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「どういうことですか、これは?」

 リリライトはミュリヌス学園内の監査役室にて、グスタフから提出された資料に目を通し、明らかに不機嫌な色を込めて、目の前のグスタフにそう言い捨てた。

 学園の運営にリリライトが関わることは基本的にない。

 しかし、そもそもミュリヌス学園が養成している白薔薇騎士団は、彼女が統括する騎士団となる。ミュリヌス学園には何かしら関わっていきたいという本人の意思が尊重された結果、形だけの『監査役』という形だけの役職に就いている。

 形だけとはいえ、リリライトは王族。学園内には専用の部屋である監査役室が設けられており、今そこにはリリライトとお付きの教育係グスタフがいた。

「ぐひひ、どういうことと言われましても」

 明らかな不機嫌を顔にも声にも出しており、ともすれば自分にその怒りをぶつけられかねない雰囲気だったが、グスタフは飄々と笑いながら答えた。

「話が違うじゃありませんか! どうして、ヴァルガンダル家の娘が……アンナの成績がこんなに伸びているんですか? 休み前よりも更にリアラと差が付いているじゃないですか」

 手に持った資料をバンバンと乱暴に叩き、人前では決して見せない激昂した声でリリライトはグスタフを責める。

 そのリリライトの詰問に、そこでようやくグスタフは初めて素の感情らしい反応を見せる。真顔になると「はて」と首を傾げながら

「それはワシも不思議に思っておりましての。いくら記憶を消したとはいえ、何故に影響が出ておらんのじゃろう?」

「ば、馬鹿にしないで下さいっ!」

 グスタフはそれが本意だったのだろうが、普段のふざけた振る舞いも相まって、リリライトからすればふざけているとしか見えない。

「そもそもっ! あの地下の娘はアンナ=ヴァルガンダルとは別人だったんじゃありませんか?」

 あの“帽子”のせいで、すっかり正気を失っていた彼女はまともな会話すらままならず、ひたすらに快感に狂っていたのだ。

 休みが終わるタイミングでグスタフが特殊な香を使って、地下に監禁している時の記憶を忘れさせたというが、リリライトはそれを見ていない。
 
 あれだけ獣のように悶えていた人間が、香を少し嗅いだところであんなまともに戻ることが出来るのだろうか。よくよく常識的に考えてみれば、よく似た替え玉であると思うのが普通だ。

「ひょほっ! ほほほっ! 何をおっしゃいますやら。あれは間違いなくアンナ嬢ですぞ。姫殿下もその眼で見られましたでしょう?」

「ですが、私が見ている前では結局目隠しはされたままでした。そっくりの偽物であれば、見分けはつきません」

 いつにない鋭い目つきでグスタフを射抜くリリライト。腕を組んで傲慢に振舞う態度は、グスタフ以外の前では決して見せない。そんな態度でいれば「純白の姫君」などという呼び名で呼ばれることなどなかっただろう。

「まあまあ、殿下の考えられていることも、ワシにはよ~く分かりますじゃ。でも、あの洗脳そう――“帽子”も、都合よく記憶が消せるお香も、そういうものだと納得していただくしかないですのぉ。チートアイテムとは、そういうものですので」

「その“ちぃと”というのは何なんですか? 聞いたことのない言葉です。魔法の類なのですか?」

「ぐひひひ。それは姫殿下の足りないオツムではちいと理解出来ないでしょうな」

「な、なななななっ…!」

 いつも“遊び”の時は、浅ましく情けない声を垂れ流し、娘程の年齢の自分にいいようにされているくせに――

 今日はやけに尊大で不敬な言動をとるグスタフ。リリライトは怒りに言葉を失うが、グスタフは構わず続ける。

「まあ、そんなことはどうでもよろしい。記憶が消えて今はまともに戻っておりますが、開発されて身体に刻み込まれた快感は絶対に忘れることなどない。御前試合の頃には、監禁した時のように淫乱狂いになっておりますでしょう。大舞台まで上げておいて、そこで落とす…というのも、一興ではないですかな?」

