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本編
19(終)
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「多田、起きろ」
誰かに呼ばれ、反射的に薄く目を開いた。
……ん?
目の前に樫木が立っていた。あ……そうか、俺、樫木ん家で樫木と。
「お待たせしました……どうぞ……?」
眠って元気になったら挿れるとか言ってたよな。
「ばか、ちゃんと目を覚ませ」
どうしたんだ。もう元気になったけど。目覚めは良い。
「六時前だ、いい加減やばい」
「……晩飯?」
「違う。頼むからしっかりしろ、朝の六時だ」
……へ?
「遅刻する」
え?
「悪いが三分でシャワー浴びてこい」
ええ!?
ようやく頭が働いて、俺はがばっと樫木のベッドから飛び起きた。
「嘘だろ……」
俺、寝たのって、夕方前だったよな。昼前に樫木の部屋に来て、軽く飯食って、それからもぞもぞやって。疲れて寝たのはまだ太陽がそれなりに高かったはずだ。朝の六時って……。俺どんだけ寝てたんだ。寝穢いにもほどがあるだろ。
「いいから早く行け、着くのが半を越えるとさすがにやばい」
「なんで起こしてくれなかったんですかっ。こんなギリギリに!」
格好も何もあったもんじゃない。とにかくベッドを降りて狭い浴室へ駆け込む。起きない俺が悪いのはわかってるが。
「お前がぐっすり眠ってるから起こすのをためらって、俺もなんとなく寝坊した」
下はスーツだが上はまだインナーシャツ姿という樫木も相当焦っていて、クローゼットからワイシャツでも引っ張り出しているのかガシャガシャと騒々しい。
「なんだよそれ」
それでも深く理由を訊いてる暇はない。樫木が先に浴びたはずのシャワーはハンドルをひねればすぐに湯が出てよかったが、本当に頭から湯を浴びただけだった。
ふと。纏っていただろう樫木の熱も流れてしまったなと思って。でも。
次もあるから。
浴室を出ると脱ぎ散らかした服を拾って急いで身に着ける。
「おい、コーヒーぐらい飲んでいけ」
蓋の付いたマグカップが足の短いガラステーブルに置いてあって。シャワーを浴びている間に淹れてくれたのだろう。樫木はまだネクタイを首にひっかけるだけで結べていなかったが。
「あ、俺」
「大丈夫だ、飲んでみろ」
……この蓋付きカップ。いや、結局使わないまま箱からも出してないし、俺のじゃないのは当たり前だ。
カップについているスライド蓋を開けて恐る恐る口をつけると、少し冷めたと言っていい温度のコーヒーが口に流れ込んだ。宣伝ポップには「熱々も三分待てば飲める!」と。
猫舌さん用マグ、そんな名前で売っていたマグカップ。一目でこれだと思ってあの時に買った。同じものがここにあるとは。偶然にも同じ色で。
「何で知ってるんですか……」
猫舌だと、そんな話はしていない。
「コーヒー出してもお前飲まなかったろ、嫌いなら嫌いって言うだろうし。熱いのが苦手なんだろうなと」
それで用意してくれてたのか。俺が再びここへ来るかどうかもわからなかったはずなのに。
「多田」
「はい」
「次の休みに、今度こそちゃんと抱きたい」
切実な視線とぶつかって。
「……はい」
そう答えたら、唇に小さなキスがひとつ。
「ポスト前に車回すから戸締まりを頼む」
手のひらに部屋の鍵を落とすと、樫木はバタバタと部屋を出ていった。預かった鍵がとても、樫木からの距離を暗示してるようで、気恥ずかしい。そう言えば社会科準備室の鍵も預かったな。俺はずっと樫木の懐に入れてもらってたのか。
「結局。何もわかってなかったのは俺だけだったのかな」
ワンルームの戸締まりなんてすぐ終わる。玄関のドア越しに車のエンジンが聞こえてから、俺はドアを開けた。
「髪の毛が生乾きだよ、多田君」
そうだろう、ドライヤーはおろかタオルでもちゃんと拭けてない。
「何度もすみません……」
門で待っていてくれたのは岡本さんで。少々仁王立ちな気もする。そりゃそうだろう。樫木がいつ連絡をとってくれたのかわからないが、急なことだったには違いない。
「もう僕はお役御免かと思ってたんだけどね」
少々御立腹な口調はもっともで。
「お礼は必ず」
もう口先のお礼で済ますことはできない。兎にも角にも岡本さんは受験生だ。いつまでも年下のどうでもいい尻拭いに付き合わされたくはないだろう。
「それね、考えたんだよ。今君を待ってるこの間に」
「はい……」
パシリでも何でもします。本当に申し訳ない。
「来期の生徒会役員選挙に出てもらおうかなって」
「え?」
耳慣れない言葉を聞いた。なんだって?
「他に立候補者がいれば選挙だけど、いなければ無投票当選になる」
立候補? そう言えば桜野が言ってた通り本当にこの人、生徒会役員だったのか。
「そういうのって、やる気のある人がやることであって」
「毎年いたりいなかったりでさ、立候補者がいないのが一番困るから一応あたりをこっちでつけておくんだよ」
「いや、だからそういうのはやる気の」
「お礼してくれるって言ったよね?」
「俺、経験ないし、すみませんが興味も」
「ああ、大丈夫、書記は雑用だからパソコンで文字が打てればいい。そういうことだから覚えておいてね、十月に改選だから。じゃ」
岡本さんは後ろ手にひらひらと手を振って、二番館へ戻っていった。
……ようやく五月になろうかというところなんですけど。
終
誰かに呼ばれ、反射的に薄く目を開いた。
……ん?
