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ツンな怜奈さんは心の中でデレてくる

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皆さんは“共感体質”という言葉を耳にしたことがあるだろうか。
 他人の心が読める力を与えられ、エスパーと称される能力を行使する権利を得た者が唯一抱えている、まあ一度は誰もが手に入れたいと願う体質のことだ。

「昨日夜まで彼女と電話しててさ~。そうそう、気が付いたら四時間も話し込んでた。でさ、そろそろ寝ようかって言ったら『……まだ離れたくない』だってさ! いや~、俺の彼女マジ可愛いわ~」
「え~? アイシャドウの塗り方教えてほしいって~? あははっ、私なんて全然ヘタッピだから~! うん、ほんとだよ~、むしろメイクなしでも十分可愛いなんて羨ましいな~」
「…………」

 いつも通りの教室。ワックスをキメた男子生徒が得意げに主張していたり、片や読モをしているという女子生徒は隣にいる女子生徒から相談を持ち掛けられていたり、はたまた机に突っ伏して眠りこけている男子生徒が数人と、皆が朝の時間を思い思いに過ごしている。
 しかし、こちらまで伝わってくる本心を考慮すれば、それらは一種の仮面というのが分かる。

『まあ全部嘘だけどな。全部作り話だっつの。てか彼女とは先月別れたし。でも、今更本当のこと言ったらこいつらに馬鹿にされるだろうな……絶対言えねえ』
『はぁ? 取り巻きの分際で私より目立とうとすんじゃないわよ、この芋女が。あなた程度には油性ペンがお似合いね』
「この時間が一番ツライ……。クラスメイトに声もかけられないし話したこともないし気まずいし、やっぱり俺のいる場所はここじゃない、二次元に囲まれた自室なんだ……。ああ、早く学校終わんないかな……」

 他人が今何を考えているのか、それが読み取れるだけで世界はこんなにも別の顔を覗かせる。
 ピュアな笑顔を覗かせるクラス一の好青年がまさかの九股している事実だったり、机で一人読書に励む地味めな女子の考えていることが少々過激だったり、どこからどう見ても野球部であろう丸刈りの男子生徒が家庭科部のエースと称されていたり……いや、最後のはちょっと違うか。
 まあともかく、人の心が読めるというのは、持たざる者達にとっては喉から手が出るほどの力なのだろう。

「(でも、実際はそんな大層なもんじゃないっての……)」

 皆が十人十色の感情を秘める教室の窓側の席で一人、頬杖を突きながら心の中でそう呟く男子生徒がいた。
 名前は二宮祐樹にのみやゆうき。あくびをし、気怠そうに呆けている様子は、教室内にいる他の生徒と大差ない。
 しかし、祐樹には誰にも言えない秘密がある。それこそが俗にエスパーと呼ばれる能力である。
 他人の考えや思考が手に取るように分かり、人間関係で悩んだことは一度もない。
 争いになる前に一歩引いた姿勢を心掛ける。そんな信念に基づき、祐樹は平穏な学校生活を手に入れていたのであったのだが……。

 隣の女子生徒から刺さる視線によって、その平穏はあっという間に崩れ去った。

「……何か用?」

 引き攣る顔をそのままに、祐樹は右隣に座る女子生徒へ振り向いて訊く。
 長い髪に包まれてながらも隠し切れない端正な顔立ちときめ細かい素肌。
 目尻が高く、凛とした面持ち。突き刺すような目でこちらを凝視する隣の女子生徒―――生駒怜奈いこまれいなは、同じく頬杖を突きながら、祐樹の言葉に眉をひそめて返事した。

「別に。面白いくらいに馬鹿な顔と思っただけよ」
「いや、勝手に覗き見しておいて馬鹿はさすがに失礼だろ」
「失礼? むしろ私の方が二宮くんに謝ってもらいたいくらいだけど。朝から情けない顔を見せられる側の気持ちくらい考えなさいよ」

 悪態をつきながら、彼女は足を組み直す。
 眉根を寄せて、心底不快そうな態度を露骨に覗かせていた。

「なんだよ。まるで俺が全部悪いみたいじゃん……」
「まるでも何も、事実として二宮くんが全部悪いんだから仕方ないでしょ。反省して二度とこの私に情けない顔を見せないで」
「ぐっ……なんだよ、見たくないならわざわざこっち向かなきゃいいだろ。毎度いちゃもん付けられる側の気持ちだって考えてみろよ」
「は? 何よその言い方」
「何だよ、文句あんのかよ」
「―――お、おいお前らっ! 朝から喧嘩すんなよ!」

 次第にエスカレートする口喧嘩に危機感を募らせたのか、偶然周囲にいたクラスメイトらが仲裁に入って来た。
 睨み合っていた両者間に入り込み、物理的な壁となって視界を遮る。

