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番外編《シーズナル》
お嬢様は、お餅をご所望です《正月-後編-》
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新年の朝、月長石の館は、凍てつくような透明な光に満たされていた。
高台に位置するこの館には、遮るものなく初日の出が降り注ぐ。
うっすらと白銀をかぶる庭園の片隅で、ゼルヴァンとダリオンは、夜明け前の残光を反射する杵と臼に向き合っていた。
先日、城下の八百屋を訪ねた際、老いた店主は「もう腰が保たん」と力なく笑い、つきたての餅を分けることを条件に、代々受け継がれた道具を快く貸し出してくれたのであった。
「……ゼル、お前それ、もう木肌を削り取ってるんじゃねぇか?」
ダリオンが、片手で重い杵を湯に浸しながら、もう片方の手で極東の文献をめくる。朝日に照らされた彼の黒髪が、赤みを帯びて輝いた。
ゼルヴァンは答えず、真っ白な布巾で臼の縁を執拗に拭きあげる。その指先は冷気で薄紅に染まりながらも、動きには一切の淀みがない。
「この程度の手入れは当然です。お嬢様が口にされるものに、微塵の不潔も許されない。……ダリオン、貴方もお湯に浸けるだけでなく、その木肌のささくれを確認なさい。餅に木の破片が混じれば、私の日記に貴方の不始末を一生書き留めることになりますよ」
「へいへい、わかったよ。お前のその執念、たまに怖えんだよな……」
ダリオンは呆れたように笑いつつも、しなやかな指先で杵の頭を検分する。
ひとしきり道具を磨き上げ、臼に清廉な熱湯を張って木を温めると、二人は一度、日常の仮面へと戻っていく。
お嬢様の起床を助け、身の回りを整え、朝の陽だまりの中で優雅な一時を提供する──その完璧なルーティンをこなす間も、彼らの心臓は、これから始まる「未知の儀式」への静かな高揚に拍動していた。
***
昼前、冬の光が最も高く、暖かくなる時刻。
庭園の広場には、すでに主役が座していた。柔らかなファーのついたケープに身を包んだお嬢様は、アメジスト色の瞳を好奇心に輝かせ、特等席のガーデンチェアでその時を待っている。
その後ろには、出来上がった餅を捌くためのコックや、給仕を待つメイドたちが、まるで演劇の観客のように列をなしている。
ダリオンは上着を脱ぎ捨て、腕まくりをしたシャツと赤いベストだけという軽装で、この寒空の中しなやかな肢体の躍動を隠そうともしない。対照的に、ゼルヴァンは一分の隙もない燕尾服のまま、清廉な空気を纏って臼の傍らに跪いていた。
「じゃあ、始めんぞ」
ダリオンが、ぐりぐりと杵で蒸したての米を練り潰す。米が潰れるたびに、甘く濃密な湯気が立ち上り、二人の視界を白く染めた。
「いつでもどうぞ」
水に浸した指先を、ゼルヴァンが米へと差し入れる。
最初は、緩やかな調べのようだった。
ダリオンが重厚な杵を振り下ろし、木と木がぶつかる乾いた音が冬の空に響く。その刹那、ゼルヴァンが流麗な手つきで餅を返し、再び水を含ませる。光の中で舞う水飛沫が、ダイヤモンドの粒のように美しく散った。
だが、次第にそのリズムは、熱を帯びた狂詩曲へと変貌していく。
ダリオンが遠心力を利用し、しなやかな体躯をバネのように使って杵を連打し始める。重力を無視したかのような速さ。
それに対し、ゼルヴァンは微動だにせず、最短距離で、神速の早業を以て餅を返し続けた。
「……ダリオン、呼吸が乱れていますよ。老店主の代わりに、貴方が引退なさいますか?」
「……ハッ、減らず口叩く余裕があんなら、指を潰さねぇように気をつけてな、ゼル!」