目の前に樫木が立っていた。あ……そうか、俺、樫木ん家で樫木と。
「お待たせしました……どうぞ……?」
眠って元気になったら挿れるとか言ってたよな。
「ばか、ちゃんと目を覚ませ」
どうしたんだ。もう元気になったけど。目覚めは良い。
「六時前だ、いい加減やばい」
「……晩飯?」
「違う。頼むからしっかりしろ、朝の六時だ」
……へ?
「遅刻する」
え?
「悪いが三分でシャワー浴びてこい」
ええ!?
ようやく頭が働いて、俺はがばっと樫木のベッドから飛び起きた。
「嘘だろ……」
俺、寝たのって、夕方前だったよな。昼前に樫木の部屋に来て、軽く飯食って、それからもぞもぞやって。疲れて寝たのはまだ太陽がそれなりに高かったはずだ。朝の六時って……。俺どんだけ寝てたんだ。寝穢いにもほどがあるだろ。
「いいから早く行け、着くのが半を越えるとさすがにやばい」
「なんで起こしてくれなかったんですかっ。こんなギリギリに!」
格好も何もあったもんじゃない。とにかくベッドを降りて狭い浴室へ駆け込む。起きない俺が悪いのはわかってるが。
「お前がぐっすり眠ってるから起こすのをためらって、俺もなんとなく寝坊した」
下はスーツだが上はまだインナーシャツ姿という樫木も相当焦っていて、クローゼットからワイシャツでも引っ張り出しているのかガシャガシャと騒々しい。
「なんだよそれ」
それでも深く理由を訊いてる暇はない。樫木が先に浴びたはずのシャワーはハンドルをひねればすぐに湯が出てよかったが、本当に頭から湯を浴びただけだった。
ふと。纏っていただろう樫木の熱も流れてしまったなと思って。でも。
次もあるから。
浴室を出ると脱ぎ散らかした服を拾って急いで身に着ける。
「おい、コーヒーぐらい飲んでいけ」
蓋の付いたマグカップが足の短いガラステーブルに置いてあって。シャワーを浴びている間に淹れてくれたのだろう。樫木はまだネクタイを首にひっかけるだけで結べていなかったが。
「あ、俺」
「大丈夫だ、飲んでみろ」
……この蓋付きカップ。いや、結局使わないまま箱からも出してないし、俺のじゃないのは当たり前だ。
カップについているスライド蓋を開けて恐る恐る口をつけると、少し冷めたと言っていい温度のコーヒーが口に流れ込んだ。宣伝ポップには「熱々も三分待てば飲める!」と。
猫舌さん用マグ、そんな名前で売っていたマグカップ。一目でこれだと思ってあの時に買った。同じものがここにあるとは。偶然にも同じ色で。
「何で知ってるんですか……」
猫舌だと、そんな話はしていない。
「コーヒー出してもお前飲まなかったろ、嫌いなら嫌いって言うだろうし。熱いのが苦手なんだろうなと」
それで用意してくれてたのか。俺が再びここへ来るかどうかもわからなかったはずなのに。
「多田」
「はい」
「次の休みに、今度こそちゃんと抱きたい」
切実な視線とぶつかって。
「……はい」
そう答えたら、唇に小さなキスがひとつ。
「ポスト前に車回すから戸締まりを頼む」
手のひらに部屋の鍵を落とすと、樫木はバタバタと部屋を出ていった。預かった鍵がとても、樫木からの距離を暗示してるようで、気恥ずかしい。そう言えば社会科準備室の鍵も預かったな。俺はずっと樫木の懐に入れてもらってたのか。
「結局。何もわかってなかったのは俺だけだったのかな」
ワンルームの戸締まりなんてすぐ終わる。玄関のドア越しに車のエンジンが聞こえてから、俺はドアを開けた。
「髪の毛が生乾きだよ、多田君」
そうだろう、ドライヤーはおろかタオルでもちゃんと拭けてない。
「何度もすみません……」
門で待っていてくれたのは岡本さんで。少々仁王立ちな気もする。そりゃそうだろう。樫木がいつ連絡をとってくれたのかわからないが、急なことだったには違いない。
「もう僕はお役御免かと思ってたんだけどね」
少々御立腹な口調はもっともで。
「お礼は必ず」
もう口先のお礼で済ますことはできない。兎にも角にも岡本さんは受験生だ。いつまでも年下のどうでもいい尻拭いに付き合わされたくはないだろう。
「それね、考えたんだよ。今君を待ってるこの間に」
「はい……」
パシリでも何でもします。本当に申し訳ない。
「来期の生徒会役員選挙に出てもらおうかなって」
「え?」
耳慣れない言葉を聞いた。なんだって?
「他に立候補者がいれば選挙だけど、いなければ無投票当選になる」
立候補? そう言えば桜野が言ってた通り本当にこの人、生徒会役員だったのか。
「そういうのって、やる気のある人がやることであって」
「毎年いたりいなかったりでさ、立候補者がいないのが一番困るから一応あたりをこっちでつけておくんだよ」
「いや、だからそういうのはやる気の」
「お礼してくれるって言ったよね?」
「俺、経験ないし、すみませんが興味も」
「ああ、大丈夫、書記は雑用だからパソコンで文字が打てればいい。そういうことだから覚えておいてね、十月に改選だから。じゃ」
岡本さんは後ろ手にひらひらと手を振って、二番館へ戻っていった。
……ようやく五月になろうかというところなんですけど。
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