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番外編《シーズナル》
お嬢様は、お餅をご所望です《正月-前編-》
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冬の午後、空気は静かに澄み渡り、月長石の館の壁面に光がやわらかく跳ね返っていた。
微かな、けれど確かな磁器の触れ合う音が、静謐な午後の大気を震わせる。
ゼルヴァンの白手袋に包まれた指先が、一点の淀みもない流麗な所作でティーポットを傾けた。琥珀色の液体がカップに満たされるたび、芳醇な香りが温室に満ち、ゆらゆらと立ち昇る湯気がお嬢様の金髪の輪郭をぼかしていく。
「ねぇゼル。わたし、新年に"お餅"ってものを食べてみたいわ」
その静寂を破ったのは、アメジストの瞳を無邪気に輝かせた主の、鈴の音のような声だった。
その突飛な、けれど拒むことのできない神託のような言葉に、ゼルの端正な眉がわずかに揺れる。
「おもち、ですか……?」
ゼルは微細な戸惑いを声に滲ませながら、耳慣れぬ響きをくり返した。
その背後、壁にもたれかけるようにしていたダリオンが笑いを堪えたように片眉を上げる。
「たしか……極東の料理だったか? 粘り気のある米を、でかいハンマーで叩いてゴムみたいにした料理。お嬢、どっからそんなもん仕入れてきたんだよ」
「それは……少々、想像がつきませんね。食卓に供するに相応しいものなのでしょうか」
困惑に寄せられたゼルヴァンの涼やかな眉に、お嬢様はくるりと金色の髪を揺らし、愛らしく首を傾げてみせる。
「どうかしら。でも、とてもめでたい食べ物なんですって。ねぇ、ゼルでも難しい?」
その一言は、彼にとって至高の命令であり、同時に甘美な呪縛でもある。ゼルヴァンの胸の奥で、忠誠という名の熱い澱がじわりと広がった。
お嬢様の望みが、たとえ星を掴むことであろうと、彼はそれを銀のトレイに載せて捧げるだろう。
「……いえ。お嬢様が望まれるのであれば、必ずや最高の一品をご用意いたします」
深々と頭を下げた彼の銀髪が、冬の光を弾いて滑らかに流れた。
***
ティータイムの終わりを告げる静かな余韻が消えぬうちに、ゼルヴァンはダリオンの襟首を掴まんばかりの勢いで、広大な蔵書室へと彼を引きずり込んだ。
高い天井まで届く書架が、埃ひとつない静謐の中で二人を迎え入れた。ステンドグラスを透過した極彩色の光が、床に長い影を落としている。
「おい、ゼル! 引っ張んなって……!」
「黙りなさい。お嬢様の願いを叶えるのが先決です。『おもち』の資料はどこにありますか。貴方のその適当な記憶を裏付ける記述を、一秒でも早く提示しなさい」
「俺を司書扱いすんなよ。……あー、確かこの辺だったか。極東の風俗史に関わる記録は」
ダリオンが呆れ顔で、煤けた背表紙の分厚い書物を数冊抜き出し、読書用の重厚な机に放り出した。ページを捲るたびに、古びた紙の匂いと、微かなインクの香りが鼻腔を突く。
二人の男は、頭を突き合わせるようにして、黄ばんだ挿絵を凝視した。
「杵と、臼……。蒸した米を、これほどまでに執拗に叩くのですか」
「これ、タイミングを合わせて手を入れなきゃいけないんだな。下手をすれば指が潰れるぞ」
「お嬢様のためです。指の一本や二本、安いものでしょう」
真顔で言い切るゼルヴァンの横顔には、狂信的なまでの色彩が宿っている。ダリオンはその危うさに苦笑いし、赤い瞳を細めた。
「お前はよぉ……。……なあ、心当たりがある。買い出しでたまに立ち寄る異国の店に、こんな形の道具が飾ってあった気がすんだ」
「……裏通りの、髭の長い店主がいる八百屋ですか?」
「そこそこ。正月は使うだろうし、午後にでも借りられないか、俺が聞きに行ってきてやろうか」
ダリオンの提案に、ゼルヴァンは本を閉じ、決然とした動作で立ち上がった。
「私も同行します。お嬢様が新年の朝、一番にその『おもち』を口にできるよう、完璧な準備を整えねばなりません」
