Marieに捧ぐ 安藤未衣奈は心に溺れる

そらどり

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第一楽章 出会いと気づき

楽しかった?

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「あー、楽しかった!」



手を伸ばし、凝りを解すようにして身体を左右に振る安藤。

椅子から倒れそうになるほど体を揺らす仕草に、少し不安を覚えるほどだった。



「はしゃぎすぎだろ」



俺は思ったことをそのまま安藤に伝える。



「えー? 面白くなかったの?」

「俺だって面白いと思ったよ? でも、そこまでテンションが上がる題材だったかな?」



俺たちが鑑賞したのは、よくある恋愛もの。

最近テレビ番組の終わりに映画の告知をしているのを見たばっかりだったから、作品名を見たときにすぐにピンときた。

今を時めくアイドルグループの一人と人気女優の二人が主演の実写映画、話題性が極めて高く、カップル層に人気の映画だ。

小説の解釈で悩んでいた俺たちは、何かインスピレーションを感じることが出来たら、そんな考えでこの作品を選択した。



「すごく分かりやすかったから、こっちも感情移入しちゃったよ」

「確かに」



内容面に関しては、よく言えば王道、悪く言えばありきたりなものに感じた。

けど、心情描写が演者の手によって具体的且つ明瞭に表現されていたため、原作を読破していない自分たちのような初心者にも分かりやすかった。

受動的に鑑賞していても、すんなり頭の中に情報が入ってきた。

分かりやすさは大事なのだということが理解出来る。



先ほど書店で購入した映画の原作小説を開きながら、彼女は呟く。



「えーっと……、あった。小説文にもアンナちゃんの心情が描かれてる」



アンナちゃん、ヒロインの名前だ。



「そうなんだ? じゃあ映像化で分かりやすくなったと言うよりは、元々原作で描かれてたものをそのまま表現したってことか?」

「いや、小説の方が詳しく描かれてるから、映画の方は最小限の解釈で表現したってことだね。尺の都合もあるからしょうがないんだけど」



映画は限られた時間で如何に来場者に分かりやすさを伝えるのかが重視されている。

そんな制約を抱えながら最小限の表現で作品を成立させるのは、原作小説の読み込みが必要不可欠だ。

原作の重要性が際立つからこそ、小説文に描かれている心情表現が最大の肝となる。



「心情表現が描いてあるからこそ、読んだ人にもイメージが伝わりやすくなるの。だから、こっちの小説はどんなに読み直してもヒロインのイメージが掴み切れないんだと思う」



安藤は真剣な表情で、カバンから取り出した冊子と先ほど購入した小説を比較している。



「その冊子の方には、ヒロインの心情表現が描かれていないんだよね?」



俺は確認するようにして、安藤に声をかける。



「……うん。仕草とか情景描写は描かれてるんだけど、本当にそれだけ。主人公の心情しか描かれてない」



安藤は落胆しながら、冊子を閉じる。

それをカバンに戻し、テーブルの上を整えてから、前を向く。



「で、どうだった? アイドルの人さ、カッコよくなかった?」

「え、何いきなり?」



先ほどまでの神妙な顔はどこへやら、安藤はこちらを向いて目を輝かせていた。

やはりきれいな瞳をしている。



「せっかく二人で見たんだからさ、もっと感想を教え合いたいじゃん?」

「そう? 俺はあんまりだけど」

「えー、ノリ悪ーい」



かなりテンションが上がっているのか、いつも以上にキャラが掴めない。



「というか、元々は小説内のデートプランを真似るためにここまで来てるんだぞ? もっと話すことあるだろ」

「いやあ、分かってはいるよ? でもさ、祐介君が言ったんだよ? 友達になろうって」

「それは……」



確かにその通りだ。

目的があってここまで来たのは事実だけど、友達として一日中遊ぶのもまた事実だ。



「私は映画の感想を話し合いたいな。 祐介君は?」

「……」



迷う。

今までの俺は、小説の解釈をするという免罪符を持っていたから、平然としていられた。

