お嬢様はご存じない。

新月ポルカ

文字の大きさ
21 / 22
番外編《シーズナル》

お嬢様は、お餅をご所望です《正月-前編-》

しおりを挟む
 冬の午後、空気は静かに澄み渡り、月長石の館の壁面に光がやわらかく跳ね返っていた。

 微かな、けれど確かな磁器の触れ合う音が、静謐な午後の大気を震わせる。
 ゼルヴァンの白手袋に包まれた指先が、一点の淀みもない流麗な所作でティーポットを傾けた。琥珀色の液体がカップに満たされるたび、芳醇な香りが温室に満ち、ゆらゆらと立ち昇る湯気がお嬢様の金髪の輪郭をぼかしていく。

「ねぇゼル。わたし、新年に"お餅"ってものを食べてみたいわ」

 その静寂を破ったのは、アメジストの瞳を無邪気に輝かせた主の、鈴の音のような声だった。
 その突飛な、けれど拒むことのできない神託のような言葉に、ゼルの端正な眉がわずかに揺れる。

「おもち、ですか……?」

 ゼルは微細な戸惑いを声に滲ませながら、耳慣れぬ響きをくり返した。
 その背後、壁にもたれかけるようにしていたダリオンが笑いを堪えたように片眉を上げる。

「たしか……極東の料理だったか? 粘り気のある米を、でかいハンマーで叩いてゴムみたいにした料理。お嬢、どっからそんなもん仕入れてきたんだよ」

「それは……少々、想像がつきませんね。食卓に供するに相応しいものなのでしょうか」

 困惑に寄せられたゼルヴァンの涼やかな眉に、お嬢様はくるりと金色の髪を揺らし、愛らしく首を傾げてみせる。

「どうかしら。でも、とてもめでたい食べ物なんですって。ねぇ、ゼルでも難しい?」

 その一言は、彼にとって至高の命令であり、同時に甘美な呪縛でもある。ゼルヴァンの胸の奥で、忠誠という名の熱い澱がじわりと広がった。
 お嬢様の望みが、たとえ星を掴むことであろうと、彼はそれを銀のトレイに載せて捧げるだろう。

「……いえ。お嬢様が望まれるのであれば、必ずや最高の一品をご用意いたします」

 深々と頭を下げた彼の銀髪が、冬の光を弾いて滑らかに流れた。


 ***


 ティータイムの終わりを告げる静かな余韻が消えぬうちに、ゼルヴァンはダリオンの襟首を掴まんばかりの勢いで、広大な蔵書室へと彼を引きずり込んだ。

 高い天井まで届く書架が、埃ひとつない静謐の中で二人を迎え入れた。ステンドグラスを透過した極彩色の光が、床に長い影を落としている。

「おい、ゼル! 引っ張んなって……!」

「黙りなさい。お嬢様の願いを叶えるのが先決です。『おもち』の資料はどこにありますか。貴方のその適当な記憶を裏付ける記述を、一秒でも早く提示しなさい」

「俺を司書扱いすんなよ。……あー、確かこの辺だったか。極東の風俗史に関わる記録は」

 ダリオンが呆れ顔で、煤けた背表紙の分厚い書物を数冊抜き出し、読書用の重厚な机に放り出した。ページを捲るたびに、古びた紙の匂いと、微かなインクの香りが鼻腔を突く。
 二人の男は、頭を突き合わせるようにして、黄ばんだ挿絵を凝視した。

「杵と、臼……。蒸した米を、これほどまでに執拗に叩くのですか」

「これ、タイミングを合わせて手を入れなきゃいけないんだな。下手をすれば指が潰れるぞ」

「お嬢様のためです。指の一本や二本、安いものでしょう」

 真顔で言い切るゼルヴァンの横顔には、狂信的なまでの色彩が宿っている。ダリオンはその危うさに苦笑いし、赤い瞳を細めた。

「お前はよぉ……。……なあ、心当たりがある。買い出しでたまに立ち寄る異国の店に、こんな形の道具が飾ってあった気がすんだ」

「……裏通りの、髭の長い店主がいる八百屋ですか?」

「そこそこ。正月は使うだろうし、午後にでも借りられないか、俺が聞きに行ってきてやろうか」

 ダリオンの提案に、ゼルヴァンは本を閉じ、決然とした動作で立ち上がった。

「私も同行します。お嬢様が新年の朝、一番にその『おもち』を口にできるよう、完璧な準備を整えねばなりません」

 二人の影が、夕刻の気配を帯び始めた蔵書室の床に長く伸びる。それは、一人の主君を戴く二つの剣のように、鋭く、そして密接に重なり合っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月るるな
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...