「ふんっ、朝から不快なのよ、二宮くんのその顔が」
「ちょっと怜奈! もう止めなって!」

 もう一人仲裁に入って来た女子生徒の制止を経て、ようやく二人の口喧嘩は止まる。
 依然として怜奈は顔を歪めるままだったが、チャイムと同時に教室の扉が開き、担任の教師が入って来たことで場の空気が変わる。
 「ふんっ」と軽く鼻であしらい、怜奈はそっぽを向いてしまった。
 その様子にほっとした表情を浮かべ始めるクラスメイト達。『また喧嘩かよ』と内心呆れるものの、余計な手出しをして再び不機嫌になられては困ると思ったのか、何も言わずに定位置に戻って行った。

「(ああ、皆マジごめん……)」

 ぞろぞろと席に戻って行くクラスメイトの背中に心の中で謝る祐樹。
 何も知らないクラスメイト達からすれば普段の祐樹と怜奈の関係はまさしく犬猿の仲に見えるのだが、実のところ祐樹は一切怒っていない。
 ただ恥ずかしさに耐えきれずに、つい言葉で怜奈を否定してしまうのだ。
 ではなぜ、祐樹は羞恥心に苛まれているのか。それはすでに説明したように、彼自身がエスパーだからである。
 とはいえ、相手の気持ちや考えが読めてしまうからという理由だけでは説明不足だ。高校入学して早三か月、既に他の生徒の思考なんて嫌というほど見てきた。
 
「(そうだ、生まれて以来ずっと人の心が読めるのに何を今更……! 他人の気持ちや考えなんて、もう飽きるほど知ってるだろうが……!)」

 自らにそう言い聞かせて、少しでも落ち着きを取り戻そうと苦心する。
 机に突っ伏したまま誰とも目を合わせず、ただただ無心になって菩薩を目指す。
 もう少し、もう少しで頭から記憶を抹消できる。そう油断した瞬間、祐樹が恐れていたノイズが頭に流れ込んできた――――――

『私、二宮くんに嫌われた……絶対嫌われちゃったよ……っ!』

 右から聴こえてくる悲鳴に近い思考。次いで流れ込んでくる後悔の念。その二つの想いが届いた瞬間、祐樹は顔の筋肉という筋肉全てを引き攣らせてこう叫んだ。

「(頼むぅうううううッ!! もうデレないでくださいぃいいいいい―――ッ!!)」

 そう、祐樹は今まで一度も彼女がいたことはおろか、異性を好きになったことすらもない。謂わば恋愛とは無縁の人生を生きていた。
 映画や小説で見るような恋愛ものだったり、街を歩いている度に流れ込んでくる他人同士のイチャイチャ具合など、そういったものに触れる機会はいくらでもあった。
 しかし、そういった色恋沙汰は自分とは無関係なおとぎ話。他人の顔を伺って生きる自分には縁のない生き方だと思っていたのだが……

『うわぁあああんっ!? 二宮くんだけには嫌われたくないって思ってるのに、なんでもっと素直になれないのよ私はぁああっ!?』
「(もうやめてぇええええッ!! やばいって、俺を殺す気かぁああ!? ニヤニヤし過ぎてもう口端が悲鳴を上げてるんですよぉおお―――ッ!?)」

 そのせいで、祐樹には恋愛耐性がない。今まさに色恋沙汰の中心にいるのに、いつまで経っても認められず、かといって自分が他人の心を読めるだなんて虚言じみた真実を伝えることもできず、祐樹はただ流れ込んでくる怜奈の本心に日々悶え続けているのだ。

 もちろん、怜奈と隣の席になったばかりの頃は、こんな関係になるとは思いもよらなかった。
 今から三か月前、偶然隣の席になった際に自分から声を掛けたのが始まり。完全に出遅れて落ち込んでいた怜奈を見かね、友達ができるように裏方的にサポートしたことがきっかけで話すようになった。
 直前に入院していたせいで入学式にも出られず、一週間遅れで皆に合流した怜奈を待っていたのは既にグループが形成されていたクラス。偶然が重なった結果生じた不運によってひどく落ち込む怜奈の荒んだ心は、隣に座っていた祐樹の脳内に痛い程流れ込んできた。
 だから、自分の平穏のためと割り切り、彼女サポートすることにした。まあ、結果として人助けになっただけで、実態は完全に個人的な目的だ。
 人の心を読んで怜奈に関心を持っている生徒を分析し、さり気なく趣味趣向を伝える。彼女自身の明るい性格も相まって、彼女は瞬く間にクラスに溶け込んでいった。
 彼女が次第にクラスの中心になっていくと、なんだか自分が親になった気分を味わっているようで、無性にこそばゆい気持ちに駆られたのを今でも覚えている。
 これで明日からは平穏な日々が戻ってくる、祐樹はそう確信していたのだ。