 珍しく、冷静で理知的に聞こえるような口調で言ってくるグスタフ。喋っている内容は全く理知的ではなく、荒唐無稽でしかないのだが。

 しかし、リリライトはそう言われると強くは反抗出来なかった。悔しそうに、不満な顔を見せるだけで、何も言い返せない。

 納得していないリリライトの表情を窺いながら、グスタフはにやりと笑いを浮かべて

「今まで、ワシの言う通りにならなかったことがありますかな?」

 リリライトが強く反論出来ない理由はそこにあった。

 今日までのグスタフの言に対して、現実が逸れたことはほとんどない。今回のアンナのように、経過は予定と違ったとしても、結果的にはその通りになる。

 リリライトに歪んだ快感を教えたのはグスタフだし、それ以外の大臣としての公務でも、ヘルベルト連合との同盟成立を成し遂げた実績がある。そういう意味では、グスタフは大臣としても教育係としても役目を果たしているといえる。「教育」に関しては、内容が随分と歪んでいるが。

「――分かりました。もう少し時間をおいてみることにします」

 本当に地下に監禁していたのがアンナ本人だとしたら、リリライトは既に取り返しのつかないことをしでかしている。今思えばどうしてそんなバカげた考えを実行に移したのか後悔すらしているのに、あの時はグスタフに唆されてどうにかなっていたのだ。

 もうやってしまったことを無くすことは出来ない。それならば、せめて自分が思い描いていた事――リアラを首席の座に押し上げることを実現させなければ、本当に何の意味もないではないか。

 それに、あそこまで乱れて理性が壊れていた人間が、どうしたらあんな自然な状態になるのか。あまりに不自然だ。納得いかない。

 そんな焦りや怒りの感情が、リリライトの胸の中でうずまいていた。

 実は、アンナにこのまま何の変化もなく、誰も監禁していた事実に気づくことが無ければ、無かったことにすることはまだ可能だった。しかし、そんな考えはリリライトの頭の中から消え去っていた。

「ぐひひ、ひひひっ! 姫殿下のその鬱憤分かりまずぞぉ。結果が見えないのに我慢しろと言われても納得できないでしょうなぁ。ええ、そうでしょう」

 いつの間にやら、いつもの本能丸出しの下品な笑いと声に戻ったグスタフ。

「分かりました」と言いつつ、全く納得していないリリライトを舐めまわすように見つめ、唾液を飛ばしながら喋る。

「どうして――」

 この男は、こうまで人の心を見透かしてくるのか。何も考えていない、低俗で下劣な獣のようにしか見えない醜悪な男なのに、人の心理をつくことは妙に鋭い。

 そんな疑問をリリライトが吐露する前に、グスタフはやや早口で言い立ててくる。

「ヘルベルト連合から奴隷を用立ててきましょう。気品溢れる貴族の娘でも、反抗的で小生意気な娘も、どんな雌でも姫殿下の望むものを準備できますぞ。取り急ぎは、ワシの方で姫殿下の好みを適当に見繕って――」

「ち、ちょっと! ちょっと、待って下さいグスタフ!」

 ヘルベルト連合? 奴隷? 用立てる?

 全く意味が分からないし、グスタフが奴隷取引にかかわテイル話など今までに聞いていない。

 頭が混乱したリリライトは、ゆっくりと深呼吸をして、思考を整理する。

「ど、奴隷ってどういうことですか? ヘルベルト連合は我が国と通商条約を結んでおきながら、未だ人身売買を行っているんですか?」

 奴隷制度の廃止と人身売買の禁止――これは現国王ヴィジオールから始まった改革で、全世界的にこれを実現させることは、第1王子カリオスの悲願でもあった。そもそも北東のネルグリア帝国との対立の根はこれなのだ。

 それなのに、同盟国であるヘルベルト連合は今も普通に人身売買を行っているというのか? そうなると、思想が正反対である聖アルマイト王国とどうやって同盟を結び、今も友好的な関係が築けているのか?

 ――このグスタフという男、自分に黙って一体何をしているのか?

