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最終章 エピローグ編

第132話 カリオス=ド=アルマイトⅠ<回想>

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 まだカリオスが少年と呼ばれるに相応しい時分の頃。

 具体的な年齢は、15~16歳くらいだったろうか。

 とにかくカリオスはその頃は、バリバリの現役の父王ヴィジオールや、この頃から物静かで聖アルマイト王国を代表する騎士であったルエールによる過酷な教育のピークにあった時期だった。

 いくら王族の家系、“戦士”の直系に生まれた男子といっても、身体も心も、至って普通の少年に過ぎないカリオスは、この時期歪んでいた。

 もっとも、歪んていたとはいっても、優良な王子となった今を見れば、それは王家の血筋に生まれた者としてはやむを得ない程度、のストレスだったのかもしれない。

 その頃のカリオスは、全てを嫌っていた。

 息子の自分を、まるで親の仇のように厳しく責め立ててくる父親、自分以上に武芸の才を発揮して父親に認められる妹ラミア、物静かだが決して甘えを許さない師のルエール……そして、末妹のリリライトもそうだった。

 当たり前だが、カリオス達兄妹には母親がいた。ヴィジオールの正妻として、王妃という立場だった彼女は、若くして急逝してしまったのだが。

 母は父と違って優しかった。傷ついてボロボロになったカリオスを、いつもいつもその優しさで包み込んでくれた。だから、カリオスは世界中のあらゆるものが大嫌いだった少年時代において、唯一母だけは大好きだった。辛く厳しいカリオスのその時期にとって、母はまさに女神といってもいい程の救いの存在だった。

 しかし、リリライトが生まれると、その母の愛を全ては、妹に独占された。

「そう……だったな。俺はリリライトが……大嫌いだった」

 リリライトの宣戦布告後、他の幹部同様に忙殺の極みにあるカリオスもまた疲弊しきった精神状態で様々な対応に追われていた。

 その多忙なスケジュールの隙間時間――外はすっかり闇に包まれており、1人執務室の机に座って顔をうつむかせているカリオス。

 冬の厳しい寒さは通り過ぎて、すっかり春らしい暖かい気温だ。特に今夜は、いっそう濃く春の予感を感じさせる。

 本来なら心地よいはずのその空気に触れながら、カリオスの胸は重かった。

 未だ、カリオス側はリリライトの宣戦布告に対して明確な態度を示せていないのだ。

 ラミアにも、コウメイにも覚悟を求められたカリオス――いい加減、自らの態度を決定しなくてはいけない。国王代理として、第1王子として、リリライトの兄として……そして、カリオスという1個人として、責任と覚悟を持った決断を。遅すぎるくらいだ。

 その夜――カリオスは過去を思い返していた。

「いつからだったかな。俺達が仲良くなったのは……」

 カリオスはうつむかせていた頭を上げて、今度は椅子の背もたれにどっかりと体重をかけて天井を仰ぐ。相変わらず、その顔は疲労の色が濃い。

 カリオスがリリライトに抱いていた嫌悪は、あらゆるものの中でも飛びぬけていた。それ程にリリライトが嫌いだったのだ。

 なんにしろ、あんなに大好きな優しい母親を、いきなり現れたと思ったら、そのまま独占したのだ。当時、心も体も傷だらけの少年だったカリオスが、そんな暴挙を許せるはずがなかった。

 これは、そんなどこにでもいるような兄妹達の、ありふれているけど、かけがえのないの大切な物語だ。

□■□■

『こら、カリオス! リリに何をしたのっ!』

 ポカリ、と頭を叩かれた。

 全く痛くなかったけど、父ヴィジオールに殴られるよりも数倍痛かった母――プリターラの拳骨。

 あの優しかった母に叩かれるなどまるで信じられなかったカリオスは、目を大きく見開いて母親の顔を見返した。

 プリターラは、泣きじゃくるリリライトの小さな身体を抱えながら、カリオスにキツイ視線を送っていた。

『別に、何も……』

 カリオスはふてくされた顔で答える。

 つい先ほど、訓練でヴィジオールにボロボロにされた挙句、その結果をルエールに厳しく叱咤されたばかりだった。

 特に最近2人からの叱責が厳しいのが、カリオスがいつまでたっても神器を召喚出来ないからだ。代々アルマイト家の男子は、15歳程度の年齢で、“戦士”特性である複数の神器召喚に成功し、思いのまま使用することが出来ていたのがほとんどだ。