 だからこそ、祐樹は混乱した。なぜ、怜奈にゴミを見るような目で蔑まれるようになったのか。そしてもう一つ、どうして怜奈に好意を抱かれているのか。
 「もう二度と私に話しかけてこないで」と強く拒絶されたかと思うと今度は『ち、違うの! 本当はそんなことが言いたいんじゃなくて……二宮くんに見つめられたら恥ずかしくて、つい……』と心の中でデレる。
 表面と内側で全く異なる相反する感情が押し寄せる。それが一度だけならず毎日のように続くものだから、今に至るまで延々と悶え続ける祐樹の頭はすでに限界を迎えていた。
 
「(なんでここまでツンとデレが激しいんだよ生駒!? 実は二重人格ですって明かされても納得できる自信あるわ!)」

 先程、怜奈からの刺さるような視線を受けていた時、彼女が一体何を考えていたのか皆は知っているだろうか。
 彼女は頭の中で花占いをしていた。それも単なる普通の花占いではない。普通であれば、『好き・嫌い・好き・嫌い……』という風に交互に言い合うのが通例だが、彼女の場合は別。『好き・好き・好き・好き……』と延々に続くエンドレスゲームを一人行っていたのである。
 まさに悪魔の囁き。全て筒向けだとはつゆ知らず、本心を暴露し続ける怜奈の行いは、祐樹にとって悪魔の所業に等しかった。
 数分前の喧嘩(?)を経ての授業中でもやはり彼女のデレは止まらず、

『……やっぱり二宮くん怒ってるよね? 机に顔を埋めて小刻みに震えてるし……』
「(違うわ! ツンとデレの寒暖差に身震いしてんだよ! 別に怒ってねえから!)」
『もうずっとこのまま仲直りできないのかな? 好きって伝えられないまま卒業なんて……そ、そんなの嫌だよ……っ』
「(だからなんで好きとか言っちゃうのかなぁあああッ!!? いや実際は言ってないよ? 言ってないけど……けどさ! それはちょっと反則だろぉおおおッ!?)」

 授業中でも続くデレデレタイムを受けて、もう二度と顔を上げられない程に顔が赤面しているのが自分でも分かる。
 しかしそれでも熱い視線と潤んだ感情が止めどなく押し寄せる。脈拍数が300を超えた頃、祐樹は我慢の限界を迎え、顔を怜奈に向けて小さく囁いた。

「な、なあ、いい加減こっち見るの止めてくんない?」
「は? なによいきなり。こっち見ないでって私言ったばかりでしょ。二宮くんこそ何勝手に約束破ってんのよ」
「約束した覚えはねえよ。てか生駒が勝手に言い出したんじゃねえか」
「ふんっ、知らないわよそんなこと。本当……二宮くんと話してるとイラついて仕方ないわね」
「な!?  こ、こいつ……ッ!」

(こっちの苦労も知らずによくもまあツンツンとしやがって……!)

 祐樹は全て知っていた。怜奈の言葉が全てデタラメに塗り固められた嘘であることを。
 鼻であしらう仕草を見せるが実際は違う。彼女が人知れず考えていたことは以下の通りだ。

『あ、い、いきなりこっち見ないでよ……! まだ心の準備が……、あ、ちょっと近いって! やだ、ほんとに待ってってば……! 二宮くんに見つめられたら恥ずかしくて死んじゃいそうになるのにぃっ!』

 こんな本心が同時に流れてくるせいで、どう足掻いてもやはり怜奈のツンな態度に怒る気になれない。じゃあ何で顔が赤いのかって? そんなもの、恥ずかしいからに決まってんだろうが!

「二宮くんのせいで先生に怒られたら癪だもの。ほら、さっさと前向いて真面目に授業を受けなさいよ。そのくらいなら二宮くんにもできるでしょ?」

 さも鬱陶しそうに手であしらうと、怜奈は黒板へと目を移す。全くもって酷い言われようではあったが、流れ込んでくる本心を知ってしまえば彼女を責める気にはなれない。

『あ、危なかった、もう少しで顔に出ちゃいそうだった……! こんな態度取ってるのに急に照れたら、それこそ二宮くんにキモいって思われちゃう……』

 そんなことはない。むしろ可愛いと口に出してしまう予感しかしない。
 いつもツンな態度を取る彼女でさえクラス一、いや世界一の美少女レベルに見えるのに、そんな彼女がデレてくれたら果たしてどうなってしまうのか。
 確実に神話が誕生する。この時代に新たな1ページを刻む瞬間を、人々は目の当たりにすることができるのだ。

「(……って俺は一体何を考えてるんだよ!?)」

 これこそキモいと思われて仕方ない思考回路だ。頭を横に大きく振り、いい加減授業に集中しようと意義込む。
 教壇に立つ我らが担任は、二人の険悪な空気に気圧されていたのか、あまりこちらに視線を向けずに授業をしていたようで。
 心の中で先生に謝罪をしつつ、ノートを開いて真面目に授業を受けようとしたその時、ふと隣から不規則な音が聞こえてきた。