火花が散るような視線の応酬。そのコンビネーションは、もはや調理の域を超え、死線の上で舞う剣舞のような危うい美しさを放っていた。
刺々しい皮肉まで息のピッタリとあった搗きあいに、観衆のメイドたちからは吐息のような歓声が漏れる。お嬢様は、その光景を夢見るような微笑で見つめ、時折、パチパチと白い手を叩いた。
搗き上がった餅は、雪のように白く、驚くほどに滑らかだった。
コックたちが手早くそれを丸め、色とりどりの甘味を添えて館の者たちに振る舞われていく。その熱気と香りが、冬の庭園を春のような祝祭に変えていった。
「あら、本当にゴムみたいに伸びるのね」
お嬢様は、銀のフォークで持ち上げられた餅の不可思議な弾力に、アメジストの瞳をキラキラと輝かせた。
「お嬢、それは胡桃バターをつけるのが正解だ。濃厚なのが一番美味いぜ」
ダリオンは立ったまま、自分の皿の餅を豪快に頬張りながら助言した。口の端についた餅取り粉を拭いもせず、満足げに目を細める。
「……味覚が野蛮ですね。お嬢様、こちらの鶯豆の餡をお試しください。繊細な甘みが、餅本来の風味を引き立てます。……ダリオン、その雑な味の油脂に塗れたものを下げてください」
「雑な味ってなんだよ。素材の味を活かしてんだろーが!」
「素材を殺している、の間違いではありませんか?」
いつものように始まった、静かだが湿度を帯びた舌戦。ゼルヴァンは冷徹な眼差しでダリオンを射抜き、ダリオンは真っ赤な瞳をぎらつかせて応戦する。
けれど、そんな二人を余所に、お嬢様は幸せそうに口元を綻ばせた。
「美味しいわ。ねぇ、二人とも。来年もまた、こうして作ってくれる?」
ゼルヴァンとダリオンは、付き合わせていた顔のまま視線をあわせ、同時にお嬢様へと深く頭を下げた。
「御心のままに。お嬢様」
「来年はもっと美味いやつ食わせてやるよ」
冬の青い空の下、月長石の館には、賑やかな新年の笑い声がいつまでも響き渡っていた。
高台に位置するこの館には、遮るものなく初日の出が降り注ぐ。
うっすらと白銀をかぶる庭園の片隅で、ゼルヴァンとダリオンは、夜明け前の残光を反射する杵と臼に向き合っていた。
先日、城下の八百屋を訪ねた際、老いた店主は「もう腰が保たん」と力なく笑い、つきたての餅を分けることを条件に、代々受け継がれた道具を快く貸し出してくれたのであった。
「……ゼル、お前それ、もう木肌を削り取ってるんじゃねぇか?」
ダリオンが、片手で重い杵を湯に浸しながら、もう片方の手で極東の文献をめくる。朝日に照らされた彼の黒髪が、赤みを帯びて輝いた。
ゼルヴァンは答えず、真っ白な布巾で臼の縁を執拗に拭きあげる。その指先は冷気で薄紅に染まりながらも、動きには一切の淀みがない。
「この程度の手入れは当然です。お嬢様が口にされるものに、微塵の不潔も許されない。……ダリオン、貴方もお湯に浸けるだけでなく、その木肌のささくれを確認なさい。餅に木の破片が混じれば、私の日記に貴方の不始末を一生書き留めることになりますよ」
「へいへい、わかったよ。お前のその執念、たまに怖えんだよな……」
ダリオンは呆れたように笑いつつも、しなやかな指先で杵の頭を検分する。
ひとしきり道具を磨き上げ、臼に清廉な熱湯を張って木を温めると、二人は一度、日常の仮面へと戻っていく。
お嬢様の起床を助け、身の回りを整え、朝の陽だまりの中で優雅な一時を提供する──その完璧なルーティンをこなす間も、彼らの心臓は、これから始まる「未知の儀式」への静かな高揚に拍動していた。
***
昼前、冬の光が最も高く、暖かくなる時刻。
