悪役令嬢と薄幸の元伯爵令嬢のかけて欲しい言葉と聞きたくない言葉

なめ沢蟹

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元伯爵令嬢との逃避行

8話 形勢逆転

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 今は深夜だろうか?
 時間の感覚がない。
 どちらにせよ……何も急ぐ必要はない。
「……」
 念の為ケイトから奪った装飾された銃と大型のナイフを握りしめる。
 これさえ奪われなければ、目の前の存在は多少すばしっこい小柄な少女だ。
「どうぞ、着がえてきてください。ケイト様」
 ……無意識に敬語で敬称を付けていた。
「ふふ、どういう風の吹き回し? 繰り返すけど、私は犯罪者で騎士団に追われてる身なんだよ」
「……」
「とっくの昔にクルック家の爵位は剥奪されてるわけだしね」
「……」
「先ほどのあなたの言葉、いろいろ考えさせられました。確かに私は長年クルック家にお世話になったのも事実。最後くらいはあなたに敬意を払いましょう」
 執事服でもないが、執事のつもりで声をかける。
 ……単なる自己満足かもしれない。
 それでもこの行動と態度がふさわしい気がした。
「あ、そう。ついでにチャーリーみたいに私についてくれるとありがたいんだけど?」
「……」
 いや、調子に乗りすぎだろう。
 その問いかけは無視した。
「はあ、だめか。せめて最後は伯爵令嬢気分で騎士団に投降しようかな」
 ケイトはスルスル袋から何かを取り出す。
 その手には、薄手のドレスとシンプルかつ気品あふれる靴が持たれていた。
「……」
 思い返すと、目の前の少女がドレスを着ている場面を見たことがない。
 二年前に初めて会ってから彼女はいつも狩りに適した衣装しか着ていなかった。
 そしてクルック家の事情で平民になってからはメイド服。
 息を飲んでしまう。
 この奇跡のバランスの顔立ちと体系をした少女が……貴族のドレスを着ている姿。
 それを最後に見る事ができたなら。
「体を拭く布はあるのですか?」
「無いけど……今着てる肌着で拭くからいいや。綺麗な水もトイレの中で出せるし」
「さようですか。ランタンはいかがなされます?」
「あなたが持っててよ。トイレの中のランタンは火を付けっぱなしにしてるの」
 ……いつの間にか。
 本当にいつの間にか。 
 目の前の殺人犯に対する嫌悪感や恐怖が無くなっていた。
 今腕に持っているドレスを着た姿がみたい。
 最後は騎士団の元に私がこの手でエスコートしたい。
 奇妙な独占欲のような使命感のようなものが心に芽生えている。
 それはまるで、繊細な芸術作品を美術館に納品するかのような感覚。
「じゃあ、ドレスに着がえてくるね」
「はい」
 ケイトが岩壁をくりぬかれて造られたトイレに消えていく。
 私はなんの疑いもなく、それを見送っていた。
「チャーリー……あいつ」
 私はかつての友人の名を口にしていた。
 彼もこんな気分でここ最近ケイトに協力していたのかもしれない。

†††††

 遅い。
 あれからかれこれ一時間は経っている。
「ケイト様は何をやっているんだ?」
 つぶやいてしまう。
 女の身支度が時間がかかるのはわかっているが……いくらなんでも遅すぎる。
 焦り始めている。
 無意識に銃とナイフを強く握りしめる。
「なぜ私は……ケイトが個室に入るのを許した?」
 自分自身による問いかけた。
 頭の中がグルグルする。
 そして一つの答えが浮かび上がる。
「感情を……コントロールされた?」
 血の気が引く。
 ケイトは……何度か私とベアトリクス様が似たような性格だと口にしていた。
 それをもし、私の考え方に当てはめたら?
「私がかけて欲しい言葉。そして私が聞きたくない言葉……感情がぶれるほどの」
 独り言が止まらない。
 そうだ。
 考えたこともなかった。
 私は他人の感情をコントロールするために、相手のかけて欲しい言葉を重ね、禁句を避けるコミュニケーションを他者としてきた。
 しかし、私自身の投げかけられて心地よい言葉と禁句とは?
「私が本当にベアトリクス様と似た性格なら……かけて欲しい言葉は……自分で得た能力を賞賛されること?」
 ベアトリクス様の事を思い出す。
 彼女は家柄もその美貌も賞賛されてもあまり喜ばない。
 先天的な資質よりも、後天的な努力で得た能力や、何かによる打ち込んでいる事そのものを指摘されると喜ぶ。
 例えその能力が大したことがなくで、打ち込んだものに結果が反映されてなくてもだ。
「私は……さっき……摸写の精度をケイトに賞賛された……まさか」
 先ほどまで繊細で神々しかったケイトのイメージが、暗く冷たく妖しいものに変わる。
 私は自分の意思でクルック家への恩義を思い出した気がしていた。
 しかし、本当はケイトに心を操られたとしたら?
「まずい!」
 もう声をかける気はなかった。
 敬意を払う気もなかった。 
 例え今現在、ケイトが裸でも構わない。
 今すぐ拘束をし直さなければ。
「……」
 ケイトが消えた場所に走る。 
 そして……驚く。
「こ、これは! ヘザー家の地下室と同じ!」
 そこには、粗雑にくり抜かれた岩壁の穴……扉は無かった。
 長い奥行きのある空間が扉の役割を果たす古い施設。
 貴族街にある図書館の入り口も、ヘザー家の入り口も、書店の入り口もみんなそうだ。
 ……いやな予感がする。
 私はランタンを掲げながら、小走りで奥へ移動する。
 先が明るい。
 ケイトの言った通りだった。
 この地下空間のトイレのランタンは付けっぱなしにしてたらしい。
 いや、そんな事はどうでもいい。
「……」
 最悪の事態のイメージが頭に浮かぶ。
 本日何度目だろう?
 冷や汗が止まらない。
「……!?」
 行き止まりまで来た。
 そこにはヘザー家の地下にあるような、原始的かつ簡易的な仕組みの水洗トイレと水道が。
 そして……そこには誰もいなかった。

†††††

「ケイト! どこに行った!」
 叫んでも無駄なのはわかっていたが、叫ぶ。
 その声はむなしく反響するだけ。
「そうだ! まずは地上に!」
 なぜここに誰もいないかはわからない。
 しかしやるべき事が頭に浮かんだ。
 私自身が地上に出てしまえばいい。
 そして騎士団に通報するなり、ベアトリクス様に危険を伝えるなり、行動すればいい。
 そう思って踵を返した。
 まずはこの地下空間の出口を探さなければ……。
「……!」
 しかし、絶望的なものが視界に入る。
「ランタンの……光?」
 私が来た方向から……オレンジ色の光が見えてきた。
 つまり、背後を取られこの先は行き止まり。
 コツンコツンと小気味良い足音が響いてくるのも確認できた。
 誰か……来る。
「形勢逆転だねイーモン」
 突如現れたランタンの光に照らされたその者は……ゾッとするほど美しかった。
 薄手のドレスにハイヒール姿の華奢で小柄な少女。
 その手には、私が持っているのと同じ柄の装飾された銃が握られていた。
「ケ、ケイトォォォ!」
「静かにして、後はその銃を地面に置いて両手をあげて」
 冷たい口調で命令された。
「銃の打ち合いなら、私にかなわないでしょ?」
「……」
 確かにそうだ。
 目の前の少女は射撃大会で十一位を取るような存在。
 そして……おそらく人を殺すのにためらいがない。
 そんな殺人鬼。
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