―――パキッ、パキッ、

 その音が気になり目をやると、隣で授業を受けているはずの怜奈がわなわなと震えている。その手元では、怜奈が手に持つシャーペンの先が何度も折れていたのであった。そしてハッとした怜奈は筆箱の中身を確認し、再びハッとして項垂れてしまう。

「(な、何してんの生駒?)」

 その一連の流れを見て思わず困惑してしまうが、よく見てみると怜奈の耳がほんのりと赤い。表情は依然としてすまし顔なのに、色白な肌のせいで耳元だけが正直だった。
 もはや心を読まなくても分かる。これはつまり……

「(…………)」
 
 一瞬躊躇うものの、祐樹はため息をつきながら手元の筆箱を漁る。そして目当てのものを取り出し、シャー芯のケースをそっと怜奈の机に差し出した。

「え?」
「シャー芯だよ。見りゃ分かるだろ」
「で、でも……」
「必要なんだろ? いいから黙って受け取れよ」

 そこまで言い終えると、祐樹は怜奈から視線を離す。隣から抗議の目を向けられるが全て無視だ。
 何度かの葛藤を経て、怜奈はシャー芯を取り出した後にケースを返す。何も言わず、一貫してツンな態度を変えない彼女に苦笑いしてしまうが、まあこの行い自体がそもそも自己満足にすぎないのだからそれで良しとしよう。
 そう納得し、再び真面目に授業を受けようとしたその時、

『……好き』
「え」

 突然流れ込んでくる告白。急速に祐樹の顔が引き攣り始める。

「(―――あ、やっべ!?)」

 ようやく気づいた時には既に遅し。怜奈の心の内が、怒涛の嵐のように押し寄せてきた。
 
『うぁあああ好き好き好きっ!! いっつも無愛想で無頓着な雰囲気なのに、急に優しくなるんだから……! こ、こんなの好きになるに決まってんじゃんっ!!』
「っ!?」
『ど、どうしよう……心臓がキュンキュンしっぱなしで死んじゃいそう……っ、無理無理わけ分かんない顔が沸騰しそう……なのに気持ちよくて……ああ、もうダメ……! 今すぐ抱きついてキスしたいっ!!』
「っ!?!?」
 
 恥ずかしい言葉が止めどなく溢れる怜奈の心中。それを一方的に聞かされる祐樹は、もう限界を超えてしまった。

「(うぉおおおおおお~~~ッ!? もうやめてぇえええええええ~~~~~~ッ!!?)」

 この日は結局最後まで授業に身が入らず、祐樹は二度と怜奈の顔をまともに見ることができないのであった。

―――そんな日々を過ごし早くも三年近く。あれほど煩わしいと思っていた教室内は嘘のようにガラリとしていた。
 今日は卒業式当日。皆は既に打ち上げに向かい、誰もいない教室で祐樹は一人佇む。
 黄昏ると同時に沸いてくる寂寥感。自分の席と隣の席を遠目に眺め、在りし日の光景に目を細めていた。

「―――あ」

 ガラガラと教室の扉が音を立てて開くと、現れたのは怜奈。
 突然の登場に目を見開くと、祐樹は細い声で訊く。

「打ち上げはどうしたんだよ。皆もう行っちゃったぞ?」
「二宮くんだって同じでしょ。何でここにいるのよ」
「俺は……まあ何となくだよ」
「何となくって何よ。男ならはっきりしなさいよ」
「う、うるさいな……なら生駒はどうなんだよ。そんなこと言うなら、ちゃんとした理由なんだろうな?」
「私は……別に。ただ気になっただけよ」
「お前だって何となくじゃねえか。人のこと言えねえぞ」
「う、うるさいわね……気になったものは仕方ないでしょ?」

 そう言うと不貞腐れる怜奈。途端に押し寄せる無言に祐樹はだんだんと気まずさを感じ始める。
 この三年近い月日を経て、怜奈はより綺麗になった。
 以前のとげとげしい性格とは異なる落ち着いた雰囲気を纏い、丸みを帯びた身体は包容力を思わせる魅惑が垣間見える。
 淑女の風格を漂わせる彼女を見て、祐樹は恥ずかしさとそれ惜しむ気持ちに心を痛めてしまう。

「ったく……生駒とは最後までまともに話せず仕舞いだったな」
「何よその言い方。まるで私が悪いみたいじゃない」
「悪いとは一言も言ってないだろ。なんでいっつも喧嘩腰になるんだよ」
「なってないし。勝手に突っかかってくるのはいつも二宮くんでしょ」
「だからそういう……! ……いや、やっぱり何でもない」

 それでも相変わらずツンな態度を見せる怜奈を前にして、祐樹は思わず感情的になってしまう。ハッとすると一度息を吐き、自らを落ち着かせる。次いで目を伏せて、自分と怜奈の座っていた席へと視線をやった。
 三年間隣でいられた軌跡を懐かしみ、不意に訪れる彼女との記憶の数々を想い越し、そして最後にやってくる寂寥感。