けど、友達としてこの後を過ごすことは、事実上デートを意味していた。

自分の中でデートという言葉が現実味を帯びる。



落ち着け、これはデートじゃない、友達と遊びに来ただけだ



頭の中で反芻する。

数時間前の自分の愚かさを咎めたい。

目的もなく二人で遊ぶって、本当にデートみたいじゃん……。



「お待たせしました。カルボナーラでございます」



店員が料理を配膳に来たことで、俺は目を覚ます。



「あ、私です」



安藤が手を上げて、料理を受け取る。

店員がお辞儀をして、キッチンへ戻っていく。

俺の注文したイタリアンパスタはまだのようだ。



「見てよこれ! 美味しそう……!」



安藤は小動物のように目の前の食事に食いつく。

その姿は純粋無垢であった。



……



何がデートだよ、浮かれすぎだ……



俺は冷静になる。

安藤は友達が欲しくて、俺の提案に乗ってくれたんだ。

その提案に背けば、この子を悲しませてしまう。

勝手に期待するのは、相手に失礼だ。



「……俺もさ、映画の感想聞きたくなった」



だから、知りたくなった。



「ん? なんだ、祐介君も同じか」

「ああ、だから教えてよ」

「もちろん! じゃあ最初のとこなんだけど___」



安藤が何を考えて、何を知っていて、何を思っているのか。

それだけじゃない。

何が好きで、何が嫌いで、何が得意なのか。

他にもたくさんある。

こんなに他人に対して知的好奇心が沸いたのは初めてな気がする。

でも友達だったら、それも普通だろう___



俺たちは料理を楽しみながら、会話を弾ませた。





ーーー





夕日が段々と沈み始める時間帯に、俺たちは地元に戻って来た。

厚ヶ崎駅で降りて、改札を抜ける。

先ほどまでいた場所に比べて、人通りの少ない通りを見る。

少し町がしんみりとしている。

これを見る度に、俺は地元に帰ってきたのだと実感が沸く。



「俺自転車置き場まで行くけど、安藤は?」

「私はバスだから。あ、でも、まだ時間あるからそこまで歩こうよ」



相手の提案を快諾し、俺たちは駅のロータリーから外れた位置にある有料の駐輪所に向かう。

夕方になると、少し肌寒くなる。

ジャケットを羽織ってきて正解だった。

ポケットに手を突っ込み、無言で歩いていく。

安藤も少し肌寒いのか、手を擦って温めていた。



「いやあ、今日は楽しかったね」



手の運動を続けながら、安藤は言葉を発した。



「ああ……」



今日の出来事を顧みる。

小説内のデートプランをなぞる予定だったが、途中で女性服の買い物に付き合わされたり、コスメ売り場で待たされたりした。

極めつけは、商業施設内で購入した分のレシートで参加できる景品会場だ。

四回分出来るということで、二人で半分ずつ抽選を回した。

すると、安藤が三等を当ててしまい、当日限定の商品券を手に入れてしまった。

そろそろ帰ろうかと思っていた矢先の出来事だったので、俺たちは再びショッピングに繰り出さなければならなくなったのである。



「と言うか、なんであそこで景品当てちゃうんだよ? 欲しいもの無いのに商品券もらっても、俺たちだと余らすだろ?」

「あはは、強運だったよね」



屈託のない笑みを浮かべる。

別に俺も本気で言っているわけじゃない。



ボディーバッグから、二人で購入したものを取り出す。

商品券をもらったと言っても、そこまでたいそうなものを買える金額ではなかったため、アンティーク調の雑貨を扱っている店で選んだ。

選んだものは猫のシルエットの形をしたアクセサリー。

カバンに取り付けても違和感のないお洒落なデザインだった。



「それ、どこに付けるの?」



安藤は既に持参したカバンに掛けていた。

デザインが犬であるが、基本は俺のものと変わらない。



「んー、学校用のリュックサックに似合うかな」

「あんまり見せびらかさないでよ? 同じもの持ってるって思われたら嫌だし」

「その時が来ればいいけど」

「は? ばれるよ?」



冗談を言ったつもりだったが、結構ドスの聞いた声で制止された。

流石は声優と言ったところか。



「でも、今日は遊んでばっかで、小説の解釈作業はあまり進まなかったね」



と思っていたら、安藤は声のトーンを変えた。