 ヴィジオールには決定的な「何か」が足りていないと言われる。ルエールにはただ単純に「強さ」が足りないといわれる。

 と、言われてもカリオスは、この年齢で既に平均的な龍牙騎士を軽く降す程の腕前であり、一般的に見てとても「弱い」とは言えないし、家系の中でも特におちこぼれというわけでもなかった。ただ神器が使えない、というだけだ。

ちなみにルエールが言う「強さ」とは

『表面的な強さのことではありません。カリオス殿下が、その意味が分からない限りは、決して強くなれないし、神器も使えるようにはならないでしょう』

 到底、カリオスにはその言葉の意図も意味も理解出来なかった。

 このような感じで、明確な理由は特に判然としないまま、カリオスが神器を使えないことは、常に2人の師から攻撃の的にされた。そして、カリオス自身もそのことに激しく劣等感を抱いていた。

だからこの日も少年カリオスの胸の中には、激しい苛立ちと怒りが渦巻いていた。訓練で心も体も疲れ切っていたところに、リリライトが鬱陶しくつきまとってきたから、思わず突き飛ばしたのだった。

『痛い! 痛いです! 膝から血が出ました! 痛いです、母様ぁっ!』

 たかだか血がにじむ程度の擦り傷じゃないか。

 それよりも母さん、この傷だらけの俺の顔を見てよ。身体中も痣だらけで痛いんだ。リリライトなんかよりも、たくさん血も出てるんだよ。父さんもルエールも、厳しいばっかりで何もしてくれないんだ。母さん、手当てをしてよ。あと美味しいものが食べたい。母さんの作った、リブ牛のシチューが食べたい。

 しかしプリターラは、そんなカリオスの胸中に気づいていないのか、見向きもしない。

 泣きじゃくるリリライトを地面に下ろし、ドレスのスカートを少し上げて、傷口を確認すると

『あーあー、擦りむいちゃっているわね。バイキンが入ったら大変、すぐに手当てしないと……あ、ルエール。ちょうどよかった――』

『――母さんっ!』

 たまたま通りかかったルエールに声を掛けようとした母に怒鳴るカリオス。

そのカリオスに、プリターラも通りかかったルエールも驚いたようにカリオスの方を見返していた。

そしてリリライトは激昂している兄に怯えるように、小さな悲鳴を上げてびくびくとしながら母の後ろに隠れる。

 ――大好きな、俺だけの母さんなのに。

『俺も痛いよっ! 見てよ、傷だらけなんだよ! みんな……みんなリリライトばっかり見てさ! なんだよ、馬鹿野郎っ!』

 感情が窮まった少年カリオス――まだまだ子供じみた幼い心だったが、それでも妹に罪などないことは理解出来ていた。理解できていないと、自分の身にふりかかる全てを目の前の妹のせいにしないと、この自分の過酷な状況に耐えられなかった。