「……でも、もうこれで会うのは最後なんだな、俺達」

 ポツリと溢す本音。怜奈にも聞こえていたらしく、「そうね」と返事が返って来た。

「もう二度と二宮くんの顔を見なくていいと思うとせいせいするわ」
「そんなのこっちのセリフだ。これ以上イライラしないで済むなら万々歳だよ」
「そう。ならお互い様じゃない」
「ああ、そうだな」
「そう、ね……」
「……ああ」
「…………」
「…………」

 軋みながらも進む時計の音が教室内に響き渡る。とても静かに動く時間は、まるで今の二人の関係を表しているようで、限りなく緩やかに、そして今にも止まってしまいそうだった。
 そんな時の流れに逆らうように流れ込んでくる思念。その源流に視線をやると、怜奈は俯いたままその場で立ち尽くしている。
 隠そうともしない態度を見せる怜奈を眺め、祐樹は一度は意を決するものの、最後は目を逸らした。

「……じゃあ、俺帰るから」
「―――え」

 他人の心が読める、それが喜ばしいと思ったことなんて一度もない。他人を騙している気がして辛くなるだけだ。
 ズルをするたびに罪悪感に襲われるなら、いっそのこと離れた方が楽だから。
 見てはいけない他人の本心を一方的に盗み見てしまうような人間に、怜奈の気持ちに応える権利なんてないから。

『ま、待ってよ! まだ伝えたいことがあるのにっ!』

 伝わってくる思念に目を合わせることなく、祐樹は怜奈の横を通り過ぎる。
 教室の扉に手をかけ、名残惜しくも迷いを打ち消し、そっと扉を開けようと力を入れたその瞬間――――――

「―――ま、待ってよッ!」

 が、それは直前で遮られる。片腕に触れる怜奈の両手。祐樹は思わず目を見開いて振り返った。

「え、な、なんで……?」

 怜奈の本心と口から出た言葉が一致した瞬間、祐樹は初めてのことに動揺する。

「待ってよ……まだ最後に言いたいことがあるの」
「は? いやいや、なんで急にデレるんだよ……」
「茶化さないで。……ねえ、今日で最後なんだよ? だったら最後くらい真面目に聞いてよ」
「……悪い」

 苦しそうな表情で見つめてくる怜奈を見て、祐樹は何も言えなくなってしまう。苦しくて、今にも泣いてしまいそうで、そんな顔を覗かせる彼女の姿に、祐樹は息が詰まりそうだった。

「二宮くんからしたらどうでもいい話だと思うけど……私はもう後悔したくないから」

 そう言うと、怜奈は上目遣いに祐樹の顔を見つめ、

「―――二宮くん、好きです」

告白をした。ノイズ交じりの心の声ではなく、はっきりとした言葉で。

「驚かせてごめんなさい……嫌いな女子に告白されるなんて最悪でしょうに。でも……もう私は嫌われたくないの……」

 知っている。だって心が読めてしまうから。

「いっつも冷たい態度とってごめんなさい……、二宮くんと話すのが恥ずかしくてつい酷いことばかりしちゃって、ごめんなさい……でも好き。二宮くんと付き合えたらっていつも考えてた」

 知っている。だっていつも伝わってくるから。

「……でも答えなんてとっくに分かってる。だからこれは……私の自己満足」
「…………」
「ほんと何言ってんだろ私……ごめんね、せっかく帰ろうとしてたのに邪魔しちゃって」
「……邪魔なんて一度も、思ったことない」
「……え?」

 だからだろうか、ずっと抑えてきた想いに歯止めが利かない。

「俺だって嬉しかった……って言うと少し語弊があるけど、でも生駒から好きって言われるのは悪い気がしなくって……いやこんな上から目線な言い方じゃなくって、ええと……」
「二宮くん……?」
「だから……ほんとに嫌いだったらそもそも話しかけないって言うか、その……」
「え、え?」
「―――ああもうっ! 俺も生駒が好きだって言いたいんだよ! ちょっとは察してくれよ!」
「え……えぇええ~~~っ!?」

 口をパクパクとさせて驚きを隠さない怜奈。しかし、それに気づかないほどに祐樹の頭は沸騰していた。
 押さえつけるつもりでいた本心を露わにしたせいで恥ずかしさがブアッと発散する。手で顔を覆い、目を逸らして今更に羞恥を隠すがもう遅かった。

「ったく……あんなに好きって告げられたら、い、嫌でも好きになるっつーの……!」
「じゃ、じゃあ……私達、両想いってこと?」
「ああそうだよ……! 俺だって本当は生駒とイチャイチャしてえよ……!」
「―――……っ! わ、私だって二宮くんとデートしたいと思ってたから……!」
「知ってるわそんなこと! 何回言えば気が済むんだよってくらい聞いたわ……!」