 思考がそこに至ると、リリライトは蔑んでいただけの相手に、今日初めて恐怖を覚える。

「いやいや、なーに。彼の国には仲の良い友人がおりましての、なかなか良い腕といい趣味をもっておる奴隷商人がいるんですじゃ。せっかくなので姫殿下にもご紹介させていただきたいと思っていましてのぉ」

「い、いい加減にして下さい! グスタフ、あなた今自分が何を話しているのか、分かっているんですか? これは兄様――カリオス殿下に対する、重大な背信行為ですよ」

 そこにいるのは「純白の姫君」リリライト=リ=アルマイトだった。

 至極真っ当な倫理観と常識で、悪事を憎み糾弾し、正しきを訴える一国の姫。

 しかし、糾弾を受けているグスタフは、そんな堂々としたリリライトの言動など、どこ吹く風のことか。涼しい顔をしながら、むしろそれを楽しんでいる風さえある。それがさらにリリライトを苛立たせる。

 そして、醜く歪んだその口を開いていく。

「背信だとかどうとか……良いとか悪いとかはどうでもいいんですじゃ。大事なのはただ1つ。姫殿下――アンナ嬢を犯していた時、興奮していたのでは? 溜まっていたものがスーッと抜けていくような、満足感を得ていたのではないですかな?」

 ぐひひと笑いながら、グスタフはリリライトの、あの地下監禁室での光景を思い出させる。

 姫たる身で、腰に男性器を模したペニスバンドを装着して、激しく腰を打ち付けていた。自分が責めれば責める度に、いやらしく甘い声を漏らすアンナの声に、自分は何を思っていたのだろうか。

 グスタフの声が脳に響いてきて、それを拒絶出来ない。思い出してしまう。アンナを犯していた時に思っていた事。感じていたこと。

「も、ものすごく興奮しました。最高に気持ち良かった……です」

 そう答えるリリライト。

 嗜虐の悦びを思い出し、暗い笑みを浮かべているリリライト。そこにいたはずの「純白の姫君」はいつの間にか姿を消していた。

「なーに。これも“遊び”ですじゃ。“遊び”の内容も、いつも同じではマンネリ化しますでしょう。たまには過激な変化でも入れてみるのも、良いのではないですかな?」

 グスタフの言う通り、アンナを解放してからもグスタフとの“遊び”は続いていた。しかしアンナを犯す悦びを覚えてしまったリリライトは、それだけでは満たされない何かを常に感じていたのだ。

 敬愛する兄が、常日頃から熱く語っていた理想――奴隷制の廃止と人身売買の完全撤廃。大好きな兄のその夢をかなえる一助になりたく、リリライトは今日まで必死に色々と励んできた。公務に携わりたいという願いも、そこに端を発しているのだ。

 しかし、奴隷制廃止という兄の夢に目をつむれば、あのアンナを犯した時のような絶大な興奮と快感を得ることが出来る。それも毎晩のように――グスタフなら、リリライトが望めば、その通りにするだろう。

 ――そうだ、仕方ないのだ。

 兄の理想を叶えるために、その力になりたい。そのためには、努力して成長しなくてはならない。だけど、それは決して楽なことではない。学ぶということ自体多大な労力が必要だし、それに加えて厄介で面倒くさい人間関係も付きまとう。とにかく毎日、少なくはないストレスが積み重なる。

 そんな多大なストレスは、ため込まずに適度にそれを吐き出さなければいけない。そのために、奴隷を使うのは必要なことなのだ。仕方ないのだ。

 愛する兄が理想とする、奴隷制度が無い世界を作るために、奴隷を使うのは必要なことなのだ。

「――あ、れ?」

 リリライトの思考が混乱していく。

 ストレスがたまるから、それを吐き出すことが必要だ。この上ない単純明快で筋が通っている論理のはずなのに、どうしようもない矛盾を感じてしまう。何故? 何か間違っているのか?

「まあ、いいです」

 あのアンナを犯した時の興奮と高揚感に比べれば、些細なことだ。そんな小さな矛盾などよりも、これからまたあの興奮を得られることの方が重要だ。

「では、どんな奴隷にするかは、あなたにお任せします。準備が出来たら教えて下さい」

「ぐひひひひ……承知いたしました」

 この僅か数分の間での自らの変化を、リリライト自身は気づいていなかった。

 グスタフはそんなリリライトを見ながら、いつまでも醜悪にそのたるんだ顔を歪ませ笑っていた。
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