 だからカリオスは、母の背中に隠れるリリライトの手を引いて、引っ張り出す。

『っひ!』

『お前が、いるからっ!』

『っ! 止めなさい、カリオス!』

 呆気に取られていたプリメータの制止は間に合わず、カリオスの拳がリリライトの小さな頬を殴る。

貧労困憊、満身創痍のカリオスのその拳は蚊が止まるような情けないものだったが、幼く弱いリリライトが泣きわめく程には充分すぎるほどだった。

『う……うわあああああんっ! 痛いっ、痛いっ! 兄様がぶった! 兄様がぶちましたぁぁぁぁ! 母様ぁぁぁぁぁ!』

『カリオスっ!』

 リリライトを殴ったカリオスの手を乱暴につかむと、カリオスを睨みつけるプリターラ。

 それはカリオスが初めて見る、母親の怒りの形相。明確な敵意を向けて、カリオスに向けて、自分の手を握っている方とは逆の手を振り上げていた。

『妹になんてことっ……』

『いけません、妃殿下っ!』

 既に近くまで来ていたルエールが割って入ってくると、彼にしては珍しく慌てた声でプリメータを制した。

 ルエールに声を掛けられて冷静に戻ったプリメータは、自己嫌悪に表情を歪めながら、大きくため息を吐いた。

『カリオス、リリに謝りなさい』

『嫌だっ!』

 少年カリオスは、自分が完全に悪いと自覚しながらも、母親の言葉に即答した。

 だって、俺だって母さんに愛されたい。優しくしてほしい。どうして、リリライトばっかり――

『カリオス!』

 そんなひねくれたカリオスの態度に、再びプリメータの怒りの炎が点火し始める……が、その炎が燃え上がる前に、ルエールはプリメータに向けて首を横に振った。

『妃殿下は王女殿下と共にお下がり下さい。ここは、私が』

 愛する息子の護衛騎士――龍牙騎士ルエールの忠実な態度に、プリメータはさらに自己嫌悪に陥りながら、すごすごと引き下がる。

『本当、ダメな母親ね』

『私にも王女殿下と同じ年の娘がおります。やはり女の子は可愛いですからな、仕方ありません』

 プリメータの意図を察してか察していないのか、ルエールにしてはまたも珍しく、冗談めいた口調でそう言うと、プリメータは救われた気分になる。

『さ、リリ行きましょう。部屋で傷の手当てをしないと』

『うう……ぐす……母様、母様……』

 泣きながら母親に抱きかかえられて去っていくリリライト。

 それも憎らしい。どうしてリリライトだけが母親の愛を独占出来るのだ。何の努力もせずに、ただ泣いているだけの愚かで弱い妹が。

『――兄様』

 母親に連れられて行く時、リリライトはカリオスに振り向いてそうつぶやいた。理不尽に突き飛ばされて、殴られた、憎むべきはずの兄なのに、その兄をなぜか気遣うように見てくる。

 その碧眼に浮かんでいるのは、殴った張本人なのに殴られてリリライトよりも、辛くて苦しくて痛そうな表情に顔を歪めているカリオスの姿――そんな兄を心配する優しさだ。

『っ! なんだよ……』

 そんな真っ直ぐな視線に耐えかねて、カリオスは視線を逸らす。

『――どうも、カリオス殿下は訓練が不足のようで』

 ぬっとカリオスの前に出てきたルエールは、プリメータに見せていたような緩い表情はしていなかった。いつもの無表情のまま、そして容赦なく彼に訓練用の木剣を手渡してくる。よりいっそう、真剣さと凄みを宿した瞳をカリオスに向けて、

『追加訓練と行きましょうか』

 この日、カリオスはルエールに、精根尽き果てるまで徹底的に鍛え上げられることとなった。

□■□■

 今思えば、なんという甘えくさった情けないガキだったろうか。

 しかし当時の少年カリオスにとっては一大事だ。

 だって、唯一優しく接してくれた母親が、自分よりも妹を取ったのだと、自分は捨てられたと思ったからだ。

 カリオスに手を上げようとしたことを誰よりも悔いて、嘆いていたのはプリメータ自身であったのに。その母の苦しそうな顔は確かに見ていたはずなのに、当時のカリオスは自分のことしか考えていなかった。

 15そこそこのクソガキだから仕方ないといえば仕方ないかもしれない。そんな過酷な少年時代を経て、それでも心が歪まずに真っ直ぐ育ったのは、やはりカリオスは周りから愛されて育てられていたということだろう。

しかし、それだけではない。

カリオス自身が、そのことに、自らが愛されていたということに気づくことが出来たからだ。

 それに気づかせてくれたのは――

『兄様……兄様っ……起きていますか?!』

 王都ユールディアにある王宮内。

 夜分、もうベッドで横になっていないと怒られる時間に、リリライトはカリオスの寝室を訪ねてきた。

 この時4歳のリリライトは、まだ母親と一緒の部屋でないと怖くて眠れないという程だった。

 その妹が、母に叱られるのを覚悟して、たった1人で人気のない王宮内をうろつき、離れた兄の部屋までたどり着くまでの行程は、それはもう魔王を打ち滅ぼした勇者の伝説を超える大冒険譚だ。

 その過酷で長い旅を乗り越えたリリライトは、よほどその1人旅が怖かったのか、真っ赤になった目に涙を溜めながら、入り口で出迎えるカリオスをびくびくと見上げていた。

『何しにきたんだよ』

 昼間の一件も冷めやらぬその時、カリオスにとってリリライトは憎しみの対象でしかなかった。リリライトがなけなしの勇気を振り絞ってまで、この時間に自分の部屋まで来た意味を、考えようとすらしていなかった。

『ごめんなさいっ……!』

『――は?』

 小さな身体を一生懸命折り曲げて、リリライトはカリオスに謝罪する。

 カリオスは訳が分からなかった。

『母様が、喧嘩した後はちゃんと謝りなさいって。ごめんなさいして、仲直りしないとダメって言うから……だから、ごめんなさいっ!』

 その懸命なリリライトの謝罪に、カリオスは何とも説明しがたい複雑な心境になる。

 ――この妹は馬鹿なのか?