 馬鹿になったテンションで想いを暴露し合う二人。しばらくの間愛を叫び合い、ようやく落ち着いた頃、「ん?」と怜奈が疑問を呟いた。

「え、待って? 何回言えばってどういうこと? 私今までこんなこと言った覚えがないんだけど」
「―――あ」
「それに、あんなに好きって告げられたらって……二宮くんに好きって言ったの今日が初めてなのに」
「…………」

 冷静に戻った時には既に遅く、祐樹は「(やってしまった)」と青ざめる。そんな様子の祐樹に詰め寄り、怜奈はジト目で睨み続けていた。
 もう告げるしか選択肢がない、そう決心した祐樹は、全てを悟った目で告白した。

「俺、実は他人の心が読めるんだよね……漫画とかでよくあるエスパーってやつ」
「は? 冗談なら後に―――」
「……花占い、なんで好きしか言わなかったの?」
「―――……っ!!?? ななな、なんでそれを……!?」
「に、二宮くんに見つめられたら恥ずかしくて死んじゃいそう……とか。他にも、二宮くんにお弁当作って来たのに結局渡せなかった……とかもあったな」
「なぁああああああああ―――っ!?!?」

 その叫びと共に教室から飛び出して行った怜奈。結局この日は逃げられてしまい、最終的に自分がエスパーであると信じてもらえたのはいつ頃だったか。
 その間にも数えきれないほどの思い出があったはずなのに、どうしても朧気で思い出せない。あれ? いつから生駒と正式に付き合うようになったんだっけ? それに初めてのデートも、初めてのキスも、それから先のことも―――……、







「―――……ぇ……ぉ」

 遠くから誰かの声が聞こえる。

「……ぇ……ぃてよ」

 でも身体中が気怠い。まだ寝ててもいいだろ?

「―――ねえ! 起きなさいよ!」
「うおっ!?」

 突然頬に痛みが走り、祐樹は思わず声をあげる。

「はぁ、やっと起きた。いつまで寝てるつもり?」
「あ、あれ? ここは……さっきまで教室にいたのに……」
「なに寝ぼけてんのよ。はい、さっさと起きる!」
「うわ寒ッ!? ちょ、布団返せって!」
「もうご飯できてんの! それに、二度寝は禁止ってこの前約束したばかりでしょ!」

 そう言った後、未だ寝ぼけている祐樹はジト目で凝視されてしまう。その瞳の奥に秘める憤りを感じ取り、祐樹はようやく目が覚めた。

「ほら、早く着替えて。朝食が冷めちゃうでしょ?」
「ああ、分かったよ。今着替える」

 ベッドから立ち上がり、背筋を伸ばして答えると、祐樹は備え付けのクローゼットへ手をかける。
 一二月を感じさせる肌寒さを考慮し、白い厚手のセーターを取り出そうとした時、ふと視線を感じて振り返る。

「あの……俺着替えるからさ、部屋から出てってもらえると助かるんだけど……?」
「でも、まだしてもらってないし……」
「え、何を?」
「何って……あ、朝の日課に決まってるでしょ? もう約束を破る気?」
「約束―――」

 そこまで思案し、ようやく思い出す。祐樹は素早く着替えを終えると、ベッドに腰掛けて待ち続ける女性に向き合い、小さく唇を合わせた。

「おはよう、
「……うん、おはよ、

 最愛の女性―――生駒怜奈は満足した笑みを向けてそう囁いた。







「ねえ、今日ってどこに行くの?」

 朝食を食べている最中、ふと疑問を投げかける怜奈。

「そうだな……今日はクリスマスイブだし、せっかくだから遠出しても良いかなって思ってるけど」
「でもほら、天気予報で夕方から雪が降るかもって言ってるよ」

 視線の先に映るニュース画面では丁度本日の天気予報のコーナーが始まる。午前中の晴れ模様から一転、午後から次第に雪が降るだろうとお天気お姉さんが軽快な声で報じていた。

「げっ……じゃあ電車は使えないか」

 目星をつけていた場所があっただけに、この予報は予想外だ。このマンション付近でどこか良い場所があっただろうか、空いた時間を見つけて探そう。
 そう思案していたところ、対面して座っていた怜奈がふと訊いてきた。

「昨日もはぐらかされたけどさ、クリスマスイブだからって無理に外出しなくても良いんじゃない? 去年みたいにまたここでパーティーしても楽しいと思うけど」
「いや、それでもいいんだけどさ……やっぱり特別な日なら、さ」
「……そう」

 納得していない雰囲気を出しつつも怜奈は頷く。黒いニットワンピースを身に纏い、肩までかかる長い髪をなびかせながら、主菜の焼き鮭を箸ですくって口に含んでいた。

『またはぐらかされた……私ってそんなに信用ないのかな』

 しかし、次いで流れ込んでくる言葉はとても正直な彼女の想いで。伝わってくる本心を受け、祐樹はハッとして言葉を取り繕った。

「い、いやそうじゃなくって……! 決して怜奈が信用できないわけじゃないんだよ……!」
「そう言うと思った。はぁ……なんでいっつも伝わっちゃうのかな……これじゃ本心が駄々洩れじゃん」
「うっ……ご、ごめん。でも勝手に聞こえてくるんだから仕方ないだろ? 言い訳になるけどさ、俺だって極力は聞かないように意識してるんだよ」
「丸裸にされる側の気持ち考えた事ある? プライベートもあったもんじゃないわよ」
「……すみません」