二人の影が、夕刻の気配を帯び始めた蔵書室の床に長く伸びる。それは、一人の主君を戴く二つの剣のように、鋭く、そして密接に重なり合っていた。
微かな、けれど確かな磁器の触れ合う音が、静謐な午後の大気を震わせる。
ゼルヴァンの白手袋に包まれた指先が、一点の淀みもない流麗な所作でティーポットを傾けた。琥珀色の液体がカップに満たされるたび、芳醇な香りが温室に満ち、ゆらゆらと立ち昇る湯気がお嬢様の金髪の輪郭をぼかしていく。
「ねぇゼル。わたし、新年に"お餅"ってものを食べてみたいわ」
その静寂を破ったのは、アメジストの瞳を無邪気に輝かせた主の、鈴の音のような声だった。
その突飛な、けれど拒むことのできない神託のような言葉に、ゼルの端正な眉がわずかに揺れる。
「おもち、ですか……?」
ゼルは微細な戸惑いを声に滲ませながら、耳慣れぬ響きをくり返した。
その背後、壁にもたれかけるようにしていたダリオンが笑いを堪えたように片眉を上げる。
「たしか……極東の料理だったか? 粘り気のある米を、でかいハンマーで叩いてゴムみたいにした料理。お嬢、どっからそんなもん仕入れてきたんだよ」
「それは……少々、想像がつきませんね。食卓に供するに相応しいものなのでしょうか」
困惑に寄せられたゼルヴァンの涼やかな眉に、お嬢様はくるりと金色の髪を揺らし、愛らしく首を傾げてみせる。
「どうかしら。でも、とてもめでたい食べ物なんですって。ねぇ、ゼルでも難しい?」
その一言は、彼にとって至高の命令であり、同時に甘美な呪縛でもある。ゼルヴァンの胸の奥で、忠誠という名の熱い澱がじわりと広がった。
お嬢様の望みが、たとえ星を掴むことであろうと、彼はそれを銀のトレイに載せて捧げるだろう。
「……いえ。お嬢様が望まれるのであれば、必ずや最高の一品をご用意いたします」
深々と頭を下げた彼の銀髪が、冬の光を弾いて滑らかに流れた。
***
ティータイムの終わりを告げる静かな余韻が消えぬうちに、ゼルヴァンはダリオンの襟首を掴まんばかりの勢いで、広大な蔵書室へと彼を引きずり込んだ。
高い天井まで届く書架が、埃ひとつない静謐の中で二人を迎え入れた。ステンドグラスを透過した極彩色の光が、床に長い影を落としている。
「おい、ゼル! 引っ張んなって……!」
「黙りなさい。お嬢様の願いを叶えるのが先決です。『おもち』の資料はどこにありますか。貴方のその適当な記憶を裏付ける記述を、一秒でも早く提示しなさい」
「俺を司書扱いすんなよ。……あー、確かこの辺だったか。極東の風俗史に関わる記録は」
ダリオンが呆れ顔で、煤けた背表紙の分厚い書物を数冊抜き出し、読書用の重厚な机に放り出した。ページを捲るたびに、古びた紙の匂いと、微かなインクの香りが鼻腔を突く。
二人の男は、頭を突き合わせるようにして、黄ばんだ挿絵を凝視した。
「杵と、臼……。蒸した米を、これほどまでに執拗に叩くのですか」
「これ、タイミングを合わせて手を入れなきゃいけないんだな。下手をすれば指が潰れるぞ」
「お嬢様のためです。指の一本や二本、安いものでしょう」
真顔で言い切るゼルヴァンの横顔には、狂信的なまでの色彩が宿っている。ダリオンはその危うさに苦笑いし、赤い瞳を細めた。
「お前はよぉ……。……なあ、心当たりがある。買い出しでたまに立ち寄る異国の店に、こんな形の道具が飾ってあった気がすんだ」
「……裏通りの、髭の長い店主がいる八百屋ですか?」
「そこそこ。正月は使うだろうし、午後にでも借りられないか、俺が聞きに行ってきてやろうか」
ダリオンの提案に、ゼルヴァンは本を閉じ、決然とした動作で立ち上がった。
「私も同行します。お嬢様が新年の朝、一番にその『おもち』を口にできるよう、完璧な準備を整えねばなりません」
二人の影が、夕刻の気配を帯び始めた蔵書室の床に長く伸びる。それは、一人の主君を戴く二つの剣のように、鋭く、そして密接に重なり合っていた。
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