 喧嘩ですらない。ただ一方的にカリオスがリリライトを傷付けただけのこと。リリライトには全く非が無いのだから、謝る必要がない。だって騒動になった元々の原因――カリオスがリリライトを突き飛ばした時のことだって――

 ヴィジオールの訓練を受けていたカリオスが、訓練が終わった後も力尽きて地面に仰向けに横になったままでいたところ、リリライトが人の気も知らないで能天気な顔で近づいてきて

『兄様、兄様っ! はい、これ! 飲んで下さいっ! リリが汲んできたんですよ』

 そんなことを言いながら、この炎天下で熱中症になりそうなカリオスの身体がたまらなく欲しているであろう、キンキンに冷えた井戸水を差し出してきたのだ。

『うるせぇよっ!』

 そんな、リリライトの想いが、どうしてだか憎たらしくて……カリオスはリリライトを突き飛ばしたのだ。

 それなのに、何故リリライトが俺に謝っているんだ? 訳が分からない。

……ああ、そうか。母様に言われたからか。だから、仕方なくわざわざ謝りに来たのか、こんな夜中に。本当、馬鹿な妹だ。父から英才教育を受けている自分とは違って、何も学ばず成長しない、本当に愚かで低能で愚図な妹だ。そんなに泣きそうになって必死になってまで、そんなにまで母の言うことが絶対なのか。そんなに母の愛情を独り占めしたいのか。

 このままであれば少年カリオスの心は暗く閉ざされ、将来は民のことなど顧みない独善的な支配者となっていたかもしれない。

 しかし、幼くも純粋なリリライトの言葉は、そんな暗く歪もうとしていた兄の心を、優しく解く。

『リリは、兄様と仲直りしたいです』

『――は?』

 再び意味不明の言葉。言っていることは分かるが、その意味が分からない。

 しかし、今度は不快な気持ちはしなかった。

『ごめんなさいって、ちゃんと謝って、リリは兄様と仲直りしたいんです。ねえ、兄様。またリリと遊んで下さい。またお花摘みして下さい。リリは……リリは兄様が大好きです』

 何を……言っているのだろうか。

 リリライトが生まれてからこの方、いつカリオスがリリライトと仲良くしたというのだろうか。

 確かに母に言われてリリライトの相手をしたことはある。でも、それは嫌々だ。あからさまに顔に出していたのに、この妹は気づかなかったのだろうか。自分が嫌われていることに、忌々しいと思われていることに。

 ――俺は、お前のことを好きだなんて思ったことは1度も無い。

 カリオスが不満げにリリライトの相手をしている時――いつもリリライトは笑っていたような気がする。その太陽のような、無邪気で純粋な笑みを兄に見せていた。その時の笑顔は、もしかすると母と過ごしている時よりも嬉しそうな……そんな風に見えた。

 カリオスの胸が、ズキンと痛む。

 そうだ……この愚かで間抜けで愚図な妹は、全く気付いていない。兄に嫌われていることなど露にも思っていない。だから、こんなにも真っ直ぐで純粋な「好き」を兄に寄せられるのだ。

『帰れ』

『え? 兄様? リリは……』

『帰れ! いいから帰れよっ! 帰れってば!』

 そう言って強引にカリオスはリリライトを部屋から押し出して、ドアを力いっぱい締めた。

『に、兄様っ! 兄様、兄様、兄様っ! 開けて下さい、兄様っ! こ、怖いですっ! う、うわああああんっ! あああああっ! 兄様、兄様っ! 兄様ぁ~っ!』

 厚いドアを通り越して聞こえてくるリリライトの絶叫ともいえるその声。それはカリオスの胸を突き刺すように、響いてくる。

 やがて、部屋の外がバタバタと騒がしくなり、使用人たちの慌てた叫び声が聞こえてくる。

 それ以上はもう耐えられなくなり、カリオスは逃げるようにベッドへ滑り込むと、そのまま布団をかぶって、現実の全てを遮断した。

 未熟で幼く、そしてリリライト以上に愚かな少年カリオスの心では、その純粋で真っ白な……純白な妹の想いを受け入れることは出来なかった。

 ――ただ、翌日にほんの少しの変化があった。

 翌日、夜に勝手に寝室を抜け出して母親に叱られそうになっていたリリライトのことを、その日初めてカリオスがかばったのだ。

 それは、リリライトの兄を愛する心が変えたこと。

 ほんの僅かで些細なものだけど、とても大きな最初の一歩目。

 後に「純白の姫」と謳われるリリライト=リ=アルマイトが最初に起こした奇跡――ではなく必然且つ運命的な出来事だった。
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