 右手に持っていた箸を置き、祐樹は気まずさを感じながらも頭を下げる。その姿に目もくれず、怜奈は「別に」と愚痴をこぼしながら箸を進めていた。

『というか、本当に嫌だったら同棲なんてしてないわよ……っ』
「! そ、そっか。よかった……!」
「~~~っ! だからそういうとこ、ほんとズルい……!」

 怜奈は顔を赤くして、箸を持つ手に力を込めていた。その仕草に安心感を覚えつつ、ふと今朝の夢を思い出す。
 懐かしさの残るあの場所でなら―――そう思い、祐樹は憤慨する怜奈へ今日の目的地を伝えた。







「うわー、懐かしいー」


 六年前を最後に足を踏み入れることのなかった思い出の地。机の位置も古い椅子も一切変わっていない、あの頃のままの教室に二人で入った。
 夕方を過ぎて、時刻は七時。暖房のついていない教室内は厚手のコートがなければ耐えられないほどの寒さだった。

「あ、ここだっけ? 確かこっちが私の席で、そっちが祐樹の席だったよね」
「おー、よく覚えてたな。俺なんて全然思い出せねえわ」
「へえ? あんなに私の心読んで面白がってたくせに、大した思い出じゃないんだ?」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃ……」
「別にいいですよーだ。祐樹にはその程度の思い入れしかないんだもんね?」

 ジト目で睨まれて、思わず冷や汗が出てしまう。でも、怜奈は決して本気で怒っているわけではなく、祐樹をじっと見つめた後、不意に椅子を引いて催促してきた。

「ほら、せっかくだし座ろうよ」

 薄暗い教室で微笑みながらそう話す怜奈の姿はとても妖麗で、窓から差し込む町の光に中てられている顔はとても美しいと思ってしまった。

「そう、だな」

 見惚れていたのを隠すように、祐樹は自分の席に座る。そこから眺める教室の景色は、六年前と同じはずなのに、どこか別の世界に来てしまったようで、鼓動が響いて落ち着かない。

「そう言えば、よく先生の許可が下りたよね。夜の学校なんて……特に今は冬休みなんだから尚更無理だと思ってたのに」
「あの担任がまだこの学校に赴任してくれてたお陰だな。ま、後で職員室に挨拶に行ってくるよ」
「もう随分と高齢だったもんね。授業中に先生が無言になった時は皆ヒヤヒヤしてたっけ……」
「おいコラ。恩師のブラックジョークはやめとけ。マジで洒落にならん」
「ふふっ、大丈夫だって。結局今でも元気なままだし」

 祐樹が焦って止めると、怜奈はころころと笑う。頬杖を突き、こちらを眺めている姿はあの頃の面影を感じさせた。
 こそばゆさを感じると共に、もうあの頃とは違う怜奈の大人びた姿。
 その不自然さに思いを馳せていると、怜奈は「懐かしいな」と呟く。その視線はどこか寂しそうで、まだこの場所に浸っていたいと願っているようであった。

「……怜奈、話があるなら聞くよ?」

 心が読めるから伝わったというわけではない。彼女の表情を伺えば、喉元でつっかえている感情があるのは理解できてしまう。

「……心が読めるんでしょ? もう知ってるなら、わざわざもう一回聞かなくてもいいのに」
「いいんだよ。俺が聞きたいと思ったんだから。ほら、教えろよ」

 優しく語り掛けると、怜奈は小さく笑う。「やっぱりズルいよ」と言い残し、視線を黒板の方に戻して、静かに独白をする。

「……私ってさ、祐樹と釣り合ってるのかな。いっつも酷い態度ばかり取って、祐樹を傷つけて、自分でも最低な女だって思うのに……」
「そんなこと―――」
「違うの。祐樹は否定してくれるけど、私が納得できないの。だって……私が祐樹と付き合えたのは、祐樹が心を読めるからでしょ?」
「…………」
「私の本心を知ってるからずっと我慢してくれてるんでしょ? でもそれって、結局はただのズル。嫌われる事ばかりして好かれるだなんて、そんなのズルじゃん……」

 ずっと心の内に秘めていた苦しみを明かし、怜奈は項垂れる。俯き加減に頬杖を解くと、背もたれに深く腰掛け、天井を見上げていた。
 暗闇で落ち込む怜奈に何も言わず、祐樹はただ彼女の横顔を見ているのみ。その視線がこそばゆくなったのか、怜奈は小さく笑って言った。

