ヨクに溺れる

新月ポルカ

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番外編

《リューエ》聖夜の贈り物 -前編-

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「ねえリューエ、キミの家で聖夜パーティーやろうよ!」

 天界の冷涼な空気を震わせたのは、あまりに場違いなほど弾んだ声音だった。
 ヨクは、赤からピンクへと移ろう長い三つ編みを揺らし、オレンジ色の瞳を期待に輝かせてリューエの顔を覗き込む。

「は? 嫌だけど……」

 氷の礫を投げるような容赦のないリューエの即答に、ヨクは開いた口が塞がらないといった様子で、オレンジ色の瞳をまんまるくして固まった。彼にとって、快楽の誘いが無碍にされるなど、想定外の事態だったのだろう。

 現在、天界は奇妙な熱気に浮かされていた。
 神格リストにその名を連ねてはおらずとも、下界において圧倒的な信徒を抱えるという、とある神の降誕祭。
 その余波は分厚い雲を越えて、この八百万の神々が座すこの天界にも、色鮮やかな光の糸や甘ったるい香の煙となって流れ込んでいる。

 木々を煌びやかに飾り立て、互いに贈り物を交わし合う──そんな人間じみた浮ついた空気が、冷厳であるはずの神々の住まう地をじわじわと侵食し、塗り替えていく時期。


 リューエにとってこの時期は、一年のうちで最も忌まわしく、逃げ場のない地獄に等しかった。

 望みの神。祈りを形にするその神格ゆえに、この時期の彼は「器」としての限界を試される。
『あの子と過ごしたい』『特別な何かが欲しい』。
 下界から立ち上る際限のない飢餓感。それだけでなく、天界の神々までもが「聖夜」という免罪符を得て、内に秘めた独占欲や執着を、祈りの形を借りてリューエへと叩きつけてくる。

 ──うるさくて、吐き気がする。

 押し寄せる「望み」の奔流に晒され続け、絶え間ないノイズに精神を削り取られている。肌を刺すような悪寒と倦怠感がリューエの四肢を蝕んでいた。

 今この瞬間に彼が求めているのは、耳を塞ぎたくなるような喧騒ではなく、ただ無の静寂の中で、己を保つことだけだった。
 それに、ヨクの言う「パーティー」だ。
 節操のないこの男のことだからどうせ、どこからか嗅ぎつけた連中を大勢呼び込み、この神殿を欲の泥濘に変えるに決まっている。

「……何でそんな顔をするんだ。僕は今、気分が最悪なんだ。 この時期の望みの濁流が、どれだけ耳障りか君だって知っているだろう」

「うん、いつも辛そうだもんね。だから、楽しいことで上書きしたら気にならないかなって思ったんだけど……」

 食い下がるヨクの声は、いつになく真摯な響きを帯びていた。
 そのオレンジ色の瞳に宿っているのは、他者の欲に流されるままの軽薄な色気ではなく、ただ純粋に、隣に立つ幼馴染を案じる親愛だ。

 リューエは、その言葉を喉の奥で咀嚼した。

 パーティーなど、今この瞬間の彼にとっては苦行以外の何物でもない。だが、その発端が「自分のため」であるという事実は、凍てついた心臓の端をじりじりと焼くような熱を宿らせる。

 リューエの脳裏に、黒い期待が鎌首をもたげた。
 ヨクが自分のためにそう言うのなら、多少の我儘は通るのではないか。
 この、下半身が緩く、節操もなく神々に情愛を振りまき続けている想い人が、聖なる夜の全てを自分一人に捧げるというのであれば。それは、下界から届く数多の不実な祈りを全て繋ぎ合わせても到底届かない、至高の鎮痛薬になるはずだ。

「……見ての通り、僕は今、本当に体調が悪いんだ」

 リューエは、乗り気ではないスタンスを崩さぬまま、重々しく告げた。蒼白い肌に疲弊の影をわざとらしく落とし、視線を伏せる。

「人をもてなすような余裕もなければ、誰かに気を遣う元気もない。……だから、君以外の他者に会いたくないんだ」

「それってつまり、オレと二人きりのパーティーならいいってこと?」

 その言葉を待っていた。
 リューエの内心に、どろりとした優越感が滲む。
 この幼馴染の、あまりに真っ直ぐで御しやすい善性に付け込むのは、友人として些か不実であるかもしれない。けれど、これは長い年月を隣で過ごしてきた自分にしか許されない、特権的な捕獲術なのだ。