庭園の広場には、すでに主役が座していた。柔らかなファーのついたケープに身を包んだお嬢様は、アメジスト色の瞳を好奇心に輝かせ、特等席のガーデンチェアでその時を待っている。
その後ろには、出来上がった餅を捌くためのコックや、給仕を待つメイドたちが、まるで演劇の観客のように列をなしている。
ダリオンは上着を脱ぎ捨て、腕まくりをしたシャツと赤いベストだけという軽装で、この寒空の中しなやかな肢体の躍動を隠そうともしない。対照的に、ゼルヴァンは一分の隙もない燕尾服のまま、清廉な空気を纏って臼の傍らに跪いていた。
「じゃあ、始めんぞ」
ダリオンが、ぐりぐりと杵で蒸したての米を練り潰す。米が潰れるたびに、甘く濃密な湯気が立ち上り、二人の視界を白く染めた。
「いつでもどうぞ」
水に浸した指先を、ゼルヴァンが米へと差し入れる。
最初は、緩やかな調べのようだった。
ダリオンが重厚な杵を振り下ろし、木と木がぶつかる乾いた音が冬の空に響く。その刹那、ゼルヴァンが流麗な手つきで餅を返し、再び水を含ませる。光の中で舞う水飛沫が、ダイヤモンドの粒のように美しく散った。
だが、次第にそのリズムは、熱を帯びた狂詩曲へと変貌していく。
ダリオンが遠心力を利用し、しなやかな体躯をバネのように使って杵を連打し始める。重力を無視したかのような速さ。
それに対し、ゼルヴァンは微動だにせず、最短距離で、神速の早業を以て餅を返し続けた。
「……ダリオン、呼吸が乱れていますよ。老店主の代わりに、貴方が引退なさいますか?」
「……ハッ、減らず口叩く余裕があんなら、指を潰さねぇように気をつけてな、ゼル!」
火花が散るような視線の応酬。そのコンビネーションは、もはや調理の域を超え、死線の上で舞う剣舞のような危うい美しさを放っていた。
刺々しい皮肉まで息のピッタリとあった搗きあいに、観衆のメイドたちからは吐息のような歓声が漏れる。お嬢様は、その光景を夢見るような微笑で見つめ、時折、パチパチと白い手を叩いた。
搗き上がった餅は、雪のように白く、驚くほどに滑らかだった。
コックたちが手早くそれを丸め、色とりどりの甘味を添えて館の者たちに振る舞われていく。その熱気と香りが、冬の庭園を春のような祝祭に変えていった。
「あら、本当にゴムみたいに伸びるのね」
お嬢様は、銀のフォークで持ち上げられた餅の不可思議な弾力に、アメジストの瞳をキラキラと輝かせた。
「お嬢、それは胡桃バターをつけるのが正解だ。濃厚なのが一番美味いぜ」
ダリオンは立ったまま、自分の皿の餅を豪快に頬張りながら助言した。口の端についた餅取り粉を拭いもせず、満足げに目を細める。
「……味覚が野蛮ですね。お嬢様、こちらの鶯豆の餡をお試しください。繊細な甘みが、餅本来の風味を引き立てます。……ダリオン、その雑な味の油脂に塗れたものを下げてください」
「雑な味ってなんだよ。素材の味を活かしてんだろーが!」
「素材を殺している、の間違いではありませんか?」
いつものように始まった、静かだが湿度を帯びた舌戦。ゼルヴァンは冷徹な眼差しでダリオンを射抜き、ダリオンは真っ赤な瞳をぎらつかせて応戦する。
けれど、そんな二人を余所に、お嬢様は幸せそうに口元を綻ばせた。
「美味しいわ。ねぇ、二人とも。来年もまた、こうして作ってくれる?」
ゼルヴァンとダリオンは、付き合わせていた顔のまま視線をあわせ、同時にお嬢様へと深く頭を下げた。
「御心のままに。お嬢様」
「来年はもっと美味いやつ食わせてやるよ」
冬の青い空の下、月長石の館には、賑やかな新年の笑い声がいつまでも響き渡っていた。
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