「あはは……せっかくのクリスマスイブなのにごめんね? ほんと空気読めない奴で……」
「い、いや……そんな風に思ったことは一度も―――」
「でも、祐樹が普通の人だったらさ、私のこと好きにならなかったでしょ?」
「……そ、れは」
「いいよ、無理に嘘つかなくても。私でもそう思うから」

 否定してほしい、そんな顔を向けてくるのに、流れ込んでくる本心は怜奈の言葉通りで。彼女は本心から自分に自信がないのだと伝わってくる。
 正直分からない。もし自分に心を読める力がなかったら、そんな自分がどう彼女と向き合っていたのか。ただの性悪女と決めつけて払いのけるのか、それとも諦めずに歩み寄ろうと努力したのか。
 でもこれだけは分かる。友達の関係までは歩み寄れても、その先の関係までは進めていなかったと、きっとそこまでなのだろうと思ってしまう。

「……そっか。結局、俺もズルかったんだな」
「―――え?」

 驚きを持って振り向く怜奈の顔を眺めながら、祐樹は自問に深く納得する。
 結局自分だって、心を読める力があったから彼女を好きになってしまった。彼女の本心を知ってしまったから、自分は彼女の魅力に気づくことができたんだ。
 
「(俺達って、案外似た者同士だ)」

 特別な日になるはずの今日になってようやく分かり合えた気がする。今ならきっと、もっと自分のことを知ってもらえると、そう思えたから俺は―――

「怜奈、ずっとはぐらかしててごめん。でもどうしても、今日までは隠していたかったんだ」

 そう告げて、コートの外ポケットから取り出した箱。静かに開けると、中には一つの指輪が大切にしまわれていた。

「! こ、これって……」
「えっと、ごめん。怜奈が寝てる間にサイズ測らせてもらいまして」
「いやそうじゃなくって、だ、だってこれって」
「あーうん、その……婚約指輪、です」
「―――……っ!」

 ここからでも分かる程に目を見開いて驚愕する怜奈。身体をこわばらせ、思わず椅子から転げ落ちそうになっていた。

「な、なんで……だって」
「いや、言いたいことは分かるよ? 本当なら社会人一年目に渡そうって決めてたんだけどさ、まあ、ちょっとお財布事情が芳しくなかったせいで今日に至ります」
「違うって! 私の話聞いてなかったの!? だってこんな私じゃ祐樹と釣り合わないって言ったばかり―――」
「別に良いじゃん、それでも」
「そ、それでもいいって……えぇっ!?」

 混乱しているのか、怜奈は口をパクつかせて動揺を隠そうともしない。片手で顔を覆い、暗闇でも分かる程に顔を赤らめていた。

「怜奈はズルだって思ってるけどさ、俺だって他人の心が読める力があるんだからズルだろ? だったら俺達って似た者同士じゃん」
「でも、それじゃ……ただの結果論よ。普通の恋愛をしてる人達に失礼だと思う」
「何だよ普通の恋愛って……別にさ、相手を好きになれたらそれでいいんじゃないの? 恋愛なんて大体そんなもんじゃない?」
「それは……」
「どんな形であれ、俺は怜奈が好きだよ。これだけは絶対に譲れない」
「…………」
「怜奈はどうなんだよ。あの時の告白も嘘だって言いたいのかよ?」
「―――……っ!」

 その言葉に怜奈はハッとする。あの日の感情を思い出し、「違う」と口ごもりながら告げた。
 それを聞いて微笑むと、祐樹はゆっくりと立ち上がる。そして片膝を付いて、椅子に座る彼女を見上げながら指輪を差し出した。

「―――怜奈、俺と結婚してください」

 細く降り始めた雪景色を背景に、祐樹は怜奈の返事を待つ。怜奈は依然として顔を片手で覆い、もう片方の手を膝元に置いていた。
 薄暗い闇夜に中る怜奈の表情は手で覆われて隠されている。でも、流れ込んでくる本心はいつも正直で、彼女の魅力を引き出しているようで。

「……答えならもう分かってるんでしょ? だったらもういいじゃん……」
「いやだ。怜奈の口から聞きたい」
「……恥ずかしいよ」
「それでも聞きたい」
「…………」

 恥ずかしさを携えて、怜奈は悶々とする。が、しばらくの硬直を経てようやく観念したのか、差し出された指輪を手に取る。光沢するダイヤの指輪を左手の薬指につけて、もう片方の手で大事そうに愛でながら、ゆっくりと祐樹を見止めた。

「……一度しか言わないから、絶対聞き逃さないでよ」

 そう告げると、怜奈は祐樹の手を取る。大きな手を大事にすくい上げ、両手で包み込んでいくと、ゆっくりと自らの頬へ手繰り寄せる。
 しっとりと吸い付くような頬を寄せ、彼の体温を肌身に感じ取りながら、

「―――はい、よろしくお願いします」

大切に、正直に、自分の想いを告げるのであった。
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