お嬢様はご存じない。

新月ポルカ

文字の大きさ
26 / 26
番外編《シーズナル》

お嬢様は、お餅をご所望です《正月-後編-》

しおりを挟む
 新年の朝、月長石の館は、凍てつくような透明な光に満たされていた。

 高台に位置するこの館には、遮るものなく初日の出が降り注ぐ。
 うっすらと白銀をかぶる庭園の片隅で、ゼルヴァンとダリオンは、夜明け前の残光を反射する杵と臼に向き合っていた。
 先日、城下の八百屋を訪ねた際、老いた店主は「もう腰が保たん」と力なく笑い、つきたての餅を分けることを条件に、代々受け継がれた道具を快く貸し出してくれたのであった。

「……ゼル、お前それ、もう木肌を削り取ってるんじゃねぇか?」

 ダリオンが、片手で重い杵を湯に浸しながら、もう片方の手で極東の文献をめくる。朝日に照らされた彼の黒髪が、赤みを帯びて輝いた。
 ゼルヴァンは答えず、真っ白な布巾で臼の縁を執拗に拭きあげる。その指先は冷気で薄紅に染まりながらも、動きには一切の淀みがない。

「この程度の手入れは当然です。お嬢様が口にされるものに、微塵の不潔も許されない。……ダリオン、貴方もお湯に浸けるだけでなく、その木肌のささくれを確認なさい。餅に木の破片が混じれば、私の日記に貴方の不始末を一生書き留めることになりますよ」

「へいへい、わかったよ。お前のその執念、たまに怖えんだよな……」

 ダリオンは呆れたように笑いつつも、しなやかな指先で杵の頭を検分する。

 ひとしきり道具を磨き上げ、臼に清廉な熱湯を張って木を温めると、二人は一度、日常の仮面へと戻っていく。
 お嬢様の起床を助け、身の回りを整え、朝の陽だまりの中で優雅な一時を提供する──その完璧なルーティンをこなす間も、彼らの心臓は、これから始まる「未知の儀式」への静かな高揚に拍動していた。


 ***


 昼前、冬の光が最も高く、暖かくなる時刻。

 庭園の広場には、すでに主役が座していた。柔らかなファーのついたケープに身を包んだお嬢様は、アメジスト色の瞳を好奇心に輝かせ、特等席のガーデンチェアでその時を待っている。
 その後ろには、出来上がった餅を捌くためのコックや、給仕を待つメイドたちが、まるで演劇の観客のように列をなしている。

 ダリオンは上着を脱ぎ捨て、腕まくりをしたシャツと赤いベストだけという軽装で、この寒空の中しなやかな肢体の躍動を隠そうともしない。対照的に、ゼルヴァンは一分の隙もない燕尾服のまま、清廉な空気を纏って臼の傍らに跪いていた。

「じゃあ、始めんぞ」

 ダリオンが、ぐりぐりと杵で蒸したての米を練り潰す。米が潰れるたびに、甘く濃密な湯気が立ち上り、二人の視界を白く染めた。

「いつでもどうぞ」

 水に浸した指先を、ゼルヴァンが米へと差し入れる。

 最初は、緩やかな調べのようだった。

 ダリオンが重厚な杵を振り下ろし、木と木がぶつかる乾いた音が冬の空に響く。その刹那、ゼルヴァンが流麗な手つきで餅を返し、再び水を含ませる。光の中で舞う水飛沫が、ダイヤモンドの粒のように美しく散った。

 だが、次第にそのリズムは、熱を帯びた狂詩曲へと変貌していく。
 ダリオンが遠心力を利用し、しなやかな体躯をバネのように使って杵を連打し始める。重力を無視したかのような速さ。
 それに対し、ゼルヴァンは微動だにせず、最短距離で、神速の早業を以て餅を返し続けた。

「……ダリオン、呼吸が乱れていますよ。老店主の代わりに、貴方が引退なさいますか?」

「……ハッ、減らず口叩く余裕があんなら、指を潰さねぇように気をつけてな、ゼル!」

 火花が散るような視線の応酬。そのコンビネーションは、もはや調理の域を超え、死線の上で舞う剣舞のような危うい美しさを放っていた。

 刺々しい皮肉まで息のピッタリとあった搗きあいに、観衆のメイドたちからは吐息のような歓声が漏れる。お嬢様は、その光景を夢見るような微笑で見つめ、時折、パチパチと白い手を叩いた。


 搗き上がった餅は、雪のように白く、驚くほどに滑らかだった。
 コックたちが手早くそれを丸め、色とりどりの甘味を添えて館の者たちに振る舞われていく。その熱気と香りが、冬の庭園を春のような祝祭に変えていった。

「あら、本当にゴムみたいに伸びるのね」

 お嬢様は、銀のフォークで持ち上げられた餅の不可思議な弾力に、アメジストの瞳をキラキラと輝かせた。

「お嬢、それは胡桃バターをつけるのが正解だ。濃厚なのが一番美味いぜ」

 ダリオンは立ったまま、自分の皿の餅を豪快に頬張りながら助言した。口の端についた餅取り粉を拭いもせず、満足げに目を細める。

「……味覚が野蛮ですね。お嬢様、こちらの鶯豆の餡をお試しください。繊細な甘みが、餅本来の風味を引き立てます。……ダリオン、その雑な味の油脂に塗れたものを下げてください」

「雑な味ってなんだよ。素材の味を活かしてんだろーが!」

「素材を殺している、の間違いではありませんか?」

 いつものように始まった、静かだが湿度を帯びた舌戦。ゼルヴァンは冷徹な眼差しでダリオンを射抜き、ダリオンは真っ赤な瞳をぎらつかせて応戦する。
 けれど、そんな二人を余所に、お嬢様は幸せそうに口元を綻ばせた。

「美味しいわ。ねぇ、二人とも。来年もまた、こうして作ってくれる?」

 ゼルヴァンとダリオンは、付き合わせていた顔のまま視線をあわせ、同時にお嬢様へと深く頭を下げた。

「御心のままに。お嬢様」

「来年はもっと美味いやつ食わせてやるよ」

 冬の青い空の下、月長石の館には、賑やかな新年の笑い声がいつまでも響き渡っていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

お飾りの妃なんて可哀想だと思ったら

mios
恋愛
妃を亡くした国王には愛妾が一人いる。 新しく迎えた若い王妃は、そんな愛妾に見向きもしない。

さようなら、あなたとはもうお別れです

四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。 幸せになれると思っていた。 そう夢みていたのだ。 しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

あら、面白い喜劇ですわね

oro
恋愛
「アリア!私は貴様との婚約を破棄する!」 建国を祝うパーティ会場に響き渡る声。 誰もが黙ってその様子を伺う中、場違いな程に明るい声色が群衆の中から上がった。 「あらあら。見てフィンリー、面白そうな喜劇だわ。」 ※全5話。毎朝7時に更新致します。

愛する義兄に憎まれています

ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。 義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。 許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。 2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。 ふわっと設定でサクっと終わります。 他サイトにも投稿。

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

処理中です...