実際、映画鑑賞を終えた後に少し触れただけで、それ以降はひたすら遊んでいた。

要所要所で、小説内と同じデートプランを執行しようとして、クレープ屋に立ち寄ったり、ゲームセンターで遊びに興じたりしたぐらいだ。



「確かにそうだな」



俺も同調して呟く。

まあ、焦らなくても問題はないはずだ。



「それらしいことは出来たし楽しめたと思うけど、本当にそれだけで終わっちゃったから、ヒロインの気持ちなんて分からないよ」

「他人の気持ちなんて普通分からないもんだしなあ」

「それはそうだけどさ……」



……



肌にまとわりつく冷気、視界から暖色が失われていく。

呼応するように電灯に光が灯り、路面に映し出された影が存在を主張する。

俺は手に力を入れて、変わりゆく景色に平然を装った。



「でも、絶対に理由があるはずなんだよ」



安藤は自分に言い聞かせている。

まるでこの世の事実であるかのように。



「理由……」



それを聞いて、俺はどう思ったのか。

ずっと理由を求める安藤の姿を見る。

独り言を言いながら歩みを止めない姿は、誰の手を借りなくとも自立していた。

今日一日、一緒に遊んで、笑って、歩いて、そして気づいた。

隣にいると、嫌でも気づいてしまう。

俺と彼女の差。



「……」



影が動きを止める。

それに気づいたのか、もう一つの影も静止した。



「どうしたの?」



安藤は後ろを振り返り、異変の先に問いかける。



……



覚悟していたつもりだった。

助けてあげたい、ただそんな思いで伝えた言葉だ。

けど、友人になるということは、理解者になるということだ。

これまで通り、ただ傍観しているだけでは意味がない。



でも、隣にいると、何もしていない、何も変わらない、そんな自分に向き合わなければいけない気になる。

変わりゆく世界から、一人取り残されてしまうのでないか。

安藤の世界は、俺の好奇心を掻き立てる。

それと同時に、まとわりつくしがらみが重圧もかけてくる。

逃げてしまいたい、いつものように。



「……」



声が出ない。

背中を伝う汗の感触が嫌に分かる。

先ほどまで感じていた震えとは違う。

身体が熱いのに、手が震えていた。



何か言わないと……



焦る気持ちに動かされ、身体に力が入る。

しかし、口を開けようとするが、上手く動かない。

傍から見たら、実に滑稽な姿だろう。

それを想像するだけで、余計に惨めな思いになった。



「……あ」



その姿を見ていたであろう安藤が声を出す。

そのまま近づいてきて、俺と向き合う形になる。

視線を感じたが、それに応えることは俺には出来なかった。

何を言われるのだろうか。

何も言わない俺に嫌気が差したのだろうか。

不安に駆られて、黙っているので精一杯だった。



「私分かったかも……」

「……え」



でも、安藤の声は、俺の想像していた声と違っていた。



「祐介君さ、今日は楽しかった?」

「……?」



思いがけない質問に、俺は硬直してしまった。

理解が出来なかった。



「聞いてる?」

「あ、ああ。なんで今聞くのかって思って固まってた」

「なんだ、聞こえてるじゃん。それなら答えてよ」



今日あったことを振り返る。

駅で待ち合わせて二人で商業施設に向かった。

途中でアクシデントもあったけど、結果的に良い方向になった。

それから、映画を見て、レストランで雑談をして、ショッピングをして、クレープを食べて、ゲームセンターで遊んで、景品を当てて、お揃いのものを買って……。



「……楽しかった」



俺はそう答えた。

これだけたくさんの事をやって、楽しくないわけがない。

一人では退屈に感じてしまうことも、二人だったら時間が足りないと思える程に語り合えたのだから。



「うん、ありがとう」



答えに満足したのか、感謝を告げられた。



「何でいきなりそんな質問を……?」



全容が理解できず、説明を求めた。

強く頷く安藤は、笑みを浮かべて言葉を発した。



「今まで何で気付かなかったんだろうって後悔してるよ」

「だから、何でそんな質問を___」

「今日私に向かってさ、一度でも楽しいって言ったかな?」



楽しい?



