ヨクに溺れる

新月ポルカ

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出会い

第十九話 記憶と望みと運命と

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「おい、居るんだろヨク! 今日こそは……、今日こそはマジで、テメェを泣かせてやるからな!」

 欲の神の神殿の前に、一週間の皆勤賞となる運命の神の怒声が響き渡った。
 路地裏での敗北から数日、アナンカリオは宣言通り、毎日欠かさずその巨躯を揺らして怒鳴り込んできた。

 結果は、推して知るべし。ヨクにしてみれば「据え膳」を断る理由などなく、望み通りに組み伏せては、腰を砕かれたアナンカリオが捨て台詞と共にヨロヨロと帰っていくまでが常であった。

「テメェの運命、今日こそは変えてやるぜ!」

 アナンカリオが門扉に手をかけ、気勢を上げたその刹那。
 首の後ろで雑に括られた銀髪が、背後から無造作に、かつ力強く引き絞られた。

「──いッてえな、誰だ!?」

「相変わらず、思考が単純で助かります」

 下から聞こえる、低く、温度を削ぎ落とした声。そこに佇んでいたのは、赤銅色の巻き髪を重厚なローブの上に散らした記憶の神、マキナであった。
 眼鏡の奥、金色の双眸が冷徹な真実を映し出す。

「ですが──その『宣戦布告』をこの一週間、毎日繰り返している時点で、本日の結果も推して知るべしでしょう」

「な、なんで知ってやがるんだテメェ!」

「貴方がこの門の前に立っていたので、『挨拶代わり』に貴方の記憶を少し拝見させていただきました……まぁ、聞くに堪えない情けない喘ぎ声ばかりで、記録する価値もありませんでしたが」

「テメェ……ッ! 覗き見すんじゃねぇよ!」

「覗いた価値があれば良かったんですけどね」

 マキナは潔癖を装うように、指先に触れた銀の毛髪を忌々しげに振り払った。
 その仕草には、他者の記憶を覗くことへの遠慮や倫理といったものは一切感じられない。

 アナンカリオはその露骨な態度に気付いていないのか、ふと自分の中に湧いた疑問を、マキナを見下ろしながら素直に口に出した。

「つーか、なんでテメェがこんなところにいやがるんだよ、記憶の間の引きこもりのくせに」

「……野暮用です。貴方は……まあ、聞くまでもなさそうなので言わなくていいです。その無様に浮ついた欲が、何より雄弁に語っていますから」

「なんだとコラ! 誰が浮ついてるってんだ!? 俺はヨクを屈服させに来ただけだ!」

「それを世間では執着と呼び、あるいは未練と記すのです。学習能力という言葉、貴方の運命の分岐には存在しないのですか?」

 静かな理詰めの刃が、アナンカリオの浅黒い肌を逆なでする。容赦ない言葉の礫に、アナンカリオは節くれだった拳をポキリと鳴らした。

「あぁん? 屁理屈ばっか垂れてんじゃねぇぞ、クソ眼鏡! ぶっ飛ばすぞ!」

 暴力の予感を孕んだ拳が、マキナの鼻先でちらつかされる。
 先程までの冷徹な仮面が、一瞬で剥がれ落ちた。マキナは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、肩を丸めて大きく後ずさる。

「や、やめてください、暴力反対です……!」

 マキナは目に見えて肩をすくめ、情けなく後ずさる。知を重んじる神にとって、運命の神が放つ野性的な威圧感は、生理的な嫌悪と恐怖の対象でしかなかった。

 その情けない狼狽えっぷりを見て、アナンカリオは勝ち誇ったように八重歯をちらつかせ、ニタリと笑う。

「へっ、口のほどでもねぇな! 記憶だなんだと偉そうに抜かした報い、たっぷりと教えてやるよ……!」

 形勢逆転を確信したアナンカリオが、怯える文官のような神をいたぶろうとさらに一歩詰め寄った、その時。


「……近所迷惑だから、やめてくれる?」

 隣接する神殿の影から、水面に広がる波紋のように静かで、それでいて抗いがたい圧を孕んだ声が響いた。

 姿を現したのは、淡いミントグリーンの髪を流し、幾重にも重なるローブを静かに揺らす男神。
 リューエが、冷え切った瞳で二人を射抜いていた。

「あぁん?誰だテメェ。引っ込んでろよ」

「……彼は望みの神の、ノゾミです。……ヨクの『ただの幼馴染』だと、彼の記憶には記録されています」

 マキナが牽制するように事実を告げる。その言葉に含まれた「ただの」という響きに、リューエの萌黄色の瞳が不快感に濁った。

「人の関係を権能で勝手に探るなんて……悪趣味で下品だ。記憶を詰め込みすぎて、礼節ってものを忘れたのかな?」

 静かに吐き捨てられた罵倒。リューエはアナンカリオとマキナを、まるで掃き溜めの塵でも見るような目で見据え、追い打ちをかけるように口を開く。

 リューエは二人から溢れ出す、ヨクへの強烈な「望み」をその身に浴びていた。抱きたい、支配したい、もう一度触れられたい──。反吐が出るほど生々しい欲望が、望みの神を苛んでいる。

「……あいにくだけど、ヨクなら今日は仕事で朝からいないよ。……空っぽの扉の前で運命を語りあうのは構わないけど、静かにやってよね」

 突き放すような言葉を残し、リューエは背を向けた。その足取りには、ヨクの周りに増え続ける「欲」の気配への苛立ちが静かに滲み出ていた。




 ***



 「──ってことが君の留守中にあったんだけど。きちんとフっておいてよ」

 その日の夕、リューエの神殿。
 丁寧に並べられた食事を前に、リューエはいつになくネチネチとした調子で愚痴をこぼしていた。

「フる、なんて大袈裟だなぁ。アナンカリオはただの負けず嫌いだし、マキナはこの前の質問を諦めてないだけだよ。キミも気にしすぎ」

 当のヨクは、ハーブの香るスープをのほほんと口にし、どこまでも他人事のように笑っている。

 その橙色の瞳には、マキナが抱く「暴かれたい」という粘着質な渇望も、アナンカリオが再戦を口実に求めている「支配される快楽」も、何一つ映っていない。
 ヨクにとって、それは「恋」や「執着」といった感情の類ではなく、形を変えた「欲」の暴走に過ぎないのだから。

 しかし望みの神であるリューエには、そのどろりと濁った執着が、嫌というほど流れ込んできているのだ。
 あの二人の胸の内に渦巻く、ヨクを独占したい、もっと深く汚されたいという、甘ったるくも悍ましい「望み」の声が。

 ──教えるものか。

 君が彼らの想いに気づき、彼らを一人の男として、特別な対象として意識し始めるなど、万に一つもあってはならない。

 リューエは、何も知らずに笑うヨクの横顔を、慈しむように、そして呪うように見つめる。

「……でも、近所迷惑なのは言えてるね。何か対策、考えるかなぁ」

「そうだね。……僕がいない間は、誰も招きいれなければいいんじゃないか」 

 リューエの独占欲を孕んだ忠告を、ヨクはいつもの「世話焼きな幼馴染の言葉」として、さらりと受け流した。

 望みの神は、ヨクが永遠に「無自覚」であることを切に望みながら、その瞳をいっそう昏く、深く、沈めていくのだった。




── 出会い編 完
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