悪役令嬢と薄幸の元伯爵令嬢のかけて欲しい言葉と聞きたくない言葉

なめ沢蟹

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王都の怪人

15話 危機一髪

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 見間違いじゃない。
 白い仮面にボロボロのローブのような服装。
 巷で噂の怪人だ。  
 本当に存在した。
 ……こいつの目撃例があると、行方不明者が出るという。
 そんな存在が、約二百メートル先の木の近くにいる。
「……」 
 遠すぎてそれが体格が大きいの小さいのかもわからない。
「くそっ。フィオナさん、銃は持ってないのか?」
「生憎」
 さて、どうする。
  横目でチラリと確認したフィオナは真っ青な顔で足がガタついている。
 私も似たようなものか。  
 この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
 多少の護身術の心得はあるが……そもそも私はガードマンではない。
 あくまで主人の身の回りの世話をする執事だ。
 しかし……私にも仕事に対しての矜恃がある。
 例え主がどんな者であれ、ここで見捨てたりはしない。
 ましてや馬車の中にいるのは、麗しい美少女。
「……」 
 横目で状況を確認した。
 まずい。
 入れ替えの途中だったのが災いした。
 馬が一頭馬車から外れて野放し状態だ。
「フィオナさん! 早く!」
「え?」 
「馬を繋ぎ直して!」
「あっ! わ、わかった」
「私はあれを牽制する」
 とりあえず数メートル前に出た。
 馬車を怪人から守るように立つ。
 ……判断は正解なのだろうか?
 私も馬を繋ぎ直すのを手伝うべきか?
 ……!
 遠く離れた怪人がゆらりと動き出す。
 森の入り口から街道に足を踏み出す。
「足止めする! フィオナさん、馬を繋ぎ直したら私を置いて出発しろ!」
「え? ……しかし」
「いいから! あなたはヘザー家の使用人だろう!」
「……わかった」
 ……これがベストな選択のはず。
 馬車がヘザー男爵家本館に向かえば、私も単独で逃げれる。
「え?」
 考え事は少しの時間しかできなかった。
 少し目を離した隙に、怪人は猛スピードでこちらに向かって来ている。
 いや、怖いぞ。
 白い仮面が本当に不気味だ。
 しかしこれはやはり……怪人の狙いはベアトリクス様か?

†††††

 速い。
 約二百メートルあった距離を怪人はあっという間に詰めてくる。
 十五秒ほど経ったか?
 もう目の前まで来ている。
「な、なんだあれは!」
「キャーー!」
 この宿場町の馬番や旅人か?
 この状況を見て叫び声があがってる。
 もちろん確認する余裕はない。
「……なんの騒ぎですの?」
「は?」
 最悪の音も聞こえてきた。
 馬車のドアが開く音と、まるで寝起きのような間の抜けた可愛らしい少女の声。
 私たちが命がけで守るべきベアトリクス様が、馬車から出てきたっぽい。
「お姉さま、一体……え? キャーー!」
 怪人に気づいたか。 
 ベアトリクス様が悲鳴を上げる。
 そういう所は普通の少女っぽい。
「馬鹿野郎! 早くドアを閉めろ!」
「は、はい!」 
 怪人のほうを向いたままの私の罵声を聞いて、ドアが閉まる音がする。
 はい、懲罰確定。
 どさくさに紛れて主の家族に馬鹿野郎! とか言ってしまった。
 下手すれば解雇かも。
 しかし今はそれどころではない。
 目の前の怪人を迎撃……。
「え?」
 とっくに走ってきた怪人と接触してるはずだった。
 しかし怪人は私の目の前で、動揺したように立っている。
 ……思ったより大きい。
 近くで見ると、体格は私以上だ。  
「せいっ!」
 苦し紛れにハイキックを放つ。
 素人に毛の生えた程度のそんな技が当たるとは思ってない。
 牽制になれば……。 
 あるいは、怪人が私の足を掴めば……。
 時間が稼げる。
 そう思った。
「な、なに!?」
 鈍い音がした。
 しかし私の素人技は、意外にも怪人に当たる。 
 まぐれって奴だ。
 怪人は少し後ろに後ずさる。
「……」
 再び睨み合う。
 状況を確認する。
 確かに私の蹴りを怪人が右腕でガードしたのを見た。
 先ほどの感触……。
 もしかしたら怪我させる事に成功したかも。
「イーモン殿、すまぬ!遅くなった!」
 突然、フィオナの声が後ろから聞こえてきた。
「繋いだのか!? 行ってくれ」
「すまない! 死ぬなよ……え!?」
「ん?」 
 ……一瞬目を疑った。
 視界に入ったのは、黒づくめの後ろ姿だった。
 怪人は一目散に、森の入り口のほうへ走って行く。
「撃退……した?」
 つい気が抜けて片膝をついた。
 ……助かった。
 遠目で確認できた。
 怪人は、森の中に消えた。

†††††

 片膝をついたまま動けなくなる。
 私は今までの人生でこういう修羅場は経験がなかった。
 今さらながら足が震える。
「フィオナ様! ご無事ですか」
「……?」 
 野太い声が聞こえてきた。
 振りかえると、初老の背の低い筋肉質な男が猟銃を手にして走ってくる。
「ああ、アレックス。大丈夫だ。このイーモン殿が守ってくれた」
 フィオナは御者台から降りながら、現れた男に声をかける。
「イーモン殿? と、とにかくベアトリクス様はご無事で?」
「アレックス。私は大丈夫ですわ」
「よ、良かったあ」
「……」
 姉妹の知り合い……男はヘザー家の使用人だろうか?
「おっとっと」
 視界がゆらぐ。
「……」
 今度は腰を抜かしてしまった。
 ……せっかく怪人を撃退したというのに、我ながらなんとみっともない事か。
「おい! あんたすげえな」
「ちょっと、どうしたの?」
「お、お恥ずかしい、腰が抜けて……」
 見知らぬ者たちが集まってきた。
 旅人や宿場町の住人たちだろう。
 ……動けないから恥ずかしいのだが。
「アレックス、猟銃を持って周囲を警戒してくれ。怪人がまた襲ってくるかもしれない」
「はい。フィオナ様は?」
「このまま出発するより、宿場町の中に逃げたほうが安全だろう」
「なるほど」
「ベアトリクス様! 馬車から出てください」
 フィオナがテキパキと指示を出し始めた。
 ……情けない。
 自分は未だ腰を抜かしたまま。
 私は土壇場でこうなる人間だったのか。
「フィオナさん。すまない、立てない。私に構わずベアトリクス様を連れ出してください」
「わかった。宿場町の者たちよ、そこの男性を頼む」
 再び馬車のドアが開く音がした。
 ベアトリクス様が出てくる。
「さあ、ベアトリクス様。行きますよ」
「え? お姉さま、イーモンはどうするの?」
「怪人の狙いはおそらくあなた。この場からあなたが逃げ出すことが彼のためです」
「は、はい」
 やりとりが聞こえた後、二人は宿場町のほうに去っていく。
 ……私はまだ立てない。
 本気で精神と体を鍛え直そうと思う。
「……」
 逃げながら、ベアトリクス様がこちらを振り向く。
 何だろう……彼女の顔が真っ赤だ。


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