「……まあ、君と二人なら、今更気を遣うこともないしね」

「じゃあ二人でパーティーしよう! 美味しいもの食べて、甘いお酒飲んでさ。オレがとびきり美味しい料理、作ってあげるから! どう?」

 ぱあっと、暗い神殿を照らすような光を放ってヨクが笑う。
 思い通りの言葉を誘導させ切った充足感が、リューエの五感を支配する。
「望みの神」が、自身の本音を隠したまま、自分だけの「望み」へと世界を引き寄せた瞬間だった。

「……はぁ。全く、君というやつは、人の話を聞いているのかい」

 リューエは、緩みそうになる目元を隠すように顔を背け、いつものように刺のある皮肉を混ぜ込んだ。

「……しょうがないな。そこまで言うなら、付き合ってあげなくもないけれど」

 素直になれない返答は、甘い密を隠すための薄氷のようなもの。
 自分一人だけを見つめるヨクを、この神殿という檻の中に閉じ込める権利を得たのだ。その確定した未来に、リューエは密かに独占欲を震わせるのだった。



 ***


「……付き合ってあげるとは言ったけれど。ここまでやる意味が、果たしてあるのだろうか」

 冷たい夜気の中に、リューエの白く、重たい溜息と独り言が溶けていく。
 指先を凍えさせながら、彼は庭に根を張る背丈ほどの木々へと、色とりどりの装飾を絡めていた。ヨクから「これ、飾っておいて!」と押し付けられたものだが、生来の凝り性が災いし、結局は枝の一本一本まで神経を尖らせて配置を整える羽目になっている。

 当のヨクは、「最高の食材を調達してくる!」と、嵐のような賑やかさを残して、生命領域へと飛び出して行った。
 彼がいなくなった神殿は、どこか空気が薄くなったようで、リューエはそれがひどく落ち着かなくて、皮肉にもこの単調な作業に没頭することで正気を保っていた。

 ふと、手に取った飾りの色を見つめる。
 ヨクの髪を思わせる、鮮やかで情熱的な赤。
 そして、自分を象徴する、静謐なミントグリーンの緑。
 暗闇に浮かび上がるその対比は、まるで二人の魂がこの場所で縺れ合っていることを誇示しているかのようで、リューエの胸の奥にある独占欲を静かに、ねっとりと満たした。

「……ふん。まあ、この色合いなら。ここが誰と誰の場所であるか、他のバカ共にも嫌でも理解させるだろう」

 下界においてその二色が「クリスマスカラー」と呼ばれるありふれた記号であることを、彼は知らない。ただ、視界を埋め尽くす赤と緑が、自分とヨクの境界線を曖昧にしていくようで、それだけが心地よかった。

 飾り付けを終え、静寂が戻る。だが、ヨクが帰ってくる気配はまだない。
 ふと、リューエの脳裏に下界の喧騒が過った。
 この行事は、ただ集まって飲み食いするだけではないはずだ。この時期、彼らは愛する者に、あるいは愛されたい者に、形ある「想い」を託して送り合う。

 プレゼント、か。

 普段、他者の「望み」に食い荒らされている彼にとって、自らの意思で何かを与えるという行為はひどく縁遠いものだ。けれど、今宵この檻に閉じ込める相手に、相応しい鎖を贈るのも悪くない。

 リューエは深く息を吐き、静かに瞳を閉じた。
 久方ぶりに、自身の権能を、己の私欲のために解放する。
 意識の海を深く潜り、ヨクという存在がその無自覚な奥底で何を求めているのか、その「望み」の核を覗き込んだ。

 刹那的な食欲や、身体を重ねたいという性欲。そんな表層の濁りを掻き分け、さらに深い、魂の澱のような場所。そんな表層の渇欲をいくつも潜り抜けた先、リューエが掴み取ったのは、意外なほどに素朴で、けれど切実な「望み」だった。

「……こんなものが、欲しいのか。君は」

 掴み取った答えにリューエは呆れたような、しかし愛おしさの滲む声音で呟いた。
 自分しか知らないヨクの望みを叶えるため、望みの神は静かに腰を上げた。ヨクが戻ってくる前に、彼が心の奥底で望んでいた「それ」を、手に入れるために。


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