「……さっき答えただろ」

「それは私が質問したからでしょ? それ以前に言ったかってこと」

「それ以前……」



思い返す。

今日二人で話した内容。

鮮明とはいかないが、まだ覚えていた。

レストランでの雑談。

ショッピング中の会話。

それ以外の些細な独り言。

出来事の記憶を辿っていく。



「……言ってない、気がする」

「でしょ? 言ってないんだよ」



確かに言っていない気がした。

無意識に言った可能性も否定できないが、安藤の反応を見る限りでは違うのだろう。



「でも、それが分かったとしてさ、何の意味があるんだよ?」

「まだ分からないの? ちゃんと小説読んでないでしょ?」

「あれからもう一回読み直したけどさ……」



先週の日曜日に会合をした後、平日の合間を縫って読み直したのは事実だ。

でも、それをしたからと言って、全てを暗記したとは言えない。



「勿体ぶってないで教えてよ……」



教師と生徒の会話ではないのだから、早く答えを教えてほしかった。



「……分かった」



安藤が、俺の要求を呑んでくれた。

そして、手を伸ばして身体を解した後、再び身を正しながら言葉を発した。



「ずっとヒロインの心情描写が無いから、辻褄が合わないと思ってたんだよね」



初めから安藤が気にしていた部分だ。



「でも、そもそもの考え方が間違いだった」

「間違い?」

「うん、あれは主人公を心情だけを描写した小説だったんだよ」

「……? それって同じじゃないの?」

「全然違うよ。 主人公が思ったり感じたことが詳細に描かれているだけの内容で、あれだけ募った主人公の心情をヒロインに一切伝えていないんだよ。ほら、こことか……」



そう言いながらカバンから冊子を取り出して、該当ページをめくる。

そこには二人のやり取りしている内容が羅列していた。

その内容は丁度二人でデートをしているシーンで、今日俺たちが実際に遂行したプランとほぼ同じだ。

びっしりと埋まった文字の中に、主人公がその都度の出来事で感じたことが詳細に描かれている。



映画に集中できない。

隣で感涙している彼女の存在を愛おしく感じる。

手をつなぎたいけど勇気が出ない。

初めて食べたかのように大袈裟にリアクションを取る姿が面白い。

服を吟味しているが、どれを選んでも似合いそうだな。



主人公は事あるごとに感想を言っていて、ヒロインに対してかなり好感を抱いていることが分かる。



……



でも、よく見ると、この間にヒロインとの会話が存在してなかった。

正確にはしていたが、ヒロインの問いかけに相槌を打つばかりで言葉をかけていなかった。

感無量で言葉が出なかったと補足されているが、ヒロインから見れば、そんなことを知る術はない。



「本当だ。丁寧に説明されていたから全く気付かなかった……」

「私もそう思ってた。でも、これだとヒロインは主人公が何を考えてるのか分かんないよね」



視点の変換、それこそがこの物語の読解法だった。



「これならヒロインが主人公と別れた理由に整合性が生まれる……」



このからくりに気づけなかった自分が悔しい。

いや、これこそが筆者の策略なのかもしれない。

それに気づけた者が、この作品を評価するに値するのだと。



「よく気が付いたな……」



俺一人では気づかなかった。



「祐介君のおかげだね」

「え?」



安藤はそう言ったが、俺は納得できなかった。

俺一人では気づかなかったのだから。

だけど、安藤が一人で答えを導き出していたんだ。

それを情けで二人の成果にするのは、正直気が引けた。



「……どうして?」



気になった俺は、安藤に質問をした。

すると、安藤はくるりと回って、俺に背中を見せながら答えてくれた。



「私ね? 今日二人でいろんな事して遊ぶことが出来て、すごく楽しかったの。 初めてこんなことが出来たわけだし……」



答え終わると同時に、前に足を向けて、再び歩き出す。

俺も相槌をしながら追随する。



「ただの買い物が永遠に思えるように心地よかったし、クレープのホイップもほんのり甘かった」

「気のせいだろ」

「でも、私が一人で過ごしていたら、こんな経験は出来なかったと思う」

「……」

「でね? その時に思ったの。祐介君はどうなのかな」

「……俺?」

「そう、私だけが楽しんでもつまらないでしょ? どうせだったら祐介君にも楽しんでほしかったし」

「俺も楽しかったよ」

「うん、でもさ、あの時の私は知らないんだよ、祐介君の気持ち。雑貨を見ていた時も、服を試着していた時も、クレープを食べていた時も。映画以外は全部分かんないだよ?」

「……そうかも」

「だからこそ、その時に感じたことがそのまま答えだったんだね。相手は私と一緒にいて楽しいのかなんて、言ってくれないと分からないよ」

「……」



きっとこの気持ちがヒロインの心情そのものなのだろう。

ヒロインからの告白を了承してくれた主人公。

思いが実り、幸せに満ちた人生を歩むはずだったに違いない。

けど、次第に私が隣にいてもいいのかと不安を抱き始める。

もしかしたら、私のせいで彼の人生を滅茶苦茶にしてしまったのではないかと。



「これで、心置きなく演技出来る気が出来る」

「そっか」



俺でも役に立つことが出来た。

それが分かっただけで、救われた。

足取りが軽くなった気がする。



「ありがとね、祐介君のおかげだよ」

「そんなことないよ」



謙遜だった。

本心からの言葉じゃない。



でも、少し自信を持てた気がする。

今回の出来事で、今までの自分とはおさらばだ。

まだ怖いけど、一歩踏み出す勇気をもらえた。



軽快な足取りで、路面を踏みしめる。

すっかり日も暮れて、存在感を増す灯が俺たちを照らす。

より鮮明になった輪郭を持ち、俺たちの影は動き続ける。

自立し合っていた陰りは、重なり合うと形を変える。

次第に、その姿が明らかになると、どの現状に落ち着いた。

変わりゆく景色の中、重なる姿が色濃く象徴された。
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